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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

母の娘時代

2022-01-22 21:30:45 | ファミリー
 祖母が他界して今年で45年。僕は両親が共働きだったので、幼い頃はもっぱら祖母に育てられた。言わば「婆さんっ子」というやつだろう。幼い頃から、芝居や歌手の公演などにもよく連れて行ってもらった。父の話では祖父が早世したので、まだ若い頃から寡婦として父と叔父を苦労して育てあげたそうである。父が書き残した備忘録の中に「母の娘時代」という話がある。僕は時々、これを読み返しながら祖母の若い頃を想像している。


一勝祈願!

2022-01-05 19:01:24 | ファミリー
 今日はまだ夜も明けやらぬ五時に起床。家内と熊本駅に向かう。目的は今日から発売の「JR肥薩線・一勝地駅の絵馬付き入場券」を買うためだ。「一勝祈願」の縁起物として受験生に人気の絵馬付き入場券。しかし、一昨年の豪雨災害で肥薩線はいまだ不通。現地には行けないことから熊本駅での販売が行われることになったもの。
 今年、大学を受験する孫娘の応援になればと爺婆バカの神頼み。みどりの窓口が開く5時半前には既に二人のご父兄が並んでおられた。


人吉の旅から10年

2021-09-17 20:49:39 | ファミリー
 先日、KKT(くまもと県民テレビ)の夕方ニュースで、昨年7月の豪雨被災から立ち直り、来月の仮オープンを控えた人吉旅館の状況を娘嘉恵さんの視点からリポートした。

 わが兄弟姉妹4組の夫婦連れで、母の卒寿祝いとして人吉方面へ旅行し、人吉旅館に宿泊してからやがて10年。母は今年、白寿を迎え、来年早々には百歳を迎える。しかし、一緒に旅行に行った義兄(姉婿)は4年前、弟も今年3月に母より先に旅立ってしまった。母は、寝たり起きたりではあるが元気に過ごしている。母に1日でも長生きしてもらうためには僕たちが元気でいなくてはならない。

 人吉旅館の仮オープンを祝い、復旧とさらなるご発展を心よりお祈りしたい。機会があれば再訪したいものだ。テレビのリポートを見ながら、この10年の移ろいに感慨深いものがあった。

     ▼10年前の人吉旅行より






     ▼今回のテレビリポートより




   ▼嘉恵さんのザ・わらべ時代の映像

母の日

2021-05-09 23:44:48 | ファミリー
 今日は母の日。僕の姉と妹もプレゼントを携えてやって来てくれた。息子に先立たれた母を少しでも元気づけようと家族みんなで母の日を祝った。
 今年、白寿を迎えた母は養護教員として永年勤め、いろんなエピソードがあるが、僕が一番忘れられない話がこれだ。

 母は今はもう炊事をすることはないが、以前たまに作っていたのが炊き込みご飯だった。にんじんとあげとごまめを入れ、醤油で味付けしたシンプルな炊き込みご飯だ。実はこれ、昭和15、6年頃、母が勤めていた島崎尋常高等小学校で給食として、待労院(慈恵病院の前身)から登校していた孤児たちに食べさせていた一品らしい。おかずはない。孤児たちは喜んで食べていたそうだ。
 2006年だったか、慈恵病院が「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」を立ち上げた時、メディアなどでは売名行為などと批判する声もあった。時の某首相など、この件を記者から尋ねられると、あからさまに不快な表情を隠さなかった。孤児の救済を戦前からやっていた慈恵病院にとっては、ごく自然な取り組みだったのである。新聞やテレビで取り上げられるたびに母は「昔からやってたのにね」と言った。そして、母は必ず当時の孤児たちとこの給食のことを思い出すらしかった。

母の白寿祝い

2021-02-13 21:09:25 | ファミリー
 今日はわが家で母の白寿祝いをやった。コロナ禍がいまだ続くなかでもあるので、子と孫だけが集うささやかなお祝いとなった。
 孫娘のますみがコンビニのお誕生日新聞(昔の新聞プリントサービス)で、母の誕生日、大正11年2月15日の東京日日新聞と、結婚記念日、昭和17年4月5日の朝日新聞のコピーを持ってきた。
 今からほぼ1世紀前の大正時代後期の世情不安な雰囲気、そしてその20年後、大東亜戦争に突入して間もない、まさに戦時中の様子が伝わってくる。戦後生まれのわれわれが体験したことのない、暗い時代を生きぬいて来た母の強さを感じずにはいられない。
 やっと歩き始めた曾孫を愛おしげに眺める母が一日でも長く生きてくれることを願うばかりだ。



父と母が結婚式を挙げた熊本大神宮

父の見た風景

2020-11-29 23:22:53 | ファミリー
 父が他界して20年。今でも、生前、あそこに連れて行ってやればよかったなぁと思うことがある。僕が熊本に帰ってきた頃はもう外出もままならない状態になっていた。そうなる前は、2年前に他界した義兄が時々連れて行ってくれたらしい。よく行きたがったのはやはり幼い頃や教職時代の思い出の地だったそうだ。
 最近、僕自身がそんな父の思い出の地へ行きたくなることがよくある。僕の中に内在する父が行かせているような気もする。

▼泰勝寺跡
 今から100余年前、幼い頃の父が日参した泰勝寺。長岡家のお坊ちゃまの遊び相手としてお屋敷へ通った。幼い父にとって山門前の石段を登るのも大変だったかもしれない。謡曲の稽古がある時は父も末席に座らせられたという。


泰勝寺山門


▼河内川沿いの山道
 母の生家がある玉名市大浜町からの帰りは河内川沿いの山越えの道(県道101号)がことのほか好きだった。途中の天ヶ庄には鮎帰の滝があり、その上に水車がポツンと1基。昔は河内川沿いに80基ほどの水車があり、米や雑穀をつく動力としていたらしい。


河内町の鮎帰の滝


▼旧松尾小学校
 昭和6年9月、父が初任地として赴任した松尾小学校(後の松尾東小学校)。児童数の減少により、小島小学校に統合され、廃校となった。父はこの学校に最も愛着が強かったようだ。父は、この学校が廃校になったことは知らない。


旧松尾小学校前から金峰山を望む

那須岳の思い出

2020-08-17 19:24:57 | ファミリー
 こうも暑い日が続くと栃木県の那須にいた時代が思い出されてならない。1983年の春から3年3ヶ月暮らした那須は、わが生涯の中でも最も思い出深い地のひとつである。春夏秋冬それぞれの季節に、美しい日本の風景を見ることが出来た。なかでも一番の思い出は夏の涼しさだ。夏の時季に那須から東京や九州へ出張することもあったが、那須塩原駅に帰り着いてホームへ降り立つと生き返ったような思いがしたものだ。
 ある年の夏、父母が夏休みを利用して那須へやって来た。那須高原にあった会社保養所にうちの家族とともに宿泊した。二日目だったか、父と僕と息子たちは那須岳に登った。頂上に登ってからカメラを持って来ていないことに気付いた。当時はまだデジカメも存在せず、アナログのカメラは持っていたが、使い勝手が悪く、出かける時にいつも携帯する習慣はなかった。せっかくの記念写真が撮れないなぁとあきらめかけていると、父が他に数人いた登山者の一人と交渉を始めた。その人のカメラで撮ってもらい、後日プリントしたものを郵送してもらおうという相談だった。その人は快く承諾し、数日後、熊本に戻った父宛てに写真が送られて来たそうである。律儀な父のこと、お礼状とともに謝礼の品を贈ったのはいうまでもない。


那須岳

般若心経の掛軸

2020-03-23 19:13:18 | ファミリー
 床の間の掛軸が正月に掛けた「高砂」のままになっていたので、妻が別の掛軸を引っ張り出してきて掛け替えた。初めて見る掛軸だった。今年98歳の母の書によるものだった。至近距離で見てみると般若心経を写経したもののようだ。遠目で見ると「南無阿弥陀仏」という文字が抜けて見えるように書かれている。調べてみると「般若心経の抜字六字名号」という ものらしい。母にたずねてみたが、いつ書いたのか憶えていないという。そこで疑問。わが家の宗旨は浄土真宗。以前、菩提寺の住職に、浄土真宗では般若心経は唱えないと聞いたことがある。詳細は忘れたが、教えにちょっと違うところがあるらしい。ひょっとして母が嫁入り前に書いたものだろうか。そういえば母の高等女学校の先輩にあたる詩人・海達公子さんの評伝に学校の課外で般若心経を習う場面がある。母は浄土真宗の「正信偈」も暗記しているようで父の月命日に住職が唱える時は合唱している。戦後生まれのわれわれとはやはり宗教観が違うようだ。

歴史秘話ヒストリア ~世阿弥~

2019-11-22 15:29:57 | ファミリー
 20日(水)に放送された「歴史秘話ヒストリア」(NHK-G)は能を大成した「世阿弥」を取り上げた。歴史情報番組に実際の能楽師の「能」でリアルに再現するという目新しさはあったものの、5年前にEテレで放送された「100分de名著-風姿花伝」に比べると食い足りなさが残った。
 実子元雅の死の真相、六代将軍義教による世阿弥の迫害と佐渡島への流刑の真相などに迫るのかと期待したが、秘話と呼べるほどの内容は無かった。世阿弥の残した「風姿花伝」や「花鏡」などの伝書は能にとどまらず、今日、多くの人に人生訓として読まれている。その実例として某通信販売の社長が出て来て話をしていたが、同局の他番組「知恵泉」に登場する経済人などと同じような違和感を感じた。
 それはともかく、足利義満と世阿弥のBL的関係や、近江猿楽の犬王との関係など、世阿弥に関する興味は尽きることがない。


玉名女子高吹奏楽部 今年も金賞!

2019-10-20 21:34:43 | ファミリー
 第67回全日本吹奏楽コンクールの高校の部が20日、名古屋市の名古屋国際会議場で開かれ、九州支部代表の玉名女子高校吹奏楽部は今年も見事金賞に輝いた。なお、演奏曲は課題曲が「マーチ「エイプリル・リーフ」、自由曲が「GR」よりシンフォニック・セレクション(天野正道)。


今年5月の熊本県高校総文祭パレードでマーチングを披露する玉名女子高吹奏楽部


南西は海雲漫漫として…

2019-10-20 20:20:25 | ファミリー
 花園町の図書室から本妙寺へまわったついでに、松尾町平山の岩戸の里まで足を伸ばしてみた。峠の茶屋から漱石の「草枕の道」に入り、路傍の石仏を拝んだ後、河内へ向かう県道へ戻った。いつものように鼓ヶ滝をのぞいてから一気に黒岩展望所へ登る。ここから有明海の向こうに望む雲仙はいつ見ても絶景だ。いつものように世阿弥の謡曲「桧垣」の一節を思い出す。

  南西は海雲漫漫として萬古心のうちなり

 みかん畑は収穫の時季で運搬の軽トラがさかんに行き交うなか、「桧垣のこぼし坂」を通って山を下る。秋色が濃くなるまでもうちょっとかかりそうだ。


岩戸の里・黒岩展望所からはるか雲仙を望む


草枕の道沿いのお地蔵さんに手を合わせる

臨時ヘアサロン開店!

2019-08-13 20:39:41 | ファミリー
 今日は盆休みということで、わが兄弟姉妹とその子供たちがわが家に集まった。今回は東京でヘアサロンを経営している甥の卓が家族連れで帰って来たので、この時とばかりにヘアカットを希望するもの多数。パソコン室が臨時のヘアサロンとなり、会食の合間に一人ずつ順番にカットしてもらい、結局9人がお世話になる。卓君ご苦労さま。


立秋

2019-08-07 20:28:26 | ファミリー
 8号台風は、熊本市は芯を外れたようで、再び猛暑が戻ってきた。しかし、明日はもう立秋。庭の片隅に、いのちを全うしたアブラゼミが横たわっていた。夏の終りの始まりを感じさせる。

足もとに 蝉のむくろや 今朝の秋


熊本市の北東・立田山の向こうの朝焼け

最後のマイカー

2019-07-06 18:04:03 | ファミリー
 10年前に買った軽自動車のマイカーが老朽化してきたことや昨今の高齢者の事故多発を考え、最新の事故防止対策を組み込んだ新車に替えることにした。昭和43年に初めてマイカーを購入してから約50年。たしか10台目になると思う。免許返納の日もそう遠くないことを考えると、おそらくこれが最後のマイカーとなるだろう。10年間愛用した旧車には心から感謝したい。引き取られて去って行く時はさすがに寂しさが込みあげた。その後、加藤神社で新車のお祓いを受けた。


義兄の三回忌

2019-05-25 22:17:26 | ファミリー
 明日は一昨年に他界した義兄の三回忌。あっという間に2年が過ぎたが、今でもわが家にひょっこり顔を見せそうな気がする。思えば、ファミリーの行事ではいつも幹事役の存在だった。わが息子たちや孫たちをいつも暖かく見守ってくれる優しい人だった。晩年は闘病生活でさぞ辛かっただろう。僕が会社を辞めて事業を始めてからは、いろいろアドバイスもしてくれたが、時には意見がぶつかることもあった。今となってみれば、もう少しちゃんと意見を聴いてあげればよかったのにと反省しているところである。


1985年頃の夏の栃木温泉ファミリー旅行(右端が義兄)