オードリー・ヘプバーン主演で「パリの恋人」を観る(これも、Yさんのおかげで、観ることができました。感謝です)。初め、画面に出てきたオードリーを見て、「若い!」と心の中で叫んでしまった私。この物語は、ニューヨークの書店で働く、お洒落とは無縁の知的な娘ジョー(これが、オードリー)が、ファッション誌のモデルとして見出され、パリへ行くという一種のシンデレラストーリー。
でも、ジョーはモデルとしての仕事より、当時パリを席巻している思想、共感主義なるものにかぶれていて、その思想を唱えるフロストル教授に会うのが目的。この共感主義なるもの、実存主義のもじりを思わせておかしい。(もっとも、今になっても、私には、実存主義なるものがよくわからないのだが、この共感主義というのは、相手の気持ちをくみ取るだけという、『人類みな兄弟』的なシンプルな考えみたい)フロストル教授というのも、フロイトとサルトルの合成語を思わせるし。
ストーリー自体は簡単で、ジョーを見出したカメラマン(これをダンスの大御所、フレッド・アステアが演じている)との恋愛が主軸で、60年代当時のオートクチュールファッションを着こなしたオードリーの衣装を華やかに見せ、パリの若者文化を少しおちょくって見せるという感じ。でも、この映画を見て、つくづく実感したんだけどオードリーってドレッシーな盛装があまり似合わないなあということ。パリでデザイナーのあつらえたドレスや宝石を身に付けた姿より、書店員をしていた時の、地味なモノトーンの服と無造作な髪型のオードリーの方がずっとチャーミング! 20世紀を代表するファッショナブルな女性と言われたオードリーだけれど、意外や意外、シンプルな飾り気のない普段着が一番似合うのだ。
「ローマの休日」でも、白シャツとシンプルなスカート、ネッカチーフという格好でローマの街を歩き回っていた方が、王女としての正装よりずっとキュートだったし・・・。そして、この映画で面白かったのは、当時のファッションや時代感覚。ニューヨークのファッション雑誌社のオフィスのドアが赤や青、黄などに塗り分けられていたり、パリの街が今みたいな無機質な感じじゃなく、ちょっと汚れていてクラシックな雰囲気が漂っているところとか・・・。
古い映画を観る面白さは、こういうところにもあるんだんなあ。
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