のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

今日も勤労奉仕

2024年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は地区の河川敷の草刈り。地区にとって県から報酬が出る事業なので、毎度大人数が出ての仕事となります。私も刈り払い機にブロワー持って堤防の草刈りにいそしんでまいりました。

 その後、老人会が請け負っている公園の草むしりに参加。「一日老人会員を任ずる」と召集令状が来ていたので働かねばなりません。こういうことするから嫌われる集団なんだけど。

 戦前は大きく蛇行した川で、戦後、農業委員が中心となって国からの補助で堤防を作って蛇行する川を直線にし、堤防の外側は田んぼにして、30年間だった農地として使い続けなければならない縛りがありました。その期限が切れて農地だった土地に新たに土を入れて。宅地化が可能な土地となり、この地域のニュータウンとなって30年程度でしょうか。

 予定では私の同級生の家の庭に地下鉄日比谷線が乗り入れることとなって、地下鉄に乗って銀座に夜遊びに行けるぞ!と、休日に集まって穴を掘りましたが、挫折して、今は池になって金魚が住んでいます。

 まだ田んぼだった頃は夏も熱くなるとホタルが沸くといった表現が似合うほど一面ホタルが飛び交う田んぼで、3~4歳の頃でしたが、ホタルをとってきて網籠に入れ、その灯りで本を読む。誰かにそういう入れ知恵されたのですが、基本的に字が読めなかったのでバカのままです。

 夕方、鬼滅の刃を見せてもらいに行く同級生宅の猫への差し入れのお魚を買に出かけたついでに、世間話仲間と居酒屋でいろいろ話してきました。

 アカシアなどはちみつが採れる樹木が花を咲かせているシーズンで、あちこちに養蜂業者のはちみつ箱が置かれていますが、我々が小学生の頃には花を追いかけて北上してくる養蜂業者がいました。私の学校では見かけなかったけれど、親と一緒に点々としている子供が毎年同じ時期に転校してきて、しばらくすると東北から北海道に向けて話を聞けました。日本の遊牧民みたいなものですね。

 旅どころか、お出かけもままならない土着民の子供にとってはうらやましく見えたそうです。

 レンゲと言えば今では中華料理のスプーンですが、昭和の中頃では田んぼに生えている花で、土壌改良に農閑期に種をまき、田植えの頃には田んぼの水の中の泥に混ぜ込まれていたものですが、家畜の餌や、養蜂のターゲットとしてレンゲは活用されていました。

 最近、あまり見かけなくなった花だねぇ。咲いていても気が付かないけど。

 今日はなべ物注文しなかったのでレンゲはなしです。

 

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