1975年12月20日の神田共立講堂は
甲斐バンドの東京での初ワンマン・コンサートで
取材メモには…当時のマネージャーの武石さんですら
ハッキリと思い出せないくらいに「夢中」だったと書かれてるし
Vol.15に掲載されているインタビューで
大森さんも「忘れられないコンサート」に挙げられていて
(演出の「雪」がすごくて(苦笑)
「弾き難いけど、完璧アドリブでメチャメチャ弾けたもんね
神田共立はもう一度やってみたいね」とおっしゃってます
「最初のワンマンで、忘れ得ぬ君をやったステージ」とのことだけど
残念ながら、その日のセトリは掲載されていません(苦笑)
ただ、翌年同日の神田共立(浜田省吾さんとのジョイント)でも
「忘れ得ぬ君」を演奏なさってるようです
(品プリのファンクラブ限定トークショー(笑)の時にも…?)
この日は「神田共立が使えなくなるというラスト・コンサート」だったらしく
前日に泉谷しげるさんが「イスを10席壊していた」んだとか…(笑)
「屈辱のデビュー・コンサート」に始まった神田共立には
印象的な出来事が色々あったんだなあと…
イチローさんがリンドンの解散を決心なさったのも
この時の甲斐バンドのリハーサルをご覧になったからだったみたいだし
文化放送の渡辺ディレクターが
岩崎宏美さんの「ロマンス」を歌われた甲斐さんに興味を持たれ
その日の内に「セイヤング」レギュラー出演のオファーを出されたようだし…(笑)
ともあれ、その1976年は福岡・小倉の成人式のゲスト出演(笑)で幕を開け
毎日ホールで大阪初のワンマン
福岡も「さと帰りコンサート」を辞退してワンマンで凱旋
9月11日の中野サンプラザでは、ワンマン初の立ち見が…♪
ライブハウスではもう手狭になり
「3日徹夜しないとチケットが取れないバンド」と
囁かれ出したのもこの頃からみたいです
「有線放送大賞」以降、テレビ番組から身を引かれ
「どんなところでもやる」とライブ活動に集中なさった結果が
徐々に形になって来られたんでしょうね
そうそう!甲斐さんのもう一つの神戸ネタ(笑)
せっまぁ~いサテライト・スタジオに無理やり楽器を持ち込まれ
メンバー4人ぎゅうぎゅう詰め(笑)でもモニターだけは入らず
仕方なくイヤホンで「か細い音を聴きながら歌った」こともありましたね(笑)
でも、それもかなわない場所では
「レコードを流しながら、頭を下げていた」そうです
76年の学園祭といえば、青山学院(笑)
(D・T・ブギウギ・バンド、丸山圭子さんとのジョイント)
甲斐バンドが登場して1曲目にPAが飛んで(汗)
「それでも40分間の完全燃焼
この日初めてギターを床に叩きつけて壊した
床の方も傷ついて張り替えに?百万かかったという」例の事件が…(笑)
甲斐さんによると…その前から老朽化していたトコへ
トドメの一撃(笑)だっただけで
俺にそんな力はない(笑)…らしい(笑)
翌月の東京家政大学の学園祭では
(バンバン、リンドンとジョイント)
「興奮したファンが殺到して7人がケガ、新聞に大きく載った
親衛隊という言葉が使われていた」と…(笑)
77年2月、学園祭ではなく初の「予餞会」で訪れた某高校で…
全員制服、会場両側には礼服姿の先生たちが並ぶという雰囲気(苦笑)
後半は生徒がイスを蹴飛ばして、前方に走り出し(笑)
翌日の職員会議で、担当の体育のO先生が吊し上げられた
…と記されてるんだけど(汗)O先生の好みで(笑)企画なさったんだとしたら
「ヨッシャーッ♪」ってカンジですよね(笑)
5月8日の渋公は3月のサンプラの追加公演で
浜田省吾さん、ハルヲフォン、ARBが前座として登場され
「甲斐バンドが出るまでに2時間はやってた」らしく(笑)
「アンコールの吟遊詩人の唄の時に
殺到した客の1人がイスに挟まれて混乱(汗)
甲斐よしひろが歌うのを中断したところ
客席から大合唱が起きるという感動的なハプニング」の後
「渋谷ハチ公前交番から
駅前でコンサート帰りの女の子が倒れてると電話があった」り
「救急車が出動した」というほど盛り上がったようです
8月20日、同じ渋公でのコンサートは
「甲斐バンドが登場する前に弦のカルテットが
風が唄った日を演奏するという構成
でも、メンバーが出る直前にモニターが発煙(汗)
使用不可能になり、モニターなしで開演
ステージ上は最悪だった
でも、そんなトラブルは気づかないくらいのパフォーマンスだった」と…(笑)
12月には、いつぞやご紹介した泉谷さんとのジョイントで
初めてのチャリティー・コンサートに出演
「1週間前に泉谷さんが先にやることに変更
男中心の泉谷さんのステージに対して
甲斐バンドの女性パワーが盛り上げ勝ち(笑)
主催者が途中で、ノリすぎてるんで何とかして下さいと泣きを入れて来た
当然却下(笑)」
…といったエピソードでも十分理解できるんですけど
初ワンマン神田共立の時の「スタイリストはピーコだった」とか
立ち見サンプラの時には「メイクはKISSよりも早くやっていた(笑)」とか
翌年、キースさんとイチローさんが参加されたサンプラでは
「紫のファッショナブルなコスチューム」で
渋公は「ギンギラ・ゴールドの衣装」
野音は「赤いバギー・スーツ」と
甲斐さんのお召し物の変遷(笑)にも触れられてるのは
やはり、読者から提供された資料が元になっているんでしょうし
当時の女性ファンの多さを物語ってるなあと…(笑)
この年の12月は「カウンター・コンサート」とのことで
「ステージにカウンターを作り(笑)
歌い終えると女性コーラスが水割りを作る(笑)というステージ構成
ローディもスタッフも全員タキシード」だったらしい
「サーカス&サーカス」に収録されてた
「歌のお姉さんに拍手を…」の後の「おね~さん!(笑)」って掛け声に
思わず納得してしまいました(笑)
甲斐バンドの東京での初ワンマン・コンサートで
取材メモには…当時のマネージャーの武石さんですら
ハッキリと思い出せないくらいに「夢中」だったと書かれてるし
Vol.15に掲載されているインタビューで
大森さんも「忘れられないコンサート」に挙げられていて
(演出の「雪」がすごくて(苦笑)
「弾き難いけど、完璧アドリブでメチャメチャ弾けたもんね
神田共立はもう一度やってみたいね」とおっしゃってます
「最初のワンマンで、忘れ得ぬ君をやったステージ」とのことだけど
残念ながら、その日のセトリは掲載されていません(苦笑)
ただ、翌年同日の神田共立(浜田省吾さんとのジョイント)でも
「忘れ得ぬ君」を演奏なさってるようです
(品プリのファンクラブ限定トークショー(笑)の時にも…?)
この日は「神田共立が使えなくなるというラスト・コンサート」だったらしく
前日に泉谷しげるさんが「イスを10席壊していた」んだとか…(笑)
「屈辱のデビュー・コンサート」に始まった神田共立には
印象的な出来事が色々あったんだなあと…
イチローさんがリンドンの解散を決心なさったのも
この時の甲斐バンドのリハーサルをご覧になったからだったみたいだし
文化放送の渡辺ディレクターが
岩崎宏美さんの「ロマンス」を歌われた甲斐さんに興味を持たれ
その日の内に「セイヤング」レギュラー出演のオファーを出されたようだし…(笑)
ともあれ、その1976年は福岡・小倉の成人式のゲスト出演(笑)で幕を開け
毎日ホールで大阪初のワンマン
福岡も「さと帰りコンサート」を辞退してワンマンで凱旋
9月11日の中野サンプラザでは、ワンマン初の立ち見が…♪
ライブハウスではもう手狭になり
「3日徹夜しないとチケットが取れないバンド」と
囁かれ出したのもこの頃からみたいです
「有線放送大賞」以降、テレビ番組から身を引かれ
「どんなところでもやる」とライブ活動に集中なさった結果が
徐々に形になって来られたんでしょうね
そうそう!甲斐さんのもう一つの神戸ネタ(笑)
せっまぁ~いサテライト・スタジオに無理やり楽器を持ち込まれ
メンバー4人ぎゅうぎゅう詰め(笑)でもモニターだけは入らず
仕方なくイヤホンで「か細い音を聴きながら歌った」こともありましたね(笑)
でも、それもかなわない場所では
「レコードを流しながら、頭を下げていた」そうです
76年の学園祭といえば、青山学院(笑)
(D・T・ブギウギ・バンド、丸山圭子さんとのジョイント)
甲斐バンドが登場して1曲目にPAが飛んで(汗)
「それでも40分間の完全燃焼
この日初めてギターを床に叩きつけて壊した
床の方も傷ついて張り替えに?百万かかったという」例の事件が…(笑)
甲斐さんによると…その前から老朽化していたトコへ
トドメの一撃(笑)だっただけで
俺にそんな力はない(笑)…らしい(笑)
翌月の東京家政大学の学園祭では
(バンバン、リンドンとジョイント)
「興奮したファンが殺到して7人がケガ、新聞に大きく載った
親衛隊という言葉が使われていた」と…(笑)
77年2月、学園祭ではなく初の「予餞会」で訪れた某高校で…
全員制服、会場両側には礼服姿の先生たちが並ぶという雰囲気(苦笑)
後半は生徒がイスを蹴飛ばして、前方に走り出し(笑)
翌日の職員会議で、担当の体育のO先生が吊し上げられた
…と記されてるんだけど(汗)O先生の好みで(笑)企画なさったんだとしたら
「ヨッシャーッ♪」ってカンジですよね(笑)
5月8日の渋公は3月のサンプラの追加公演で
浜田省吾さん、ハルヲフォン、ARBが前座として登場され
「甲斐バンドが出るまでに2時間はやってた」らしく(笑)
「アンコールの吟遊詩人の唄の時に
殺到した客の1人がイスに挟まれて混乱(汗)
甲斐よしひろが歌うのを中断したところ
客席から大合唱が起きるという感動的なハプニング」の後
「渋谷ハチ公前交番から
駅前でコンサート帰りの女の子が倒れてると電話があった」り
「救急車が出動した」というほど盛り上がったようです
8月20日、同じ渋公でのコンサートは
「甲斐バンドが登場する前に弦のカルテットが
風が唄った日を演奏するという構成
でも、メンバーが出る直前にモニターが発煙(汗)
使用不可能になり、モニターなしで開演
ステージ上は最悪だった
でも、そんなトラブルは気づかないくらいのパフォーマンスだった」と…(笑)
12月には、いつぞやご紹介した泉谷さんとのジョイントで
初めてのチャリティー・コンサートに出演
「1週間前に泉谷さんが先にやることに変更
男中心の泉谷さんのステージに対して
甲斐バンドの女性パワーが盛り上げ勝ち(笑)
主催者が途中で、ノリすぎてるんで何とかして下さいと泣きを入れて来た
当然却下(笑)」
…といったエピソードでも十分理解できるんですけど
初ワンマン神田共立の時の「スタイリストはピーコだった」とか
立ち見サンプラの時には「メイクはKISSよりも早くやっていた(笑)」とか
翌年、キースさんとイチローさんが参加されたサンプラでは
「紫のファッショナブルなコスチューム」で
渋公は「ギンギラ・ゴールドの衣装」
野音は「赤いバギー・スーツ」と
甲斐さんのお召し物の変遷(笑)にも触れられてるのは
やはり、読者から提供された資料が元になっているんでしょうし
当時の女性ファンの多さを物語ってるなあと…(笑)
この年の12月は「カウンター・コンサート」とのことで
「ステージにカウンターを作り(笑)
歌い終えると女性コーラスが水割りを作る(笑)というステージ構成
ローディもスタッフも全員タキシード」だったらしい
「サーカス&サーカス」に収録されてた
「歌のお姉さんに拍手を…」の後の「おね~さん!(笑)」って掛け声に
思わず納得してしまいました(笑)