ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ある日の日記

2016-08-30 20:57:56 | ある日の日記

夏も終わりです。
この8月は、頑張って(何のために?)本を読むことにし、1か月で15冊読了いたしました。

でも、本を読むってかなり時間を取るものなのです。だから、他の事はほとんど何もできなかったような……。

暑さがやわらいだある日、午前中、今まで読んでいなかったミヒャエル・エンデの「モモ」を読了。
昼食を食べた後、車でスーパーへ買い出し。
ここは、スーパーの横にTUTAYAがあり、さらにその横にはスターバックス・コーヒー店があり、一服しながら窓越しに外の風景(といっても、車が走る道路しか見えないんだけど)が見えるという趣向。

のどの渇きを覚えていたので、買い物前に、スタバでアイスココアを飲むことに。と、ここで気が付いたけど、アイスココアなんて飲むのは、何年振りかでは?
う~んと長い間、ごぶさたしていたせいか、とってもおいしゅうございました。ゆったりめの一人がけソファに座りながら、ボーッと放心状態――ああ、夏が去ってゆく。

ようやくハッと気づき、食料品やら日用品を買ったのはいいけれど、またまた誘われるように、ツタヤのお店に。「名探偵コナン」のマンガの最新刊が出ているのを見つけ、フラフラと買ってしまいました。


読みたい本がありすぎて、片付かないのが、目下の悩みです。

新老人の思想

2016-08-27 18:51:36 | 本のレビュー

新老人の思想」 五木寛之 著  幻冬舎新書 を読む

昔から、両親が五木寛之のファンだったこともあって、「青春の門」をはじめとする小説やエッセイが家の本棚にはずらりと並んでいたもの――だから、子供の頃からもっとも親しみを感じていた作家といっても過言ではないほどだ。

高校1年生の頃読んだ、「ソフィアの秋」や「霧のカレワラ」をはじめとする、初期の頃の五木寛之の北欧を舞台とした異国小説。それらに、心底惹きつけられたのも、遠い青春の思い出として残っている。今も、舞台となったノルウェーの風景やフィンランドの失われた土地カレワラの歌などが、脳裏によみがえってきそうなくらいに。

大人になってからも、五木寛之のエッセイはたびたび読んでいたのだが、このたび読んだ「新 老人の思想」。ここには、齢80歳を過ぎた作家の、一生の間の思考や感慨が凝縮され、本当に素晴らしい!   作家は、最近の超高齢社会ともいうべき現状に対して、思うところを忌憚なく述べている。
いわく、100歳以上の長寿者が5万人を超えるとはいえ、その8割が寝たきりであること。だが、マスコミはごく一部の元気で、充実した生活を送っている高齢者ばかり取りあげ、その裏の現実を直視しようとしない。 そして、高齢者を介護し、支えていくには、予想以上に大きな予算が必要なのだ。

だから、高齢者を扶助するのも、稼ぎ、活動することのできる老人がするべきだと、五木寛之は言うのだが、これは卓見かもしれない。その言葉を実践するかのように、1日10時間近くも執筆に追われ、老体に鞭打って地方に赴く日々を送っている、作家の日常を知ると、頭が下がるような思いになるほどだ。
文章からも、心血を注いで書かれたという気迫がみなぎっていて、今まで読んだ、五木寛之のエッセイの中でも最も感動してしまったほど。晩年を迎え、「生きているうちに、書いておきたい」という作家の思いが、こちらにビンビンと反応するのだろうか?

「若い頃は、自分が40歳を過ぎた年寄りになるとは思わなかったこともある」という言葉には、ちょっと苦笑してしまった。私自身、30代の後半から、少しずつ老いつつある自分というものを自覚しているのだが、熟年とか中高年とかソフトな言い方をしているものの、50歳を過ぎたら、人は「初老」と言っていいと思っている。
だが、メディアで盛んに宣伝されるサプリメントの広告などでは、60歳の人間がかくも若々しいカラダを保てる、というキャッチフレーズが目立ち、「ちょっとイヤだなあ」と感じたことも……。

五木寛之も言っているのだが「アンチエイジングより、ナチュラルエイジングを。そして、ナチュラルエンディングがあればいい」のである。
人はだれしも、年を取り、命には終わりがある。今の人間が大変なのは、老年という時期が30年にも及び、昔の人がそうであったように「極楽浄土」の観念を抱けないせいかもしれない。「地獄」というものもないが、死の先には、ぽっかりとあけた「虚無」しか感じ取れない時代なのだ。

「青年は荒野をめざす」―-五木寛之は後半で、自分の過ごしてきた半世紀に及ぶ文筆生活を振り返って、様々なエピソードを披露しているのだが、印象に残ったのはこの言葉。彼は、ある日、代官山のTUTAYAで、自分が三十代半ばの頃書いた小説「青年は荒野をめざす」を載せた雑誌の復刻版を見つけるのだが、その感慨が何とも言えないのだ。
私の知らない時代――けれど、その時代にふれてみたいよう思いがこみあげてきて、この小説がぜひ読みたくなった。
若かった人もあっという間に年を取る。だが、老いを真剣に考え、引き受けようとする覚悟を持つことを、この書物は教えてくれた。

今、シルバー世代の方たちも、五木寛之のような素晴らしい老人になって欲しいな。

魔法の庭ダルメイン

2016-08-24 23:40:06 | ガーデニング

TVで、英国は湖水地方の屋敷で、大切に作られた庭を特集していた。それが、「魔法の庭ダルメイン」。

画面からも、湖水地方の自然の美しさが、圧倒的に伝わってくる。残念ながら、私はここを訪れたことがないのだが、言わずと知れた英国を代表する景勝地。
この地方の緑や木々は、けむるような柔らかい色彩で、そのまま水彩画の世界から抜け出てきたよう―――ベアトリクス・ポーターが、その絵本の世界で、得も言われぬ繊細な色合いを使ってみせたのは、誇張でもなんでもない。そのままの色なのである。

ダイナミックな自然もいい。南ヨーロッパに見られる光と影のコントラストが際立つ、油絵のような鮮やかな世界もいい。けれど、空気中にいっぱい水を含んだような、空と森。優しい色をたたえた花々。そしてにじむような緑の木々を見た時、なぜ、この国で妖精や異世界ファンタジーを語った傑作が多く生まれたかを、理解したように思ったのである。

話がすっかり横道にそれてしまったが、この番組で紹介されていたダルメインの庭園も、フェアリーランドに出てくるかのように、美しい。屋敷のダルメイン卿夫人が、丹精して花々を育てているのだけど、英国人の庭への情熱には感嘆するしかない。  庭園をつくりあげるには、長い時間と根気、そしてもちろん美的センスがなくてはならないのだもの。

霧の国に存在するような、非現実的なまでに美しい花々を見ながら、そこにかの「青いケシ」を発見。なんと、夫人によれば、これは「ブルーポピー」で、「ダルメイン」とれっきとした品種名もある自慢の花なのだとか……。
えっ、「青いケシ」といえば、ヒマラヤ原産で、「ヒマラヤの青いケシ」という言葉もあるほどの幻の花だったのでは?
それが、こんな屋敷の庭に咲いているなんて――私は、園芸にからきし知識がないのだが、これってすごいことなのではないだろうか?


はるかな秘境に咲く花が、こうして世界じゅうに自分の生息域を広げているとは……植物は、人間や他の動物たちよりも、環境の変化に順応しにくく、生息可能な領域がはっきりしているのだから。

湖水地方という、夢の世界に咲く青いケシ。これこそ、『魔法』といわずして、何であろう。

ハッピーバースディー

2016-08-21 11:21:35 | ノエル

本日、めでたく満5歳の誕生日を迎えたよ。

この日のために、今はやりのゴールデンがライオンに変身するライオンヘアのコスプレをしたんだけど、あんまりうまくいかなかったみたい。


                   
  なんか、ちょっとね……。

   
でも、真上から見たら、サバンナの野にいるライオン風になってるかも?

  それでは、皆さま、残暑見舞い申しあげます

                                              ノエル拝

クマのプーさん

2016-08-20 21:03:54 | 本のレビュー

今日の本は、あの名作「クマのプーさん」です。(岩波少年文庫)
といっても、実は恥ずかしながら、プーさんの物語を読んだことがなかったのです……。


そのくせ、これまた有名な挿絵は大好きで、プーさんやクリストファー・ロビンの可愛い挿絵が描かれたイギリスの食器ブランドの灰皿を持っていたりした私。
こないだ、やっとのことでページを繰ったこの本――知らなかったことがいっぱい! 
クリストファー・ロビンの挿絵はよく知っていたはずなのに、その可愛らしいおかっぱ頭や、赤い長靴などから、女の子だとばっかり思っていました。そして、ぷーさんの友達、『イーヨー』は、これまた名前は良く知っていたのですが、正体が年とったロバさんだということも知らなかったのでありました。

お話も、すこぶるチャーミングで楽しんで読んだのですが、この本の面白さは、英語圏の子供でなくては、十分理解しきれないのでは?
英語の言葉遊びや、子供らしいリズム感が感じられる作中の歌(プーさんがよく歌ってます)など、訳者が有名な石井桃子さんだとしても、こなれた日本語にするのは難しいかも。

この作品は、作者A・A・ミルンが自分の幼い息子(この子の名前がクリストファー・ロビン)に話して聞かせたお話から生まれたのですが、クマのプーさんも実はロビンの持っていたテディ・ベア。
プーさんのみならず、イーヨー(この陰気で、湿っぽい考え方をするロバのキャラクターが秀抜!)も、コブタも、ウサギも、み~んな実在のぬいぐるみなのです。
息子が持っていた、これらのぬいぐるみから、こんな名作が誕生するなんて、このエピソード自体、物語のよう。

巻末に、ぬいぐるみのプーさんたちの写真がずらりと載っています。これも、イギリスのどこかのミュージアムで、今も見ることができるのかな?  だったら、ぜひ見に行きたい!

文藝春秋 2016 9月号

2016-08-17 08:47:20 | 本のレビュー

母が、「文藝春秋」を買ってきて、芥川賞受賞作「コンビニ人間」が面白いので読めと言う。

それで、読んだ訳だけれど、そんなにスゴ~ク面白いというほどではなかったなあ。 コンビニでずっとアルバイトし続け、三十代も後半になってしまった女性の世の中の価値観とのずれや、今はやりの「生きづらさ」をマンガっぽく書いている。  「ふうん、今の読書界では、こういうのが受けるのか?」と思ったのだけれど、えんえんと続く人間模様のありさまや、会話、筋らしい筋がないところなどには正直疲れを覚えた。

それより、他の記事の方が面白い!
「戦前生まれから、日本への遺言」と題して、戦前生まれの文化人が今の社会状況について思うことを短文にして寄せているものが特にいい。
蓮實重彦が「夏目漱石はやたらありがたがられているが、退屈でどこがいいのかわからないし、民主主義というものも嫌いだ」と述べているのには、凄い事言うなあと驚く。
女優の岸恵子が「ヨーロッパでは、いつ無差別テロがあるか、と皆ピリピリしている。それに比べて、日本は平穏だが、高齢者が殺されるなど陰惨な事件が続いている。世界を覆っている魔の手が日本までのびないうちに、『生きる』ということに愛情を持ってほしい」と述べているのにも、深く考えさせられてしまった。

作家塩野七生が、「人間の文明度を計る基準は二つあり、それは人命の犠牲に対する敏感度と衛生に対する敏感度である」とエッセイで述べているのも、そんな斬新な切り口があったのか! と感心してしまう。
そのいうところによると、あのローマ帝国が蛮族の攻撃に滅んだのも、「奢れるもの久しからず」のことわざ通りの慢心にあるのではなく、ドナウ河の向こうから、命をもかえりみることなく、押しよせてきて、渡りついた後、劣悪な環境下のテント暮らしにも平然としている蛮族の勢いに、絶望したからではないか、というのだ。
つまり、上記の二条件に対する敏感度の低い個人や民族や国民の方が強く、負けるのは文明度の高い側で、勝つのは常に低い側だということ。

そして、これを現在、ヨーロッパを悩ませている難民問題にもからめているのだが、「独断と偏見があるなあ」と思いつつも、面白く読んだ。

ノエルの手帖

2016-08-17 08:27:50 | ノエル

書斎にて、くつろぐノエル。

いつもここで遊ぶサッカーボールのおもちゃがあるんだけど、これは噛むとキュウキュウと音が鳴る仕掛けになってるの。
それを噛んでいる時、自分も「キュ~ン、キュ~ン」と子犬のような声をだしてしまっているノエル――小さい頃の気分に帰ってるのかな?
なかなか、面白い。


夜、扇風機を消しに(夜中に雨が降ったりするかもしれないから)裏庭へ出てみたら、ベランダで足を広げ、大の字になって気持ちよさそうに寝ているノエル。
その寝顔がとっても、可愛いの。

秋になったら、ノエルの家にお泊りに行ってもいいかも。 ノエルの家は、ウッディな作りで、なかなか快適そうだし。

ある日の日記

2016-08-14 22:56:34 | ある日の日記

大腸と胃の内視鏡検査を受けた。 その前日から、とってもマズイ検査食を食べ、下剤でお腹を空にしなくちゃならない。
お腹が絞られるようで、トイレで脂汗を流した翌朝、検査。 鎮静剤を注射されたら、すぐ眠ってしまい、な~んにも覚えてない

それも終わった翌日の朝、居住スペースを掃除した後、お茶でホッコリいたしましたです。
叔母が送ってくれた「中村藤吉」のお店の「生茶ゼリイ」。これが、とっても美味しい

毎日、毎日暑くて、家に閉じこもっているけれど、クーラーのきいた部屋にいてさえ、夏の暑気を感じてグッタリ。 読書にもいいかげん飽きる。
暑さにまいっているのか、今年はセミも蚊もあんまりいないような気がする。

退屈で、ちょっと孤独な気分で過ごしている夏休みです。 早く、秋風が吹いてほしいもんだ。

小さな読書室(予定)

2016-08-13 20:08:55 | アート・文化

夕方で、夏の暑い西日が差しているのですが、ここは離れの二階。
窓の外には、黒いフェンスの向こうにガーデンが見えます。


居住スペースでない離れには、一日の終わりにふらりと行ったりするのですが、二階にまで上がるのはあんまりないなあ……。 ギャラリーしていた時は、ここも会場だったし、お客様が泊まられる時は、寝室に早変わりする場所なのですが……。 兄が、「ここに置くのにいい」と写真の椅子を持ってきてくれたのですが、いまだに活用しないまま。
椅子の前にあるのは、イスタンブールのバザールで買った、絨毯。  何十年(確か70年くらい?)も前織られた部分と近年に織られた部分がつなぎ合わされ、一種の魅力となっている絨毯です。  褪せたような色合いと独特のデザインが、不可思議な雰囲気。


今は、夏で庭も荒れているのですが、秋になればここで庭を見ながら、読書できたらいいな。

犬守りも、大変

2016-08-08 18:24:28 | ノエル
フライパンで炒られるように、暑い今年の夏。
だから、ノエルも一日、クーラーのきいた部屋で涼んでいるのですが、夕方の散歩以降は、裏庭の家に帰ってもらいます。

さて、散歩の前に、ハーブガーデンで夕涼み。 ガーデンも、この暑さの中で、草が伸び放題になっているのですが、楽し気に駆け回るノエル。

    
器に水を用意してやり、タライに水を張る……と、
      
ちゃっかり、水につかって気持ちよさげ。
      


散歩から帰ると、冷蔵庫で冷やしていた水を容器に入れてやり、同じく冷蔵庫で冷やしていたお肉をドッグフードに混ぜて「夕食タイム」。

その挙句が、扇風機をかけてやるのですが、その前で風を受ける姿がこれ。
                         
う~ん。世話がかかるなあ。  でも、犬が幸せそうな顔をするのを見るのは好きです。