徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

漱石記念年の思い出

2017-12-30 10:56:14 | 熊本
 2016・2017の2年にわたった「漱石記念年」が終わった。おそらく僕にとっては最後の「漱石記念年」になるだろう。プレイベントも含め、いろんな行事に参加させていただいたが、なかでも僕にとって一番の思い出は昨年9月、熊本県立劇場演劇ホールで行われた浜畑賢吉さん主演の舞台劇「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」だ。この公演はその後、東京でも行われたが、その時の模様をレポートしていただいたAさんのブログ記事を、ちょうど1年前に紹介している。記念年の終了に当たって再編集し、再掲してみた。

▼漱石 & 熊本 & かっぽれ(2016.12.30)
 先週土曜日、城彩苑で出逢った千葉県在住の熱烈な花童ファンのAさんご夫妻。ご自身のブログ空はどこから~その後に、12月17日、東京新宿区の四谷区民ホールで行われた舞台「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」東京公演の克明な観劇レポートを掲載しておられる。花童ファンの一人として大変ありがたい。

 Aさんはこの記事の中で、花童の二人(あかね&ゆりあ)が踊った「肥後の通り名」という曲の中に、なぜ熊本とは関係のない「かっぽれ」が含まれるのか疑問に思われたようだ。それは至極もっともな疑問だと思う。
 「肥後の通り名」という曲はこの舞台劇のために作られた曲ではないが、加藤清正の熊本城築城に始まる400年の歴史を言祝ぎ、城下町の移ろいを「通り名」に寄せて唄い踊る。
 一方、「かっぽれ」は江戸時代、大坂の住吉踊りに端を発し、願人坊主らによって大道芸として江戸に伝わり、洗練されて江戸芸として発展した。明治中期には全国で大流行し、祝事には必ず唄い踊られるようになったと伝えられる。漱石の「坊っちゃん」にも登場することをご存じの方も多いだろう。
 漱石が熊本にいた頃、東阿弥陀寺町にあった東雲座(明治21年開業)で鏡子夫人が女歌舞伎を見物したという史実があり、その頃、既に九代目市川団十郎も歌舞伎舞踊に「かっぽれ」を摂取しており、それは当時、熊本で大人気の少女歌舞伎にも当然取り入れられていたであろうことは想像に難くない。当時の世相を表現するのにもっともふさわしい曲だったと言えるかもしれない。


「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」熊本公演


「アイラブくまもと 漱石の四年三ヵ月」東京公演