ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

大森さんへの手紙1

2014-11-09 10:45:31 | 日記
11月3日からロック・シンフォニーのリハーサルが始まったようで

岡沢さんのツイッターやイチローさんのブログを
ちょこちょこチェックしていた奥さん

イチローさんが、英二さんとお二人で弾かれている時に
大森さんを感じると書かれているのを読んで

そういえば…と見せてくれたのが
大森さんが亡くなられた後に
イチローさんが書かれた『大森さんへの手紙』

(以下、☆印がその手紙の要約です)

☆甲斐さんのエレクトリック・セットに
大森さんがベース、イチローさんがギターで
初めてご一緒にステージに立たれたそうで

その日に演奏された【恋時雨】が
そのままのアレンジで甲斐バンドのレコードになったことが
『貢献できたみたいで嬉しかった』とイチローさん☆

甲斐さんが、この曲のデモテープを作られる際にも
リンドンがバックバンドを務められたという

当時のリンドンは、オリジナル曲が少なく
看板曲になさっていたのが【喫茶店で聞いた会話】で

甲斐さんはそれがあるから
リンドンがお好きだったようです(笑)

甲斐さんが会社を辞められ
プロを目指される姿をご覧になって
リンドンも必死にオリジナル曲を作られるようになったんだとか…

【ランチタイム】という曲には
その頃の甲斐さんとイチローさんが描かれてるらしく

照和に泊まり込んだ翌日
『今日も一日終わった』けどランチタイム(笑)に

『僕も奴も疲れてる』のは
怠惰でシュールなミュージシャンの
ファッキンな生活を歌ってると甲斐さん(笑)

でも実際は、夢を追ってアタックしても先が見えず
東京までは遠いよねという話をなさっていたようです

デビュー後のインタビューでも…
どうすれば夢が叶うのか判らずに手探りしていた頃に比べたら

何をすべきか判っているぶん
今の方がずっと楽になったと話されてました

☆【やせた女のブルース】の間奏は、1回目をイチローさんが
2回目を大森さんが弾かれたらしいんだけど

同じギターで同じセッティングでも
音が全然違っておられたという

神田共立講堂や大阪サンケイホールにゲスト出演され
セイヤングの『真夜中のパーティー』は
ARB結成のきっかけになったんだとか…

箱根のロックウェル・スタジオで
英二さんと3人で演奏された時に

『それまで1ギターのバンドだったので
同時に複数のギターを鳴らすのは
最高にスリリングで気持ちよかった』そうだ

【GOLD】の録音の際には
イチローさんが、大森さんのギターで間奏を弾かれ

大森さんはディレクションをなさっていて
甲斐さんは、倒れるように仮眠中だったようですが…(笑)

それはカッコいい音を録るためには
『どんな形式もアリなんだ』という
甲斐バンドにとっては普通のことだったらしい

イチローさんが甲斐バンドに加入される時に
大森さんは『俺たちは一緒にやるために生まれて来たんだから』とおっしゃったそうだ☆

長岡さんが脱退された後
『甲斐バンドは一生3人でやっていく』と話されていた甲斐さん

『博多で出会って、一緒に来て
一緒に戦ってきた男が去るからって
ホイお次は…ってな訳にはいかないよね』

『誰でもいいから4人そろえばいいんだっていう気持ちなんかなかった』

『そこは、音を重視せずに人間を重視する甲斐バンド(笑)
まず、メンバー同士ホレ合わんことには
音作りなんか始まらん訳よね』

そして…頻繁に(笑)一緒に飲んでいらしたイチローさんに
甲斐バンドの『タイム イズ オン マイ サイド』は何かな?と訊ねられたら

『それは【東京の一夜】だよ』と
イチローさんが即答なさったことが決め手になったんですよね

イチローさんが正式に加入されることを
大阪のライブ中に知らされた奥さん
正直なところ、かなりフクザツな心境だったらしい(苦笑)

甲斐さんの幼なじみで、松藤さんのお友達で
アルバムやライブにも参加なさっているイチローさんに

親近感は抱いていたようだけど
『甲斐バンドのメンバー』になるのは『別の話』だと…(苦笑)

甲斐よしひろファンであり、隠れ長岡和弘ファンにして(笑)
甲斐バンドファンだった奥さんには

長岡さんの脱退がひとつの節目で
ある意味、甲斐バンドファンではなく
甲斐さんのファンになったということらしい

そういえば、甲斐さんのソロライブのバンフレットは
『全部、甲斐さんの写真だ♪』と喜んで眺めてましたっけ(笑)
コメント
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