ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

可愛いけど、困る・・・

2014-02-26 19:03:23 | ノエル

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最近、またアニメ「あらいぐまラスカル」が再放送されていて、時々見たりするのですが、うちにも、よく似たコがいるなあ、ということ。 そのコは、裏庭の小屋で、今眠っているはずですが、大きな黒い瞳といい、きつね色(犬ですよ)の毛、そして何よりもやんちゃぶりが、ラスカルそっくり!

今日のラスカルは、夜更けスターリング少年のベッドから抜け出して、とうもろこし畑を荒らしておりました。 ラスカルというのは、次から次へこんな悪いことばかりするのです。 本当に可愛いんだけど、アライグマを飼うって大変なんだ・・・。

わたしは、スターリング・ノースの原作「はるかなる我がラスカル」も大好きで、何度も読んでいるのですが、最後の湖のそばで、ラスカルと別れるところ、涙が出て困ります。 アニメの主題歌でも、「神様、ありがとう。僕に、すてきな友達をくれて」という部分があるのですが、スターリングって、本当にいい子ですね。こんないい子は、物語の中にしか存在しないかもしれません。

さて、うちのラスカルじゃなかった、ノエルは今二歳半。 まだまだいたずらだけれど、畑を荒らしたり、人間を怒らせるような悪さはしていない・・・かな。 「あらいぐまラスカル」を、子供の頃見て、スターリングがラスカルのためにうろのある木を囲んだ金網張りの小屋を作ってやる場面に、「動物を飼うって、こんなことなんだ」と憧れたことも、くっきり思い出します。

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香りって、凄いんだ

2014-02-25 21:03:49 | 健康・病気

TVで放映していたのだけど、認知症の治療にアロマセラピーが有効であるのだそう。

脳の中で記憶をつかさどるのは、海馬と呼ばれる部分。ここに直結している嗅神経は脳の中で最初にダメージが来る部分。しかし、この嗅神経は、他の神経と比べて再生能力に富んでおり、ここを刺激すると、脳を若返らせることができるのだとか。

「本当?」と思うけれど、高齢者の方の多い地域で、実験したところ、認知症予備軍の方たちが、正常に回復したというデータが示されている。 この療法を試された教授によると、日中はローズマリーとレモンのアロマオイル、夜は枕元に、ラベンダーとオレンジのオイルが最適な香り。

ローズマリーは集中力を高め、レモンは高揚感を高める。そして、ラベンダーには、安眠効果があるそうだけど、考えてみれば、香りと記憶には、プルーストの「失われた時を求めて」以来、深い関係があったのだった。 マドレーヌの香りをかいで、はるかな幼年期を思い出す主人公の姿・・・。

認知症治療とは、方向性が違うけれど、わたしもアロマセラピーを試してみようかと思ってマス。 時々、眠れないことがあるので、ラベンダーの芳香を味わうのも良いかと・・・。 古代エジプトの時代から、人々に愛され、信頼されてきたアロマセラピー--その世界は奥深いものですね。(以前、アロマセラピーに凝っていた頃、オイルがきつすぎて、目にしみたこともあるんだけど)

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日々つれづれ

2014-02-24 14:47:24 | ある日の日記

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日差しが少しずつ明るくなって、春の気配が感じられる今日このごろ。 寒いと思いながら、ウォーキングがてら、隣町のパン屋さんへ行ったのですが手袋の必要はありませんでした。

さて、上の写真はキッチンテーブルの上で写した「晩白柚」の果実。「ばんぺいゆ」と呼ぶのだそうです。(わたしも、今回頂いて、はじめてこの果実の存在を知りました)

この果実、世界最大級の柑橘類なのだそう。 さわやかで、ほんのりとした黄色が部屋全体を明るくしてるかのよう。 芳香が漂いはじめたら、食べ頃なのだそうで、そうしたら「お召し上がれ」という訳ですが、果実の皮も楽しめます。

皮を、お風呂にいれて香り湯を楽しむのもいいですが、これなどは「ゆず湯」ならぬ「「晩白柚湯」ですね。

最近、疲れがたまっていたのですが、この果実から元気がもらえそう。 写本装飾の教室で、金泥なるものを、生まれて初めて練ってみたり(一時間くらい、小皿に入れて練り続けるので、指が痛いです)、読書や雑用に追われてましたが、日々は確かに流れています。 この間、ポテトコロッケを揚げた時、初めて皮が破れずに揚げることができて、「プチ達成感」を味わった(家で作るコロッケは美味しいのですが、店みたいにしっかり皮が破れずに揚げることができなくて、ずーっと来てたんですね)というくらいの、なんていうことのない日常ですが・・・。

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2014-02-20 20:51:28 | 本のレビュー

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第150回 芥川賞受賞作。 母が「今度のは、面白かった。だまされたと思って、読んでみなさい」というので、ページを繰ることに。

最初の数ページは、職場の不満やらを同僚とトイレ(!)の洗面所でえんえんと話すところから始まり、P・D・ジェイムズの端麗な文体を味わったばかりのところに、うんと卑近で退屈な話を読まされるかと思ってうんざり。。 だが、主人公が夫の実家の隣りの借家に住まうこととなり、田舎に移ったとたん、物語はぐんと面白くなる。

田舎の夏・・・そこには、蝉のやかましい合唱や青臭い自然が広がる。決して、特別詩的なとか、文学的比喩に富んでいるという訳ではないのかもしれないのだが、こうした過疎すれすれの田舎の情景を描く筆は生き生きとして、むせるような草いきれや照りつける日差しまで感じ取れそうなほど。

主人公の夫の実家の人々は、みなどこか変わっていて、ユーモラスなのだが、そこに夫の兄を名乗る義兄が出現するところから、物語は異世界に少しずつワープしていく。 「僕ぁ、ひきこもりなんですよ。20年来ずうっとね」という義兄は、「不思議の国のアリス」のうさぎの話を引用したり、わっとあらわれる不思議な子供たちから先生と呼ばれるなど、異世界の住人の資格は満点。 だが、主人公は、夫たちから、この義兄の話を聞いたことがない。 彼の存在は隠されていたのだろうか? それとも・・・。

そして、題名の「穴」。これを象徴するのは、そこに住む奇妙な黒い動物。犬でも、猪でもなく、架空の動物が存在するのでは? と思わされてしまう。 義兄も穴も黒い動物も、子供たちも皆、現実の地平からは遠くへだたったところにいるらしい。魔術的リアリズムという評があったけれど、この小説は昔、私が好きだった南米文学の極彩色のそれではなく、カフカとか萩原朔太郎の「猫町」を思い起こさせる。 

物語の終盤、老齢の義祖父を追って、義兄と夜の草っぱらに向かうシーンは、幻想的で絵画のようにムードがある。穴にもぐり、じっと前方を見る義祖父の姿なんて、まるでシュールレアリスムの絵画のようではありませんか。 そうして、最後には義兄も子供たちの姿も消え、しらじらした夏の終わりの風景が広がるのだが、この謎めいた物語を作り上げる作者の才能は素晴らしい! 蝉しぐれが降り、虫たちが跳ねまわる濃い緑の草むらには、穴がひっそりと眠っているのかもしれない。 それは、私たちを不可思議で魅力的な場所へ運んでくれるのだ。

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皮膚の下の頭蓋骨

2014-02-17 20:57:24 | 本のレビュー

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「皮膚の下の頭蓋骨」P・D・ジェイムズ(ハヤカワ文庫)--十代の頃から、ハヤカワミステリ文庫を愛読しているのだが、P・D・ジェイムズは、コナン・ドイル、アガサ・クリスティーと並んで最愛のミステリ作家である。

「長い、描写が詳細すぎて疲れる」--こういった評がしばしば聞かれるように、その実力度に比べて、熱烈なファンは少ないような気がする。かつては、ダルグリッシュ警視シリーズなどがあったはずのハヤカワ書房でも、ジェイムズの作品の多くを絶版にしているようだ。 たしかに長い。それに描写があまりに文学的で格調高く、読者に英国史や古典文学についての教養を要求するようなところがあり、それが敬遠される理由かも。

それに、正直言って、精緻な作品世界に比べて、犯人探しはさほど難しくないのだ。登場人物も少ないし、あんまり謎にひねりがないから、わたしでさえ、物語の三分の二くらい読んだら、大体犯人が分かる。

さて、この「皮膚の下の頭蓋骨」。実は二十代の時、すでに読んでいるのだが、月日とともに内容なんかほとんど忘れていたから(当時の文庫本も、手元から消え失せていたし)、新しく書店で購入した訳。 この物語には、女探偵コーデリア・グレイが主人公として登場する。探偵事務所を経営する若き女性として。

彼女に持ちこまれた依頼は、死を暗示する脅迫文に悩まされる女優を警護するというもの。その女優と数名の客が滞在する島へ赴くのだが、この島の形容がいい。いかにも、イギリスの海岸近くにありそうな、金持ちの所有するリゾート的な島。そこには、数々の歴史を秘めた美しい城館がたっており、そこには珍奇なコレクションとともに、自己の美的世界にこもっている主がいる。

コーデリアの努力にもかかわらず、女優は惨殺され、犯人探しが始まるのだが、「悪魔の湯沸かし」という気味の悪い名前のついた城の地下の洞窟(それは、海につながっている)や、そこで行われた大戦中の事件・・・印象深いエピソードを交えながら、物語は沸点に向かって進行する。

人物を見る、ジェイムズの視線はいつもの通り辛辣である。城の主や、喬慢な女優、その夫、女優の前夫の子、瀕死の重病の劇評家、女優の従姉妹など、好感を持てる人物など登場しない。 ただ、コーデリアのみが、知的で凛とした風をまとうのだが、その彼女にしても、物語の結末、ある意味で敗北せざるを得ない。

この長大なミステリ--わたしとしては面白く読めたのだけれど、それ以上の魅力は文体。文学的香気に満ちた、端麗な文章・・・ページを繰るだけで、英国の気品がたちのぼる。

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キュート!

2014-02-16 12:17:54 | ノエル

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散歩している時など、可愛い子に出会うと振り返ることがあります。お断りしておかねばなりませんが、わたしにとって「可愛い子」というのは、小さい子供でもなく若い女の子でもなく、ワンコだということ。

さて、上の写真のワンコはご近所の方のところのリュカ君なのですが、この可愛さ、特筆ものでは? ウィペットという犬種で、芳紀(?)3カ月のやんちゃ盛り。 猟犬といっても、小柄で灰色とクリームの毛皮(犬のお洋服)は、シックな雰囲気。

わたしに画才があったなら、こうした可愛らしいワンコを主人公にして絵本を描いてみたいんだけどなあ・・・。

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ライオンマーク

2014-02-14 16:20:36 | ある日の日記

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今朝の新聞に載っていたサーカスの広告 これは、ぜひ行かねば! 

それはそれとして、この二頭のライオン、何だか凄くキュートでありませんか? 物憂げに横たわる姿は、仏頂面と相まって、変に可愛い  よく考えてみれば、百獣の王、ライオンは紋章をはじめ、色々なところにシンボルとして使われている。それだけ、絵になるからということもあるだろうけれど、かのハリウッド映画会社MGMのシンボルも円い枠の中から、ライオンが「ウオオオーン」と咆哮を聞かせるのが大写しになっていたはず。

このサーカスの広告のライオンも、出来栄えとしては、MGMのシンボルマークに負けていないと思うのは、わたしだけ? 御覧の通り、ちょっと色っぽい感じですしね。

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カードあれこれ

2014-02-14 12:35:19 | カリグラフィー+写本装飾

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上のカードは、クリスマスに作ったもので、失敗作。冒頭のMの字の飾り文字が少しもクリスマスらしくなくて、金と紫の市松模様(これを、ダイヤパーという)やからませた柊の模様が、何だか[和]のムードになってしまっているのだ。

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そして、上の二枚は、ポップアップカードと切り絵のカード。どちらも市販品。 木にとまっている梟を描いた切り絵のカードは、ドイツ製だけれど、こんなに綺麗なカードが500円かそこらで買えることを思うと、手作りカードをつくるのも、ちょっとむなしくなったり・・・。

だが、しかし、手作りとは「心を伝えること」! そう思って、お世話になった方には、カリグラフィーのカードを贈るように努めておりまする。

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アルティザン

2014-02-11 19:12:14 | アート・文化

アルティザンの世界に惹かれます。アルティザンとは、フランス語で職人のこと。 フランスやイタリアには、まだまだ古来からの職人がいるらしく、その映像を見ることがありますが、いつも「素晴らしいなあ」とため息をつくことに。

フランスの職人といえば、いせひでこさんの名作絵本「ルリユールおじさん」が浮かびますね。ルリユール--本の装丁家のことですが、老いたルリユールおじさんと一人の少女のふれあいを描いた佳品です。 ルリユールおじさんが死んだ後も、彼が作り上げた美しい本は、女の子のもとに残り続け、ある意味、永遠に生き続けるということに。羊皮紙に革表紙という重厚な本は、愛書家なら、一度は憧れたことがあるのでは? 今でも、貴族の図書室や修道院の図書館にぎっしり並ぶ、そうした本たちはみな「ルリユール」と呼ばれる人たちが作ったものなのですね。

イタリアでは、ナポリで見たカメオづくりの作業風景が思い出されます。カメオという至高の貝細工は、熟練した腕と高度な技術を持って、はじめて美しい装飾品となるわけだけれど、職人さんたちの働く工房は、質素で「簡素」という言葉がぴったり!

フイレンツェやコモ湖畔には、イタリアのお家芸ともいえる革の工房が幾つもあるそう。イアリアで見た、「もとは動物の皮」であることが信じられないような、輝きを放つバッグや靴たち・・・本当に綺麗なんだけど、ブランドものはやはり高い!

そして、いつかじっくりと見てみたいなあと思っているのが、モザイクの制作風景。ラヴェンナは、その最高傑作を見ることができる場所でもありますが、あの万華鏡のような輝きをどうやって、つくりだせるのか、と。

職人こそ、国の文化の礎だと思います。 半導体などの、精密な技術も職人的な技があってこそなせること。 精緻な手と技術が、歴史に残る様々なものを作りだしたといっても過言ではないのでは?

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ハンナ・アーレント

2014-02-10 20:31:18 | 映画のレビュー

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面白い映画ではなかった。星をつけるとしたら、5つ星の中で、3くらい。物語全体に盛りあがりがなく、主演女優をはじめ役者群の魅力がない。

と、えらそうなころを言ったが、「ハンナ・アーレント」という女流哲学者の名前も知らなかったのは事実。ユダヤ人女流哲学者というと、どうしてもシモーヌ・ヴェイユの名前が浮かび、彼女の著作も持っているのだが、ハンナという女性のことは、寡聞にして知らないまま。

ハンナ・アーレントは、ナチスの戦犯アイヒマンの裁判を傍聴し、それをニューズウィークで伝える仕事を受け持ったのだが、彼女がイスラエルの地で見たアイヒマンの姿は、冷酷無惨な殺人者の姿とはかけ離れていた。 いうなれば、上からの命令を「私の仕事だから」と機械的に処理するだけで、何の疑問も持とうとしない「小役人」にすぎなかったのだ。

ハンナは、その事実にショックを受け、アイヒマンを20世紀有数の犯罪者と位置付け、断罪しようとすることを「おかしいのではないか?」と疑問を呈する。「これは、悪の凡庸さというべきものです。我々ユダヤ人の指導者にも、ナチスの犯罪に加担する動きもあったのです」と――。

もちろん、ハンナはユダヤ人を始め、良識的な人々から集中砲火を浴びる。「ナチのクソ女」とまで呼ばれた、彼女の不屈の意志と静かな闘い--正義というものが、一歩誤れば、真実を見えなくしてしまうことを理解するには、勇気がいる。

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