ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

NHKホールライブその1

2012-08-19 22:53:43 | ライブ
前回の記事でも触れた甲斐バンドのNHKホールライブ。

デビュー以来ずっと4人一緒にステージに立って来たのに
ベースの長岡さんが体調不良のため
『とうとう秋のツアーは出れない。』

この知らせを口にする甲斐さんの声は暗くて、
悔し気な口調に奥さんはひどくショックを受けたらしい。

上京して来て、仕事先も生活の場もいつも4人一緒。
当時の写真集には、高円寺のマンションの部屋で、
仔犬がじゃれ合っているかのようなメンバーの写真が載っている。

甲斐さんがよく言っていたのは、
『作詞の話は長岡と、曲のことは大森と、遊ぶ時は松藤と(笑)』だったらしい。

でも、人が4人いれば自然と2人ずつに分かれるのは良くあることで、
そういう時に甲斐さんの隣にいるのは、
ほとんどの場合、長岡さんだったそうだ。

奥さんが今でも忘れられないメンバー紹介のシーン…

『ドラムス、松藤英男』
『リードギター、大森信和』
『そして、手伝ってくれるセッションのメンバーに拍手を!』

このセッションメンバーには、今や甲斐さんのツアーに
欠かすことの出来ないギタリスト佐藤英二さんがいたというのに
個人名で紹介されることもなく…(汗)

『そして最後に…見えるだろ?ベースギター、長岡和弘!拍手を…』

甲斐さんが、いつもの長岡さんの立ち位置を指差しながら紹介した。

この後、長岡さんは甲斐バンドを脱退する。

新しいアルバムを出して、ツアーに出るというのが、
当時の甲斐バンドのスタイルだったそうだが、

『マイジェネレーション』を録ったきり、長岡さんがステージに立つことは無かった。

奥さんは『こんなことになるなら、春のツアーの時に
4人の甲斐バンドをしっかり目に焼き付けておけば良かった』と後悔したらしい。

今の奥さんが『1回限り』とか『2度とない』という言葉に弱いのは、
この時の後悔があるからかも知れない。
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ビデオデッキ

2012-08-19 12:38:14 | メディア
日本でテレビ放送が始まった頃、テレビは超高級品だった。

ボクの生まれた田舎町では、電気店でさえ店頭に置いておらず、
注文があれば取り寄せるといった具合だったと思う。

時代は下って昭和50年代…
家庭用のビデオデッキは、チラホラ普及し始めていたが、
奥さんの家ではまだ購入する予定では無かった。

しかし、奥さんにはビデオデッキを早急に必要とする事情が出来たのである。

甲斐バンドのNHKホールでのライブが放送されることになったのだ。

奥さんはお母さんに頼んだ。頼みに頼んだ。頼みこんだ。
お年玉や小遣いを貯めた…
と言っても、甲斐バンドのアルバムやチケット代が嵩んで
ほとんど貯まってなかったらしいが(笑)

…貯金通帳を差し出して頼んだ。でも答えはNO!
予想通りの返事にガッカリしながら諦めたそうだ。

放送当日は何度もトイレに行ったり、何度も新聞のラテ欄を確認したりと
落ち着かなかったが、ついにその時が来た!

奥さんは、テレビの真っ正面に正座して
一瞬たりとも見逃さぬよう、画面にへばり付いたらしい。

あの時ほど集中してテレビを見たことは、後にも先にもないという。
脳みそにしっかりと記憶を刻み込み、
何度も反芻できるようにと祈った。

そして、まだテレビ放送の余韻も醒めない一週間後、
奥さんの家にビデオデッキがやって来た!

『えっ?何で?』と驚く奥さんにお母さんは言った。
(奥さんの)弟がどうしても録画したいプロレスの試合があるって言うから…

………!奥さんは怒りの余り、声も出なかったらしい(苦笑)
生まれて初めて殺意を抱いた瞬間だそうだ(汗)

後年、ファンクラブで知り合った人から、
その放送を録画したビデオテープを見せて貰った。

何度もダビングされたらしいテープの画像は、決して綺麗ではなかったが、
あの日、奥さんの脳みそに刻み込まれた記憶通りの映像だったそうだ。

薬師寺ライブの放送は、リラックスして見ようね(笑)
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