小雨まじりの中、朝6時に出発した藤崎八旛宮秋季大祭の随兵行列と飾り馬追いを参道で眺めながら、昨夜の熊本城本丸御殿の「秋夜の宴」を思い出していた。昨夜の演目の中には、ちょうどお祭りの最中ということで、昭和30年代だったか、「月の法善寺横丁」などのヒット曲で知られる藤島桓夫が歌ったレコード「ボシタ囃子」という曲でザ・わらべ&こわらべが踊った。この演目の開始に当っては、イベントの事務局から「歌詞の中に不適切な表現がありますが、作られた時代背景を考慮し、そのまま・・・」というお断りのアナウンスがあった。古い映画をテレビで放送する時などによく見かける例のアレだ。実はこの歌のバックコーラスが歌の最初から最後までずっと「ボシタ!ボシタ!」を連呼するのである。この言葉は現在は使ってはいけないとされている。もし、この言葉を祭りの参加者が使ったら、その団体は重いペナルティが課せられるという。このことについては言いたいことは山ほどあるのだが、ここではあえてそれは言わない。「ボシタ囃子」の曲自体はとてもいい曲なので、できればYouTubeでご紹介したかったのだが、「秋夜の宴」の関係者にご迷惑がかかるといけないのでやめた。
ラフカディオ・ハーン(=小泉八雲)は明治25年(1892)11月24日に、松江時代からの親友・西田千太郎に宛てた書簡の中で、藤崎八旛宮秋季大祭の飾り馬について「朝鮮亡シタリ。エヽコロ亡シタリ――」という掛け声のことに触れている。また、翌年9月23日に友人チェンバレンに宛てた書簡の中では、「藤崎八旛宮の秋季大祭。それは気違いじみた大祭で、おかしな飾りをつけた馬をひきまわし、ボシタリ!ボシタリ!と叫ぶ。これは朝鮮出兵前に加藤清正が八旛様に唱えて以来の記念すべき掛け声だとのこと。」と述べている。
この祭のもととなった藤崎八旛宮の放生会は1000年、加藤清正の時代以降の飾り馬追いも400年の歴史があるわけだが、その間に祭の有様も随分と変わったのだろうけれど、変わらず熊本人の魂を揺さぶり続けるのは何なんだろう、と考えながら帰路に着いた。
ラフカディオ・ハーン(=小泉八雲)は明治25年(1892)11月24日に、松江時代からの親友・西田千太郎に宛てた書簡の中で、藤崎八旛宮秋季大祭の飾り馬について「朝鮮亡シタリ。エヽコロ亡シタリ――」という掛け声のことに触れている。また、翌年9月23日に友人チェンバレンに宛てた書簡の中では、「藤崎八旛宮の秋季大祭。それは気違いじみた大祭で、おかしな飾りをつけた馬をひきまわし、ボシタリ!ボシタリ!と叫ぶ。これは朝鮮出兵前に加藤清正が八旛様に唱えて以来の記念すべき掛け声だとのこと。」と述べている。
この祭のもととなった藤崎八旛宮の放生会は1000年、加藤清正の時代以降の飾り馬追いも400年の歴史があるわけだが、その間に祭の有様も随分と変わったのだろうけれど、変わらず熊本人の魂を揺さぶり続けるのは何なんだろう、と考えながら帰路に着いた。