のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

花見

2024年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 地区の道路清掃の日でした。かつては「道普請」と呼んでいましたが、それじゃぁあまりにも言葉が重すぎて高齢化限界集落にはきついというので、内容が軽くなるよう「道路清掃」に呼び名を変えましたが、変わったのは呼び名だけで中身は全然変わっていません。

 金象印の角スコップに金象印の4本爪フォーク、共立の刈り払い機に共立の30ccチェーンソー、道路や側溝のごみを吹き飛ばす新ダイワの25ccのブロワー、そして地元鍛冶屋が作りし鉈と斧。一輪車まで軽トラの荷台に詰め込んで受け持ち地区およそ1kmのドブさらい。

 終了後は薬師様の春の祭典準備と、忠霊塔の清掃でそのまま拉致。忠霊塔は村全体の慰霊碑なので、明治維新以降戦没した村人の名前が刻まれており、靖国パフォーマンスよりこうした日常のかかわりの方がよほど重要なんじゃないかと思います。忠霊塔の下には納骨堂があり、墓地を持たない戦没者の骨壺が収められていますが、風入れで開場して扉が開いているので周辺には火葬場のような骨の匂いが漂っています。これから雨になるのか湿気っているのでその匂いが強かった。

 お神酒と赤飯お供えするのは別の人なので、私は草刈りと清掃をしてから薬師堂の周辺を片付け。今年はこの役員じゃないので準備だけやったら自分の家のお墓の草刈りに行きました。

 八重桜はとうに散っていましたが、コデマリとオオデマリがシーズンになっていました。そして、そろそろドウダンツツジが花開きそうです。

 午後から組のプチお花見。

 この何年かコロナ自粛で人目に触れぬように執り行っていたお花見でしたが、そろそろいいんじゃねぇの?と、駐車場にテーブルとイス並べて通りすがりの酔っ払いとっつかまえて酒ふるまいました。

 巷では母の日だとかで、外に出た子供が孫を連れてきている家もあり、久々に子供が飛び回る花見になりましたが、十数年前まではこうした光景があり前でした。いつの頃からか子供の泣き声よりもフクロウの鳴き声が響く寒村になってしまった。

 かつてはこうした花見に、山菜の煮つけが得意なばあさんや草餅作って持ってくるばあさん、かき揚げ名人のばあさんたち一芸を持つ人たちが腕を振るいましたが、今の若いばあさんにはこうした秀でた芸がない。「乾き物でいいよね。」片づけはとうちゃんたちの役割なので洗い物なんかない方がいいから「飲めりゃぁなんだっていいよ!」赤飯だけが異様に目立つ生モノでした。

 花見をしながらの組の会議では、今年は75歳以下を若手と呼ぶことになりました。今まで青年部として活躍していたおやじさんが後期高齢者になったので、この世代を後期高齢者青年部にしました。呼び方変えてもガタついた体には何も変化はないのですが。

 川向こうの地区には英国人が引っ越してきたり、ネットで仕事をしている人がお江戸から移り住んできたり、このところ照れ屋のあなたもテレワークで田舎に移り住む人が出てきたので空き家が再活用され始めていて、こちらの地区にもメリケンさんの夫妻や漫画家の夫妻が引っ越してきました。

 なんでも近々近所の空き家にデザイナーやっている若夫婦が引っ越してくるそうで、それも30代位なので皆大喜びです。まずは道路清掃などの現場で活躍してもらい、お祭りの準備型付けに奔走して、地区の配りごとなどに走り回ってもらい、「俺らの葬儀委員長やってもらえるとありがたいなぁ。」若者への期待は膨らみます。

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