素晴らしく内容の濃い一冊。 Yさんからお借りしたのですが、昭和を彩った飛行機が一堂に会した感があります。
「零戦は、これです」とページを指し示しながら、Yさんがおっしゃるのを見れば、確かにあの有名な機体が・・・。 この本のお陰で、以前から聞いていた爆撃機「紫電改」も見ることができました。
そして、伝説的なツェッペリン--飛行船も載っています。ワー、実物はこんなに大きかったんだ! ライト兄弟が、はじめて飛行に成功したのが、1903年。 幕を開けたばかりの、飛行機の歴史当初の、機体は本当に美しい! 言い古されたセリフですが、大空のロマンといったものを感じます。それから、第二次大戦がはじまるまでが、本当に飛行機の黄金時代だったのでは? このブログに書いたサン・テグジュペリも、当時の大空へのロマンに取りつかれた一人でしたし、リンドバーグもそう。
リンドバーグと言えば、彼が昭和の初め、来日していたことも知りませんでした。 それに、興味深かったのは。、戦前にも今のと同じような旅客機があり、機内サービスや制服を着たステュワーデスがいた点。 う~ん、面白い! 昔むかしと思っていたけれど、そんなに今の時代と隔たっていないのではないかしら?
この本は、昭和の終わりに刊行されたもののようですが、写真や記事にちりばめられた時代色とともに、昭和も遠くなったと思わされます。
昨日、家族でイタリア創作料理を提供するというレストランで、ディナーを取ることに。
牛の舌をグリルした前菜、オレンジ色のウニがグリーンピーススープの緑に浮かんでいるものなど、皆美味しかったのだが、メインが猪肉のハンバーグと聞いた時は、ちょっと絶句。 あまり変わったものを食べてこなかったせいか、「猪ねえ・・・よく山の方へ行ったら、『ボタン鍋』とか書いた看板を見るけれど、果たして食べられるかなあ?」という消極的反応。
北海道でジンギスカンも食べられなかったし、本場トルコでもシシカバブは駄目だった・・・。フランスの鴨料理はそれなりにいけたけど、あぶらっこかったなあ。エジプトで食べた鳩料理は、記憶すらないのだが、おいしくなかったことだけは自信を持って言える!
さて、白い皿の上に盛られた猪肉のハンバーグ。さぞや、えぐくて臭みのあるお肉かと思ったら、あら美味しい。 ピンク色のぷちぷちしたお肉が、舌の上で転がるさまは、新しい味覚との出会いでありました。
今まで、珍味と言われるもので、美味しかったとはっきり覚えているのは、ふぐの白子。ねっとりと舌にからみつくような濃厚なうま味は、今も記憶に残っている。ふぐの白子と言えば、昔、村上龍の「料理小説集」を読んでいた時、その一篇に南仏ニースのホテルで、鹿の脳みそを使った豪華な料理が出るのだが、その脳みそとふぐの白子が全く同じ味なのだそう。 本当かな?
フランスでは、秋の深まりとともに、猟が解禁され、ジビエと呼ばれる禽獣の肉が出回りはじめる。 鹿の肉ももちろん、出るのだろうけれど、本当に脳みそまで食してしまうのかな? フランス人に聞いてみたい気もする。
カリグラフィーの勉強になるかと、上の本を購入しました。 幾多の写本から取り上げられた文字は、さまざまな装飾や意匠に彩られていて、見ているだけでも楽しい!
これは、ご存じ、「ケルズの書」からの抜粋。 写本は、時代につれて、幾通りもの表現がなされているわけだけれど、このケルズ世界の右にでるものなし。 7世紀のアイルランドの修道院で作られた、歴史上、もっとも美しい書物。 能書家と言われる人々は、ルネサンスから現代の世界的カリグラファーを含め、沢山でましたが、「ケルズの書」のような、筆舌に尽くしがたい文字の世界を表現できた方は、いません。
色々と参考になりそうな本なのですが、惜しむらくは、カラーでなく白黒だということ。英語の文章もみっちりついていますが、語学にあまり堪能でない私。英和辞典を片手に、読み進めていきませう。
ジブリアニメの「風立ちぬ」をもう一度観ることができました。DVDでの鑑賞なので、劇場公開時には、ついてなかった字幕での放映。 おかげで、内容もばっちしわかる!
宮崎駿監督が言っている通り、零戦の設計者堀越二郎の物語であるのですが、小説「風立ちぬ」の世界をもミックスさせているため、現実の堀越二郎の人生とは全然違うストーリーに。
う~ん、こんなことしてもいいんだろうか? こうした荒技(?)も、世界の宮崎駿なら許される? でも、二回目の鑑賞となった今回は、舞台となった昭和初めから戦前までの空気を思いっきり楽しみました。 冒頭の関東大震災当時の風景や、人々の身につけている服装、川を渡る一銭蒸気という船のスタイルなど――。
ジブリアニメの代名詞であった、ファンタジック色など、微塵もなく飛行機エンジニアの作業風景がえんえんと映し出されるなど、オトナな物語ですが、設計図をつくるってかっこいいですねえ。 傾斜版にT定規を使うなど、ほとんど今の時代と変わらないじゃないか・・・。
そして、主人公の二郎が、夜の菓子店で「シベリア下さい」と言って、菓子をくるんでもらうシーンがあるのですが、これが面白い! 三角形の形をしたカステラにあんこが挟まれているものらしいですが、シベリアと言うと、どうしてもロシアをイメージしてしまう・・・。こんな素朴なお菓子に、そんなエキゾチックな名前がついたのは、どういう訳だろう・・・?
シベリアというお菓子は、今も売られているらしいですね。(確か、名古屋の方で販売されているとか、聞いたことがある) 以前、このブログで労研饅頭という、これも昔から続いているお菓子について紹介したことがあるのですが、これは工場で働いている人のために、作られたという栄養満点の菓子。 労研饅頭、シベリア、そして甘食は、戦前の庶民の味覚が残ったものなのかな?
信州の草軽ホテルというところで、二郎は菜穂子と運命の出会いをする訳ですが、このホテルの佇まいや、高原の美しい自然が実に魅力的! こんなに、木々の緑や戦前のホテルの雰囲気を表わせるなんて、さすがジブリアニメだわ・・・と感心して観ていたのですが、このホテル、以前泊まった軽井沢の万平ホテルを思い出させて、楽しかったですね。
最後、命を賭けて作った零戦も、悲しい末路をたどり、飛行機の黄金時代も終わりを告げます。緑なす草原で、カプローニや菜穂子と再会する二郎--このラストシーンの美しさに思わず涙ぐみそうになりました。 実に実に素晴らしい映画!
現代ドイツの名作「朗読者」の映画化かと勘違いして、観はじめたんだが、う~ん、感動してしまった!
物語の冒頭、介護施設(といっても、日本のそれと違って、美しい湖が見渡せ、洒落た客間らしきところもある)に暮らす老女が登場。彼女は、認知症にかかっている。そして、彼女のもとに通い、本を朗読するこれも年老いた男性。 彼が、読み聞かせるのは、戦前米国南部に花開いた、身分違いのロマンスだった・・・。
大金持ちの娘、アリーに対して、男は製材所で働く、ブルーカラーの青年ノア。まだ十代の二人の恋は、ひと夏の間、激しく燃え上がるのでありますが、アリーの両親の反対やらなんやらで、別れ別れになることに。
アリーは、ニューヨークの名門大学に通い、やがてこれも大金持ちのロンという青年と出会い、彼と婚約。一方、ノアは戦争に行ったり、父親が亡くなったりと苦労を重ねた結果、アリーとの思い出のある古い家を改築する。
やがて、再び出会った二人。アリーが選ぶのは、初恋の人ノアか、裕福で洗練されたロンか? この謎は、なかなか明かされず、はらはらさせられること間違いなし!
でも、私は思うんだけど、現実の世界では、こんな綺麗なロマンスって聞かないなあ・・・?現実の人間というのは、結構打算的だったり、散文的だったりするのかしら? だからこそ、みんな映画や本を読むんでしょうけど。 映画に登場する人は、日常そこらで目にする人たちよりも、美しく魅力的に描かれているしね。
物語を読み聞かせられる老婦人が、主人公のアリーそのものであることがしだいにわかってき、朗読する男性がその夫であることも判明。 でも、疑問に思うんだけど、夫(彼は、実はノアでありました)はアリーの両親が言う通り「教養のない肉体労働者」であったはず。でも、現在はそこそこ裕福に暮らしている感じが画面から伝わってくる。 それも、ちょっと「綺麗事」という感がなきにしもあらず。
身分違いの若い男女の恋・・・という感傷の感じられるオハナシから、現在の認知症や病に冒された老年期の苦さまでが、交差して、素晴らしく感動的な味わいのある物語に。「きみに読む物語」とは、夫が妻に語りかける過去であると同時に、一大ロマンスストーリーにもなっているのだ!
ガーデンの煉瓦道のそばに、今を盛りと咲く紫陽花たち。 春の、色鮮やかな情景はなくなってしまったけれども、梅雨もなかなか良きかな。
紫陽花って、よく見ると、色々種類がある。私が、特にいいかな、と思っているのはガク紫陽花。 西洋では、ハイドランジアと呼ばれているのはよく知られている通りで、幕末に日本にやってきた医師シーボルトが、故国へ持ち帰ったのが、はじまりであるそう。
この間、通販で茎の部分が真っ黒の、風変わりで美しい紫陽花(ヨーロッパで人気のハイドランジアであるよう)を見つけて、購入したかったのだが、それはすでに花期が終わっているとかで、諦めたことも・・・。
こちらは、門の近くに咲いた夏椿の花。冬の椿の鮮やかだけれど、少し重苦しい深紅の花と違って、みずみずしい。 初夏を告げる、清冽な花。
写本装飾の勉強で、ルネサンス時代の飾り文字「ホワイトヴァイン」をすることに。
まず、小さな羊皮紙(これは、牛)に、文字をトレース。次に、パンスという軽石の粉をまぶした後、ウォールナッツ(くるみ)インクでなぞったのが、上の写真。
これから、金箔を貼り、青を背景に、きれいに模様を彩色していくわけなのだが、どうぞうまくできますように!
それにしても、アルファベットって、我々の使う漢字などと違って、シンプルで単純と思っていたのだが、どうしてどうして、昔のヨーロッパの人々は、華麗に複雑に(時には、ミニァチュールという小さな絵の中にさえ!)文字を彩ることに長けていたのでありました。 でも、私はまだその入り口に立ったばかり。
ここのところ、ずっと家にこもりがちだったので、ぶらりと旅に出たい衝動がふつふつと沸いています。
上高地に行きたいな、と思っていたのだけれど、一人旅で行くには、電車やバスの都合が面倒くさそう。憧れの上高地帝国ホテルにたどり着くには、最寄りの駅からさらに、バスに一時間近く乗らなきゃならないみたいで・・・。
ずっと前に行ったきりで、よかった軽井沢もいいかな? それとも久しぶり(といっても、去年行ったけれど)に東京へ行こうかな?
若い頃の私は東京大好きで、小学校の頃から、旅行といえば、東京に遊びに行っていたものだけれど、表参道の通りや代官山のショップをのぞくのも、そんなに情熱が伴わなくなったような気がする・・・。
でも、旅行へ行くには、(あまり話したくないけれど)私の場合、一大難関があるのです。それは、一人では、エレベーターに乗れないこと。 あんな窓もない小箱に入って、高速で上下に移動するなんて、ああ恐ろしい。 閉所恐怖症も、ここにきわまれりの感。
といっても、旅行にはとても行きたいモードになっているので、今候補地を考え中です。