大正11年に出版された「江戸時代創始期」(西村真次著)という古書を読み進めているところだ。著者の西村真次さんというのは大正から昭和前期にかけて活躍した歴史学者らしい。この文献の第四章として「民衆演芸の出現とその発達」とあり、さらにその第三節に「歌舞伎踊りの発生」について触れている。これによれば今日の歌舞伎の原点である出雲阿国が始めたと伝えられる歌舞伎踊りに、既に欧羅巴(ヨーロッパ)の影響が見られるという極めて興味深い記述があった。その部分を現代仮名づかいに直して下記してみた。
――歌舞伎踊りの内容をなした歌詞は、早歌を少しもじったようなものであったろう。「歌舞伎草紙絵巻」には、「かねきき」、「して」、「いなばをどり」、「忍びをどり」、「ふじのをどり」などと題する歌詞が出ている。それらは謡曲に比べれば人間味の強い、現代式の、血と肉とに触れたエロチックなものであった。歌謡の形式は大分外国のものを取り入れ、囃子などはそのまま用いていたらしく、振りもまたヨーロッパの様式をいくらか取り入れたと思わせる史料が少なくない。彼女(出雲阿国)の首からかけていた水晶の数珠にすら、十字型の物がぶら下がっていて、それを輸入品――コンタツと見ることができるのであった。ポルトガルなどの人が喜んでこれを見物したというのを見ても、そこには何らかの共鳴を彼らに与えるものがあったと思われる。
今日の歌舞伎においても市川猿之助さんや中村勘三郎さんなどは欧米の演芸様式を取り入れることに積極的だが、歌舞伎にはそうした体質がもともとあったのかもしれない。
※早歌:神楽歌の一種
※コンタツ:ポルトガル語のcontas、キリシタンが用いる数珠、ロザリオ、コンタス
首にロザリオをかけて踊るザ・わらべ
――歌舞伎踊りの内容をなした歌詞は、早歌を少しもじったようなものであったろう。「歌舞伎草紙絵巻」には、「かねきき」、「して」、「いなばをどり」、「忍びをどり」、「ふじのをどり」などと題する歌詞が出ている。それらは謡曲に比べれば人間味の強い、現代式の、血と肉とに触れたエロチックなものであった。歌謡の形式は大分外国のものを取り入れ、囃子などはそのまま用いていたらしく、振りもまたヨーロッパの様式をいくらか取り入れたと思わせる史料が少なくない。彼女(出雲阿国)の首からかけていた水晶の数珠にすら、十字型の物がぶら下がっていて、それを輸入品――コンタツと見ることができるのであった。ポルトガルなどの人が喜んでこれを見物したというのを見ても、そこには何らかの共鳴を彼らに与えるものがあったと思われる。
今日の歌舞伎においても市川猿之助さんや中村勘三郎さんなどは欧米の演芸様式を取り入れることに積極的だが、歌舞伎にはそうした体質がもともとあったのかもしれない。
※早歌:神楽歌の一種
※コンタツ:ポルトガル語のcontas、キリシタンが用いる数珠、ロザリオ、コンタス
首にロザリオをかけて踊るザ・わらべ