ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

アナザー・カントリー

2014-09-30 21:59:29 | 映画のレビュー

   Photo

急に、ふいと昔観たイギリス映画が恋しくなって、何年ぶりかでDVDを借りる。 1980年代には、古き良き英国を美しく華麗に描きだした耽美的映画がブームだった時期があって、子供だった私も色々観たもの。

中学生の時観たデヴィッド・リーンの「インドへの道」、その他「眺めのいい部屋」、「モーリス」、「炎のランナー」など探したのに、どれもなくて、ただ「アナザー・カントリー」が見つかったのみ。 とても綺麗で、観ているだけで20世紀前半の豪奢な時代へ運ばれてゆくようなのに、今の時代には流行らないのかな? 

でも、この映画が見つかっただけでもうれしいのだ。あのルパート・エベレットにもう一度会える! ルパート・エベレット--190センチの長身にノーブルで高慢な感じのする美貌を誇ったかっての人気スターである。 ルドルフ・バレンチノ(古い!)に始まる映画史に残る二枚目スターのはずなのだが、その類まれな美貌や鮮烈なデビューにもかかわらず、世界的スターにはなれなかったように思う。 個人的には、「炎のランナー」で、ほっそりとした長身にブロンドの髪をなびかせた鹿のような美青年ナイジェル・ヘイバースと並んで、記憶に残っているのだが・・・。

20歳の頃、観たきりの「アナザー・カントリー」--今観てみるとさほどできのよい映画とはいえず。 良家の子弟が集う全寮制のパブリックスクールを舞台に、同性愛と思想のドラマが描かれる。 卒業後、政界や実業界に重要なポジションを得るため、学生議会(?)に役職を求め、青年たちが駆け引きするところなど、実在のイートン校やハロー校でもこうだったのかもしれないと思わせられるのだが、いかにもありきたりで薄っぺらい演出の仕方である。

話自体は単純で、ルパート演じるガイ・ベネットは校内でもリーダー格であったものの、どこか反逆的で、他寮の学生に同性愛感情を抱いたため、やがて共産主義者としてソ連へ亡命するという波乱の人生をたどることとなる。 この話自体は、あんまり面白くないので、パブリックスクールのファッション、学内の風俗、寄宿舎の調度品、そしてルパートのアドニスばりの美貌を観て楽しむことに。  特権階級という言葉自体が、本家の英国でも消滅しつつあるかと思わせられる21世紀の現在、学内の重厚な建築様式、格式を重んじる規律、いかにも英国的なタータンチェックのガウンや磨かれた革靴といった細部までが、「伝統の美」を感じさせる。 ソ連のアパートメントで「かつてやったクリケットをもう一度やってみたいな」とつぶやくガイと同じように、我々は、あの格調高き、典雅な時代の残照を永遠に失ってしまったのかもしれない。

コメント

テレビ番組と金木犀

2014-09-29 12:09:26 | ある日の日記

今日は、ちょっと寝坊して8時近くに起きてしまいました。すわ、ノエルの散歩が遅れる!と思いつつも、しっかりトーストとホットコーヒーの朝ごはん。 そして、目がTV画面に釘付けに・・・今日から始まったばかりだというNHKの朝の連続ドラマ「マッサン」が映っている! 実いうと、わたしはTVをほとんど観ない人で、ちまたで流行っていた「アンと花子」もその前の「あまちゃん」などもほとんど観ていないのです。でも、ああいう連続ドラマって、放映されている時は、大人気で、関連したものまでブームになるのに、終わったとたん、すぐ忘れられてしまうんですね。

さて、この「マッサン」--興味をひかれたのは、ヒロインが金髪碧眼のスコットランド女性だということ。造り酒屋の跡取り息子が故郷に連れ帰ったのは、周囲の純和風の背景とは異質な、外国人女性・・・このヒロインが愛らしいけれど、決してそんなに若くない(失礼)ところが面白い!笑うと、目じりにしっかり皺が見えていたりしてる・・・。

そして、跡取り息子の母演じる泉ピン子の存在感が、思わず笑ってしまいそう。いかにも、底意地が悪そうな感じが、石臼のような体型とあいまって、ド迫力。

そして、ドラマが終わったとたん、あわててノエルの散歩に。長い夜を一度もハウスを汚すことなく、過ごしているのだから、早く行ってやらねば! 家の前の坂道を下り、右に曲がったところ、ふわりと良い薫りに包まれました。そばの家に咲いている金木犀の薫りでありました。甘くきらびやかで、そのくせたちまち消えてしまいそうな薫り・・・花の中でも一番好きな薫りです。

薔薇や百合は、よくできた香水があるのに、金木犀の香水って聞かないような・・・合成するのが難しいのかしら? あったとしてもトイレの芳香剤だったりして・・・。

コメント

コスモスの中で・・・

2014-09-26 09:16:59 | ガーデニング

   001


     009


変なことを考えた。 ハーブガーデンに、たおやかに揺れるコスモス。 温室の前の一角にコスモス畑(?)があって、それほど広くはないし、無茶苦茶狂い咲きしているわけでもないのだけれど、それでも旺盛な繁殖力である。

013


これが、どこか遠い草原で、見渡す限りにコスモスがいっぱいだったら、どうしょう? 満州の広野みたいなところで、地平線の向こうにまでコスモスが海のように広がっているとしたら・・・。おまけにコスモスが背が高く、私の身長よりも高いところで、ゆうらりゆうらりと風に揺られているのである。

 016


桃紫の花々が、一帯を染め上げていて、あたりには誰もいない。 夕暮れも深くなって、いつか中空には月がかかっている。そのようなところに、迷い込んだとしたら、怖くてならないだろうなあ――。 この世のどこかには、そんな場所があるに違いない。 9月のしんと静かな夕暮れ、そんなことを想像しては、ノエルハーブガーデンのコスモス畑の中で震えているのも、退屈しないかもね。     

コメント

比叡の休日

2014-09-26 08:58:30 | 旅のこと

022


京都へ一泊の短い旅行へ行ってきました。 泊まったのは、比叡山の山頂近くにある「ロテル・ド・比叡」。 フランスのオーベルジュをイメージした、このホテル、とっても簡素で小粋で、居心地の良いところです。 客室も、「ノルマンディー」、「パリ」、「サヴォワ」などフランスの地方名が冠され、私たちが泊まったのは、「プロヴァンス」。 だから、ご覧のようにベッドもこの地方独特の植物文様の布で、色もプロヴァンスの太陽を思わせる、暖かな黄であります。

    025


ホテル内のカフェも、プチフランスの趣。

     040


そして、ディナーがトレ・ボー! お料理が美味しいとは聞いていましたが、出されるプレートがすべて、とても美味なのです。上の写真は、「天使の海老とずわいがにのプレッセ 根セロリ風味」と名付けられた一品ですが、小さなサイコロ状に切られた野菜が、色とりどりに散らされたいて、その合間にあるのは、何と薔薇の花びら。 どんな風味?と思ったのでしたが、花びらそのものは、ふんわりとした感触で、「味」はなかったかも・・・。見てるだけで、目の保養になりそうなのに、味もとても繊細で上品。

 

041


料理が盛られた食器は、すべてフランスの「ベルナルド」のもの。 わたしも、ここの器は、いかにもフランス!の香りがして好きです。 このスープ皿の下に置かれたプレートも赤と白のだんだら模様が、サーカスを思わせて楽しい!

    048


食事の最後のハーブティーにいたるまで、瀟洒なセンスが感じられて、とても美味しいのです。 う~ん、京都市内からシャトルバスで一時間という、不便な場所にあることを押しても、やっぱり来てよかった!

   060


ロビーのつるつるに光るテーブルの上に映った青空であります。標高何メートルなのか、わからないけれど、このくらい山の中にいるだけでも、雲が近く感じられるから不思議。吹き抜けの空間にはめ込まれた大きな、大きな一枚ガラス。その向こうに広がる草地と風に揺れる木立、高い秋の空の風景は、そのままかの国の画家が描くところになるもののよう。

ただ台風が通過するという微妙な時期だったので、このホテルで夜開かれるという「星空観測」はできなかったですね。 秋の夜空、降るような星が蒼穹に輝いて、さぞ見ものなのだろうと思いますけど・・・。

心地よい静けさと、オーベルジュのお料理を満喫した、秋の断章でありました。

コメント

古代のパン

2014-09-23 08:56:19 | ある日の日記

   002

ジャ~ン、すごいでしょ? 手作りの天然酵母パン。 うちでは、これを「松田さんちのパン」と呼んでいます(おじさんも、パン作りがうまくなったもんだなあ・・・)。昨日、頂いたのですが、写真にとる前、がまんできずに、端っこを切り取って食べてしまいました。 トースターでちょっと焼いて、バターを塗ると、かりかりした表面が、バターの香りとあいまって、素晴らしく美味しいのです。う~ん、幸せ

ヨーロッパの街角に売られていそうな、がっしりした骨太のパン。確か、こういうのを、「パン・ド・カンパーニュ」とかいうんでしたっけ・・・。上に畝状にひかれたくぼみ、振りかけられた小麦粉も繊細に仕上がっていて、見れば見るほどうっとりしてしまうほど。下に敷いたオリーブの樹でできたまな板ともベストマッチンング!

目にすると、ヨーロッパの石畳の道やその角に建っているブーランジェリーを思い起こさせるパンなのでありますが、もうひとつ、古代をも連想させるのです。古代エジプトとかオリエントで、人々が天然酵母から作りだして、泥煉瓦のかまどで焼いたパン・・・それも、古代の平原を思わせる香りがして、かすかに酸っぱい酸味が舌に感じられたのではないでしょうか?

今度は、ジャムを塗って食べてみませう。

コメント

ふたたび夏目漱石

2014-09-21 17:10:45 | 本のレビュー

   002

岩波文庫から出た夏目漱石の「行人」。 これを読むのは、三度目くらいだろうか。漱石は、少年期に読んでも、青年期に読んでも壮年期に読んでも、素晴らしく面白いといった評論家がいたが、たしかに古今東西の作家を読んでも、最後は漱石という気がする。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズものや、アガサ・クリスティーのミステリーと並んで、読者をとらえて離さない魅力を持っている(少なくとも、私にとっては)。

さて、この「行人」。決して楽しい話でも、ドラマチックな起伏があるわけでもなく、華やかなロマンスが繰り広げられるわけでもない。どちらかというと、冬の日、曇天がどこまでも広がってゆくのを見るような、憂鬱な話なのである。 

研ぎ澄まされた知性と、感性を持つ学者の一郎は、妻と弟の二郎が不義の関係にあるのでは?との疑いや周囲との不協和音などに苦しんでいる。早い話、重症の神経衰弱にあるのだが、その兄の姿を二郎の視線から語ったのが、この小説。 若く健康的で、厄介事からはすぐ手をひっこめてすますような、要領の良さを持つ二郎は、一郎と対極にあるといえるのだが、一郎の性格もわかりにくい。

「学問」をきわめた挙句、常人より精密な頭脳を持つということが、かくも八方塞がりな精神状態をもたらすものだろうか? 自身も神経衰弱に苦しみ、ある意味狂気寸前であったという漱石自身の肖像を見るような思いがするのだが、当時の漱石は一郎に自分を託していたのかもしれない。 繰り返される叙述のはしばしから、一郎ひいては漱石その人が、自分の頭脳や知性に強大な誇りを持っていたことが感じられる。 しかし、こんな鋭敏な神経を持って生活されたのでは、周囲の家族はたまったものではないだろう。

この小説を読んでいて、晩年の芥川龍之介を思い出した。芥川最後の作品集「歯車」や「河童」は、精神の危機に瀕した芸術家の『白鳥の歌』という色彩が強く、鬼気迫る感じは、面白くも凄みがあるのだが、当時はインテリゲンチャには、まことに住みづらい世の中だったのかもしれない。

二郎の頼みによって一郎を長い旅に連れ出した友人の長い手紙によって、小説はしめくくられる。 一郎の親友であるはずの彼も、旅に出ることで、やっとその異常に気付くのだが、その結末が悲しい。 無心に眠る一郎の姿を見ながら、彼はこう書く。「 兄さんは、今眠っています。兄さんがこの眠りから永久覚めなかったらさぞ幸福だろうという気がどこかでします。同時にこの眠りから永久覚めなかったらさぞ悲しいだろうという気もどこかでします」

私の目にも、苦悩からしばし逃れ、深い眠りに沈む一郎の姿が見えるような気がする。

コメント

秋の一日

2014-09-20 20:50:57 | アート・文化

   002

秋の一日、ご近所のNさんの車に乗せていただいて、一時間半ばかりかかる郊外へ。その田園地帯に建つギャラリーで、お目当ての作家さんのガラス作品を見るため。

    005


これは、そのギャラリーの前にあったポスト。とってもユニークでエキゾチックな趣。多分、ヨーロッパ製でありましょう。あちらの国を旅した時、ポストの上によく見たホルンのマークがここにもあります。

    003


木立の中には、小鳥の巣もちゃんとこしらえてあります。遊びにくる野鳥は、どんな子だろう? メジロ? ジョウビタキ? 鳥の名前も、姿も全然わからない癖して、わたしは結構野鳥が好きです。 たまに見かけても、じっと凝視しようとしたとたん、さっと飛び立ってしまう気まぐれ・つれなき小鳥たち。 でも、野鳥ほどお洒落が上手な生き物は、ちょっといないのでは? あの素晴らしい色彩の羽は、小さな芸術家のようです。

    007


ギャラリーの帰り、珈琲の美味しいカフェで、長い午後を過ごしました。ケーキは、もちろんモカケーキ! 開け放たれた窓からは、夕暮れの金色の光線が忍び込んできて、前の通りには、プラタナスの街路樹が葉を揺るがせているのが見えます。 このカフェ、隣りはオーナーさんのご自宅で、低い位置に張り巡らされた一枚ガラスからは、そこに通じる私道が見えるのですが、緑濃い木々が美しい姿を見せていて、すぐそばは郊外の住宅が並ぶのに、まるで高原にいるような気分にさせられるのです。 窓って、並の風景画よりも、美しいものを見せるんだわ・・・。

ゆったりしたドライブの間じゅう、長く行ってない郊外の自然や秋の情景を見て、まだ若かった頃、前のノエルを連れて行ったドッグカフェやグリーンシャワー公園、そのたもとにあった建築家の方の美しいアトリエ(住宅の一角が、ガラス張りの小さなギャラリーになっていて、北欧の食器やデンマーク製の薪ストーブが売られていたのですが、その向こうもガラス張りになっていて、洒落た中庭を見ることができるようになっていました)のことなどを思い出しました。考えてみれば、長いこと車を単なる足にしか使っていないなあ・・・。 今度、のんびりドライブしてみるのも素敵かも。

    013

上の写真は、ギャラリーで買った李慶子さんのガラスのピッチャーをお手洗いに飾ったところ。これから、秋の花々を活けて楽しみましょう。

コメント

2014-09-18 19:16:06

2014-09-18 19:16:06 | ガーデニング

 004


とっても気持ちの良い日々が続きます。初秋の爽やかな風、柔らかな日差し・・・夕暮れ近くともなると、降り注ぐ光も黄金色になり、その中に立っていると「ああ、生きてるって楽しいなあ」とうきうきしてくるほど。

ノエルハーブガーデンでも、秋のお客様であるコスモスがさきはじめ、ふうわりふうわりと風に揺れています。 コスモスって意外に背が高いのです。身長152センチ弱しかない私よりも背が高くなりそうな、花もあちらこちらに。

      009


でも、まだまだ咲き始め。これから、どんどん開花して、温室前が、コスモスの海になるはず。野生化しても、素晴らしい繁殖力で、増え続けるこの花。でも、秋の透明な光の中に立っていると、優しい少女のような雰囲気です。 夕闇の中に溶けこむ姿は、怖いような鋭い美しさを、醸し出していたり・・・なかなか奥の深い花なのであります。

コメント

心というもの

2014-09-16 18:41:16 | テレビ番組

数日前、TVで評論家の立花隆氏出演の、「人は死んだら、どうなるのか?」という特集があった。 これぞ永遠の命題、永遠の謎。 立花氏がどう解釈するかと、見ていたのだけれど、米国への旅で著名な幾人もの学者と対話を重ねている。

うち一人は、脳の機能と神経伝達の最新研究を踏まえた上で、「心というものが、脳のどこで働くかわかった。したがって、人が死んだら心も消えると私は考えています」と断言する。

そして、臨死体験を経験した人々の談話も出てくるのだが、彼らは一様に不思議な体験をしている。自分の魂が体を離れ、ずっと上から自分の体を見ていると感じ、トンネルを通って、花々の咲く美しい風景の中に立ち、超越的な存在と出会う。 事実、臨死体験をした米国の著名な神経科学者は、脳とは別個に魂が存在し、それは死後も生き続けるのではないか--と考えるようになったという。

立花氏は、死んだら心はなくなると考えているようだけれど、何年か前に癌の手術をして以来、「死がそう遠くないという感じが、私にもう一度臨死体験というテーマに向かわせたのです」と告白されている。 見ていて不思議に感動したのは、学者たちの言葉が研ぎ澄まされ、哲学的な重みをたたえていること。詩人や文学者でなくとも、磨き抜かれた思考は美しい言葉を紡ぎだす。

死後の世界を信じるようになった米国の学者は、立花氏に「私とあなたの意見は違いますね。でも、あなたが永遠の場所を見つけられること、私とあなたがいつかどこかで会うことを信じています」という。

番組の最後の立花氏の言葉--「古代ギリシアの哲学者エピクロスは『アタラクシア』という概念を考え出しています。人生は、このアタラクシア--心の平安を求めるためにあるのだといえるでしょう。だが、これを揺り動かすもの――それは死の不安です。ただ、私はその不安が少し和らいだようです」。 映像が途切れた後も、いつまでも心に残る言葉だった。

コメント

不思議の国からやってきました

2014-09-16 15:51:02 | アート・文化

  004


うちには、テディベアがたくさん住んで(?)いるのですが、このたび新しいベアがやってきました。写真で見るように、片足あげて、小粋な帽子に洋服を着た、この子--シュタイフ社で「不思議の国のアリス」の『気違い帽子屋』をイメージして作り上げられたものだそう。 多くの方と同様、わたしもアリスの物語のテニスンによる挿絵は大好きですが、原作の黒いシルクハットをかぶり、高く突き出た鼻のエキセントリックな帽子屋も、テディベアになるとかくも愛らしく変身してしまうのですね。

     002

さきに、もう一人、シュタイフのテディベアがおりまして、そのコはハチミツ色の体に赤いリボンをひるがえらせています。  片耳に、パチンととめられたタグがご愛嬌。

初秋の昼下がり、棚の上で語らいあって(?)いるらしき、シュタイフ家の二人の子供たち。

コメント