23日(日)の放送で「いだてん」の金栗四三編が終了した。これから、昭和39年の東京オリンピック実現へ向けて力を尽くした人々の物語が、田畑政治を中心に語られていくことになる。
ふりかえってみると、あっという間の24回だった。視聴率の低さが話題になったが、そもそもテレビ番組の視聴は個人レベルでは「見るか見ないか」つまり「100㌫ か 0㌫」しかなく、視聴率は何の意味も持たない。脚本や演出がどうだ、出演者がどうだと、様々なご意見もあろうが、要するに大河ドラマで、日本スポーツ界発展の歴史を見たいと思う人が少なかったというだけの話だ。宮藤勘九郎の作品はこれまで個人的にはあまり好きではなかったが、今回の「いだてん」に関しては、より多くの人に興味を持ってもらえるようにという工夫がうかがえる。最終回では義母の池部幾江(大竹しのぶ)の口から「いだてん(韋駄天)」という神のそもそも論が飛び出し、見事なオチとなった。金栗四三編の中で使われた音楽を聴きながら、24回にわたる物語の余韻にひたるのもまた一興だ。

自転車で爆走する春野スヤ(綾瀬はるか)
▼自転車節
女学生となったスヤ(綾瀬はるか)が初登場するシーンで歌い、その後、スヤから教えられた四三が歌ったり、時にはスヤのライトモチーフとして、また時にはアンダースコアとして度々流れた曲。
▼かっぽれ
明治・大正期に大流行した俗曲。寄席芸としてもその滑稽な踊りが人気を博した。金栗四三編・最終回に、関東大震災で焼け野原となった浅草の焼け落ちた寄席の跡で、芸人が被災者たちを元気づけるため歌い踊るシーンがあった。
▼復興節
関東大震災後、明治・大正期に活躍した演歌師・添田唖蝉坊の息子さつきが作ったといわれる。東京市民の間で歌われ始め、やがて全国に広まった。被災者の心の復興に大いに役立ったという。金栗四三編・最終回では、人々がこの歌を歌いながら力強く復興へ立ち向かう姿が描かれていた。なお、この歌は朝ドラ「ごちそうさん」などでも使われた。
ふりかえってみると、あっという間の24回だった。視聴率の低さが話題になったが、そもそもテレビ番組の視聴は個人レベルでは「見るか見ないか」つまり「100㌫ か 0㌫」しかなく、視聴率は何の意味も持たない。脚本や演出がどうだ、出演者がどうだと、様々なご意見もあろうが、要するに大河ドラマで、日本スポーツ界発展の歴史を見たいと思う人が少なかったというだけの話だ。宮藤勘九郎の作品はこれまで個人的にはあまり好きではなかったが、今回の「いだてん」に関しては、より多くの人に興味を持ってもらえるようにという工夫がうかがえる。最終回では義母の池部幾江(大竹しのぶ)の口から「いだてん(韋駄天)」という神のそもそも論が飛び出し、見事なオチとなった。金栗四三編の中で使われた音楽を聴きながら、24回にわたる物語の余韻にひたるのもまた一興だ。

自転車で爆走する春野スヤ(綾瀬はるか)
▼自転車節
女学生となったスヤ(綾瀬はるか)が初登場するシーンで歌い、その後、スヤから教えられた四三が歌ったり、時にはスヤのライトモチーフとして、また時にはアンダースコアとして度々流れた曲。
▼かっぽれ
明治・大正期に大流行した俗曲。寄席芸としてもその滑稽な踊りが人気を博した。金栗四三編・最終回に、関東大震災で焼け野原となった浅草の焼け落ちた寄席の跡で、芸人が被災者たちを元気づけるため歌い踊るシーンがあった。
▼復興節
関東大震災後、明治・大正期に活躍した演歌師・添田唖蝉坊の息子さつきが作ったといわれる。東京市民の間で歌われ始め、やがて全国に広まった。被災者の心の復興に大いに役立ったという。金栗四三編・最終回では、人々がこの歌を歌いながら力強く復興へ立ち向かう姿が描かれていた。なお、この歌は朝ドラ「ごちそうさん」などでも使われた。