徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

新町の阿国歌舞伎

2013-10-08 20:13:30 | 音楽芸能
 今から10年前の2003年8月2日、京都でこんなイベントが行われた。


≪2003.8.3 読売新聞の記事≫

 これは歌舞伎発祥の年と伝えられる慶長8年(1603)からちょうど400年を記念し、関西楽劇フェスティバル協議会が主体となって、京都四条の鴨川河川敷において「阿国歌舞伎」の復元上演を行ったもので、NHKの実況放送も行われた。
 出雲阿国が京の四条河原で初めて「歌舞伎おどり」を披露してから6年後、「阿国歌舞伎」は熊本にもやって来た。江戸時代前期に書かれた加藤清正の伝記である「続撰清正記」によれば、「塩屋町三丁目の武者溜りで八幡の国という女歌舞伎が興行をした」ことが書かれている。この「八幡の国」が「出雲阿国」その人であったかどうかを示す史料は今のところ見つかっていない。しかし、「出雲阿国」という名前が一般的になったのはだいぶ時代が下ってからだという文献もある。北野天満宮に定舞台を設けて興行していた頃は、「男装の麗人」よろしく「北野対馬守」を名乗っていたといわれるし、加藤清正が初めて「阿国歌舞伎」を見たのは邸を構えていた洛南の八幡(石清水八幡)だという。ひょっとしたら阿国が八幡で興行を打つ時は「八幡の国」と名乗っていた可能性もありうるのだ。
 下の写真は、以前にも紹介した熊本中央郵便局前の道路を挟んで向かい側の博栄堂印房のシャッターである。ここら辺りが「続撰清正記」に書かれた「塩屋町三丁目の武者溜り」があった場所のようだ。ここは熊本の芸能史の中でも記念すべき史蹟と言える。そういう意味では、そのことを後世に伝えるモニュメントやお祭りが新町にあってもいいのかもしれない。