ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ある日の日記

2015-06-26 09:26:37 | 児童文学
朝、起きてノエルの散歩。
それから、居住スペース(キッチン、書斎、寝室棟、浴室)の掃除。終わった後、駅へ新幹線の切符を買いに。
帰宅すると、もう3時過ぎ。

岡山児童文学会の夏合宿で、会員の原稿の合評をするので、皆さんの原稿を読ませて頂く。一冊の単行本になる、と思われる量の作品を書いてこられる方もいるのだが、最後読ませて頂いた作品は、スゴーク面白かった。聞くと、この方は現在活躍中のプロの作家の方なのだとか。文章がきらきらとしているというか、やっぱり違うなあ、と溜息。
ああ、でもレポートするって、どうすればいいんだろ? わからないので、後でメールで聞かねば。

それにしても、体力がないなあ・・・。午睡をとらなきゃ、やっていけないこともしばしば。もっと、体力やエネルギーがあったら、生産的に毎日を過ごせるのに。せめて、もう十数年、若かったら――と言っても仕方ないことを考えてしまう私。ああ、でも、若かりき日の日々を無駄に過ごしたのは、すべて私の責任に違いない。本当に、若い頃の私は馬鹿だった…。







スヌーピー大好き

2015-06-23 22:37:23 | ある日の日記

今、私の部屋にあるスヌーピーがデザインされたテイッシュの箱。
スーパーで見た時、「こんな素敵なものが!」と喜びいさんで購入。ちり紙みたいな味気ないものでも、スヌーピーだというだけで、一枚一枚が貴重な感じがするから、不思議。

スヌーピーの何が好きかというと、あのそらまめ形の顔に、ラブリーな目。表情がいちいちチャーミングで、ほれぼれしてしまいそう。
こんな可愛らしいキャラクターにかかっては、日本が誇るキティちゃんなど、目ではないのだ。

おまけに、スヌーピーは隠れた詩人でありまして、犬小屋の赤い屋根の上に寝そべっては、青い空を見ていたりする。ああ、いいなあ。スヌーピーが実在するなら、私が一番友達にしたい犬は、スヌーピーです。
そして、これは、うーんと昔、私が高校を卒業する時、母が買ってくれた救急箱。ごらんのように、お医者さんの格好をしたスヌーピーとチャーリーがデザインされております。 蓋のピンクや取っ手の空色もちょっと剥げていますが、今も現役中。

こんな風に、カリグラフィーを制作するのに必要なガッシュ(不透明水彩絵の具)がつまっているのだ! 愛用のお道具箱にも、お供させたい、いとしのスヌーピーでありました。 

ノエルの散歩道

2015-06-20 23:37:15 | ノエル

梅雨時のガーデンもなかなか良きかな。

ノエルも御覧の通り、優雅にベンチに寝そべっています。今は、夏至の頃。ノエルの散歩も午後6時頃からの出発となりますが、今日はうれしい出会いが。

小型犬ばかりが歩いている風景に慣れているのですが、この日は何と、8カ月のゴールデンに会いました。大型犬が敬遠されるようになり、ほとんど滅びゆく種族と化してしまった(?)感のあるゴールデン。でも、まだまだ生息しているのだわ。

まだ大人になりきらないゴールデンの肢体のしなやかで、やわらかそうなこと。足なんて、まだ頼りなげで、バンビのようにキュート!  ゴールデンやその外の大型犬が、さっそうと闊歩してゆく姿がたくさん見られることを、心から切望しております、はい。

ぎりぎりセーフ!

2015-06-20 23:23:02 | ある日の日記
明日、「岡山児童文学会」の会合に持って行く原稿を印刷し終えました。

女の子とネズミが題材のファンタジ―もので、原稿用紙35~6枚のもの。今週になってから、ようやく書きはじめ、家族の内視鏡検査につきそったり、この間生まれた姪の顔を見に行ったりする用事があったものの、4日かかりました。

こういう正統派(?)の児童ファンタジー童話って、ちょっとわたしのカラーじゃないような気も…。それしても、どうしてこんなにうまく書けないんだろう。文章もうまくないですし。もっと色彩や音を感じさせるような文章が書ければ良いのに。

それでも、1975年頃の東京にいた15歳の少年が、2015年の現在に時空をこえてやってくる物語を書いてみたいな、と頭の隅で考えたりしています。日本がまだのぼりつめていく途中の熱気をはらんだ時代から、妙に静かでこじんまりしてしまった現代に、少年を放りだしたら、どんなことがおこるだろうか、と。まあ、語りつくされた題材ですけど、切り口を変えてみたら、面白い児童文学になるかもしれません。

狼の女王グレイ

2015-06-14 21:08:44 | テレビ番組
動物ドキュメンタリー番組の「ダーウィンが来た」。今日は、「伝説の女王オオカミ、グレイ」を特集したものでした。

オオカミたちというと強き獣と思いがちですが、彼らも、生きるためにきびしい闘いを繰り広げているのです。そんな群れを率いるリーダーが、女性だとしたら? グレイは、そんな稀な女王狼。
彼女が仲間たちを守るために、智恵を働かせ、必死に生きのびていくさまは、TV画面のこちら側から見ても、胸を打ちます。獲物をとらえ、競争相手の、別のオオカミグループと死闘を繰り拡げるグレイ。 野生とは、なんと過酷な世界に生きているのか…。

ある年、厳しい寒さが続き、獲物のシカがほとんどいなくなり、グレイは大きな決断をします。今まで、イエローストーン公園内で生きてきましたが、獲物を探すために、なわばりである公園の外に出ようとしたのです。そこへ、一発の銃声が――。グレイの命を奪ったのは、ハンターの銃でした。

本当によくできたドキュメンタリーでしたが、やっぱり悲しい。 野生と自然の厳しさが、いつもでも、心に残り続けるようで…。グレイの娘が、残った仲間たちを引き連れ、その子供たちが生まれ、「命は受け継がれていっているのです」とナレーションが流れましたが、私の胸からもグレイの駆けてゆく姿は消えそうにありません。

間奏曲はパリで

2015-06-14 14:19:23 | 映画のレビュー
ゆきつけのミニ・シアターへ、映画を観に行く。
お目当ては、イザベル・ユペール主演の「間奏曲はパリで」。

イザベル・ユペールと言えば、「ピアニスト」での鬼気迫る演技が忘れ難い名女優。 コンサート・ピアニストへの夢が挫折しながら、ピアノ教師として、母と暮らす中年女性のヒロイン。恋愛や楽しみとは無縁に生きてきた彼女が、若い青年ワルターが現れたのを契機に、破滅へといっきょに突き進んでいく様が、見事に描かれた作品だった。

ユペールの、知的で意志の強い、どこか能面を感じさせる表情の裏に、狂気をはらんだ危うさがちらちらするのが、観客にスリリングな興奮を感じさせたもの。ラスト、ナイフをバッグにしのばせた彼女が、自分が演奏者として主演するコンサート会場に赴くも、ワルターの残酷な無視に「クソッタレ」と小さく呟き、ナイフをじぶんの胸に突き刺し、コンサートホールを決然と去る――映画はここで終わるのだが、夜のウィーンの街へ去った彼女は、どこへ行くのか。 夜の舗道に消えた「ピアニスト」の面影が、私の胸から、いつまでも消えないままだ。

「ピアニスト」をあれほど見事に演じたユペールの久々の主演だというので、楽しみにしていた「間奏曲…」。でも、実際観ての感想は、「あんまりおもしろくない」映画というところ。

ノルマンディー地方の農場の主婦、ブリジット(これをユペールが演じている)。夫との間も円満だが、息子も巣立ち、日々の繰り返しに倦怠を感じている。そうした人生の凪ぎ状態にいる彼女の前に現れたのが、隣家のパーティーで知り合った魅力的なパリジャンの青年スタン。 彼とのふれあいが、ブリジットの中に眠っていた若さや冒険心を呼び覚ましてしまう。そして、彼女はもっともらしい理由をつけ、パリへの少旅行へ――。というのがストーリー。

ノルマンディーの田舎者、と卑下したりするのだが、どうしてどうして、ユペール演ずるブリジットはファッショナブルで魅力的。まるで、ロシアの女性を思わせる毛皮の帽子を粋にかぶり、ワイン色のコートをひるがえしながら、パリの街を闊歩する。でも……それだけである。ドラマとしての面白さもないし、何より、ブリジットが「命の洗濯」をするはずのパリの街に魅力が感じられない。バトー・ムーシュから見るセーヌ河と地下鉄、オペラ座周辺らしい街並み。 本当のパリはもっと華やかで、魅惑的なはずでは?
これなら、ノルマンディーの緑豊かな牧草地と、暖かなインテリアがしつらえられた家、シャイレロー種というキュートな牛たちの方が、ずっと心を惹きつけられる。

鋭く、繊細なイザベル・ユペールの容姿と、磨かれた演技を楽しめた以外、何と言う事のない映画。

ピラミッドのおうち

2015-06-13 21:43:40 | 健康・病気
新聞や雑誌といったメディアに接して、感じるのは若さや健康を保つサプリメントや、健康食品が山のようにあるということです。現代のような、超高齢社会では、90歳を過ぎる年齢の人も珍しくなくなり、人々の願いは、いかに元気で長く人生をエンジョイできるか、ということにしぼられてきているのですね。 古代から権力や富を得た人が、次に求めたのは不老長寿。そうした需要があってこそ、中世の時代、あれほど錬金術への熱狂が見られ、有力者たちは、後援を惜しまなかったのだとか。

何だか、昔も今も、人がお金を出す動機は、同じなのかも?
でも、そうしたサプリメントの広告を見て、ふと思いついたのは、アンチエイジングを目指すなら、「ピラミッド」の家に住めば良いのでは、ということ。

御存知の人も多いと思うのですが、世に知られた「ピラミッドパワー」というものは、科学的な理由は不明ながら、ずっと伝えられてきたものです。早い話、ピラミッド形の空間に置いた食品は、腐敗・劣化するスピードが格段に遅くなり、食べ物は新鮮な状態をキープできるのです。 昔、子供だった頃、スーパーで、三角形の紙パックに入った牛乳やコーヒー牛乳を売っていたことを思い出しますが、これもピラミッドパワーを応用したものだったのでしょうね。

聞いた話ですが、錆びたカミソリも、ピラミッドの中に入れると、ピカピカになるのだそう。

そこでです。私達も、ピラミッドのおうちに住むべきなのでは? 現代人が住む住居は、四角い箱のような建物ばかりですが、これが三角形の空間だとしたら、面白そう! ひょっとしたら、部屋の形も、三角形とか奇妙な幾何学形になるのかもしれないけれど、そこで暮らせば、老化はゆっくりとしか進まないはず。 錆びたカミソリが元の切れ味を取り戻すということは、私達の体を錆びさせるという活性酸素もノックアウトしてくれるかもしれません。

古代エジプトの王様たちも、ピラミッドのお墓の中に眠っていて、数千年前の肉体をそのまましっかりと保存していますしね(ちょっと、意味がぜんぜん違いますよ)

結婚、おめでとう!

2015-06-12 11:01:01 | カリグラフィー+写本装飾

頼まれていた、結婚のお祝いのメッセージを書いた作品2枚が完成。
一方は、平筆で、花の模様を文字にからませたもの。もう一方は、ゴシック体に紋章の装飾をほどこしたものです。
紋章のところの、金箔が綺麗に貼れて、やれやれなのですが、遅れてごめんなさい。これにメッセージの英文の翻訳を書いたカードをつけくわえておきます。
Bさん、好みではないかもしれませんが…これで許しくださいませ。

精神科医って・・・

2015-06-12 10:46:49 | 本のレビュー
頂いたR・D・レインの本を三冊とも読む。
その読後感――精神科医って、妙なものだなあ、ということ。以前、誰かが「インテリとは、不健康なものを高級と感じている不思議な人種だから」と言っていたけれど、精神分析医だって負けてはおりませぬ。

レインの本のうち、「子供との対話」は、自身の幼い子供たちとの対話を数年にわたって、記録しておくという構成で、幼児の精神発達と豊かな心の世界が、かいま見られて面白かったのだけれど、後の二冊は――。
精神分析医とは、人の心のカオスを、手前勝手な理論で分析してみて、その独りよがりな結論に陶酔している気味があるのでは?
でも、1960年代――統合失調症などが、「手のつけられぬ」病として暗い見通しばかりが立てられていた時代に、「病人を病人として、扱うことに狂気の根がある」と、患者に自立した生活をうながすグループホームを運営したことなど、特筆に値するだろう。

ふと思い出したのだけれど、ずっと以前知り合いの精神科のお医者さんが、患者さんたちと写した写真を見て、その友達が「こりゃ、どっちが医者で患者かわからんじゃないか」といったという話を聞いたことがありまする。現実とは、そんなものかもね。

愛しの老嬢ミス・マープル

2015-06-06 22:28:56 | テレビ番組
近頃、うれしいことは土曜の昼さがり、TVで「ミス・マープル」を放映していること。
ミス・マープルとはもちろん、アガサ・クリスティーの創造したオールド・ミスの名探偵であるおばあちゃま。

私は、小学生の頃から彼女のファンで、クリスティーが生んだもう一人の名探偵、ポアロなんぞより百倍も好きなほど。英国は片田舎セント・メアリ・ミードに住む、上品なピンク色の頬をした老婦人ジェイン・マープル。小さくて、弱々しく、可愛らしいばあさんのように見えて、ただものではない! 警察も手を焼く難事件を、たちどころに解決してのけるのだが、その謎解きのヒントが村で聞いたゴシップというのが、何だか面白いと思いません?

実は、マープル、上品な箱入りばあさんのように見えて、その頭の中には、村の人たちのスキャンダルやゴシップが、きっちりと詰まっており、犯人像も、かつての知り合いに類似した点を分析し、割りだすという「高度」(?)な捜査法を駆使するのである。
この、ゴシップ好きというところ――原作者のクリスティーの複雑でちょっぴり底意地の悪い性格がうかがえそう。

そして、TVという映像の特権をかりて、視覚化される英国の田園の風景と、マープルの住むコテージの素敵さにはため息が出そう。彼女が住む家の前には、紫色のフリージアか何かを思わせる花々がたわわに垂れ下がり、グラジオラス、アイリス、ジギタリスといった花が色とりどりに咲き誇り、まるで夢に出てくる風景のよう。う~ん、私もこんな家に住んで、庭を見ながら、のんびりと紅茶やスコーンを楽しむ午後を過ごしたいもの。 こんな家は、英国ではまだ見ることができるのかもしれないけど、マープルが生活し、彼女が息づく空間は、もう「古き良き英国」として、遠い郷愁の中にしか存在しないに違いない。

TVで、マープルが可愛らしい帽子をちょこんとかぶり、チャーミングな笑顔をふりまきながら、その実、目をピカリと光らせて、人間の醜さ・残酷さを見逃さないさまを見るのは、痛快そのもの。年を取ったら、ミス・マープルのような婆さんになるのをめざすのも、面白そうでごわす。

P.S ネットで検索したら、何とセント・メアリ・ミード発の洋服ブランド「ジェーン・マープル」というものがあるらしい。どんな洋服あつかってるの? まさか、1930年代のオールド・ミスをイメージしたもの? こんなお洋服着る女性は、結婚できないのでは?(お前が言うか?)