ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

季節風2016春号

2016-04-26 13:57:18 | 児童文学


先週、届いた「季節風」。この機関紙を読むのも、これで3回目。相変わらず内容が濃く、読むものもいっぱいあるので読了するのに時間がかかった。

児童文学って、幅広いな――私の愛する児童向けの物語は、英国の作家フィリパ・ピアスが書いた「トムは真夜中の庭で」なのだが、ここでは戦争や現実の等身大の子供たちの姿を描いたリアリズムあふれる作品が多いかも。

子供向けのノンフィクション作品というものもあって、島根県で発見された、古代の森を特集したものがとても面白かった。島根県立三瓶自然館に保存されている、火山が残した4000年前のスギの森(地底から発見された)の発掘調査だなんて、なんてドラマチック!

私も、ぜひここを訪れてみたい。とっくに死んでいるのに、古代の姿を残したままの木々が、暗い館内に浮かび上がるさまなんて、考えただけでゾクゾクしそう。

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朝のガーデン

2016-04-26 13:38:58 | ガーデニング

下手な写真ですが、ガーデンの紹介を。
    黒いフェンスのそばに小さな鈴蘭の群生が…やっぱり、清楚で可愛い花であります。 以前、県北の高原で咲いているという鈴蘭を頂いたことがありますが、清冽な香りが、鼻孔をくすぐる素晴らしいものでした。


珍しくはないけれど、黄色いモッコウバラが、母屋の瓦屋根をバックに咲いている様も、花のシャワーに包まれているようで好き。
          この煉瓦道に囲まれた、ケヤキの下の小さな広場(?)はいつも、ノエルをつないでいるところ。 御覧のように、色々な花が植わっています。ケヤキの木の下には、紫色の小さなヴィオラが幾つも咲いていて、そりゃあ可愛らしいのでありますが、木の回りをしょっちゅうグルグル回っているノエル。   でも、感心なことに、ヴィオラの花を踏みつぶしたりしないのであります。

花をいたわる心が芽生えたのか!?  でも、温室の前は去年、デイジーがたわわに咲き誇っておりましたのに、ノエルが駆けまわるせいか(芽が踏みつぶされたのであろう、と推測)、今年はあんまり咲いていない――それでも、朝と夕方、ガーデンでノエルと共に、緑を愛でるひとときは、至福です。
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朝のこと

2016-04-23 21:24:24 | ガーデニング

昨日の朝のノエルハーブガーデンにて、咲いた牡丹。

あでやかに、大輪の花が咲いているのだけれど、上手に写真に撮れない デジカメ(本格的な一眼レフは、敷居が高すぎるので、ハンディタイプのやつ)で、植物を写すモードに設定しているのだけど、何だか色が鮮やかすぎて、品がない気がする。

熊本の地震が発生して、一週間…被害にあわれた方や亡くなられた方―― 残された写真の笑顔や、土砂に埋もれた道を見ると、何とも言えない悲痛な気持ちに。

花の美しさと、雨上がりの青空――地震というものがなければ良いのに。
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ローマの哀愁

2016-04-15 21:54:01 | 映画のレビュー

アマゾンで手にいれたDVD[ローマの哀愁」。
ああ、なんと長いこと観たいと切望していた映画であったことか!!

といったところで、、「ローマの哀愁」という映画の存在さえ知らない方がほとんどでしょうね。
これ、実はヴィヴィアン・リー主演のメロドラマ。 原作は、テネシー・ウィリアムズの「ストーン夫人のローマの春」であります。
共演は、これも一世を風靡した二枚目スター、ウォーレン・ビーティー(のごく若い頃)。

私は、昔からヴィヴィアン・リーの大ファンで、憧れる最愛の女優といっていいほど。ヴィヴィアンといえば、「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの名演が圧倒的で、類まれな美貌とともに、永遠の存在となっていますが、晩年の姿は、あまり知られていないのでは?

中学生の頃からヴィヴィアンに熱狂していたせいで、彼女の主演作品や生涯を網羅したアルバムも、伝記も持っていたのですが、当時から観たいなと思っていたのは、こうした晩年の作品。 神経症を病み、ローレンス・オリビエとも別れるなど悲劇的な晩年を過ごしたヴィヴィアンでしたが、スカーレット以外のもう一つの当たり役は、テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」のブランチ・デュボア。

おなじくT・ウィリアムズ作品での彼女を見られる! しかも、原作の「ストーン夫人のローマの春」はとっくに絶版になっているらしいのですが、中学時代、家にこの本があったせいで、読了ずみ。 名女優カレン・ストーンは、夫を失い、失意のままローマにやってくる。老いの気配がしのびよっているとはいえ、まだまだ美しく、極めて裕福。
気位が高く、美しい女性のはかなさ・あやうさ――それをヴィヴィアンのカレン・ストーンは、人生の秋にあらがう女性の虚無や孤独とともに、浮き上がらせて素晴らしい! のです。

カレンは、ローマの地でジゴロを裕福な有閑夫人に斡旋してまわる、伯爵夫人の計略で、若く美しいパオロ(これを、ビーティが演じている)にひきあわされます。孤独なカレンの心入り込むパオロ。二人は恋愛関係となりますが、それは偽りのものでしかなかった…というストーリー。 パオロとの破局後、カレンがローマの町をさまようように歩くところ。「私は漂っているのよ」という彼女の人生の寄る辺なさが感じられて、胸が痛くなってしまうほど。
ヴィヴィアンの繊細でガラス細工のような表情や、エレガンスな身のこなしが、こうした文芸作品のヒロインにぴったりなのでした。

最後、カレンは豪華な自宅アパートのベランダから、下のスペイン広場の階段にたたずんでいる、青年に「自宅の鍵」を投げ与えます。青年は、カレンがローマにやってきた日から、彼女のアパートの下に佇み、彼女の動きをうかかがっていたのです(まるで、恋している若者みたいに。それとも、一種のストーカー?)。
ここで、パオロがいつか予言のように言った言葉「君のような女は、ある日ベッドで殺されるんだ。傍らの男に首をひめられたりしてね」――がこだまするのですが、カレンの人生に待っているのは何なのでしょうか?  1960年頃のローマの情景や、大スターらしいカレンの贅沢でエレガンスあふれるファッションにも、魅了されたのですが、それ以上に私を惹きつけたのは、年を重ねたヴィヴィアン・リーの悲しみを含んだ美しい瞳だったのです。
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夕暮れのガーデン

2016-04-15 21:36:02 | ガーデニング
今日の夕方、5時過ぎ頃のガーデンです。
                        こういう、高い位置にセットしたドーナツ状(なんという、稚拙な表現)の形にあしらわれた植物を、どういうのか知りませんが、ヴィオラの紫と白の花弁が、夕陽に鮮やか!

        
ノエル葡萄小屋の前にも、白い花が咲き始め…ここは、夏前には、紫のアザミの群生がたけだけしいほどの勢いで咲くのだけれど。

   そして、ケヤキの木の下には、薄緑のクリスマスローズの一群れが――春の庭の緑は、何とも知れぬ優しさが感じられ、色も柔らかな黄緑がかって、大好きです。 動物にたとえるなら、小鹿のみずみずしい肢体のよう。

これから、日が長くなり、夏に近づくにつれ、緑も濃く、青年のような力強さをおびてくるはず。その前に、この萌える緑を愛でたいのです。


おまけ:くしくも、今日、月一回のシャンプーから帰ってきたばかりのノエル。散歩前に、はいパチリ。
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野生児の世界

2016-04-14 20:55:01 | ある日の日記

数日前、精神医学の本を読んでいた時、カスパー・ハウザーという少年のことが少しふれられていました。

この19世紀の初めに実在したドイツの少年は、なんと16歳になるまで、城か塔の地下牢に閉じ込められていたということ。ある日、突然、ニュールンベルクの町に現れた時も、言葉もわからず、自分が誰であるかも理解していませんでした。謎めいた2通の手紙を持ち、名を問われた時も、「カスパー・ハウザー」と答えたのみ。
やがて、この少年が人間らしさがまるで感じられず、鏡に映る自分の姿をつかもうとしたり、蝋燭の火にふれようとしたりするなど異常な行動を見せることに驚いた人々は、彼を調査することになりましたが、その結果驚くべき事実が明らかとなりました。

なんと、カスパーは、生まれてから一度も「人」というものを見たことはなく、立ち上がることさえできない「小さな暗い部屋」でパンと水だけ与えられて育ったというのです。
時に、苦い水を飲まされたと感じた時、深い眠りに陥りましたが、その後は体や髪がきれいに洗われていたということ――それにしても、こんな幼い少年を狭い部屋に監禁していたという、酷いことがなぜ行われたのか? カスパーはどこからやってきたのか?

好奇の視線が浴びせられる中、カスパーは、異常ともいえる知能の高さや、闇の中でも聖書が読めるなど人間離れした感覚を見せ、人々を驚かせました。そして、カスパーが言葉を習得し、その謎に満ちた半生を語ろうとした、まさにその瞬間、彼は何者かに暗殺されたのです。暗殺者は、「カスパーは私が誰かを知っている。私は、川の向こうからやってきたものだ」という不思議な手紙を現場に残していたそう。――カスパーが高貴な容貌をしており、それが時の貴族バーデン公に似ていたことから、彼はバーデン公家の息子であり、お家騒動から隠されてしまったのだ、という憶測がささやかれるなど、「19世紀ドイツの最大のミステリー」というにふさわしい事件でした。
カスパーが誰であったか、彼はどこからやってきたのか?  その謎も、永遠の闇に消えてしまいましたね。

このカスパー・ハウザーは、言うならば「野生児」の一人といえるかも? 「野生児」というと、ひと昔前の少女マンガで読んだような、飛行機が密林のジャングルに墜落し、ただ一人生き残った(両親は、飛行機事故で死んでしまったから)幼児が、動物たちの加護のもとに生きながらえるパターンを思い浮かべてしまいそう。大きくなった子供は億万長者の孫か何かであるため、捜索の果て、見つけ出され、人間世界にやってくる――というようなストーリーだったけれど、現実はそんなハッピーなお話ではないのですね。

上の写真は、カスパー・ハウザーではなく、もっと前の時代の野性児である「アヴェロンの野生児」の写真。
アヴェロンの野性児というのは、1800年頃、南フランスの森で捕獲された少年の通称。当時12歳くらいという推定年齢だったそうですが、発見当時は人間らしさをまったく失っており、裸で叫び声をあげるだけだったそう。教えれば、いつか言葉をしゃべるようになり、自分が野生生活を送っていたことも話してくれるようになるだろう、と当初の見方は楽観的でした。

そして、医師のイタールが手元に置いて、5年間というもの根気よく教育したものの、最後まで言語を習得することはできなかったのです。アルファベットの並べ方と、簡単な単語がわかるのみ。ヴィクトールと名付けられた少年は、それからもひっそりと世話をされ、40歳ほどで亡くなったそうですが、野性から人間社会に移行するには、高いハードルがあるようです。

知り合いのお医者さんに確認したのですが、人間が言語を習得するには、ごく幼い時までに覚えることが重要で、それ以後を過ぎると(これを、専門用語で「臨界期」という)知能が正常であっても、言葉を話せるようにはならないということ。
それまでに、言語脳ができあがってしまうのですね。ここから、生まれてからずっと人間社会から隔離されていたというカスパー・ハウザーの物語は少し変ではないか、という推論も成り立ちますけど。



今の発達しきってしまった社会では考えられなくなってしまいましたが、17世紀とか18世紀とか近代の社会には、様々な理由で「野生児」がいたかも? 嫌な言い方ですが、知的障害のある子どもを親が遺棄したのでは?と推測する学者もいるのですが、 それだけ自然と人間社会がくっきりと区別化されていなかった時代だとも思うのです。

「野生児」といえば、昔高校の家庭科(なぜ、家庭科なんだろう?)の教科書に「インドの狼少女アマラとカマラ」の話が収録されていたことを覚えているのですが、あの1920年代の実話も、半分は捏造だとか。 
ただ、私は想像するのですが、「野生児」にとってみれば、自分をとりまく物見高い人間たちの群れや、「再教育化」という強制は、恐怖以外の何ものでもなかったはず。
歴史に残る、野生児たちの運命に、何か粛然としたものを感じてしまうのは、私だけでしょうか?
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小さな文字

2016-04-13 21:00:48 | カリグラフィー+写本装飾

ルタンダ体をクルミインクで練習。ミッチェルのNo.4を使って、3ミリの大きさに。
ミッチェルのNo.5を使って2ミリの大きさの文字も書いたけれど、あれれ? 意外にそんなに書きにくくありません。

小さなサイズの文字をびっしり書いたりなんかしたら、すぐ腱鞘炎になってしまうだろう、とおもっていたけれど。
ミッチェルとは、文字を書く際のペン先の種類の名前。他に、ブラウゼ(これは、ドイツ製)、スピードボール(これは、アメリカ)があります。

ただ、問題が一つ。練習用紙というものは、ごく書きやすくなめらかな紙なのですが、これを作品用の高級水彩紙や、羊皮紙に書くと、紙自体に癖があって、どうも練習用紙ほど綺麗な字が書けない!  う~ん、これは、私の腕の問題なのかもしれないけど。

小さい字を書くのって、嫌いじゃないなあ。 ミッチェルのペン先で一番小さいのは、No.6だけど、これで書くと、大きさは…ひょっとして1ミリ!? ああ、豆本ができそうなサイズの字であります。

それは、そうと、この夏はカリグラファーズ・ギルド展があるのでありました。ここに出展するのも、3回目。前回は、事情があり、古い作品を出してしまったので、今回は頑張りませう。
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ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ

2016-04-11 20:37:40 | 本のレビュー

素敵な本が、蔵書の仲間入り!

「ユーゴ修道士と本を愛しすぎたクマ」ケイティ・ビービ著。光村教育図書。
 

題名からも、推察される通り、写本を作る修道士と修道院が舞台。そして、本が宝石のように貴重だった中世が舞台なのですが、修道士ユーゴは、大切な書物をなんと、クマに食べられてしまいます。

おかしいのは、クマが本が「美味」(!)であることに目覚め、またもや大切な本をねらっていること。 ユーゴは、クマに食べられてしまった本の代わりを他の修道院に返さなけらばならないため、大急ぎで写本を作らなくてはならないはめに。
ここで、中世の写本づくりが、羊皮紙の作り方、インクの作り方から、丁寧にイラスト入りで説明され、カリグラフィー好きには、目が離せないのであります。
ページの文章の最初には、昔ながらの飾り文字が描かれるという、心にくい演出までされています。 イラストレーションは、S・D・シンドラーという方の手になるものですが、昔ながらの写本の意匠を取り入れたイラストや、飾り文字からつる草文様や熊の奇想天外な姿がとびだしてくるさまなんて、これこそ現代版「ヨーロッパ中世の美意識」。

とっても、好みにあう絵本です。題材も、イラストも、デザインも。うっとりと、何度もページを繰ってしまいました。
そして、なんと、クマが修道院の大切な本を食べてしまった、という珍事件は中世時代、本当にあったエピソードだそう。この逸話をふくらせて、ケイティさんは、絵本を書いたことになるのですが、実はこの女性も、作家というより、大学で歴史を教える学者なのですね。

素敵な絵本が、「ノエルの本棚」にやってきました。
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山からやってきました

2016-04-11 20:25:19 | ガーデニング

山つつじを頂き、玄関に飾りました。右側の写真は、横向きになってしまい、うまくお見せできないのですが…。

春の山の空気があたりに漂うかのよう。 ガーデンに咲いている山桜もそうですが、園芸種でない自然のものは、小ぶりで繊細な風情がなんともいえぬ奥ゆかしさがあるのであります。

欲をいうなら、春のはじめには、黄色いミモザを家の中にどっさりと飾ってみたいな。ミモザは、黄金の房がたわわにゆれる美しい花ですが、昔、ポルトガルを旅行していた時、山道にミモザの黄色い花がトンネルのようにあたりを包んでいたことを今も鮮やかに思い出してしまいます。そのミモザと木々の間にちらばる、簡素で美しい家々の姿も――。
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あなたの庭は、どんな庭?

2016-04-06 09:43:24 | ガーデニング

ノエルハーブガーデンにも花便りが次々と届き始めました。
      駐車場から見る黒いフェンスとノエルの赤い看板の向こうには、緑の気配。でも、カイの木の下に、群れをなして咲いている紫のムスカリは、もうしおれはじめています。ああ、綺麗だったのに…こんなことなら、もっと早く写真におさめておくんだった。
         
       
今年も、温室前には、ディジーが咲くかしら? でも、大好きだったヤグルマギクの花は消えてしまいました。何だか、園芸ショップに行っても、ヤグルマギクって見かけないような気がするのだけど、また群生が見たいなあ。
温室の中は、まだ葡萄の裸木があるだけですが、その枝には、テディベアが人待ち顔に座っています。 ゴールデンレトリバーの柄模様の首輪を、首飾りみたいにひっかけた格好で。

さて、そのゴールデンは、遊びに来た友達(柴犬のユズちゃん)と庭の一角で語らっている姿が見られます。
こんな風に楽しいのだ! 春風に吹かれて、今日もノエルハーブガーデンは快晴!
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