ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

大森さんへの手紙2

2014-11-10 10:25:40 | 日記
甲斐バンドに加入されてから
☆大森さんとは『ず~っと一緒だった』とイチローさん

当時、お二人で1日に160本もタバコを吸っていらしたらしく(汗)

ギター工場に行かれる車中で
クーラーのスイッチを切り換えておられた
大森さんの左手を鮮明に覚えていらっしゃるんだとか…☆

そういう些細なことが心に残るんですよね…

イチローさんがメンバーになられたことについて甲斐さんは…

6歳から知ってるし、気心は知れてる
俺たちと同じで、音を出してみないと分かんない人間(笑)

プロデュースは俺で、ディレクションは大森とやるから
基本的には大きく変わらないけど

ヤツはオリジナルを書けるし、曲の配列ひとつにしても
人が気づかない細かいことに気づいて
いちいち口を出してアピールしてくる(笑)

科学少年だから修理とかも全部できるし
ギターに関しては何でも知ってるんじゃない(笑)

イチローの部屋って、リペアルームみたいで
俺は気持ち悪いから、すぐ出て来ちゃうんだけど…(笑)

イヤなの、そういうの…カンナくずが飛び散ってるとか
ハンダごてとヤスリがあって、ムッとする(笑)
俺『技術家庭』ぜんぜんダメだったし…(笑)

確かに、イチローさんはギターのメンテについて
よくブログに書かれていらっしゃるし

『12年戦争』の戦闘準備のシーンでも
黙々と作業されてるお姿が映ってましたね(笑)

甲斐さんは、イチローさんがゲストプレイヤーから
甲斐バンドという看板を背負ってやることになって
プレッシャーはあるかも知れない?…でも、ないように見せてるし(笑)

最初の2ヶ月は長く感じたけど
考えてみれば、10年やってきたバンドに新しく入ってくるにしては
スムーズに行ったと思うと話され

大森さんは、ライブに関してはパーフェクトだね
いつも少し後ろの方に立ち位置を取って
自分のああいうポジションに徹せられる

…かといって地味でもない
バンドナイズって意識が物凄く強い男で
全体のキーマンに徹してバランスを取る

イチローとは、コントラストがあって面白いんじゃない
…とおっしゃってましたが、イチローさんは

ご自身が加入なさったことで
バンドに影響を与えたとは思うけど

甲斐さんの考えてる高さとか密度的なものも含め
立場をピシャッと作っておかなければ…と
プレッシャーを感じておられたという(苦笑)

甲斐バンドのステージは
イチローさんが想像なさってた以上に『以心伝心』だったそうで

ハタから見ればキメキメにビシッとしてるところが
『あんなに確認しないアドリブ』って知らなかったとイチローさん(笑)

☆大森さんが『バンドを辞めたい』と言われた時
イチローさんも経験がおありだったから

『責めることは出来ない』けど
『でも何故、今?』と驚かれたそうだ

1994年にスタジオで録音作業をなさっていたら
武石さんから『大森さんが倒れた』と連絡があり

『危篤に近い』と知らされて
『絶対、大丈夫だ!死なれてたまるもんか!』と思われたという

『大森さんが演奏できるなら、甲斐バンドだってできる』と
1996年に期間限定で再結成

でもその後、ハッキリしない体調のせいで
突然ライブを欠席されることが少なくなかったようで
2004年5月にご一緒したのが最後になってしまわれたんだとか…

その時にイチローさんが
『25時…やらないの?』と訊かれたら
大森さんは『う~ん…』と返事され

『じゃあ、阪神が優勝したらワンマンやる?』
『うん!その時にやるよ!25時』とおっしゃったそうだ

大森さんのお通夜には、大勢のミュージシャンの方が集まられ
甲斐さんは夜遅くにおみえになったらしいんだけど

イチローさんは『二人だけで話したかったのかなぁ』と思われたという

『ギターを抱えてステージに立つ時
大森さんを忘れることはないでしょう』

『ライブからの家路、星になった大森さんに手を振りますよ、必ず』☆
…と、結ばれています

イチローさんがおっしゃる通り
ギターの師匠である久保さん(妙安寺FB)と
セッションを楽しんでおられると思います♪
コメント
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