徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

大名屋敷の能舞台

2018-04-25 19:37:50 | 歴史
 一昨日、プレミアムシネマで放映された「武士の献立」では、冒頭にこんな場面がある。
 江戸中期の加賀藩江戸屋敷、藩主前田吉徳を始め、藩邸一同が見守る中、能が行なわれている。四本柱や橋掛りに沿う一・二・三の松もない、ただ前田家の梅鉢紋が染め抜かれた陣幕のみが舞台を囲む質素な設えである。演目は「船弁慶」。前場の源義経と静御前との別れや後場の平知盛の亡霊が猛り狂う場面などが演じられている。


映画「武士の献立」における能舞台の場面

 この場面を見ながら、ふと、金春流肥後中村家のホームページに書かれている、承応元年(1652)に肥後細川藩の江戸屋敷で行われた「喜多七太夫・中村伊織立会能」のことを思い出した。藩主細川綱利はまだ9歳。父光尚が亡くなった時にはまだ6歳だったため、改易の危機に瀕したが、重臣たちの働きによりやっと相続が認められてまだ間もない頃である。藩主は幼くても大大名としての権勢を示すためには、大掛かりな能舞台を興行することも必要だったのだろう。
 この時、喜多七太夫や中村伊織らがシテ方を務めた能番組は
「加茂・箙・井筒・班女・鉢木・海士・熊坂・猩々乱」などだったそうである。


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