加藤清正公は土木技術の面でも天才的な能力を発揮し、多くの土木事業を行ない、領内の農業生産力を飛躍的に増大させたと伝えられている。その一つ「鼻ぐり井手」を見に行った。現在、菊陽町によって「鼻ぐり井手公園」として整備され、観光スポットの一つとなっている。想像していたよりもスケールが大きい。今も現役として農業に寄与しているそうだが、清正公の事業は熊本城を始め、その多くが400年以上経った現在に至るまでわが郷土に恩恵をもたらし続けていることが凄いとあらためて思う。

▼公園に備えてあったパンフレットには次のように書いてあった。
「鼻ぐり」のある馬場楠井手は、菊陽町馬場楠から、熊本市の大江渡鹿までの約13kmのかんがい用水路で、現在でも181haの水田を潤しています。馬場楠井手は、加藤清正により、馬場楠堰とともに慶長13年(1608)に築造されたと伝えられています。この馬場楠井手の中でも、特筆される箇所が「鼻ぐり」です。
阿蘇に源を発する白川は火山灰土壌のためヨナ(火山灰土砂)等の堆積がひどく、堰から白川の水を引いている井手の管理が大きな課題でした。特に菊陽町の曲手から辛川の区間は、地上から井手底までの深さが約20mにおよび、人力で井手底のヨナ等を排出することは極めて困難でした。
その課題を解決したのが、水力を利用して土砂を次々に下流へ排出する「鼻ぐり」という独特の仕組みです。この「鼻ぐり」という珍しい名称は、隔壁にあけた水流穴の形が牛の鼻輪を通す穴(鼻ぐり)に似ていることが由来といわれています。「鼻ぐり」は、当初約80基あったと伝えられていますが、現在では、24基を残すのみとなっています。
「鼻ぐり」の仕組みは、全国無類のものであり、また非常に特色があるため、現代においても土木工学の調査・研究の対象として、学術的にも大いに注目されています。

▼公園に備えてあったパンフレットには次のように書いてあった。
「鼻ぐり」のある馬場楠井手は、菊陽町馬場楠から、熊本市の大江渡鹿までの約13kmのかんがい用水路で、現在でも181haの水田を潤しています。馬場楠井手は、加藤清正により、馬場楠堰とともに慶長13年(1608)に築造されたと伝えられています。この馬場楠井手の中でも、特筆される箇所が「鼻ぐり」です。
阿蘇に源を発する白川は火山灰土壌のためヨナ(火山灰土砂)等の堆積がひどく、堰から白川の水を引いている井手の管理が大きな課題でした。特に菊陽町の曲手から辛川の区間は、地上から井手底までの深さが約20mにおよび、人力で井手底のヨナ等を排出することは極めて困難でした。
その課題を解決したのが、水力を利用して土砂を次々に下流へ排出する「鼻ぐり」という独特の仕組みです。この「鼻ぐり」という珍しい名称は、隔壁にあけた水流穴の形が牛の鼻輪を通す穴(鼻ぐり)に似ていることが由来といわれています。「鼻ぐり」は、当初約80基あったと伝えられていますが、現在では、24基を残すのみとなっています。
「鼻ぐり」の仕組みは、全国無類のものであり、また非常に特色があるため、現代においても土木工学の調査・研究の対象として、学術的にも大いに注目されています。