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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

卒都婆小町の面(おもて)

2021-11-01 19:08:44 | 伝統芸能
 昨夜は選挙速報は無視して、Eテレの「古典芸能への招待」を見る。二十六世観世宗家・観世清和さんによる五番能のなかから「卒都婆小町」が放送された。テレビで「卒都婆小町」を見るのは2年ほど前、喜多流の友枝昭世さんの舞台を見て以来だ。
 話の筋はわかっていたが、今回は小町の面に妙に惹かれるものがあった。そういえば漱石の「草枕」の茶屋の段で、主人公の画工が茶屋の老婆の顔に「高砂」の嫗の面影を見るという場面があったななどと思いながら、それにしても小町の面にどこかで見たことがあるような気がしながら見終わった。
 能が終わった後、観世清和さんと東大名誉教授の松岡心平さん、それに司会の中川緑アナの三人によるトークがあったが、いきなり「面」の話が出た。この「面」は室町時代の能面師・福来石王兵衛正友(ふくらいいしおうびょうえまさとも)の作「姥(うば)」だという。松岡さんは「老婆でありながら唇には微かに紅をさし、かつて絶世の美女と謳われた小野小町の残り香をそこはかとなく漂わせている」との感想。演じた観世清和さんは「力のある面は役者の手数はあまりいらない」とも。
 そんな話を聞きながら、僕はハッと思い出した。僕の祖母が唯一、頭があがらなかったA先生の奥様の顔である。小町の面と同じように眉間のしわが特徴だった。しかし決して険しい表情ではない。祖母の愚痴などを眉間にしわを寄せて傾聴された。A先生の奥様に話をすると祖母はスッキリしたような顔をした。そんなことを思い出しながら何だか温かい気持になった。


出水神社秋季大祭 能楽式奉納

2021-10-20 17:45:24 | 伝統芸能
 今日から出水神社秋季大祭が始まり、水前寺成趣園能楽殿では能楽式奉納が行われるというので見に行った。今まで出水神社秋季大祭で鏑流馬式は見たことがあるが能楽式を見るのは初めてだ。金春流と喜多流の出演で「翁」の連吟に始まり、舞囃子二番の後、能「猩々」が舞われた。今日の演目は多分、仕舞と舞囃子くらいかなとタカをくくっていたので嬉しいサプライズとなった。何のアナウンスもないし、シテは面をつけているのでどなたが務めておられるのかわからずに見始めたが、謡の声から喜多流の狩野了一さんだと思われる。
 今年は3月に同じく水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト」公演と5月に加藤神社で行われた「国づくり狂言プロジェクト」公演を見た後は、出水神社薪能や藤崎宮例大祭奉納能や熊本城薪能などが全部中止になったので、おそらく今年はもう能楽を見る機会はないだろうと思っていた。何だかとても得した感じだ。


能「猩々」(シテ:狩野了一さん?)

コロナと風流踊

2021-08-18 22:12:03 | 伝統芸能
 大雨も心配だが、熊本のコロナ感染者が昨日271名、今日が264名と感染爆発の様相を呈してきた。ワクチン接種も2回接種がやっと50%くらいだし、人流抑制策や飲食店対策などではたして効果はあるのだろうか。

 先月16日から熊本県立美術館で始まった「洛中洛外図屏風と大名文化」展を見に行きたいのだが、コロナ感染が拡大し始めたので足を踏み出せない。
 この展覧会は、今、最も興味を持っている「中世芸能」中でも「風流踊(ふりゅうおどり)」について調べていたので、その手掛かりになりはしないかと期待していた。「洛中洛外図」はいくつかあるが、今回は岡山の林原美術館の所蔵するものなので「池田本」といわれる重要文化財。はたして会期の9月6日までに行けるだろうか。
 ちょうど昨日、FB友の栗田さんが今年も地元の「鶴崎踊」が中止になってさみしいという記事をご自分のFBに書かれていた。実は「鶴崎踊」は中世の「風流踊」の流れを汲んでいる。踊りが二つあって「左衛門」という踊りは、戦国大名・大友宗麟の寵臣だった立花道雪が京の都で踊られていた「三つ拍子」という風流系の踊りを、舞子を招いて移入したと伝えられる。もう一つの「猿丸太夫」も風流系の伊勢踊りがもとになっている。
 そもそも「風流」とは趣向を凝らしたものとか、「拍子物(はやしもの)」をさす言葉だそうで、広辞苑には「中世の、囃子を伴う群舞、風流」とある。
 さて、コロナが終息したら「鶴崎踊」も見に行ってみたいものだ。


鶴崎踊の一場面(栗田弘一さん撮影)

「紅葉狩」の後場を見逃した…

2021-08-05 19:09:02 | 伝統芸能
 今年も出水神社薪能は中止となった。春の「翁プロジェクト熊本公演」は予定通り開催されたので夏の薪能も期待していたのだが、最近の熊本の新型コロナ感染者急増を見ると無理だなとあきらめた。
 出水神社薪能を見るようになって10年ほどになるが、その間、熊本城薪能や健軍神社の「花の薪能」なども見ているので、これまでおそらく50番以上は見ていると思う。
 そんな観能経験の中で残念な思いが残るのは、3年前、2018年出水神社薪能の演目「紅葉狩」が最後まで見られなかったことだ。会場の水前寺成趣園能楽殿は野天の能場。この日は、火入れが行われた頃から天候があやしくなり、「紅葉狩」の前場の途中あたりからポツリポツリと雨が降り出した。雨具などは用意していなかったので、多少濡れても最後まで見るつもりだった。まわりの観客もしばらくは我慢して見ていたが、雨脚がだんだん強まり、とてもやみそうにないとわかると三々五々、周囲の樹の下などへ退避を始めた。そしてやがて土砂降りとなった。僕もしばらく樹の下で様子を見ていたが、結局あきらめて水前寺成趣園の休憩所に退避した。しかし、雨は一向に止む気配がなく、小1時間経ったあたりであきらめて駐車場まで走った。観能でこんな目にあったのは初めてだったが、期待していた曲だったので後場が見られなかったのは残念無念。再演の機会があればいいのだが。


「紅葉狩」の前場。怪しげな女たちの宴

山鹿湯籠踊り

2021-07-21 00:16:42 | 伝統芸能
 山鹿灯籠まつりのメインイベント「千人灯籠踊り」などが2年連続で中止されることとなった。大宮神社での「奉納燈籠」などの神事は例年どおり実施されるという。実行委事務局によれば、全国各地から訪れる約16万人に対し、感染防止策を徹底することは不可能と判断。また、これまで参加した踊り手の半数近くが「参加できない」と答えたという。
 来年以降を待つしかないが、まつりなどのイベントが途絶えているこの時期を利用して、過去の映像の画質を改善したり、歌詞を付けたりして修正版の再アップ作業を進めているが、なかでも、2013年7月6日に、山鹿温泉さくら湯・池の間での舞踊公演「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」は、山鹿民謡の組曲ともいうべき曲で、次代に残しておくべき映像だと考え、映像にも登場する民謡三味線の本條秀美さんに歌詞を送っていただき、画質向上と歌詞付のリマスター版をアップした。
 俚奏楽というのは、三味線音楽の大御所、本條秀太郎さんが創始した新しいジャンルの三味線音楽。「俚」は「さとび」とも読み、「雅(みやび)」の対義語。つまり「雅」が都会的なさまを表すのに対して、田舎びたさまを表す言葉。全国津々浦々に消えてなくなりそうな古い民謡・俗謡がある。それらを掘り起し、新しい現代的な解釈で甦らせ、継承していこうというのが本條さんの提唱する「俚奏楽」の考え方。
 この「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」は次の七つのパートで構成されている。
 ・出端(プロローグ、出囃子)
 ・いらんせ
 ・古調よへほ節
 ・山鹿ねんねこ節
 ・山鹿盆踊り唄
 ・よへほ節
 ・入端(エピローグ、入囃子)


本座と新座

2021-07-19 18:28:01 | 伝統芸能
 北岡神社の例大祭(祇園まつり)は昨年に続き今年も神事のみが行われ、神幸行列や芸能行事などは行われないようだ。ただ、8月3日の献幣祭の能舞は行われるという。
 祇園まつりや藤崎宮例大祭では喜多流と金春流による能舞が奉納されるのが習わしとなっているが、これには古い歴史がある。
 平安時代前期、京より祇園宮が肥後国に勧請されるにあたり、六人の楽人が供奉して肥後に定住し、彼らは延年・猿楽などを代々継承した。やがて室町時代になると能楽が盛んになり、新しい流派も興ってきた。熊本では前者を「本座」、後者が「新座」と呼ばれた。祇園宮や藤崎宮の祭礼では本座・新座の順に演能していたが、加藤清正公の時代、藤崎宮の祭礼では新座は氏子である自分たちが先座を務めたいと申し出た。しかし、本座はそれを受け入れず激論が闘わされた。清正公の裁量を仰ぐこととなったが、祇園宮は本座、藤崎宮は新座という清正公の裁定に本座は、たとえ国主の命令であろうと本座が先座を務めるのが末代までの社例であると譲らなかった。その間、激しい言葉のやりとりもあって清正公は激怒。本座に厳罰を加えようとされたが、臣下のとりなしもあって、本座の藤崎宮での演能差し止めと河川改修などの課役が命じられた。とにかく両座は張り合っていたようで、祇園宮の祭礼ではなんと、両座がそれぞれ「翁」を演能したこともあるという。
 ちなみに祇園宮勧請に供奉した楽人の家の一つが友枝家である。

 藤崎宮例大祭における演能。本座の流れをくむ喜多流と新座の流れをくむ金春流が交互に演能する。

金春流「高砂」


喜多流「敦盛」

伊勢へ七度 熊野へ三度・・・

2021-06-12 21:47:27 | 伝統芸能
 再びロケができなくなった今夜のブラタモリは、5年前に放送された伊勢編2本を編集したスペシャル編。毎年800万人がお伊勢参りに訪れるそうだが、江戸時代でさえ多い年は400万人(人口の6分の1)が訪れたという。
 そのお伊勢参りで「荷物にならない伊勢土産」 として全国に普及したのが伊勢音頭。伊勢音頭というのは神宮を中心とした伊勢地方でうたわれた音頭類の総称(濱千代早由美著「民謡とメディア」より)だという。
 伊勢音頭と称する多様な歌の歌詞の中でよく知られている一つが
 「伊勢へ七度(ななたび)熊野へ三度(さんど)愛宕様(あたごさま)へは月参り」
という歌詞。もともと俗謡で謡われていたものが、伊勢音頭の中に取り込まれたものと思われる。「東海道中膝栗毛」などにも登場するし、出雲阿国が慶長8年(1603)に始めたという「かぶき踊」の代表的な演目として有名な「茶屋遊び」の歌詞にも
 「茶屋のおかかに末代添はば 伊勢へ七度 熊野へ十三度 愛宕様へは月参り」という歌詞がある。
 伊勢神宮と熊野三山の関係はわかるが、江戸の愛宕神社がとってつけたような印象。これは江戸からのお伊勢参りが多かったことと関係があるのかもしれない。

 かつて僕が住んでいた近江の多賀大社辺りでは
 「伊勢にゃ七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月まいり」と唄われ、さらに
 「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と続く。天照大神はイザナギ・イザナミの子であるというわけだ。
 「世界の民謡・童謡」に紹介いただいている下の動画「伊勢音頭」の中ではこの歌詞は演奏時間の制約もあって使われていない。


歌川広重「伊勢参宮 宮川の渡し」


「翁」熊本公演

2021-06-07 23:34:35 | 伝統芸能
 3月9日に水前寺成趣園能楽殿で行われた「翁プロジェクト 熊本公演」のダイジェスト映像が同プロジェクトのYouTubeチャンネルにアップされていた。わずか5分16秒のダイジェスト版だが、当日の雰囲気を思い出させる貴重な映像だ。山桜や木々の葉が風にそよぎ、謡いが朗々と響き渡る。その開放感は、そもそも翁とはこういうものだったのだろうと思わせる。天下泰平、国土安穏を翁が、そして五穀豊穣を三番叟が祈念してきた千数百年の歴史にあらためて感動を覚える。





<出演者>
  翁 :友枝 昭世
 三番三:山本 則重
 千 歳:山本 凛太郎  
  笛 :森田 徳和 
 小 鼓:幸 正佳 曽和 鼓堂 古田 寛二郎
 大 鼓:白坂 信行 
 後 見:中村 邦生 友枝 雄人
 狂言後見:山本 泰太郎 山本 則秀
 地 謡:狩野 了一 金子 敬一郎 内田 成信 粟谷 充雄
     大島 輝久 友枝 真也 谷 友矩 渡辺 康喜

四海波静かにて

2021-05-20 20:43:46 | 伝統芸能
 朝飯を終えてパソコンデスクに移ると、隣の部屋のテレビから笛のヒシギと、「四海波静かにて 国も治まる時津風・・・」という謡いが聞こえてきた。「この謡いは何だっけ?」としばらく考えた後、「高砂」の一節であることを思い出した。そういえば、朝ドラ「おかえりモネ」で登米能(とよまのう)の場面があるとか言ってたな、と思い出したが、昼の再放送で見ることにしてそのままパソコン操作を続けた。
 「高砂」と言えば、先般、水前寺成趣園での「翁プロジェクト」熊本公演でも観たが、後場の住吉明神の舞を中心とした半能だったので、フルバージョンで観たかった。

【高砂のあらすじ】
 室町時代に能を大成した世阿弥(ぜあみ)の代表作ともいえる能「高砂」の主人公は、阿蘇神社二十六代宮司・阿蘇友成。醍醐天皇の時代に友成が京に上る途中、播磨国(兵庫県)の高砂の浦で老夫婦に出会います。友成は、この老夫婦に、「高砂にある松と対岸の摂津国(大阪)住吉にある松は、離れているのに、なぜ相生(あいおい)の松と呼ばれているのか」と尋ねます。老夫婦は「自分は住吉の松の精、妻は高砂の松の精である。離れたところにある松でさえ相生の松と呼ばれるように、人は夫婦であれば、離れていても心通い合うものだ。」と教え、沖へ去る、というのが高砂のお話。
 阿蘇神社の境内にある「高砂の松」は、友成が持ち帰った高砂の松の実を植え、育てたものといわれ、現在も、縁結びの願をかけに多くの人が訪れています。(週刊メールマガジン「気になる!くまもと」より)

 その阿蘇神社は、5年前の熊本地震で楼門や拝殿が倒壊、その他の社殿も甚大な被害を受けた。いま復旧工事の真っ最中である。社殿の多くが既に復旧が終わり、あとは拝殿が今年6月の完成、楼門は令和5年12月の復旧完了予定だそうである。


阿蘇友成が持ち帰ったという伝承のある阿蘇神社境内の「高砂の松」


   ▼四海波


   ▼高砂や

「翁」の発生と思想

2021-05-13 22:14:15 | 伝統芸能
 「翁プロジェクト」の熊本公演を見てから2ヶ月が過ぎたが、時間が経つにつれ、貴重な体験だった実感が湧いてくる。
 この「翁」公演に先立って、オンラインで行われたシンポジウムの映像がYouTubeにアップされているのでじっくり見せてもらった。
 登壇者は次のお三方
  松岡心平(能楽研究者、東京大学名誉教授)
  中沢新一(思想家・人類学者、明治大学 野生の科学研究所 所長)
  沖本幸子(日本文学・芸能研究者、東京大学准教授)

 中沢さんは時々テレビで拝見するが松岡さんは初めて拝見した。進行を務めた沖本さんは3年ほど前、著書「乱舞の中世 白拍子・乱拍子・猿楽」を読ませていただき、中世芸能への造詣の深さに感心したことがある。シンポジウムは「翁」について、その発生の過程と思想的な意義についてさまざまな切り口から議論が進められた。とにかく専門的な知識に基づく議論には付いていけないところも多々あったが、後戸の猿楽、宿神、ビナヤカ、花祭と鬼等々、気になるキーワードについては今後文献などで調べてみたいと思う。
 そのことよりも何よりも、お三方とも能楽の中で「翁」が一番好きだという話には「わが意を得たり」という思いで嬉しかった。この何のストーリー性もない祭祀のような芸能に人はなぜ惹かれるのか。数年前に読んだ折口信夫の「翁の発生」も再読してみたいと思う。


2021.3.9 水前寺成趣園能楽殿 翁プロジェクト熊本公演(翁プロジェクトTwitterより)



幸若舞「敦盛」についてのQ&A

2021-04-13 12:33:13 | 伝統芸能
 YouYubeにアップしている「幸若舞 敦盛」(下の動画参照)について次のようなおたずねが寄せられました。
【Q】
 これが幸若敦盛の正しい型なんですかね?桶狭間の戦いの前に信長公と濃姫が舞ったとされていますがこの映像に二人の姿を重ね合わせると胸が熱くなります。

 そこで、かつて各種文献などで調べたことを、自分自身の知識を整理する意味でまとめてお答えすることにしました。

【A】
 幸若舞とは室町時代前期、越前の桃井直詮(幼名幸若丸)によって始められたという曲舞(くせまい)の一種。いくつかの流派が生まれましたが、明治維新後、そのほとんどが途絶えました。唯一、筑後の大江村に伝わった「大頭流幸若舞」が辛うじて今日まで残っています。
 おたずねの織田信長が舞った「敦盛」は越前幸若舞と思われますが、今日伝わる大頭流幸若舞と同じなのかどうかは不明です。信長が「敦盛」を舞ったことが文献に見えるのは信長の近習だった太田牛一が、信長没後20数年経ってから著した「信長公記」のみといえます。
 「信長公記」の首巻に二ヶ所記述が見えますが、それは概ね次のような内容です。

 尾張の天澤という天台宗の高僧が所用で関東へ下る途中、甲斐國で武田信玄に会った。信玄は、信長の人となりをたずねたが、その中で、信長の数寄(風流の嗜み)をたずねた。天澤は「舞と小歌を好まれる」と答えた。信玄が「幸若大夫を呼んでいるのか」とたずねると天澤は「清洲の町人友閑という者を呼んでおられる」さらに「信長公は敦盛の一番しか舞われない。人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり、と謡いながら舞っておられる」と答える。

 もう一ヶ所は、永禄3年(1560)5月19日早朝、信長は鷲津砦・丸根砦が囲まれたとの臣下の注進を聞くと、「敦盛」を舞い始めた。「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」と謡い舞った後、「法螺を吹け」「具足をもて」と命令。具足をすばやく身に着け、立ちながら食事をすると、兜を被って出陣された。この時付き随ったのは小姓衆五騎であった。

 信長と幸若舞に関する記述は上記のものしかないと思われます。映画やドラマにおいて、信長が「敦盛」を舞うシーンは能舞のように振付けられたり、濃姫の舞も脚色されたものと思われます。


翁プロジェクト熊本公演(続)

2021-03-18 23:15:20 | 伝統芸能
 先日、ざっくりとした観能記を書いたが、それを補足する意味で再度取り上げてみた。
 神さびた翁が天下泰平、国土安穏を祈念し、大人の風格(友枝昭世さんのオーラ?)を漂わせながら退場すると、次に登場するのが三番叟。この三番叟が実質的な主役ともいえる。今回演じるのは大蔵流狂言師の山本則重さん。大蔵流では「三番三」と書くらしい。実は野村萬斎さんの三番叟を映像で7~8回は見ているので、どう違うのかも興味があった。なかなか気迫もこもっているし、舞にも切れがある。近くの座席の能か狂言の経験者と思しき年配の女性が、「山本さんところはやっぱりしっかりしている…」と宣っているのを聞きながら、「へぇそうなんだ。」と思いながらも、萬斎さんと比べると緩急の付け方がちょっとな、なんて思ったりした。それでも見事な舞だった。ただ、残念だったのは囃子方。小鼓方の大倉源次郎さんが急に欠席となったが、そのせいでもあるまいとは思うのだが、楽しみにしていた「揉みの段」の独特のリズム感がいまいち乗らない。もう少しグルーブ感が高まるかと思ったのだが。なんだかんだ言っても初めてのナマ翁に十分満足した。


翁プロジェクト熊本公演

2021-03-09 20:24:34 | 伝統芸能
 〽どうどうたらりたらりら
  たらりあがりららりどう
  ちりやたらりたらりら
 
 細川家ゆかりの水前寺成趣園能楽殿。かつて細川家の能楽を担った本座・友枝家の当主である友枝昭世さんの、呪文のような謡いで翁が始まる。歴史の重みを感じる。2017年1月の国立能楽堂における友枝さんによる翁の映像とはちょっと印象が違う。それもそのはず、国立能楽堂とは異なり、ここは屋外。朗々とした謡いの背景では山桜が風にそよぎ、鳥がさえずる。ふと、そもそも翁とはこういうものだったのだろうと思う。千数百年前に渡来した申楽が「草木国土悉皆成仏」という日本人独特の感性によって形づくられてきたことに感動を覚える。


開演前の能楽殿風景


漱石句碑「鼓うつや能楽堂の秋の水」

船弁慶と義経のナゾ

2021-02-28 20:26:09 | 伝統芸能
 今夜の「古典芸能への招待」(Eテレ)は金春流の「船弁慶」。一昨年の久留米座能で喜多流の「船弁慶」を観た。映画やドラマでもよく「船弁慶」の義経と静御前の別れの場面が登場する。ずっと前から不思議に思っていたのは、静御前は義経の妾のはずなのになぜ義経は子方なのかということ。久留米座能の時、大島輝久さんの解説でその謎は解けたのだが、前シテは静御前なので、義経が大人だとシテの存在感が薄れるからだという。能は面白い表現をするものだと思った。でもやはり、どこかに引っかかっていて、義経が大人であっても静御前の存在感を大きくする方法はないものだろうかと思う。

「翁」熊本公演の楽しみ

2021-02-22 18:05:05 | 伝統芸能
 熊本では数十年ぶりになるという「翁」公演。水前寺成趣園能楽殿での公演がいよいよ来月9日に迫った。人間国宝の喜多流能楽師・友枝昭世さんが演じる翁はもちろんのこと、大蔵流狂言方・山本則重さんの三番三(さんばそう)が見ものだ。そして、舞もさることながら囃子方の音に注目したい。
 2019年に世を去った名ドラマー、ハル・ブレインがザ・ロネッツの「Be My Baby」で叩いた音楽史に残る伝説のビート「thump-thump-thump-crack !」を連想させる心地よい小鼓、大鼓のリズムを楽しみたい。


三番三(さんばそう)鈴の段

   翁:友枝昭世
 三番三:山本則重
  千歳:山本凛太郎
   笛:森田徳和
  小鼓:幸正佳・曽和鼓堂・古田寛二郎
  大鼓:白坂信行
  後見:中村邦生・友枝雄人
  地謡:狩野了一・金子敬一郎・内田成信・粟谷充雄・大島輝久・友枝真也・谷友矩・渡辺康喜
狂言後見:山本泰太郎・山本則秀

▼会場となる水前寺成趣園

古今伝授の間


能楽殿