坂東太郎、筑紫次郎、四国三郎、越乃四郎、陸奥五郎。日本の暴れ川兄弟で、利根川、筑後川、吉野川、信濃川、最上川のことです。今回暴れたのは次郎さんですね。
♪築後の流れに 小鮒釣りする人の影 川面に一つ浮かんでいた 風が吹くたび揺れていた♪
海援隊の「思えば遠くへ来たもんだ」の2番の歌詞。これが好きです。特にその後に続く ♪二十歳になったばかりの僕は 別れた女を責めながら いっそ死のうと泣いていた 恋は一度と決めていた♪ このフレーズがたまんないですね。女って残酷だよなぁ。
なんてことを思い浮かべながら筑後川の氾濫の画像を眺めていました。
川の内外に散乱する杉丸太を見て、これが被害を大きくしたんだろうなと察しました。間伐して積んでおいた材木が流されたのだろうか?最近は切り捨て間伐と言って運び出すと費用が掛かるので、山の中に斬ったまま放置しておく間伐が多くなっています。群馬県の場合、切り捨て間伐で指定された場合、切った材を持ち出すと違反になります。枝を落とした丸太が水流に乗って流れてきたらとんでもない破壊力になりますし、引っかかればそこに土砂がたまってダムになる。それが決壊すれば…。
九州はこちらよりも材木の値段が高いし林業も進んでいるはずですが、あの世界はそれこそ伏魔殿なので、林業行政がしっかりしていれば防げた災害もあったのではなかろうか?それ以上に自然の猛威が人知を越えていることありますが、尽くせる手はあった。
河川氾濫では坂東太郎と呼ばれるほど暴れていた利根川ですが、私の住む水源地はダム地帯です。そもそも関東平野なんて利根川を中心とする川の氾濫であれだけの肥沃な平野ができたわけですが、元々の利根川は現在も東京都内を流れる荒川や江戸川につながっていました。あまりにも反乱が多いので、江戸幕府が現在の埼玉県の栗橋あたりで利根川の流れを変えて茨城と千葉の境を通って太平洋に流れるように大規模な土木工事をしました。そう、利根川の下流は人工的に作られた河川なんです。
豊臣秀吉などたびたび氾濫する利根川の水を利用して、今の埼玉県の行田市にある忍城を水攻めにしようとしたら、堤防壊すときに失敗しちゃって自分たちが水浸しになってしまったなんて歴史があります。
ほっとけば砂漠になるどこぞの国と違ってあふれる水と向き合って苦心してきた日本人。利根川の流れを変えた栗橋には河川の安泰を祈願する神事の場があり、今でも多くの方々が参拝に訪れて観音様に祈りをささげているようです。こうして東京は水害を防いでいるんですね。
利根川の源流の町では今日は天気が良かったので少し奥山へ入り、登山道の整備をしてきました。
近年源流の若者たちは職を求めて都会に働きに出てしまいますが、源流のクマたちも食を求めて人里に出てきます。おかげで奥山のバライチゴは食べ放題です。ここにおいてクマと山仕事のおじさんの活動範囲の逆転現象と言う生態学上きわめて奇妙な事例が起きています。
やはりこれも異常気象の成せる業なのか?ただ単に我々がちゃっかりしているだけなのだろうか?
自然をつかさどる神々の思惑やいかに?
時代が変わればしきたりも変わる。
昔は女人禁制だったのが、今は年齢制限となりました。
大人の階段登る~♪先に観音様。
私が幼少の時に温泉街に住んでいたので、温泉神事のお社があり、一歳下の息子が元小結の粂川親方です。
子供の頃、よっちゃん(粂川親方)の家に遊びに行くと、舞台で巫女さんが踊りの練習をしていました。
露天風呂は混浴当たり前だったし、温泉芸者もいましたし、「逐電」と言う名の駆け落ちなどが珍しくもない環境下。そう言うもんだと育っていたのであまり違和感がないんですね。
いろいろ規制が厳しくなってからいやらしく楽しいものに思えるようになりましたが、規制の効能ですね。
神官様が言うことにゃ、昨今は女性参拝者をいかにいざなうかがお社にとって大切みたいです。
実は先月からBlogを始めたばかりなのです。
もしよかったらaccessしてみてください。
暴れ川、坂東太郎の堤防は決壊するときに北側決壊するように作られています。
北関東と呼ばれる方面に決壊するんですね。
近年警戒順位は、坂東太郎、筑紫次郎、四国三郎、つぶやき四郎、稲垣吾郎となっております。