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ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

素敵なごはん

2013-06-21 18:28:39 | ノエル

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これ、何だかわかりますか? クッキーと干物? いえ違います。これはワンコ用の特別フードなのであります。ご近所の方が、「ノエルちゃんにも」と下さったのですが、なんでもブリーダーさんのところで、コンクールに出すワンちゃん用に特別に作っているとか・・・。

鮭や鶏肉、牛肉を乾燥機に入れて乾燥させたものというのですが、もちろん人間が食べてもOKだとか。透明な袋入りのフード、特に鮭なんか高級グルメ食品みたいで、見ているこちらの方が食欲をそそられてしまいそう。ダイエットクッキーなるものも、まるで人間が食べるカラス麦のクッキーみたい。

作るのに時間がかかるので、販売はできないのだそう。そんな貴重なフードを分けてくださって、感謝!の気持ちでいっぱいです。さて、うちのノエルもこの風味の違いが、すぐさまわかってくれるかな?


二十世紀の人

2013-06-20 08:33:25 | アート・文化

以前、本屋に行って、天文学者・著述家だったカール・セーガンの本を探したけれどなかった。高校の時、セーガンの「コスモス」を読んで、宇宙の大きさ・面白さに衝撃を受けた私としては、ショックだったけれど、考えてみれば当たり前かも。

ファッション雑誌を見ても、昔はフランス系のものは、「パリが最も輝いていた時代」と銘打って、ジャン・ポール・サルトルやシモーヌ・ド・ボーボワール、作家のフランソワーズ・サガンの紹介が大きな写真入りで載っていたもの。サガンなんて、私が中学生の頃は新潮文庫から著作がずらりと並んでいたのに、今では「悲しみよ こんにちは」がぽつんと並んでいるだけ。

時代は移り変わり、有名人だって人々の記憶から薄れてゆく。三島由紀夫も、大学生の頃、男子学生が騒いでいたけど(その頃は、三島由紀夫が死んで二十年とかでリバイバル的な人気があったらしい)、今じゃあ話題にのぼることも少なくなっている。文学史に残る存在として、著作は広く読まれているはずだけど。

こんなこと言ってたら、そのうち「前世紀の遺物」といわれる時代になるのかもしれない。


梅雨の庭

2013-06-19 20:01:12 | ガーデニング

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今日は、雨が激しく降る続く一日でした。でも、この写真は、まだ雨の降る前の早朝、ガーデンで撮ったもの。大輪の玉のようなアナベル。私の下手な写真でも、この花の瑞々しさは出てるかな?

紫陽花は日本人の大好きな花。ノエルハーブガーデンにも、このアナベル始め、ガクアジサイ、柏葉紫陽花などが、今咲き誇っています。紫陽花って、あのにじむような色彩が、日本の初夏の少し重い、それでいて水分をたっぷり含んだ空気に合うように思うのです。

そして、ガーデンには新たなお客様が。近所の方が、湘南のお友達から送ってもらったといって、山芍薬の小さな苗をプレゼントしてくださったのです。芍薬はわかるけれど、山芍薬ってどんなものなのかな? 見たこともないので想像するしかないのですが、とても繊細で綺麗な花なのだそうです。そして、送ってくださった方の行き届いた心配りを感じさせるように、苗は石蕗の葉に丁寧にくるまれていました。

来年はまだ咲くのは無理かも・・・とのことでしたが、珍種の植物がガーデンにやってくるのは、本当に嬉しい!です。


動物大好き

2013-06-18 21:32:22 | テレビ番組

「ペット大行進どーぶつくん!」という番組を見る。時々ちら見していたTV番組だけれど、ここに出てくる「けんたくん」というゴールデンレトリバーが、そりゃ可愛いの。まだ八カ月の幼犬だから、表情も体つきもあどけなくて、体が大きい分、そのアンバランスさが何とも言えない魅力。

この番組では、けんたくんと連れ(と言わせていただく)の青年が東海道を旅するさまをレポートするのだが、けんたくんはまだまだ小さいので、歩き疲れるのもしばしば。だから、バギー(要するに、今風の乳母車)に乗せられることもあるのだ。このバギーに乗るけんたくんの表情がとっても可愛い! 男の子なのに、甘い上品なマスクで、我が家にいた前のノエルの若い頃を思い出させてしまう(今のノエルは、どちらかといえば、野性的な童顔なので)。

「うーん、四足の毛が生えた動物って、どうしてこんなに可愛いんだろう?」といつもため息をついてしまうのだが、今日はそれにライオンの兄妹が出ていたからため息の大きさも倍にはなっていたはず。カノ、アクトと名付けられた兄妹は、若い飼育員の女の子に育てられるのだが、当然ながら別れがやってくる。

今は、一歳になった二頭のライオンは動物園で暮らしているのだが、そこへサファリ用のバスに乗って、飼育員の女性がやってくる。「カノ、アクト」と呼びかける声に反応して、バスに近づいてくる二頭。その姿を見て、思わず胸がキュンとなってしまった。ライオンが人を覚えていてくれること・・・動物の心情に勝る美しいものが、この世にあるとは思えない(その一方で、大人になってしまったライオンにはうかつに近づけず、バスの窓越しに再会するしかないというのも、悲しい事実)。

子供の頃から、ずっと動物が大好きだった。その姿を見ると、つい目や口元がほころんでしまうのが、自分でもわかる。


「パリの恋人」とオードリー

2013-06-18 15:53:32 | 映画のレビュー

オードリー・ヘプバーン主演で「パリの恋人」を観る(これも、Yさんのおかげで、観ることができました。感謝です)。初め、画面に出てきたオードリーを見て、「若い!」と心の中で叫んでしまった私。この物語は、ニューヨークの書店で働く、お洒落とは無縁の知的な娘ジョー(これが、オードリー)が、ファッション誌のモデルとして見出され、パリへ行くという一種のシンデレラストーリー。

でも、ジョーはモデルとしての仕事より、当時パリを席巻している思想、共感主義なるものにかぶれていて、その思想を唱えるフロストル教授に会うのが目的。この共感主義なるもの、実存主義のもじりを思わせておかしい。(もっとも、今になっても、私には、実存主義なるものがよくわからないのだが、この共感主義というのは、相手の気持ちをくみ取るだけという、『人類みな兄弟』的なシンプルな考えみたい)フロストル教授というのも、フロイトとサルトルの合成語を思わせるし。

ストーリー自体は簡単で、ジョーを見出したカメラマン(これをダンスの大御所、フレッド・アステアが演じている)との恋愛が主軸で、60年代当時のオートクチュールファッションを着こなしたオードリーの衣装を華やかに見せ、パリの若者文化を少しおちょくって見せるという感じ。でも、この映画を見て、つくづく実感したんだけどオードリーってドレッシーな盛装があまり似合わないなあということ。パリでデザイナーのあつらえたドレスや宝石を身に付けた姿より、書店員をしていた時の、地味なモノトーンの服と無造作な髪型のオードリーの方がずっとチャーミング! 20世紀を代表するファッショナブルな女性と言われたオードリーだけれど、意外や意外、シンプルな飾り気のない普段着が一番似合うのだ。

「ローマの休日」でも、白シャツとシンプルなスカート、ネッカチーフという格好でローマの街を歩き回っていた方が、王女としての正装よりずっとキュートだったし・・・。そして、この映画で面白かったのは、当時のファッションや時代感覚。ニューヨークのファッション雑誌社のオフィスのドアが赤や青、黄などに塗り分けられていたり、パリの街が今みたいな無機質な感じじゃなく、ちょっと汚れていてクラシックな雰囲気が漂っているところとか・・・。

古い映画を観る面白さは、こういうところにもあるんだんなあ。


アンファン・テリブル

2013-06-17 21:50:17 | 本のレビュー

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トルーマン・カポーティ著「夜の樹」。これは、凄い傑作集である。久しぶりに、文学の薫りを心ゆくまで味わう。何より、文章が美しい。魔術的なと言っていいほどの筆の冴えで、繊細な硝子細工のような、美酒の滑らかな舌触りのような魔力を放つ文章。

事実、トルーマンは23歳でデビューした時、「アンファン・テリブル」と評されたほど早熟な天才だった。この短編が幾つもおさめられた作品集にしてからが、そのほとんどが彼が20代の頃に書かれたものだ。アメリカ文学史において、三大作家を挙げよといわれるなら、私にはスコット・フィッツジェラルド、アーネスト・ヘミングウェイ、そしてこのトルーマン・カポーティが思い浮かぶのだが、これらの作家は皆悲劇的な死を迎えた。

借金だらけとなり、妻のゼルダも狂気に追いやられたフィッツジェラルド(彼の代表作「華麗なるギャッビー」がレオナルド・ディカプリオ主演で映画化されたばかり。この映画はぜひ観にいかねば!)、ノーベル文学賞の栄誉に輝きながら、アルコール中毒に苦しみ拳銃で自殺したヘミングウェイ、そして後半生をニューヨークのセレブリティーとして破滅的な生を生きたトルーマンと、である。

カポーティの作品の都会的な洗練と優雅さは、フィッツジエラルドにも重なるような気がする。ただ、カポーティは彼の内面をもうかがわせる冷たく、孤独な世界を描いた短編と、幸福な少年時代の一時期を過ごした、アラバマでの思い出を綴った心温まる小説の両方を描くことが多かった。

両親に遺棄されたに等しい子供時代の孤独と、預けられた遠いいとこの女性たちのいるアラバマでの楽しい記憶が、こうした二面性を生んだのだろうが、作家の幸福と悲惨が感じられてならない。私自身の好きなのは、遠いいとこにあたる女性(小さな子供であるカポーティに対して、彼女はすでに60歳を過ぎていた)との思い出を追憶した短編「クリスマスの思い出」だ。

これは、本当に美しい、詩情あふれる物語で、毎年クリスマスが近づくと読みたくなる。遠い昔の米国アラバマの冬の風景と、どこまでも果てしなく続く空が見えるような気さえするのだ。


日常生活

2013-06-15 19:37:19 | ある日の日記

今日は、雨が降り続いていました。久しぶりに洋服を買いに、街まで行った後、読書。今、トルーマン・カポーティーの短編集「夜の樹」を読んでいるところ。若い頃と違い、本を一冊読み終えるのにも、時間がかかるようになりました。中学、高校生の頃など、学校の教室の机の中に読みかけの文庫本、家でも読んでいる本、その傍ら、図書館や人から借りた本も読むという、3冊くらい平行読みしていたくらいのつわもの(?)だったのですが・・・。

夕方も、雨が激しく降り続いていたので、上のガーデンにノエルを放し、温室の中で時を過ごしました。マスカットの実は固いままですが、少しずつ大きくなり、その葉も絵にしたいような美しさ。葡萄って、ひいき目じゃなくても、実に綺麗な果実ですね。マスカットやその葉の間から、窓の硝子を伝う雨が、はっきり見えて、これはこれでなかなか情緒があります。そうして、三十分あまりして、ノエルを家に連れて帰ったのですが、とたんに雨が上がり、西の空には美しい黄金色の光が・・・。やれやれ。でも、人生って、万事こんなものかもしれません。

今日も大したこともせず過ごしてしまいましたが、毎日平和に過ごせるというのは、一番有難いことだろうと思います。


我が心のロミー

2013-06-14 16:39:41 | 映画のレビュー

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ロミー・シュナイダー・・・私が映画スタアの中で一番といっていいほど、好きな女優である。オーストリアという中欧のアイドルから、ヨーロッパを代表するスターになった。事実、ヨーロッパでは、今でも人々の記憶に残る大スターなのだとか。向こうでは、カトリーヌ・ドヌーヴ級の大女優なのだろう(事実、映画「八人の女たち」で、カトリーヌ・ドヌーーヴにロミーの写真を差し出すシーンがあるなど、ロミーへのオマージュが感じられるものがあった)。

ただ、「これは!」と誰もが知る代表作がないせいもあってか、ロミー・シュナイダーはオードリー・ヘプバーンのような世界的な人気を誇る女優にはなれなかったのかもしれない。広いおでこに、少しえらのはった顎、そして、フォトジェニックな表情・・・それが、彼女の魅力だった。ロミーは名門の演劇一家に生まれ、お姫様スターとして人気を誇ったが、その後の人生は険しいものだった。まだ大スターになる前のアラン・ドロンとの出会いと恋。彼との婚約、その後の別れ。

長いスランプ時期から脱し、再び国際スターとしてかえり咲くも、最初の夫の自殺、息子ダーヴィトが14歳の若さで鉄条網に胸を突き刺されて死ぬなど、悲劇が相次ぐ。そして、いくら稼いでも、お金はなく・・・。結局ロミーは82年、43歳の若さで死ぬ。心臓発作だったと言われるが、親しい者は、息子を失った悲しみのための死だと噂したという。

ロミー・シュナイダーを見ると、ヨーロッパというものの最良のエキスを体現化したような魅惑を感じる。中世の香り漂う街の石畳を闊歩するハイヒールを履いた女、アルプスの雪深い道を、フードをかぶったコートを着て歩いていく姿に、月光がさしているといったイメージが浮かぶが、それはロミーという女優を思い起こさせる。それは、誰もが感じるのか、日本でもロミーの伝記が何冊も刊行されたし、彼女の豪華な写真集を見たこともある。

古き華麗なヨーロッパを表現することにかけては、最高といってもいい映画監督ルキノ・ヴィスコンティに愛されたのも、当然だったろう。「ルードウィヒ 神々の黄昏」で皇妃エリーザベトを演じたロミーは、エリーザベトのような美女ではないにしても、それよりずっと魅力的だと思わせられる。(ロミーは少女時代にも、エリーザベトを演じていて、それのDVDをウィーンのシェーンブルン宮殿を訪れた時、売店で見たのだが、買わなかったことが悔やまれる)

ロミーが死んで、すでに30年以上の月日が流れた。彼女の映画の中でも好きな映画「追想」を、またゆっくり観たい。ヨーロッパの野の花のような気品を持ったロミーに乾杯!


ノエルの雑記貼

2013-06-14 08:28:11 | ノエル

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朝、掃除をしてる時、掃除機にたまったゴミを家の外のゴミ箱に捨てに行きました。と、その時、何やら視線を感じ、後ろを振り向くとノエルが、自分の家から、ジーッと私の方を注視していたのです。 外出する時も、外から帰ってきた時も、ノエルの方を向くと、必ずと言っていいほど、こちらをじっと見つめる彼女の姿が…。

犬って、飼い主の想像以上に、こちらの動向に神経を張り巡らしているのですね。うーん、いじらしい。上の写真は、昨日の午後、庭にプール(というより、たらいです。おまけに、縁をノエルがガジガジ齧っていて、ボロボロです)を出したので、それに入ってさんざん遊んだ挙句、疲れて、草の上に座り込んでいるノエルの写真。

動物というのは、その無邪気なあるがままの姿が、こちらにも深い喜びを与えてくれるもの。私も、ノエルの信頼を裏切ってはならない、この子をきちんと見守ってやろうという責任感を感じます。犬の世界は、人間よりずっと小さな世界で、飼い主はとても大きな存在を占めるのですから。

今年の夏は、ぜひノエルを海に連れて行こうと考えています。


時はあっという間

2013-06-13 11:25:07 | ある日の日記

プリンターの調子が悪く、電気屋さんに持っていってみると、修理に出そうにももうメーカー元にも部品がないのだそう。ううん、仕方ない。買い換えることに。そして、今のプリンターを買ったのが、もう十年も前であると知らされて驚く私。たかだか6年くらいかな、と思ってたのに。歳月の過ぎ去ること早し。

最近、時間の流れが加速度的に早くなったような気がする。ついこの間と思っていたのに、もう2.3年前の出来事と判明したりして・・・。この2、3日うだるように暑くて、ふいに夕暮れのオレンジ色の暮色を帯びた空と、ゼリーのような空気、そしてお風呂に飛び込んだ時の気持ちよさなどを思い出して、それは私が高校生の頃、学校から帰って暑くてたまらず、お風呂に入った記憶が蘇ったものだとわかりました。

それから、四分の一世紀もの時間が過ぎ去っていたことに気づき、我ながら愕然。本当に、人間の一生で40、50年という時間はあっという間に過ぎ去ってしまうもの。そのうち、わかります。今、16、17歳という若さの盛りにいる君にも。私だって、十代の日々が永遠に続くような錯覚にとらわれていたこともある。一日、一日が今より長く、退屈なようでいながら、日々出会うことが新しく、新鮮でスリリングな驚きを持っていたもの。今じゃあ、旅行に行っても、本を読んでも次の展開がなんとなくわかってしまったりして、「新鮮」「フレッシュ」なんて喜びはそう味訳ない。

「朝の紅顔、夕べの白骨」なんて、どきりとするような名言を吐いた昔の人もいるけれど、長く生きていれば、その分記憶や思い出は豊かな輝きを帯びていくはずだろうと思う。