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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

久留米・篠山城址見て歩き

2013-10-30 22:51:54 | 歴史
 次男が久留米大学病院で内視鏡による大腸ポリープ切除を受けるというので、家内と一緒に見舞いに行った。無事に終わり、特に問題も無さそうでホッとした。
 だいぶ待時間があったので、久しぶりに大学病院周辺を散策した。久留米に住んでいた頃の社宅は大学病院と通りを挟んで向かい側にあり、100mほど離れたところに篠山城址がある。住んでいた頃も行ったことはあるが、じっくりと見て回ったことはない。あまり近過ぎるとそんなものかもしれない。というわけで今日は時間をかけて見て回った。
 篠山城は、正式には久留米城というが、久留米に住んでいた時も地元の人から篠山城としか聞いたことがない。なぜ篠山城と呼ぶかというと、丹波福知山の小大名だった有馬豊氏が丹波篠山城の築城に関わり、その後の大坂夏の陣(1615年)で功を挙げ、元和6年(1620)、21万石に加増され久留米に転封された。豊氏は丹波篠山城を懐かしみ、久留米に新たに築いた城を篠山城と呼んだと伝えられる。
 そんな歴史も振り返りながら見て回ると、見慣れた風景も実に味わい深いものがある。


現在は石垣だけが残り、ふだん熊本城を見なれた目には一見寂しさが漂う。


かつて本丸御殿があったところには有馬三氏を祀った篠山神社がある。


石垣の工法が、熊本城のように隅石の算木積みもあったり、野面積みもあったりで面白い。


自然の堀として利用した筑後川。宝満川との合流地点。彼方に脊振山系を望む。