ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

山下公園のワンコたち

2015-10-30 15:52:26 | 旅のこと


横浜滞在中、元町周辺も歩きましたが、何だかさびれてました…。

考えてみれば、以前、横浜に来た30年前の中学2年生の時もこうだったような? 横浜というと「街」のように感じますが、実情はそうでもないかも。元町は、昔の商店街が、そのままゆっくり年を取っていったような風情で、私の住む地方都市のデパート前に広がる商店街とそう変わりないような気もしました。

でも、この郵便受けは、ちょっと面白いかも。緑の箱に、魔女の赤がきいてます。

山手や外人墓地を歩くのは、「ここも、昔歩いたからいいや。神戸の異人館とそう、変わりゃしないだろうし」とはやばやあきらめた私――でも、山下公園は、本当に素敵な公園でした。


これは、「赤い靴をはいた女の子」の像。
野口雨情の詩が有名ですが、もとになった実話ってあるんだろうか?


そして、これが山下公園一の美人。
あんまり、可愛いからもう一枚。
スタンダードプードルで、名前もなんとうちの子と同じ「ノエル」なのです。
毛の色もカットの具合も、表情も何とも云えない、素晴らしき美少女!

スタンダードプードルと言えば、最初の日、散歩していた時も、スタダードプードルとゴールデンレトリバーのミックスだという、とても可愛い子に会ったのですが、その時は、もう暗くなっていて、写真のモデルになってもらうのはあきらめました。

やっぱり、犬は大きい方が可愛いのでは? というのは偏見かな? スタンダードプードルの方が、トイプードルよかずっと可愛いと思うんだけどねえ。


このスナップは、もちろんゴールデン。お獅子を思わせる大きな顔。

ブルドッグ。 顔は昔の刑事ものの主人公のようだけど、意外に小柄でキュート!


最後に、素敵なお客様。
氷川丸が係留されている鎖に、ごらんの通り、ずら~りと止まっているのは、「カモメ」であります。
とても愛らしい光景なのだ…港あたりを飛ぶカモメは、どこに寝泊まりしているのかな? とぼんやり疑問に思っていたのでありますが、なんと彼らのホテルは、ここだったのですね。

秋色の横浜は、潮風と秋風に誘われた旅でした。

秋色のヨコハマ

2015-10-30 15:08:25 | 旅のこと

横浜へ、二泊三日で旅行してきました。
泊まったのは、山下公園真ん前の「ニューグランドホテル」。

昭和4年開業とかいう、クラシックホテルだけど、泊まった本館はやっぱり古いなあ――これは、部屋の真ん前から見える港と氷川丸。 夕暮れの暮色にかすむ船の姿が何とも言えないのであります。
インテリアも、ミッドナイトブルーがあちこちに使われていて、ベッドのピローやソファなども、シックな濃紺。

ただ、有名な階段は、映画なんかにあるような堂々たる大階段かと思えば、何のことはない、ごくフツーの小さな階段でありました。これは、階段上の天井を横からパチリしたもの。
このホテル――部屋の雰囲気や窓から見える風景は、素晴らしいのでありますが、食事はちょっと…。プリン・アラ・モードも、スパゲティ・ナポリタンも、シーフード・ドリアも、ここが発祥と聞いたけれど…。シーフード・ドリアの上にかかったソースは、やたら濃厚で、大きな海老がどっさり入っていて、おいしくない!
でも、朝食の和食は美味でありました。


そして、この氷川丸! ホテルの部屋から、そのお姿がくっきり見えるのでありますが、中を見ることもできるそう。
で、入ってみたそこは――まるで別世界。
一等船室や一等食堂、一等社交室、一等客用育児室…などなど、かつての優雅な船旅の情景が浮かびそうな部屋をめぐって(それにしても、一等船客がこんなに優遇される一方,三等客は、どんな扱いだったんだろう?)、船の下方部分である機関室へ。

突然、目の前に広がるエンジンや複雑なパイプの群れ。ペンキの匂いがプンと漂う外に、今も重油の匂いがしそうな場所なのです。
小さな化学工場か、製造所を思わせる光景がそこには、広がっていて、以前みたジブリアニメをなぜか思いだしてしまいました。

ああ、昔むかしの時代には、海を渡るって、凄いことだったんだなあ…。この氷川丸は、1930年に建造され、当時の最新鋭の船だったそう。ここにも、当時の日本がどんなに欧米に追い付こうと必死だったか、時代の風潮がうかがわれます。
戦争中は、海軍特設病院船となり、3回も触雷したにもかかわらず、無事。
戦後は、貨物船に戻り、1960年に引退するまで、太平洋を254回も横断したそう。

とても、歴史ある船なのですね。


二日目の夜は、山下公園の桟橋から、ナイトクルーズに出発。

この夜景は、みなとみらいであります。
ここには、観覧車がどかん、とそびえているのでありますが、ここのイルミネーションが凝っていて面白い!万華鏡のように、さまざまに色や光が変わって、見あきない眺めです。

みなとみらい、は名前の通り、未来都市を思いおこさせるような、21世紀型の港の街。海と空にはさまれて、白い港湾都市があるのも、風情ある風景です。

船のそばを、夕闇にまぎれて群れ飛ぶカモメたち。夜の中、白い姿が綺麗に見えるなあ…。
思わず「私はカモメ~」と歌いたくなりましたが、階下からは食事(これは、食事つきのもので、ディナーを取らなかったのは、私だけ)を終えたらしいお客さんが、カラオケなんぞ始め、夜のクルーズのムードなどまるでなし。





久しぶりに

2015-10-25 20:57:11 | カリグラフィー+写本装飾

フランドルの飾り文字を作成し、小さな額に入れる。

Dの文字の中に、スミレの花の飾りが。ロンバルディックと呼ばれる文字は赤で彩色され、そこに細密筆で白のガッシュを使い、独特の紋様を描くのだ。

歴史的に、こうした飾り文字は金の外、赤や青で描かれることが多いのだけれど、私は赤が好き。

後は、小さなマットを縁に入れるか…だなあ。

書くって・・・

2015-10-23 18:29:31 | 児童文学

勧めて下さる方がいたので、「季節風」に入会することに。

これは、プロの作家とアマチュアのための児童文学の同人誌で、代表は作家あさのあつこ氏。

すぐ、会誌が届いたのだけど、内容、濃いですね…。

でも、ここまで来たのだから、今までのように、趣味で思いついた時書くというのではなく、賞やコンクールにも応募すべきなのかしら?

何だか、緊張します。


ノエル、恐るべし!

2015-10-23 18:17:30 | ノエル

ご存じ、ノエルであります。
首には、ライオンのイラストを描いた小粋なバンダナを巻いて、まるで西部のガンマンのよう。

小柄なのに、敏捷このうえない。こりゃ、人間の子だったら、オリンピック狙えるのに…と密かに思っていたのだが、やはりただ者ではないことが、このほど判明。

ノエルハーブガーデンには、蝶や猫たちもしょっちゅう遊びに来るのだけど、中には招かれざる客も。この時分のイヤ~な客と言ったら――そう、雀蜂であります。にっくきことに、この蜂、ガーデンの中でも、ノエルをつないでる欅の木にやってくるばかりするのだが「ノエルが刺されたら、どうしょう」と心配していた私。


けれど、2、3日前、庭を通りかかったら、欅の木の下に、雀蜂の死骸が転がってるのだ。こ、これは……ノエルが殺したのね。

何て、凄い犬なのだろう。夏は、蝉に飛びかかり食べてしまったりするのだが、やはり天性の運動神経があるのか?

私など、雀蜂を見たら、怖くてたまらず「キャー、キャー」と可愛い(?)悲鳴を上げてしまったりするのに…ノエルは、すんごい犬であります。

ある日の日記

2015-10-19 19:36:24 | 児童文学
月一回開かれる、児童文学会の例会に行ってまいりました。

この日は、年末出されるらしい同人誌「松ぼっくり」の原稿提出の締め切り日。何とか童話らしきものを提出したのですが、タイトルは考え直した方が良いと言われてしまいました(テへへ…)


作品の批評や、忘年会の日程について話し合った外、社会的なことも話題に。

ここに入会して、はじめて知ったのですが、児童文学にかかわる人は、社会的な問題意識や、子供たちへの本の朗読、子供や障害者の方へのボランティア活動に積極的に取り組まれている方が多いよう。
すごいですね……私なんか自分の事ばかりで精一杯だったなあ…。


自分のぐるりのこと(身の回りのこと)に、もっともっと興味を持って、「自分が世の中に対してできること」を少しでも、実行できるようになったら、と思いはじめるようになりました。



お墓の話

2015-10-17 19:56:36 | アート・文化

上の写真は、5年前パリに旅行した時、訪れたモンパルナス墓地(多分)でのもの。
あのジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワール二人の墓である。

中学生の頃など、私の生まれる前のことにもかかわらず、「実存主義」なるものに、そこはかとなく憧れを感じていた私にとって、サルトルとボーヴォワールは素晴らしき伝説の人。
そんな訳で、お墓参りとなり、近くの花屋で買った赤い薔薇の花束なぞをそえたのだけれど、驚くべきは、彼らの人気ぶり!


21世紀にも大分入りこんでいて、本国でもサルトルの存在は「遠いもの」になっているのではないか? と思っていたのだけど、さにあらず。訪問者の様々な痕跡が残されていて、墓石の上には(この小さな写真では、はっきりわからないのだが)くっきり赤い唇のキスマークまで…こんなところは、さすがフランス人。

外国旅行に出た時、墓地を訪れるのも、印象深いもの。憧れたり、感動した思い出のある芸術家の墓を詣でるのは、心に残ることに違いない。
作家の曽野綾子と高橋たかこが同じようなことを言っていたのが記憶に残っているのだが、二人とも北フランスにある第一次大戦の戦没者たちの墓地を訪れたそう。この二人の作家は、ともにクリスチャンだから、あえて、そういう場所を選ぶのだろうが、遠い異国の100年も前に死んだ青年たちの墓を訪れるという行為が、ひどく厳粛にもドラマチックにも感じられたのを覚えている。

墓地を訪れるのは、ひそやかな行為であると同時に、「生を愛する」ことも教えてくれる、と思う。

池上彰の宗教がわかれば世界が見える

2015-10-16 21:09:35 | 本のレビュー
「池上彰の宗教がわかれば世界が見える」 文春新書。池上彰著。

ジャーナリスト、池上彰が様々な宗教の専門家と対談し、それぞれの宗教の特徴と、一般人が疑問に思う教義などをわかりやすく解説した著。

宗教について、そこはかとなく興味はあったのだけれど、キリスト教や仏教、イスラム教についてなど、何も知らなかったことを、この著を読んで痛感。その意味では、本当に「目からうろこが出る」こと間違いなしの本である。

大体、人が宗教にふれようとするのは、「死」の苦しみからのがれたいため、生きることの意味を探してのことなのではないだろうか? ここでも語られている通り、「団塊の世代」と言われる人たちが、老年期を迎えるにあたって、「葬式はいらない」の風潮が高まっているという。これを養老孟司氏は、「あの連中はそう言うだろうと、思っていましたよ。大学紛争の時から、理屈で説明できないことは、なんでも嫌いだったんだから。『大学の権威を解体する』と同じ思考なんでしょう」とひと言に切って捨てているのだが、これから、葬式=死をめぐって、宗教はどうなっていくのだろう?


池上彰や養老孟司も言う通り、宗教とは「死を考える」「どう生きるか」という根源的な問いに答えようとして生まれたもの。仏教、キリスト教、イスラム教、神道などが紹介されていて、それぞれ興味深かったのだが、アメリカには、今も進化論を信じない人が大勢いるというのは、驚かされる。南部アメリカに多い、こうした原理主義の人々は、ケンタッキー州に博物館まで建て、神様によって、世界が創造されたことを模型で展示している。だが、そこには、何と人間と恐竜が共存していることを示すものまで、あるのだそう。 世界は多様に、深く、理解の範疇を越えているのである。


仏教は、西欧の一神教と違い、より癒しのベクトルの強いものだと思われているものの、実はかなり怖い宗教であるそう。輪廻という思想がある通り、生まれ変わりや来世が保証されているようでありながら、本当は「輪廻」の輪の外にでること、「二度と生まれ変わらない」=解脱を理想とするという。
仏教が説くところは、すこし冷酷な面もあって、「喜びも悲しみも苦しみもない、すべてを捨て去ってしまった状態――二度と生を受けることはない涅槃の境地」を究極の目的とする。


一神教のユダヤ教、キリスト教、イスラム教がみな、人々は死んだ後、この世の終わりの「最後の審判」を待つ、そして、良き行いをしたものは、天国で永遠の命を生き、そうでない者は、地獄で苦しむ」と「死んだ後の生」を保証しているのとは、大変な違いだ。

ユダヤ教も、キリスト教もイスラム教も、もとはと言えば、同一の神を信じるものが別れたに過ぎない。だが、「一神教同士は、ぶつかるようにできてるんですよ」という指摘もある通り、互いに融和することのない歴史を刻んできた気がする。

「葬式無用」の風潮や、葬式を親族や友人で営むことなく、そのまま火葬場へ直行という「直葬」の出現は、個人主義が進んで、「無縁社会」になってしまったことの表れといえるかもしれない。宗教の基本である、「生きる苦しみや死への不安をとりのぞく癒し」の働きが、今、最も求められているのでは、と思う。


カフェと山のおうち

2015-10-06 20:39:35 | アート・文化
母と、街そばのカフェへ。
ここで、絵本の特集がしてあるというから、出かけたのだけれど、

こんな感じ。カフェの中に小さな本屋が出現するというのも、いいですね。

玄米と野菜のカレーを食した後、本を物色。大きな書店の迷路をくぐるのも楽しいけれど、こんなところにも出会いがあって楽しいのです。

で、二冊も買ってしまいました。ファンである彫刻家の佐藤忠良さんが挿し絵を描いた、名高い名作絵本「おおきなかぶ」とシャンソン歌手石井好子さんのエッセイ「東京の空の下 オムレツの匂いはながれる」。

「おおきなかぶ」は、うんと小さな頃、読んだ記憶があるものの、家の本棚になく、ぜひあったらいいな、と思っていた絵本。石井好子さんのエッセイも有名なものの、手にとることのなかったもの……ああ、なんだか素敵な本がやってきて、とてもうれしい!

カフェから出て、母の子供時代からの仲よしの友達Mさん宅におじゃますることに。山の上に山荘風に建っている家――いい眺めだなあ。四季の植物やら、眼下の街の風景やらが見わたせて、風や鳥の声も日々を彩ってくれそうなのです。

そして、ここで「おもしろい」ものを拝見することに! Mさんの写真家の弟さんが、詩人の谷川俊太郎と一緒に出した本というのを(この間、出版されたばかりみたいです)見たのですが、その写真がスゴイ。50歳の女性たちのポートレート写真が1ページいっぱいに映し出され、左側には綺麗な自然の写真と谷川氏の散文詩(?)が載っているのですが、その女性たちの写真が……何と言っていいか……。 う~ん、リアルすぎるというのも、罪なものか? 沢山、女性の写真が載っているのに、美人が一人もいなかったようなのが、不思議。 左側の自然の写真の美しさが、いっそう際立っていたです。

50歳というのは、こんなものなのかな? (近い将来を思って、ちょっとショック)
表紙のカバーの推薦文についている阿川佐和子は、やっぱり綺麗でした。


お土産にバジルをいっぱい頂いたのですが、香りがとってもいいのであります。「ジェノベーゼ」ソースの作り方も教えてもらったのだけど、たまには、料理を作るべきですね……。


ある日の日記

2015-10-04 18:53:07 | ある日の日記
「クリーン作戦」(まるで、スパイ大作戦とかいう懐かしい言葉を思いだしてしまいそう)という町内会の大掃除が、朝8時からある。
川のゴミをさらったり、道路に落ちた落ち葉を拾ったり、草をむしったりするというもの。1時間ちょっと、やっただけだけど、フーッ、汗がじわりとでるなあ。
ここで、驚くべきことが! 何と、ドブ川とばかり思っていた近くの川から「シジミ」が取れたというのだ。それも、いっぱい…。

この川は、私の小さい頃も、ザリガニを取ったり、ヌマエビやフナを取って遊んだものだけれど、その頃は汚いものだった――。雨が降ったりすると、きれいな水が流れたりして、それが幼心にうれしかったものだけれど、その川にシジミが棲息するほど、綺麗になっているとは。

「トイレがみな、水洗になったからじゃないかしらねえ」とは、近所の方の言葉だけれど、当時の汚い川でも、透明で可愛らしい感じのするヌマエビが取りたくて、川に入ったこともあったっけ。

帰宅して、人参ジュースを作る。これは、自分用ではなく、親のために作っているのだが、人参とリンゴをジューサーにかけた後、レモンを絞る。ガラスのコップごしに見える、明るいだいだい色が、とっても綺麗! 有機ニンジンだと、色がいっそう綺麗な気がするのは、それこそ気のせいかな?

それから、ノエルを連れてドッグランへ。

帰宅したら、くたびれて、眠ってしまいました…。でも、今夜は頑張って、童話の続きを書きませう(なかなか、いい文章が書けなくて、苦しんでいるのですが…。読むのに比べて、書くのは難しいでごわす)