ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ホームステイ

2020-06-28 18:37:44 | ある日の日記

家で、映画と読書の日々です。離れの「ノエルの本棚」から、手ごろな本を持ってきたり、DVDのコレクションから、懐かしの映画を観たり……この間、ポータブルDVDプレイヤーを購入したので、自分の部屋でも映画が楽しめるようになりました。

その合い間に、知人と連絡を交わしたり――そんなホームステイの日々です。

    

この黒い画面の中の青い花、何だと思います? 実はこれ、kindleで読んでいる電子ブック。amzonプライム会員サービスで、無料で読める本があるのです。その内の一つに野草の植物図鑑があったという訳ですが、これが黒い背景の、とても美しい本。

漆黒のスクリーンに浮かび上がる、青や赤や紫の花――いつも、何気なく見過ごして通り過ぎてしまう、雑草の花とは思えないほど綺麗!

小さな花も拡大してみると、本当に小宇宙としか思えない美しさなのです。

    

 上の写真は、最近使っている、胡粉ネイル。京都にある、日本で一番初めに絵具を作ったという「上羽絵惣」さんのお店で売られているのですが、思いっきり「和」の感じが何ともいえない。

シンボルマークの「白狐」の絵も、好みです。

普通のマニキュアと違い、刺激臭もなく、エタノールだけでさっと落とせるところも魅力!!


巨象の道

2020-06-28 17:59:01 | 映画のレビュー

古い古い(1954年制作)ハリウッド映画「巨象の道」を観ました。今では、記憶している人もあまりいないだろう、この映画――主演は、芳紀21歳のエリザベス・テイラーです。

リズの若い頃の映画だから、というだけではなく、私にはこの映画をぜひにとも観たい理由がありました。なぜかというと、この作品はファンであるヴィヴィアン・リーが元々は主演を演じるはずだったものなのです。

オールド映画ファンの間では、有名な話なのですが、実はこの映画のロケをセイロンで撮影している途中、ヴィヴィアンは精神障害の発作を起こして、主役のルース役を降板してしまったのですね。  当時、彼女は夜が明ける頃には「鳥が鳴いていて、寝られない」と起き出したり、自分も眠っていないくせに、手伝いの女性に、「あなた、疲れているのよ。休みなさい」と言って、自分が箒をつかんで掃除するなど(実生活では、お掃除などしたことないと思うのに)挙動が普通ではなかったようです。

その代役として立てられたのが、当時若さの盛りにいたエリザベス・テイラー。実は、ヴィヴィアンとリズには、映画史に残る世紀の美女というだけではなく、意外な共通点があるのです。この映画のピンチヒッターに立ったこともそうだし、二人とも「クレオパトラ」を演じているのですから!

さて、この因縁の作品となった「巨象の道」――私は伝記で、セイロン島の現地の人々に囲まれて、ピリピリした笑顔を見せているヴィヴィアンの写真が印象に残っていたことの他、ストーリーも面白そうなので、いつかぜひ観てみたいと思っていました。

そして、ついに観ることができた本作品――予想にたがわず、とっても面白かった!

       

リズ演じるルースは、セイロンで広大な紅茶農園を営むジョン・ワイリーに見初められ、ロンドンから、南国の島へ。しかし、ワイリーの広い屋敷は、もともとは象たちが、水飲み場へ行くために通っていた道をふさいで、その上に建てたもの。

つまり「巨象の道」を横取りして建てた邸宅ということになります。慣れない異国でルースは必死に、環境に順応しようとするのですが、ジョンは最初思った時より、ずっと頑固な暴君。このワイリー邸を建てたのは、彼の父親であった総督なのですが、それがジョン以上の暴君で、使用人たちからも今なお尊敬されているなど、父親の影はいまだに、この屋敷を重苦しく覆っています。(何せ、父親の墓が、庭にあるくらいなのですから)

夫に対して満たされぬ思いを抱くルースは、ジョンの片腕として働くディックに、急速に惹かれていくことに。だが、コレラが蔓延し、農園で働く人たちも次々倒れてゆき、ルースは懸命に働きます。それを見た召使い頭(これが、主人のジョン以上に立派な顔をしたセイロン人のおじいさんで、髪にカンムリ👑みたいな、銀の飾りをつけていたりするのが、面白いのです)が、彼女に不満を抱いていた心をあらためるなど、小さなカタルシスがあったと思ったら、今度は長く雨が降らないため、怒った象たちが、水飲み場へ直行するため、屋敷に押しかけて来る!

物語の最後は、象たちが立派な屋敷を踏んだり蹴ったりの大騒ぎで、「これ、張りぼてでできているの?」と思ってしまうほど、バラバラ…と建物が壊れていくところなど、痛快なくらいです。そして、最後ルースとジョンは、互いへの愛情を確かめ合うというハッピーエンド(?)で終わるのですが、こんなシンプルな面白さは今の時代の映画にはないような気がしますね。

でも、最後に、ふと疑問。この映画が当初の予定通り、ヴィヴィアン・リーで撮られていたら、どうなっていたのでしょう? こんなあっけらかんとした、むせるようなトロピカルな雰囲気漂う、メロドラマにはならなかったような気がするのですが。🌴


サスペリア

2020-06-22 00:37:13 | 映画のレビュー

映画「サスペリア」を観る。何か月か前、綾辻行人の「緋色の囁き」を読んでいたら、最後に綾辻氏自身が「この作品のイメージソース」となったのは、ダリオ・アルジェント監督の「サスペリア」だと聞いて、俄然興味を持ってしまった。

というのは、これに先じて、よしもとばななの「彼女のこと」という不思議な小説がとても面白かったのだが、そこでも本のあとがきに、ばななさんが「この作品の元となったのは、分かりにくいかと思いますが、ダリオ・アルジェントの『インフェルノ』という映画です」と書いていたから。

ものの本によると、「インフェルノ」は、「サスペリア」の続編らしい。しかし、私は寡聞にして、「サスペリア」が有名なホラー映画であることも知らなかったくらいなのだ。

大体、私という人間は、怪奇小説は大好きなのに、ホラーは苦手。怪奇とかゴシック物につきものの品格なんて、これっぽっちもなく、ただ人をこわがらせりゃいいと思っている、「お化け屋敷映画」だと思い込んでいた。

しかし、振り返ってみると、「オーメン」シリーズはTVで何度も公開されたこともあって、面白かった記憶がある――あれも、ホラーではなかっただろうか?

ニコール・キッドマンが主演した「アザーズ」も怖くて怖くて、鳥肌が立ったくせに、二回も繰り返して観た記憶もある。

じゃあ、まったくホラー映画が苦手という訳ではないのかも……そう思いつつ、Amazonで購入した「サスペリア」のDBD.

これが期待以上に、とっても面白かった!

主人公の若い女の子スージーは、ニューヨークからドイツにやって来る。ひどい豪雨の日で、空港でやっとタクシーをつかまえ、バレエスクールに向かう。彼女は、バレリーナ志望で、そのためにバレエの名門校フライブルク学院にやって来たのだ。

ところが、学校に着いた時、戸口で押し問答をしていた少女が不思議な言葉を叫びながら、外へ飛び出す「扉に秘密がある……青いアイリスの花……」

その少女はむごたらしい殺され方をし、スージーはこの奇妙な学校に入学することになるのだが、怖いというより、雰囲気や美術の美しさに、ほうっと溜息をつかされてしまう。

   

「これは、確かに熱狂的なマニアのファンがつくよねえ」と思いながら、映画を観ていったのだが、学院の外装や内装を彩る赤が極めて印象的。 

しいて言えば、ロシアのクレムリンの建物にあるようなこっくりした赤色なのだが、そこに金色の装飾的な飾りが浮かび上がり、アールデコとかそんな美術も、思い浮かんでしまう。

そして赤は、貧血を起こしたスージーから流れ出る血液の色でもあるのだ。

学院はバレエの名門校という表看板と相反する、秘密めいたムードを持って、スージーの前に迫ってくる。副校長のエレガントだが、腹黒そうなマダム・ブランク。厳格な教師タナー女史(これを、名女優アリダ・バッリが演じている)、フランケンシュタインみたいな怪異な容貌の下男パブロ…といったわき役の面々が、いかにもいかがわしい。

スージーは、美少女サラと親しくなるものの、突然寄宿舎の天井から、白い蛆虫が無数に降ってくる事件があったり、気味の悪いいびきを耳にし、「あれは、普段はいないはずの校長のいびきだ」と彼女に告げられたりする。

そして、食事に睡眠薬を入れられていたスージーがつい眠ってしまっている間に、サラは何者かに追われ、天井裏に逃げ込んだ挙句、惨殺される――ここで悲劇が最高潮に達するのだが、もちろん、スージーは友人が殺されたことを知らない。

彼女は翌朝、サラの居場所をタナー女史に聞いてみるものの、「勝手に出て行った」と意味不明の言葉を告げられる。

不自然さを感じたスージーは、サラの友人の精神科医フランクを訪ねるが、そこで聞いたのは、フライブルク学院が、元はバレエ学校ではなく、魔女の学校だったという気味の悪い話だった。そして、サラが以前「先生達は、学校の外に住んでいる訳じゃない。夜、廊下を学校の奥に向かってゆく足音を聞いたことがあるの」と言っていたことを思い出す。

その晩、スージーは廊下を歩く足音の数を数え、それが指し示す通り、進んでゆく。彼女がたどり着いたのは、学院の奥深く、ウィ~ン工房のデザインを思わせる美しい装飾が施された部屋と、黄金の植物紋様が縫い取りされたカーテンが続く廊下だった――その奥の部屋では、教師たちが不気味な集会を開いていた。

姿を見せたことのない校長も、とっくに死んでしまったはずの魔女エレナ・マルコスであることが分かる――というのが大体のストーリー。

この映画が作られたのは、多分1970年代の頃のはずで、今のように刺激に満ち満ちたコンテンツが溢れかえる時代から見ると、さほど怖いとも思えない。

けれど、アルジェント流の美術というか、道具立て、洒落て優雅な雰囲気を漂わせている世界は、確かにゴシック風で、うっとりするほど魅惑的。映画を観終わった後も、ウィーンの世紀末美術のようなカーテンの模様、洗面所の蛇口に流れるワインの赤が、くっきり瞼の裏に息づいているのを感じてしまったほど。

ダリオ・アルジェント――何だか、いいです。

「インフェルノ」も、ぜひ観たいな☆彡

 


沙羅双樹の花

2020-06-22 00:24:48 | ガーデニング

日本庭に咲いた沙羅双樹の花。御存じ、「平家物語」にも登場する花――清冽な佇まいや、その気高さ。いにしえの武士たちが、自分たちの生き様を、託したのも分かるような凛とした美しさを漂わせています。

   

別名は、「夏椿」ともいうのですが……写真でははっきりと映らない、涼し気な風情――沙羅双樹という名が、すでに美しい花であります。


天気の子

2020-06-19 19:03:24 | 映画のレビュー

 

昨年公開されるや、大ヒットした新海誠監督の「天気の子」。観たいなあ~と思っていたのですが、このほどやっと、おうちで、ロードジョー公開!

……しかし、観た後の感想は微妙、というか、?の要素が大ですね。決して、明るく楽しい話でもないし、今コロナという疫病が社会を覆っている時期にあっては、身につまされる場面も端々にあります。

地球規模で公開されたアニメ映画なので、ご覧になった方は多いと思うのですが、ここでごく簡単にストーリーをおさらいすると、家出した主人公の高校生、帆高は、フェリーで東京へ向かう。しかし、身元もはっきりしない少年を雇ってくれるところなどあるはずがなく、彼はひょんなことで出会った零細プロダクションを経営するライター、圭介のもとで働くことになります。

        

なぜか、この作品で描かれる東京は、ず~っと雨が降り続いているという、ノアの箱舟的状況。そして、帆高が出会った少女陽菜(彼女も、両親がいなくて、小学生の弟と二人で暮らしている)に、つかの間、晴天を呼び起こせる「晴れ女」の超能力を持っていることがわかり、人々の願いにこたえて、彼女にその能力を生かすことを提案する。

しかし、晴れ女としての力を使い続けているうちに、陽菜の体は透き通ってゆき、やがて、空の上に姿を消してしまう――後半は、天気を変える能力を持つが故に、人柱としての役割を果たすことになってしまった彼女を、帆高が、空にまで追ってゆくという、ドラマチックな展開になっています。

でも、あんまり面白くない……鑑賞して、いい気分になれる物語ではないですね。最後、何年か過ぎた後でも、雨はずっと降り続け、東京の土地は幾分か水没してしまっているというエンドに至っては、「そりゃ、ないんじゃない」と叫びたくなります。

ディストピアと形容しても良いような、未来の東京の姿――現実だけでなく、想像の中でも、日本の未来には、明るい行く手は待っていないのかしら。

ストーリーが、後味が悪いというだけではなく、この作品で新海誠さんは、思いっきりこけてしまったように思います。はっきり、失敗作だったと言ってもいい。天気を変えるという、空の巫女と言ってよい陽菜にもキャラクターの魅力が薄いし、主人公の帆高にも、「拳銃をぶっ放すなんて、何やっているんだろう?」という感じで、共感しにくいですね。 

 

「君の名は」の大ヒットから、世界的に評価されている新海さんですが、彼の作品には、かつての宮崎駿アニメにあったような、はちきれるような躍動感や華やかさがないのでは…?

 

 


オステリア江崎

2020-06-18 17:31:47 | ある日の日記

総社にある「オステリア江崎」へ、ランチに行ってきました。

ここでは、イタリア人のアンナさんが腕を振るうイタリアご飯が食べられるのです。

上の写真はお店の壁に飾られた、パスタで描かれた絵。とってもユニーク!こんなの見たのは、はじめてだわあ。

店主の方の丁寧な説明を聞きながら食したランチー本場の珍しいパスタ(これが、実に様々な種類があるの)を食べたのですが、やはり日本人が作ったり、あるいは日本人好みに味付けしているものとは、少しディテールが違いますね。

食後のエスプレッソも、とっても美味しかった❣️

デミタスのカップーー左側はもちろん、ジノリの「イタリアンフルーツ」ですが、右側はナポリの老舗ガンブリヌス(私は後に、ネットの映像で確認したのですが、とても壮麗で美しいカフェサロン。1860年創業というから、とてつもなく古いですね)だけで、特別に使用されているカップだそう。濃い緑の植物装飾文様がとても美しいです(この謂れも、店主の方に教えて頂いたのですが)。

また、ぜひ再訪したいお店です。  


6月の朝

2020-06-08 09:16:00 | ガーデニング

 

  

              

今朝の葡萄小屋を写したものです。でも、もう8時半にもなると、光がいっぱいに入ってうまく写せませんね。

5~6年ほども前、童話創作教室に通っていた時、Hさんから頂いた時計草――ガーデンの中で元気よく成長し、上品で繊細な薄紫の花を咲かせてくれるようになりました。その群生を写したかったのに、朝日の光が強すぎてムリ。 もっと早く早朝に起きて、撮らなきゃね。

 でも、お手洗いのところに挿した一輪挿しの時計草も、こんな風に涼やか。

     

 これは、私が始めて作った写本装飾の小さな作品――これもお手洗いの中の壁にかけています。でも、Tの字の金箔――写真で見ると、なぜか光らなくなってしまうのですね。

    

     

     


予期せぬ出来事

2020-06-07 22:46:05 | 映画のレビュー

映画「予期せぬ出来事」をホームロードショーで観ました。1963年制作のイギリス映画だというのだから、もう60年近くも前のもの――舞台となるロンドンの空港の様子、俳優たちのファッション、そして何より、当時結婚していたリズとリチャード・バートン二人の存在自体が懐かしい!

リズとバートンはこの前年くらいに「クレオパトラ」で共演して、結婚したんじゃないかな? だとしたら、リズは当時まだ31歳くらいだったはずーーしかし、何だかしわがない40歳の女性のムードを醸し出しております。

ひょっとして、この人、普通の人より老けるのが早いのかしら?

 

だって、この代表作「陽の当たる場所」に出た時、まだ17歳だったっていうんだから。とてもそうは思えない、絶頂期にある美しさでしょ。ひょっとして、人より成熟や老化のスピードが速い体質だったのかもしれませんね。

この「予期せぬ出来事」に話を戻すと、恋愛ドラマというより、昔の言葉で言う「メロドラマ」に近いストーリーです。リズは、ここでは富豪(これがリチャード・バートン)の妻でありながら、ギャンブラーである元ジゴロと空港で待ち合わせをし、ジャマイカへ駆け落ちするつもりでいるのですが、夫はそんなことには気づかず、愛する妻を空港まで送ってきます。

夫とも見知った仲である、駆け落ち相手のジゴロ。ところが、二人が飛行機に乗ろうとすると、霧が立ち込め、離陸不可能になってしまう。やむなく、リズたちは、空港そばのホテルで待機するのですが、そこへ妻の置手紙を読んで、取り乱した夫が駆けつけて来る――という、舞台劇のような構成になっています。

私が、この作品で、すごく興味深かったのは、ロンドンの空港の様子(多分、ヒースローかな?)。今のような、巨大な一つの街のような国際空港なんかじゃなくて、すべてがとってもコンパクトなのです。 パンナムだとか今はもうない飛行機会社の名前もあり、我が日本の真っ赤な鶴がシンボルマークの日本航空のカウンターもあるのですが、そのどれもがすごくこじんまりとして、各航空会社が肩を寄せ合っている感じ。

ここに漂う空気感――ぜんぜん知らない、私が生まれてさえいない時代のものだけど、何だか懐かしいなア。リチャード・バートンの夫が、リズの手を取りながら「飛行機に乗る前で、緊張しているのかい?」と聞く場面や、「生まれて初めて飛行機に乗るのよ!」と空港のロビーで騒ぎまくる、イギリスの公爵夫人(でも、とっても庶民的なお方で、乗る席は、エコノミー)の姿を見ると、この時代は、飛行機で外国へ行くっていうのは、まだまだ特別のことだったんだなあ、としみじみ実感してしまいます。

こういう、いかにも懐かしのメロドラマ調の物語は、必ずしも好みではないのですが、そこは当時結婚していたリズとバートンの迫力がすごくて、魅せます!

上の写真の悪趣味どピンクのドレスを着た姿が、いかにも……という感じのリズ。でも、二人とも、もうすでに死んでしまっていないし、彼らの若かった頃の姿を見ると、過ぎ去ってしまった時代へのノスタルジーを感じさせられてしまいますね。


アルベール・カミュのこと

2020-06-01 12:13:43 | 本のレビュー

 

今、カミュの「ペスト」がブームになっているとかで、色々なところで見聞きする。

でも、私果たして、この本を読んだことあったかな? あったような、なかったような……。

十代の頃、かなりカミュという作家のファンで、「異邦人」はもとより、「シジュフォスの神話」「転落/暗い王国」「カリギュラ」も読んだし、彼の若き日の創作ノート「太陽の讃歌」、習作の「幸福な死」まで読んだことをはっきり覚えているのに、「ペスト」の記憶だけが、すっぽり抜け落ちている。

たぶん、「疫病の話なんて、イヤだな」とばかり、スルーしてしまったのだろうと思う。だから、今回読もうかと思ったのだけど、だいぶん老化しているせいか、少し硬い本や、難しい本が読めなくなってしまっている私。

実言うと、以前、東京の知人の方から、カミュの未完の遺作である「最初の人間」を送って頂いたのに、まだ読めておりませぬ💦(でも、いつかは絶対読むわ)

       

それしても、今カミュの名前を聞くなんて、とっても新鮮でかつ懐かしい気がする。時代は次々に移り変わってゆき、カミュの本の目印としていた新潮社の銀色の表紙の文庫本なんて、久しく目にすることもなくなっていたようだから。サガンの美しいマゼンタ色の背表紙とベルナール・ビュッフェの絵がついた文庫本が、とうの昔に書店から消えてしまったように。

「太陽の讃歌」の明晰で、しかもリリシズム溢れる断章の数々を、本当に久しぶりに思い出してしまった私。 いつか、また機会があったら、書庫の奥から探してみようかな?