昨日の続きで?長岡和弘さんについてのお話です
長岡さんは
厳格なお父上にキビシク躾られた…にも関わらず(笑)
ご両親の期待には、まるで添わず(爆)
学校は大キライ(笑)イタズラ大好き(笑)
特に『柿ドロボー』が大得意という(笑)
おませで内弁慶な少年だったそうだ
中学時代にギターを弾き始めて
高校3年の時には、人前で演奏されていたらしい
『リグビー』解散後
大森さんと『筑前』を組まれて
照和に出演されていた頃に
『ギッチョでたどたどしく(爆)ギターを弾きながら歌っていた』
甲斐さんに出会ったようだ♪
当時は『花よ』『青空よ』というフォークが全盛だったらしいんだけど(苦笑)
人生を考えさせるようなリアルな歌詞を
ハスキーな声で歌う甲斐さんをご覧になって
すっかり気に入ってしまわれたそうだ♪
長岡さんは、その後ずっと歌詞について
甲斐さんの相談相手になっておられたんですよね?
『甲斐バンドについて』というインタビュー記事に
長岡さんいわく…
不思議な星のつながりって考えますね
どうして知り合ったのか?
大学で知り合ったとか、そういうんじゃなくて
本当に不思議なんだ
よくこの4人が揃ったなって思う時がありますよ(笑)
甲斐さんは?というと…
メンバー4人でやるべきこと、やっていくことって
みんなチャンと知っている
信頼って言葉はマヤカシっぽく聞こえる時もあるけれど
俺たち4人は、その信頼で結びついているんだ
いつまでもこの4人の面子で
やり続けていかなきゃって、みんな思ってるよ
俺たちは『甲斐バンド社会』を営んでるんだよとおっしゃってます
長岡さんの脱退が発表された時
マスコミは例によって
『メンバー同士の確執』だの
『金銭上のトラブル』だのと騒いだようだ
長岡さんが肝機能障害でダウンされ
甲斐さんは秋のツアーを中止することも考えたという
でも、周りから『冷たい』と言われながらも
サポートメンバーを入れてツアーを敢行されたのは
長岡さんにゆっくり休養して貰って
また元気に戻って来て欲しいと願ったからだそうだ
ただ、そのツアーの間に長岡さんは
バンド活動を続けていくことに対する肉体的な不安や
1年の半分以上も家を空けることの精神的苦痛
制作の立場で音楽に関わりたいという希望などを
甲斐さんと本音で話し合い
スッキリとした形で脱退を決められたという
この当時の甲斐さんは
体重が6㎏も落ちるくらい
精神的にかなりキツかったようで
サンストで脱退の話をされた時に声を詰まらせることも…
一生一緒にバンドを続けていきたかった
好きで好きで、愛し愛されたいと思っても
噛み合わない部分が人生にはある
今度のことも、その噛み合わないズレなんだと思うしかない
これからの長い道のり
『渡る河は数々あれど』ってことだと思う
拍手で送って欲しい
この甲斐さんの言葉を聞いて
長岡さんいわく…
このバンドで演奏したことは
一生忘れられないだろう
バンドにはもっと大きくなってもらいたい
僕も絶対大きくなる
脱けたことで、バンドにとっても僕にとっても
結局よかったと言われるようになる
それだけを願っている
ファンの皆さんには
ありがとうの感謝の気持ちでいっぱいだ
かなりの年月が経ってから
甲斐さんが(脱退の話し合いの時に)
俺が、押してはいけない長岡のボタンを
押してしまったんだとおっしゃったらしいんだけど
その時、奥さんは『無法者の愛』を思い出したという
あまり好きではなかったこの曲の歌詞が
痛いくらいに刺さって来て涙がこぼれたらしい…
長岡さんは
厳格なお父上にキビシク躾られた…にも関わらず(笑)
ご両親の期待には、まるで添わず(爆)
学校は大キライ(笑)イタズラ大好き(笑)
特に『柿ドロボー』が大得意という(笑)
おませで内弁慶な少年だったそうだ
中学時代にギターを弾き始めて
高校3年の時には、人前で演奏されていたらしい
『リグビー』解散後
大森さんと『筑前』を組まれて
照和に出演されていた頃に
『ギッチョでたどたどしく(爆)ギターを弾きながら歌っていた』
甲斐さんに出会ったようだ♪
当時は『花よ』『青空よ』というフォークが全盛だったらしいんだけど(苦笑)
人生を考えさせるようなリアルな歌詞を
ハスキーな声で歌う甲斐さんをご覧になって
すっかり気に入ってしまわれたそうだ♪
長岡さんは、その後ずっと歌詞について
甲斐さんの相談相手になっておられたんですよね?
『甲斐バンドについて』というインタビュー記事に
長岡さんいわく…
不思議な星のつながりって考えますね
どうして知り合ったのか?
大学で知り合ったとか、そういうんじゃなくて
本当に不思議なんだ
よくこの4人が揃ったなって思う時がありますよ(笑)
甲斐さんは?というと…
メンバー4人でやるべきこと、やっていくことって
みんなチャンと知っている
信頼って言葉はマヤカシっぽく聞こえる時もあるけれど
俺たち4人は、その信頼で結びついているんだ
いつまでもこの4人の面子で
やり続けていかなきゃって、みんな思ってるよ
俺たちは『甲斐バンド社会』を営んでるんだよとおっしゃってます
長岡さんの脱退が発表された時
マスコミは例によって
『メンバー同士の確執』だの
『金銭上のトラブル』だのと騒いだようだ
長岡さんが肝機能障害でダウンされ
甲斐さんは秋のツアーを中止することも考えたという
でも、周りから『冷たい』と言われながらも
サポートメンバーを入れてツアーを敢行されたのは
長岡さんにゆっくり休養して貰って
また元気に戻って来て欲しいと願ったからだそうだ
ただ、そのツアーの間に長岡さんは
バンド活動を続けていくことに対する肉体的な不安や
1年の半分以上も家を空けることの精神的苦痛
制作の立場で音楽に関わりたいという希望などを
甲斐さんと本音で話し合い
スッキリとした形で脱退を決められたという
この当時の甲斐さんは
体重が6㎏も落ちるくらい
精神的にかなりキツかったようで
サンストで脱退の話をされた時に声を詰まらせることも…
一生一緒にバンドを続けていきたかった
好きで好きで、愛し愛されたいと思っても
噛み合わない部分が人生にはある
今度のことも、その噛み合わないズレなんだと思うしかない
これからの長い道のり
『渡る河は数々あれど』ってことだと思う
拍手で送って欲しい
この甲斐さんの言葉を聞いて
長岡さんいわく…
このバンドで演奏したことは
一生忘れられないだろう
バンドにはもっと大きくなってもらいたい
僕も絶対大きくなる
脱けたことで、バンドにとっても僕にとっても
結局よかったと言われるようになる
それだけを願っている
ファンの皆さんには
ありがとうの感謝の気持ちでいっぱいだ
かなりの年月が経ってから
甲斐さんが(脱退の話し合いの時に)
俺が、押してはいけない長岡のボタンを
押してしまったんだとおっしゃったらしいんだけど
その時、奥さんは『無法者の愛』を思い出したという
あまり好きではなかったこの曲の歌詞が
痛いくらいに刺さって来て涙がこぼれたらしい…