徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

立田山麓の風景

2018-11-09 22:46:46 | ファミリー
 次の文は、ラフカディオ・ハーンの「石仏」の冒頭の一節である。

 第五高等中学校(五高)の背後にある立田山の一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯という古い墓地がある。けれど、そこはもう使われておらず、このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。村人の畑は、この古い墓地の区域にまでもう迫ってきているように見えた。
(中略)
 畑の細い畦道は、墓地の入口の壊れた石段に達する手前で、下草の中に消えてしまっている。墓地の中と言えば、通路などはまったくなく――雑草と石だけである。しかし、丘の上からの眺めは良かった。肥後平野の広大な緑野が広がり、その向こうには青い峰々がぐるりと輪になって取り囲んで、地平線の光をバックにして光り輝いている。これらの峰々の上にひときわ聳え立つ、阿蘇山の頂が悠久の噴煙を上げている。

 わが家の本籍地は立田山麓の黒髪村で、祖父や曽祖父はハーンの言う黒髪村の人たちの一軒であった。ハーンが熊本にいた17年後に、この地で生を享けたわが父は、少年時代の思い出を次のように書き遺している。

 わがふるさとは、立田山の麓、旧藩主細川家代々の菩提寺である泰勝寺のすぐ近くである。当時この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里であった。しかし、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に「柳暗花明又一村」の感懐を抱かせたのではなかろうか。

 父の生家の目の前に石仏のある小峰墓地の丘があり、幼い頃の父はその丘の上に頻繁に上っていたに違いない。つまり、ハーンとわが父は同じ風景を眺めていたであろうと考えると感慨深いものがある。


ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)


立田自然公園(泰勝寺跡)