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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

細川忠利公と水泳

2013-01-16 17:38:35 | 歴史
 僕が高校時代を送った済々黌の水球部は戦後間もない昭和21年に創設されたが、その創設や発展に尽力された諸先輩の多くが小堀流踏水術の練達である。その小堀流は1700年代の初め、熊本藩士・村岡伊太夫が創始し、その子小堀常春が完成したと伝えられる。しかし、熊本藩に最初に武芸の一つとして水練を奨励したのは肥後細川藩主初代の細川忠利公だったとも伝えられている。
 「武士の家計簿」などの著書でも知られる歴史学者の磯田道史さんが、TBSラジオの「安住紳一郎の日曜天国」に出演された時、こんな話をされていた。

 徳川家は代々、水泳と馬術の修練に力を入れている。それについて面白いエピソードがあって、二代将軍秀忠公が剣術の稽古に一生懸命励んでいたところ、家康公から「剣術なんてお前には必要ない。剣を持って戦うのは家来たちであって、殿様はいざという時、逃げるための水泳と馬術だけをしっかり身に付けておけばよい」と言われたという。それ以来、徳川家は代々、水泳と馬術を熱心にやるようになったそうだ。

 細川家は外様大名の中でも譜代大名格として扱われるほど徳川家と親しかったという。細川忠利公も秀忠公の養女・千代姫を正室に迎えているほどだ。忠利公が水泳を奨励したのも徳川家の影響があったのかもしれない。


細川忠利公開基の古刹、宝聚山愛染院。高野山真言宗。(京町1丁目)細川家の九曜紋と五七桐紋が見える。