徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

からし蓮根 と 殉死家臣

2013-10-31 23:03:03 | 歴史
 毎月、花童の舞踊会でお世話になっている水前寺公園の玄宅寺はいろいろ由緒のあるお寺で、前にもこのブログに書いたが、寛永9年(1632)に肥後細川藩初代藩主、細川忠利公が肥後に入府された時、前任地の豊後から伴って来られたのが玄宅禅師。忠利公はこの水郷の地に「水前寺禅寺」を創建し、玄宅禅師を初代住持とされたという水前寺発祥のお寺であること。また、玄宅禅師は今日、熊本名物の一つとなっている「からし蓮根」の考案者でもある。細川忠利公は病弱だったため、健康食として玄宅禅師が考案したのが「からし蓮根」。そしてそれを忠利公の食事に供したのが細川家の賄方だった森平五郎で、森家は現在も新町に老舗の「森からし蓮根」として続いている。僕はその森家の息子さんと高校の同級生で、一時、同じ職場で働いたり、また、玄宅寺にお墓がある、忠利公に殉死した寺本八左衛門直次の末裔である方とお知り合いになったり、この玄宅寺には妙な因縁を感じている。


玄宅寺


新曲「水前寺成趣園」の発表会(2013.9.20)