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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

母の誕生日

2019-02-15 17:16:07 | ファミリー
 今日は母の97回目の誕生日。近場のファミリーで集まって祝った。ボケもせず、元気でいてくれるのでとても助かっている。1日でも長く元気でいてほしいと願うばかりだ。
 母が生まれた大正11年(1922)は、いったいどんな時代だったのだろう。その頃のことを知る人はもうほとんどいないわけで、文献などを読んで知るしかないが、翌12年には関東大震災があったり、世界的な不況があったり、不安定な政治があったりして、大変な時代だったようだ。間もなく昭和の御代になると、徐々に軍靴の音高くなり暗い時代に入って行った。そして日中、日米の戦争の時代。悲惨な敗戦と戦後の混乱。戦後生まれの僕らには想像もつかないような人生だったに違いない。1日でも長く、穏やかな日々を過ごしてもらいたいものだ。



【大正11年(1922)生まれの著名人】
▼国内
水木しげる(漫画家)、山下清(画家)、小野田寛郎(旧日本軍軍人)、三浦綾子(作家)、千石規子(女優)、久慈あさみ(女優)、コロムビア・トップ(漫才師/政治家)、瀬戸内寂聴(作家)、丹波哲郎(俳優)、内田健三(政治評論家)、中内功(ダイエー創業者)、石井好子(シャンソン歌手)、宇野宗佑(元首相)、鳩山安子(鳩山兄弟の母)、砂押邦信(野球監督)、別所毅彦(野球選手)、重光武雄(ロッテ創業者)、月丘夢路(女優)、豊田正子(作家)、加藤治子(女優)、宮城千賀子(女優)、北出清五郎(NHKアナウンサー)、大下弘(野球選手)、小鶴誠(野球選手)、岡部冬彦(漫画家)、ドナルド・キーン(文化学者)、野村泰治(NHKアナウンサー)、楠本憲吉(俳人)

▼海外
エルマー・バーンスタイン(作曲家)、クリストファー・リー(俳優)、エリノア・パーカー(女優)、ピエール・カルダン(デザイナー)、ブレイク・エドワーズ(映画監督)、ジェーソン・ロバーズ(俳優)、イボンヌ・デカルロ(女優)、エミール・ザトペック(長距離走者)、アーサー・ペン(映画監督)、ジェラール・フィリップ(俳優)、ジョージ・ロイ・ヒル(映画監督)、エヴァ・ガードナー(女優)、ペギー・リー(歌手)、ジュディ・ガーランド(女優)

立田山麓の風景

2018-11-09 22:46:46 | ファミリー
 次の文は、ラフカディオ・ハーンの「石仏」の冒頭の一節である。

 第五高等中学校(五高)の背後にある立田山の一角は――なだらかな丘陵となっていて、小さな段々畑が連なっている――そこに村の小峯という古い墓地がある。けれど、そこはもう使われておらず、このあたりの黒髪村の人たちは今ではもっと離れた区域を墓地としている。村人の畑は、この古い墓地の区域にまでもう迫ってきているように見えた。
(中略)
 畑の細い畦道は、墓地の入口の壊れた石段に達する手前で、下草の中に消えてしまっている。墓地の中と言えば、通路などはまったくなく――雑草と石だけである。しかし、丘の上からの眺めは良かった。肥後平野の広大な緑野が広がり、その向こうには青い峰々がぐるりと輪になって取り囲んで、地平線の光をバックにして光り輝いている。これらの峰々の上にひときわ聳え立つ、阿蘇山の頂が悠久の噴煙を上げている。

 わが家の本籍地は立田山麓の黒髪村で、祖父や曽祖父はハーンの言う黒髪村の人たちの一軒であった。ハーンが熊本にいた17年後に、この地で生を享けたわが父は、少年時代の思い出を次のように書き遺している。

 わがふるさとは、立田山の麓、旧藩主細川家代々の菩提寺である泰勝寺のすぐ近くである。当時この辺り一帯は数百㍍隔てて、彼処に一戸、此処に二戸と人家の点在する寂しい山里であった。しかし、自然の眺めは四季を通じて素晴らしく、ことに春の風情はこの地を訪れる人に「柳暗花明又一村」の感懐を抱かせたのではなかろうか。

 父の生家の目の前に石仏のある小峰墓地の丘があり、幼い頃の父はその丘の上に頻繁に上っていたに違いない。つまり、ハーンとわが父は同じ風景を眺めていたであろうと考えると感慨深いものがある。


ハーンが愛した石仏(鼻欠け地蔵)


立田自然公園(泰勝寺跡)

最後の家族旅行?

2017-11-12 22:16:14 | ファミリー
 母の卒寿祝いでわが兄弟姉妹4組の夫婦連れ立って、人吉・五木・五家荘方面へ旅行してから、やがて6年が経とうとしている。旅行好きの父が生きていた頃はよく家族旅行をしたものだが、2000年に父が他界してからは久しぶりの家族旅行だった。
 あれから6年、元気だった兄弟姉妹も、義兄(姉婿)が今年6月に他界。弟も現在、病気療養中。僕を含め、その他も健康上の問題をかかえた者ばかり。今年95歳の母は、幸い今のところは何とか普通の生活が送れているものの、もう家族そろって旅行するのは難しそうだ。歳をとってからの6年はあまりにも大きい。

▼2011年11月の旅行から

菊花展のさなかの青井阿蘇神社


宿泊した老舗「人吉旅館」


人吉旅館の女将さんと娘さんの嘉恵ちゃん


紅葉に彩られた樅木の吊橋(五家荘)

義兄の新盆

2017-08-15 14:43:34 | ファミリー
 今年6月に旅立った義兄の新盆。隔月で発行しているファミリーニュースを義兄の特集号にすることにした。懐かしい写真を引っ張り出してどれを載せようかと悩んでいるところだ。義兄夫婦には子供がなかった。どの写真を見ても、僕の子供や孫たちを、義兄がいつも優しく見守っていてくれたことがよくわかる。


義兄宅でのバーベキュー


父が健在の頃、毎夏恒例だったファミリー旅行(南阿蘇・栃木温泉で)

スイーツ甲子園!

2017-08-07 09:51:57 | ファミリー
 慶誠高校のパティシエコースに学ぶ従姪のまさえが、8月4日に大阪で行われた「スイーツ甲子園」の西日本ブロック大会で全国大会の代表に選ばれた。
 「スイーツ甲子園」とは、スイーツを通じて自己表現や夢の実現を目指す全国の高校生たちの大会。高校生3人1組でチームとなり、自分たちのアイデアを駆使してスイーツを創作する。選考するのは、日本を代表するパティシエたち。今年の課題は「クリスマスケーキ」。9月、東京に各ブロック代表4チームが集結、決勝大会が行われる。優勝チームにはパリ研修旅行というご褒美が用意されており、もちろんまさえもそれが目標。ガンバレ!まあちゃん!


慶誠高校「Lien」チーム


「Lien」チームの作品



 思えば3年前、姉のかずえが必由館高校の和装文化部員として、「2014全日本きもの装いコンテスト世界大会」の学校対抗の部で全国1位という快挙を成し遂げたが、妹のまさえが日本一の再現なるか、期待は大きい。


孫娘の陸上競技大会

2017-06-05 21:13:05 | ファミリー
 久留米市内の中学校で陸上部に入っている孫娘みわが出場する大会があるというので、今日は朝から久留米総合スポーツセンター陸上競技場へ。「久留米市中学校夏季陸上競技大会」というのが正式名称。みわのエントリー種目は100走と80㍍障害、それと4×100㍍リレーのメンバー。いずれも決勝に残り、みわは結局6本走った。中学校に入学してから陸上部に入ったと聞いて、はたして練習についていけるのだろうかと心配になったものだが、今日初めて競技会で走るみわを見てそんな心配が杞憂だったことがわかりホッとした。幼い頃から習っていたバレエの効果なのだろうか、ハードリングが意外と上手いのには驚いた。


3レーンがみわ

墓石と家紋

2016-07-04 18:54:05 | ファミリー
 地震で滅茶苦茶に壊れたわが家の墓を改修しなければならないが、一番肝心な仏石が倒れて割れてしまったので、この際、地震でも倒れにくいといわれる洋型墓石に変えようかと思う。
 35年前の昭和56年に父が改葬した時、仏石の下の台座に初めてわが家の家紋が刻まれた。それは「右三つ巴」と呼ばれる紋だった。しかし、8年前に甥の結婚式で上京した際、東京在住の従弟が、実はもともとのわが家の家紋はこれだと、印刷物を見せられたのが「軍配唐団扇」と呼ばれる紋だった。由来などを調べたのだが、確認できる史料が見つからない。本当にそうなのだろうかと半信半疑だった。
 先日、母が押入れから古い新聞紙にくるんだ筆箱を取り出してきた。祖母が生前ずっと大事に保管していたもので、細川家に仕えて書道師範をやっていた曽祖父が使っていたものだという。細川九曜紋の下にわが家の姓が書いてあり、その下に小さな紙片が貼ってあった。何だろうと思って目を凝らすと、なんとそれは「軍配唐団扇」の家紋だった。16年前に父が亡くなって以降、おそらくこの筆箱を開けたことはないと思われるので、随分昔から貼ってあったのだろう。父が貼ったのか、それとも祖父が貼ったのかわからないが、おそらくこれがわが家の本当の家紋だということを子々孫々に伝えたいと思っていたのかもしれない。
 これを見て、今度の新しい墓石には「右三つ巴」ではなく「軍配唐団扇」を刻んでもらおうと思っている。






右三つ巴 と 軍配唐団扇
          

肥後銘菓を買いに・・・

2016-05-18 19:10:11 | ファミリー
 明日は父の十七回忌にあたる日。まだ余震も続いているので、ことあらためて席は設けず、月命日と同様、お坊さんを呼んで読経をしていただくだけにとどめることにした。茶菓子は肥後銘菓の一つ「しおがま」がよかろうと、魚屋町の老舗菓舗「松陽軒」まで買いに出かけた。熊本城内が通行できないので、やむなく上熊本駅前から電車通りを通って行ったが、段山までは渋滞が続く。松陽軒に着くまで普段の倍以上の時間がかかった。帰りは辛島町の方から市役所前を通り、厩橋を渡って帰って来たが、こちらは比較的スムーズに走れた。通行止めの解消が待たれる。

余震のまにまに(13)

2016-05-05 20:29:54 | ファミリー
 YouTubeのチャンネルの方にも熊本地震へのご心配やご激励のメッセージをたくさんいただきました。ほとんどが舞踊団花童への温かいメッセージです。
 皆様、お見舞い本当にありがとうございます!
 お礼が遅くなりまして申しわけありません。

K・Aさん
熊本から、力を戴くとは思いませんでした、感謝いたします。中、南米でも、ヘンな雰囲気になってきたようですが、頑張ります。一日も早い復興を祈ります。
Gracias muy boniita chica y baile, Suerteee, AAnimoooooooo!

MM7さん
熊本城が再建される事を祈っています。

T・Hさん
可愛い、成長版を期待していますが、悲しいです。

O・Tさん
とてつもなくこわかったでしょうに 何か、まだ困っているでしょうに助けに行けないのが悲しいです。
案じています。いつも楽しませ、なぐさめてくれるこの子たちに、早く、平穏な日々が戻りますように。

HARUさん
一日でも早い熊本・大分の復興を願います。

0904さん
熊本地震で亡くなった方々のご冥福をお祈りすると共に被災した方々にお見舞い申し上げます。

MIZさん
大地震、早い復旧と活動の再開を願っています。五年前の大震災被災地の東京から。


▼みんなで頑張って うつくしい熊本を取り戻しましょう!

南阿蘇


熊本城


水前寺成趣園




余震のまにまに(12)

2016-05-04 19:14:03 | ファミリー
 明日が端午の節句だが、軒菖蒲は魔除けの意味もあるというので、今日、孫たちの健やかな成長と熊本地震の終息を祈って菖蒲を屋根に投げ上げた。





 先日、藤崎八旛宮に地震終息を祈願したばかりだが、天神さんは「学問の神様」であるとともに厄除けのご利益もあるというので、今日、近くの天神さんにお参りしようと出かけた。最も近い草分天神は、地震直後に鳥居が崩壊しているのを確認していたので、今日はもう一つの池田町にある岩立菅原神社へ行ってみた。しかし、予想以上の悲惨な状況で、もはや神社の体をなしていない。甚大な被災を確認するだけに終わった。


笠木、島木、貫、神額などが崩落した岩立菅原神社の一の鳥居


二の鳥居や狛犬なども倒壊し、社殿には近付けず。

余震のまにまに(11)

2016-05-02 20:03:06 | ファミリー
 ずっと気になっていたわが家の墓を見に行った。全壊だった。ショックではあったが、ご先祖がわれわれの身代わりになってくれたのではないかと考えると心が和らいだ。帰ってすぐに石材店に見積もりを依頼した。

 去る3月11日に宮城県名取市閖上地区で行われた東日本大震災追悼イベントで、鹿本農高郷土芸能伝承部の皆さんが山鹿灯籠踊りを奉納したことを、先月このブログでご紹介した。
 このイベントを見ていた名取市在住の方から、熊本地震のニュースを聞いて、あの鹿本農高の皆さんは無事だろうかというお問い合わせが数件あった。これを僕から鹿本農高に問い合わせていたが、郷土芸能伝承部のN様から全員無事であるとのご連絡をいただいた。それによれば、地震発生直後の緊急速報からすぐに仙台市、名取市、閖上地区の皆様から、心配・励まし・アドバイスなどが届いたそうである。そして今も定期的に連絡が届いているという。これを聞いて宮城県と熊本県の被災者が遠く離れていながら心と心が繋がっているような気がしてとても嬉しかった。

▼鹿本農高郷土芸能伝承部(2014年の熊本県高校総文祭パレードより)

余震のまにまに(10)

2016-05-01 18:01:27 | ファミリー
 今日は例月どおり藤崎八旛宮に朔日の参拝に行った。実に半年ぶりくらいに母を伴い、かつて熊本の総鎮守と崇敬されたお八幡さんに、家族の無事の御礼と一日も早い地震の終息を祈願した。楼門の前の石鳥居は倒壊の危険性があるためくぐれない状態だったが、おそらく境内の各所で被災しているのだろう。




▼わがふるさとが一日も早く元の美しい姿を取り戻してほしい祈りを込めて


余震のまにまに(9)

2016-04-30 19:32:13 | ファミリー
 昨夜の報道ステーション(テレ朝)にコメンテーターとして出演した歴史学者の磯田道史さんが、今回の熊本地震は、400年前、慶長三陸沖地震に始まり、熊本・大分大地震を始め、中央構造線近くで相次いだ大地震とよく似ているという話をしていた。
 今回も5年前の東日本大震災、そして熊本・大分の大地震と400年前を想起させるという。歴史学者の立場から、古文書に残された大地震の歴史を教訓として対策を講じるべきで、安易に「過去に前例がない」とかたづけるべきではないと警鐘を鳴らした。

1596年 慶長伊予地震
      慶長豊後地震
      慶長伏見地震
1611年 慶長三陸沖地震
1619年 熊本・大分で大地震
1625年 熊本・広島・香川などで大地震
1633年 小田原大地震

 歌舞伎の演目にもなっている「地震加藤」における慶長伏見地震の清正伝説は知っているが、今回の熊本地震も、地球の長い歴史の中で繰り返し起こっている変動の1ページであるという視点も重要なのだろう。
 ちなみに、明日5月1日に改修後再オープンする小田原城の初日の入場料を全額、熊本城の復旧復興にあてるため寄付をするというニュースが流れていたが、これは400年前、小田原大地震で小田原城が被害に遭った際、最初に幕府に支援を求めてくれたのは熊本藩主だったことへのお礼の意味もあるらしい。

▼つつじも真っ盛りになったのだが・・・

余震のまにまに(8)

2016-04-28 19:33:54 | ファミリー
 ブリヂストン時代の大先輩、坂本正詮さんから、わが家の近くの京陵中学校で薬草料理の炊き出しボランティアをやるので来ないかというお誘いがあったので行ってみた。
 玉名市の北西に位置する小岱山一帯は、150種類の薬草が自生する「薬草の里」として知られていて、玉名市ではこれを利用した薬草料理が盛ん。坂本さんも「小岱山薬草の会」の一員として薬草料理の普及に携わっている。
 今日は、オオバコやイノコズチなど数種の薬草を持ち込み、校舎の一角で、薬草の会のメンバーが薬草のテンプラを揚げていた。食事時間の6時頃になると多くの避難者が列をなし、ご飯とおかずのテンプラを受け取っていた。炊き出しは油ものがほとんどないため、とても喜ばれていたようだ。
 こうしたボランティアの皆さんによって避難所生活が支えられている実態を目の当たりにしたが、本当に頭が下がる思いだ。


10名ほどのメンバーでテンプラづくり


おいしそうな薬草テンプラが揚がる

余震のまにまに(7)

2016-04-27 19:29:19 | ファミリー
 今日昼過ぎ、雨が上がったので、新堀橋まで歩いて行ってみた。途中で山口・下関ナンバーの病院業務車や滋賀ナンバーのパトカーに出会う。いずれの地方も僕にとっては懐かしい。遠方から本当にご苦労様と心から感謝したい。
 新堀橋から先は進入禁止となっているので、監物櫓(長岡図書預り櫓)や百間石垣(一部)などの被災状況しか確認できない。新堀橋入口で警備をしているおじさんとしばらく会話する。それによると城内に入っている復旧作業員の間で、宇土櫓は凄いという話が広まっているらしい。昭和35年に再建された大天守、小天守に対し、宇土櫓は400年も前の建築。今回の地震で続櫓は倒壊したものの、宇土櫓本体は平然と立ち続けている。今また新しい清正伝説が加えられそうだ。
 今朝のNHKニュースで、昨日、東京新宿で行われた行定勲監督の熊本県PR映画「うつくしいひと」のチャリティ上映会の模様と映画の内容が紹介されていた。これから各地でチャリティ上映が行われる予定だというが、行定監督もまさかこの映画が熊本復興支援の映画になるとは思ってもみなかっただろう。

▼白壁が剥がれ落ちた監物櫓。右側の石垣も一部崩落している。



▼映画「うつくしいひと」の一場面(主演の橋本愛)。被災前の熊本城も登場する。