徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

祖母と歌舞伎

2017-11-17 08:28:18 | 音楽芸能
 Facebookで交流させていただいている丹羽幸子さんが、先日、往年の名歌舞伎役者「守田勘彌」についてお書きになっていたので、数年前にブログに書き込んだ記事のことを思い出し、編集し直して再掲してみた。

 僕は両親が共稼ぎだったので、幼い頃、日中はほとんど祖母のそばで過ごした。祖母はご近所から口うるさい「やかましモン」と言われていたらしいが、結構いろんな人が訪ねてきて会話にふけっていたのを憶えている。そんな会話の中に度々、祖母の口から「モリタカンヤ」という名前を聞いた。ものごころついてから、それは「守田勘彌」という歌舞伎役者の名前であることが分かった。
 若くして夫と死別し、貧しい生活の中、苦労して僕の父と叔父を育て上げた祖母は歌舞伎を観に行けるような環境にはなかったはずだ。しかもテレビもまだない時代。守田勘彌について熱く語る祖母の情報源はいったい何だったのだろう。40年前に祖母が亡くなった後、一度調べてみたことがある。一つだけ可能性があることがわかった。それは守田勘彌が新派女優の水谷八重子と結婚して、一緒に新派の一座を主宰していた頃、全国を巡業していたらしい。熊本にも何度か来演したようだ。ひょっとしたら、そんな公演にでも行く機会があったのだろうか。しかし、その公演は新派だったはず。歌舞伎について妙に詳しかった祖母の知識はいったいどこで得ていたのだろう。謎は残る。
 守田勘彌は由緒ある歌舞伎の大名跡。14代目が昭和50年に亡くなった後、後を継ぐ人が出ていない。いずれ養子の坂東玉三郎が襲名するのだろうか。ちなみに今の坂東玉三郎は5代目。その前の4代目玉三郎は若き日の守田勘彌である。