ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

歌え若者〜ラジオから生まれた音楽たち〜3

2016-10-29 09:22:00 | メディア
甲斐さんが照和のオーディション係でいらした頃
石橋凌さんのバンドを合格になさったそうですが

「当時の石橋君はポップバンドで、それも超軽い、音も心も軽い(笑)
もう博多に歌いに来るだけで嬉しいって高校生でしたよ」と甲斐さん(笑)

「[ひと月は歌っていいけど
オリジナルをチャンと書かなかったら終わりだからな]
って脅してましたから(笑)」と話されてます

その石橋さんもこの番組の中で
「博多のミュージシャンは上手いなあと思ってた
期待半分、緊張してた」とおっしゃって

久留米で、チューリップやさだまさしさんのコンサートがある時は
前座を務めておられたことや

イタリアン・レストランでコックをなさっていた時に
岸川さんから「ARBのオーディションを受けてみないか?」と声をかけられたこと

でも、1年半で事務所をクビになり(汗)
キャンピングカーで全国を廻っておられたこと

ライブハウスから、小ホール、中ホールでライブが出来るようになられた頃
岸川さんとの待ち合わせに10分遅れて行かれ
「サウナ(に行ってたん)ですよ」と説明なさったら

「お前な、全国的に名前が出て来たんだから
ヘンなトコに行くんじゃないよ」と
誤解されてしまわれたこと等々、懐かしそうに語られ

岸川さんの母校で開催されている「風音」を続けられることで
「60〜70年代の活気のある博多の音楽シーン復活の一助になれば」と話されてます

ただ、石橋さんがARBに加入されたのは
イチローさんから相談を受けた甲斐さんが
石橋さんを推薦なさったからなんですよね?

もっとも、その後、石橋さんが女性を連れて上京されたことに
「大事な時期だから、ひとつに絞りなよ」と忠告なさったら

「それっきりナシのつぶてになった
奴の周りでもこの話はタブーらしい
内気なオモシロイ奴だ(笑)」と甲斐さん

その昔、甲斐バンドのメンバーを探しておられた頃
石橋さんのお名前も挙がっていたそうで
だからこそ「ARBのボーカルに誰かいないか」と考えられた際に
石橋さんのことを思い浮かべられたんじゃないかと…?

ともあれ、岸川さんの還暦のお祝いには
お祭り好きな福岡県民(笑)だけでなく
九州ツアーで福岡を訪れた際に交流がおありだったという
ミュージシャンの方々も参加された「伝説ライブ」は
実に4日間に渡って開催されたらしい

初日は、スターダスト・レビュー、浜田省吾さん
山下達郎さんによる「ミラクル・ナイト」

山下さんが23歳の時、シュガー・ベイブを解散なさって
「ソロもまだやってなかった」頃、学園祭が行われたホールに

「パンチパーマのおっさん(笑)がやって来て
[サーカスタウンが気に入ったから、ライブに来た]と言った(笑)」そうで

以来、プロモーションの際には番組のブッキングや
イベンターについてのアドバイス、助言の他
ビジネスライクではなく、地元のロック・フォークとの交流や
新しい流れを支援して頂いたんだとか…

浜田さんは、ソロになられた2年目くらいに
ラジオのプロモーションで福岡に来られた時に

「背筋がピンと伸びた、独特なヘアスタイル(笑)
笑顔で、エネルギーがほとばしるイメージ」の民放ラジオのディレクターが
その熱意でもって「音楽の活性化をサポートしていた」と語られ

根本要さんは「音楽的素養を感じさせない風貌で(笑)
ご自身が音楽をやられてたのが想像できない(笑)

でも、音楽が好きという気持ち
音楽が好きな人が周りに集まって来ることは良いことなんだって
感じさせてくれる方でした」とおっしゃってます

このお三方で、演奏され歌われたという
【BE MY BABY】と【STAND BY ME】聴いてみたいですねぇ♪

そして、2日目が甲斐バンドによる「オンリー・ワン・ナイト」
甲斐さんいわく…その日は僕らだけ(笑)甲斐バンドだけ(笑)
再結成の時だったんで、因縁を感じましたね

でも、確かこの頃は、TKさんとのコラボの関係で
海外を飛び回っておられ
ライブの数日前に帰国なさったんですよね?

当日は「かさぶた」用の写真撮影を終えられてから、16時に会場入り
16時半から1時間のリハーサルで
18時開場、18時50分開演(笑)となってます

以前にもご紹介しましたけど
奥さんは急に参戦できることになり
Kインフォメーションで知った余剰チケットの情報に飛びついたものの
すでに引き取り手が決まっていたらしく、残念…

が、Kオフィスから連絡があって
「もし、まだ福岡に行かれる気持ちがおありなら…」と
チケットを手配して頂き、無事に参戦♪

ただ、その席は、どうやら関係者枠内だったみたいで
最初からスタンディングしていたのは奥さんだけ(笑)

しかも、主賓の岸川さんの斜め後ろの席だったため
甲斐さんがステージから岸川さんを紹介なさって
メンバーの皆さん全員で頭を下げられた時には
首をすくめながら拍手したそうだ(笑)

この番組の中で甲斐さんは、打ち上げの席で岸川さんが
「申し訳ない、申し訳ない
俺みたいな男は最初から最後まで
立って聴かなきゃいけないんじゃないかと思っていた」とおっしゃったことに

「相変わらずの男だなって感じでしたね(笑)」と話されてましたが
多くのミュージシャン達を支え、後押しなさった功績というものを
全く自覚されてなかったことがよく判りますね(笑)

後の甲斐報にも「甲斐君と初めて会って、早27年
甲斐君が東京に進出し、成長して、ビッグスターとなって行く
その過程をずーっと見つめられて来た、こんな幸せな経験が出来たことは
ディレクター冥利に尽きます」と記されてます

その同じ文章で触れられていた甲斐さんからの年賀状が
お嬢様から甲斐さんへのご連絡に使われることになったのも
何かの巡り合わせなのかなあと…
コメント (3)
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