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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

同世代の訃報

2020-07-27 19:10:34 | 
 今日、二つの訃報を聞いた。デザイナーの山本寛斎さんは僕の二つ年上、そして歌手の弘田三枝子さんは一つ年下。いずれも同じ時代を生きてきた同世代であり特別な寂しさを覚える。

 山本寛斎さんは僕が社会人になって1、2年経った頃、世界のファッション界にデビュー、以来、常に第一線を走り続けてきた。そのバイタリティや創造性にはただただ敬意を表するしかなかった。晩年には熊本県山鹿市の「山鹿元気プロジェクト」のアドバイザーを3年間務めた。「観光戦略ポスター」や新しいデザインの灯籠まつり衣装を発表するなど「山鹿灯籠踊り」をモチーフとした新しい山鹿のイメージを発信した。その個性的な感性には山鹿市民の間でも賛否両論があったが、力強いメッセージ性はネットなどを通じて山鹿のイメージアップに貢献したことは間違いない。哀悼の意を表します。合掌


山本寛斎さんデザインのポスター


 弘田三枝子さんは僕が高校に入った頃、ヘレン・シャピロのカバー曲「子供ぢゃないの」でデビュー。当時まだ中学3年生。小さい頃からジャズやポップスを歌っていたという歌唱力と愛らしいルックスでたちまち人気歌手となった。その後もコニー・フランシスのカバー曲「ヴァケイション」やイタリアのミーナのカバー曲「砂に消えた涙」などオリジナルに負けないヒット曲が続いた。60年代の半ば頃、一時低迷したが、69年の「人形の家」で復活。この曲は彼女の代表作となった。その後、美を追求するあまりか、方向性が僕には理解できなくなり、歌手としての活躍の場を失っていったのは残念でならない。哀悼の意を表します。合掌



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2 コメント

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Unknown (小父さん)
2020-07-28 14:43:56
>「山鹿灯籠踊り」をモチーフとした新しい山鹿のイメージを発信した。

へーっ、寛斎さんはこのようなデザインやアドバイザーもしていたんですか。テレビ番組での紹介や対談なんかは何度か観たことがあります。奇抜なのでその良さ等はよく分かりませんがエネルギッシュな人だとは感じていました。

弘田三枝子さんが亡くなっていたのは今はじめて知りました。彼女の歌はすべてテレビで観てましたね。
「人形の家」以前は私がラジオから流れるアメリカ経由のポップスにかじりつく前ですね。
彼女は私と同年なんですね!

お二人のご冥福をお祈りします。
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Re:小父さん様 (FUSA)
2020-07-28 15:20:16
時代を動かすのは、こんな破天荒で圧の強い人なんだろうなぁと思います。ただ、山鹿元気プロジェクトの時は、正直ちょっと違うなぁと思っていました(^_^.)
それは彼が悪いのではなく、彼をオファーした側のセンスの問題だと思います。

弘田三枝子さんは私が高校から大学に入る頃まで大好きでしたねぇ(^_^.)
あの頃のポップスは外国のものをコピーするのが当たり前でしたね。日本のポップス音楽界もまだ未熟な時代だったんでしょうね。

青春時代の思い出がますます遠くなっていきます(>_<)
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