それは、5月に「評伝 海達公子」の著者 規工川佑輔先生が旅立たれたこと。10年ほど前からご厚誼を賜っていたが、先生のライフワークともいうべき海達公子の研究と顕彰にまつわるエピソードをお聞きするのが楽しみだった。そんな話のなかには、著書や研究論文等で発表された話もあれば、公にすることを差し控えておられた話も含まれていた。まだまだ話尽くしてはおられなかったと思うので、それがもう聞けないと思うと残念でならない。

海達公子は、大正から昭和初期にかけて天才詩人と謳われた少女だが16歳で夭折した。その後、戦中戦後の激しい歴史の波に飲み込まれ、その存在は忘れられていた。規工川先生の生涯をかけた研究がなければ、今日のように広く知られることはなかっただろう。
RKKテレビが熊本県内の小中学校教材として、郷土の伝統文化や先人たちの生き方を紹介する番組「熊本の心」でも先日、海達公子を取り上げていたが、規工川先生の研究がもとになっている。

海達公子は、大正から昭和初期にかけて天才詩人と謳われた少女だが16歳で夭折した。その後、戦中戦後の激しい歴史の波に飲み込まれ、その存在は忘れられていた。規工川先生の生涯をかけた研究がなければ、今日のように広く知られることはなかっただろう。
RKKテレビが熊本県内の小中学校教材として、郷土の伝統文化や先人たちの生き方を紹介する番組「熊本の心」でも先日、海達公子を取り上げていたが、規工川先生の研究がもとになっている。
「『めごいにゃあどん』ときつね」民話(天草市)Time 01:18~
「金色の海」海達公子(荒尾市)Time 05:03~
「版木は生きていた」鉄眼(宇城市)Time 11:27~
「クモの糸」大西嘉幸(熊本市)Time 18:36~
「金色の海」海達公子(荒尾市)Time 05:03~
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