ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

フェノミナ

2023-08-03 22:08:51 | 映画のレビュー

1985年に制作されたイタリア映画「フェノミナ」を観る。実は、これはすこぶるつきのホラー映画。

以前、このブログで紹介した「サスペリア」の監督であるダリオ・アルジェントのもう一つの代表作というわけだが、最近になるまで、そのことも知らなかった。

しかし、この「フェノミナ」——ずっと観たいと願い続けてきた映画でもある。何度も口にしてきたことだけれど、私は中学生の頃、映画雑誌の「スクリーン」を愛読していて、この「フェノミナ」のロードショーが告げられた記事を読んだ時も、何だか興味をひかれたのだ。でも、当時の私は、ホラーなんて嫌いだった。

1970~80年代は、ホラー系統がブームだったのか、「オーメン」シリーズ、「エクソシスト」、スティーブン・キング原作の「ミザリー」だとかが、人気を博していた記憶がある。でも、中二だった私が、この作品に興味を持ったのは、純粋に、主演が当時、15歳のジェニファー・コネリーだった一点に限る。シンプルな制服を着て、こちらをきりっと見すえる、ジェニファーの知的で、清楚な美しさが、くっきり、心に残っていた。

それから、幾星霜もの年月が流れ、ようやくamazonで買ったブルーレイ版で、彼女に会えたというわけだが、予想以上に面白い作品だった。

   

主人公の少女、ジェニファーは、世界的な大スターを父親に持つ、少女だが、家庭的には恵まれず、孤独。そんな彼女が、スイスにある少女だけの全寮制の学校に入学するため、アメリカからやって来るというところから、物語は始まる。

この設定に、ジェニファー・コネリーの美貌が加わるだけで、ドキドキするのに、なんと、ジェニファーは虫を愛し、彼らと交信する超能力を持つ。そして、夢遊病の発作にも見舞われる。

フツーでないヒロインが降りたった、風光明媚なスイスの地には、時悪しくして、かよわい少女ばかりを狙い、惨殺する殺人鬼が出没していた。夢遊病の発作に見舞われ、深夜、学校から抜け出したジェニフアーは、車いす生活の昆虫学者のマクレガーに救われる。マクレガーは、賢いチンパンジーのインガと暮らしているのだが、彼の助けを借りて、ジェニファーは連続殺人鬼を見つけ出そうとすうr——というのが、大まかなストーリー。

事件の鍵は、学校の女性教師、ブルックナーが握っており、ジェニファーはアメリカの父親のもとに逃げ帰ろうとした時、彼女の家に一晩泊まるよう言われる。しかし、その家では、すべての鏡に布がかかっており、ブルックナーは「息子が鏡を怖がるから、こうするしかないのだ」などと言う。

その言葉の意味は? そして、ブルックナーの息子とはどんな人物なのか? そして、ブルックナーは、事件にどんな役割を果たすのか? とスリルと恐怖で、観客を引っ張っていくアルジェント、本当に上手い!

ただ、見終わった時「?」の点がいくつも、あったのは事実。なぜ、犯人は、少女ばかり狙ったのか? ブルックナーの恐ろしい息子は、どういう因果を背負っているのか?

と釈然としない思いもあったものの、それをはるかに上回って、ジェニファー・コネリーのヒロインぶりが魅力的! 可憐でありながら、どこかミステリアスな影を宿した少女——虫とテレパシーができるって、他に見当たらない、ヒロインでは?


とんび

2023-06-11 16:58:00 | 映画のレビュー

映画「とんび」を観る。 作家重松清のベストセラー小説を映画したもの。

といっても、恥ずかしながら、今まで重松清さんの作品はまるで読んだことがなく、この映画が岡山県でロケされたものだということも知らなかった……。

普段まったく見ない日本映画で、主演の阿部寛も有名な俳優だというのに、振り返ってみれば、彼が出た映画で見たものと言えば、ずーっと昔、阿部寛がまだモデルだったかの頃、出た、江戸川乱歩原作の映画「ひとでなしの恋」だけだったな。

彼のデビュー作である、出た少女マンガ原作の「はいからさんが通る」も、ヤマサキマリ原作の「テルマエ・ロマエ」も見たことがありませんです、はい。

しかし、このたび見た、「とんび」——とても、面白かった! 背景となっている時代も、私の好きな高度経済成長期で、まるで「三丁目の夕日」を連想させるし、熱いハートと人情が感じられるのも、GOOD!

阿部寛演じるヤスは、地元の運送業者に勤めるのだが、けんかっ早くて、無計画。でも、仲間の皆に愛されている。奥さんの美佐子が妊娠していることを知っても、うれしさを素直に表現することもできないくらい、不器用なのだけれど、彼女と息子アキラと幸せいっぱいの生活を紡いでいく。

ところが、美佐子とアキラが、「お父さんの職場見学に」と、ヤスの勤務場所にやって来た時、悲劇が起こる。まだ三歳で、何もわからないアキラが、積み重ねられていた荷物に、洋服をひっかけ、荷がくずおれてしまう。息子を助けようとした美佐子は、重い荷物の下敷きになって死んでしまう。

そこから、ヤスは、ただ息子を幸せにすることだけを願い、アキラのために生きていく。阿部寛の演技が、濃くて(彼の顔立ちもそうですけど)、人間臭さを感じさせるのがたまらなくいい! 時にユーモラスに、時にオチャメでさえあるヤスの魅力が、こちらにもじんじん伝わってくる。この映画は、阿部寛の力演が、最大のポイントなのでは?

阿部寛が、こんなにいい役者だなんて知らなかったなあ……。

アキラは、ヤスの思いを映してか、優秀な好青年に成長してゆくのだが、彼が一流大学に合格して、出版社に就職し、そこで先輩社員のバツイチの子連れ女性と恋愛する、という後半は、はっきりいって退屈だらだらと長い気がするんです。 そして、アキラがのちに、直木賞作家とまでなってしまうというのだから、これって、もしかして、重松清さん本人がモデル?

アキラが大学に合格し、地元を離れるという時、例によって、不器用なヤスはトイレにこもってしまい、さよならの挨拶もできないという始末なのだが、そのトイレが水洗式じゃないらしいのも、いかにも昭和なドラマ。面白いです。

いざ息子が去ってしまうと、ヤスはそのトイレから飛び出し、アキラたちが乗ったタクシーを追っかけてゆくのだが、私の好みを言えば、映画はここで終わってほしかった……。

地元の人々の情愛と、父の子に注ぐ愛というドラマが、十分堪能できたし、余韻が残った気がする。

 

 


世界で一番美しい少年

2023-05-28 09:12:19 | 映画のレビュー

アップするのをすっかり忘れてしまっていた……だいぶ前に、ミニシアターで観た「世界で一番美しい少年」の記事を載せます。

ヴィスコンティの名作「ベニスに死す」。故淀川長治さんが、”映画のダイアモンド”と讃えたという、この上なく美しい作品。今では、トーマス・マンの原作より、こちらの方が有名なくらいではないでしょうか?

さて、昨年だったか一昨年だったか、映画が作られてから50周年を記念して製作されたという本作。主人公の音楽家アッシェンバッハを惑わす、絶世の美少年タジオを演じたのが、上の写真の少年、ビョルン・アンドレセン(左側が、監督のルキノ・ヴィスコンティ)。

ベニスの白亜のホテルや、浜辺に立っているシーンを見るだけで、つい、ほーっとため息がもれそうな、亜麻色の髪と青い目の美しい少年です。事実、ビョルンは、映画に出た後、世界中でひっぱりだこに。 しかし、その伝説的な美少年は、ほんのひととき、世の中を騒がしたにすぎず、いつか人々の前から姿を消してしまっていました。

彼の身に何が起こったのか? その謎にみちた半生を追ったのが、このドキュメンタリー映画「世界で一番美しい少年」なのですが、あまりに悲劇的な人生に、心が、すっかりかき乱されてしまいました。

この世のものとは思えないほど、耽美的で滅びの美への予感に満ちた「ベニスに死す」。なのに、その美を体現した少年がたどった道とは……現実とは、何と、残酷で、夢のかけらもないんだろう。

映画での華々しい成功の後、ヴィスコテンティが、彼を連れていった先は、何と、パリの同性愛者の世界。そこで、天性の美を思いきり、利用されるのですが、若さが失われると、飽きた玩具を捨てるように、広い世の中へ放り出されます。そして、結婚した相手との間に生まれた子供を失い、離婚。

年取った今も、映画界の片隅で、細々と生きているというビョルン。その老いた顔を見ると、かつての美少年の廃墟という感じです。(私の好みを言うなら、ビョルンには老いを知らず、若く美しいまま死んでほしかった……)

しかし、アパートに一人暮らしをする様子を見ていると、ゴミ屋敷に住んでいるとしか思えません。あの美しい少年が、こんな汚れた食器がうずたかく積もり、廃屋のような部屋に住んでいるなどとは……同じく、ヴィスコンティが寵愛した俳優、ヘルムート・ベルガーが、すさまじい汚部屋に住み、お金にも不自由している晩年を送っている、と以前、どこかで読んだ記憶があるのですが、二人とも、どうしてこんなことになったのだろう?

きっと、若かりし日にヴィスコンティ―によってかけられた、美の魔法が、今もとけないままなのではないか? その魔法が、現実の世の中から二人を遊離させてしまい、生活破綻者のような末路を送らせることになってしまったのではないでしょうか?

映画の終盤、ビョルンが自分を栄光の階段に登らせ、そして破滅させた「ベニスに死す」の舞台となったリド島のホテルに、赴くところが印象的でした。あのタジオの美貌そのもののように華麗なホテルは、今では廃業し、ホテルの建物も、無残な廃墟となっている――これを見て、思わず、絶句してしまいました。

実は三十年も前の大学時代、イタリアを旅行した時、ベネチアへも行ったのですが、その時、「ベニスに死す」の舞台のホテルへも行ってみたくてたまらず、ウォポレットに乗って、リド島まで行ったことがあるのです。

ところが、実際に行ってみると、優雅なビーチの奥に、すぐホテルがあるなどというものではなく、かなり大きな島。砂浜を行くと、むき出しの砂の一本道があり、その両側に店や飲食店が並んでいるという、リゾート感なんてあまりないところ。

モデルとなったホテルへ行くのはあきらめ、旅行で知り合った他大学のAさんと、雑貨店で、赤いオレンジジュースを買い、飲んだことしか思い出がありません。白い砂道に、わたしの影が長く伸びていたなあ……。

その時、舞台のホテルに、またいつか行けたらいいなあ、と思って島を後にしたのですが、それももう、かなわぬ夢となったのか。

ただ、映画を見ていて、救いとなったのは、ビョルンのただ一人残った娘の存在。彼女も、今は中年の女性となっているのですが、彼女がこう言っています。

「私の胸が痛んで仕方ないのは、まだ映画界に入る前の父のオーデイションシーンを見る時です」

彼女が言っていた、そのオーディション風景が、映画の最後紹介されるのですが、そこで名前を呼ばれたビョルンが、ドアを開けて、ヴィスコンティ達の前に姿を現します。その瞬間を切り取った映像が流れるのですが、気恥ずかしそうに微笑みながら、部屋に入ってくるビョルン。彼は自分の未来に、どんなことが待ち受けているか、まだ何も知らない――そのイノセントな、今にも壊れそうな儚さを目にすると、胸の奥を突かれたような気持になるのは、誰しも同じではないでしょうか?

 

 


ジェシージェームズの暗殺

2023-01-14 22:51:55 | 映画のレビュー

映画「ジェシージェームズの暗殺」のDVDを見る。実いうと、これで2回目。

最初見た時は、「何か凄い映画を見たな」という感じで、はっきりとした印象が定まらなかったのだが、再び見終わっての感想——実に、素晴らしい、そしてビターな味わいのウェスタンもの。

ジェシージェームズという名前を、寡聞にして知らなかったのだが、実はビリーザキッドと並ぶ、西部のアウトローらしい。いわく、世界で初めて銀行強盗をした犯罪者。兄と一緒に、ギャング団を組み、列車強盗など幾多の犯罪に手を染めていた。

これだけなら、単なる違法者だが、ジェシーは、ハンサムであり、強盗をする際にも、労働者や女性に手荒なことをしなかったということから、義賊として、伝説に残るヒーローとなったらしい。

映画は、このジェシーを天下のブラピが演じるというのだから、それだけでも興味深々。物語は、ジェシーのギャング団に、ロバート・フォードという若者が、仲間として入り込むことから始まる。この時、ロバートはまだ二十歳という若さで、子供の頃から、義賊ジェシーを熱烈に賛美していたのだ。 ギャング団には、ロバートの兄のチャーリーも加わる。

このままいけば、ジェシーを首領とする無法者の活劇が見られると思うでしょう? しかし、ことはより、複雑にねじくりかえるのだから、面白い。

ブラピ演じるジェシーは、この時34歳という男盛りで、賛美者があまたいようというのもうなずけるカッコよさなのだが、気さくで陽気な反面、眉ひとつ動かさずに、殺人を犯す非情さも併せ持つ。 今までどんな役を演じていても、どこか軽やかな持ち味だったはずのブラピが、この役では陰りを帯びた、すごみを感じさせる。

やっぱり、役者っていうのはすごいなあ……。 

しかし、この映画での主役は、実はタイトルともなっているジェシーではなく、彼を裏切り、暗殺するロバートと言っていいのだ。強いあこがれが、一人の若者の内で、どんな風に憎しみへと変わり、彼が偶像を裏切る卑怯者となっていったかを、ロバート役のケイリーアフレックスが、その視線や表情の一つ一つに浮かび上がらせて、圧巻である。

司法当局と取引し、ジェシーを暗殺することを決意するロバート。そして、彼は兄のチャーリーと共に、ジェシーの家で彼のふいをついて、銃殺する。

そして、これが時代がうかがえて興味深いのだが、当時犯罪者の死体は写真にとられ、人々が見に来たのだそうな。ジェシーの死体は氷漬けにされ、アメリカ中を回って、娯楽の対象となったらしい。それだけ、ジェシーを断罪する気持が強いのかといえば、あにはからんや。

ジェシーの暗殺の一部始終を、これまた素人劇にして、観客に見せてまわったロバートに対して、人々の視線は冷たかった。彼に「卑怯者!」と叫び、自分たちの共同体から遠ざけようとする。

「自分は、若すぎて、民衆の心理がわからなかった」とロバートも自覚するのだが、彼の末路は、裏切り者がみなそうであるように寂しいものだった。 酒場を開くも、人々は彼に話しかけようとはせず、かつてのロバートと同じように義侠心にかられた男が、彼を暗殺した時も、人々の同情をひくことはなかった。(この、ロバートを殺した男が、人々の嘆願書で、釈放されたというのに)

仕事場である酒場で、突然、背後に暗殺者がやって来る。向けられた銃口に向かって振り向いたロバートの冷めた目と顔のクローズアップと、そこに流れるテロップーー

「彼が最後の言葉を発する前に、その目からは光が失われた」

何という、鮮やかなラストシーンだろう。役者も、映像も、脚本もすべて、素晴らしい! 

これほどまでの演技を披露するのだから、ただ者ではないと思ったのだが、やっぱりゲイリーアフレックスは、アカデミー主演男優賞のオスカーを獲得していた。やっぱりね。


戦争と平和

2022-12-12 11:35:43 | 映画のレビュー

オードリー・ヘプバーンの「戦争と平和」を見る。1956年作。

若い頃見た時は、長くて退屈だった覚えがあるのだけれど、この間何十年ぶりかで見た時、パッと目が見開くような気持ちに!

こんないい映画だったのか……これが(多分)、カラー映画初登場のオードリーがとても美しく、チャーミング。ああ、やっぱり、オードリーは凄くいいなあ。

子供の頃から、バレエをしていただけあり、足さばきがすばらしく綺麗で、動作が優雅。

   

上の写真は、最初の夫だったメル・ファーラーね。この映画、オードリーは、万人を惹きつけずにはいられない美少女ナターシャに扮しており、メルは彼女と恋愛関係に陥る公爵家の子息アレクセイを演じている。

そして、もう一人、この物語の主人公というべき、ピエール。彼は、伯爵家の私生児なのだが、冷たかったはずの父は、いまわの際に息子を、伯爵家の後継者と認める。

ナスターシャは、風のように自由で、恋していたはずのアレクセイから、別の与太者に心を移してしまったり、ピエールは奥さんとの間が冷え込んでしまったり……という人間模様が展開されたあと、何とロシアにナポレオンが攻め込んでくるのだ!

この戦いの場面が圧巻! 最初は強国フランス、天才ナポレオンの軍略に打ちのめされるものの、ロシアを救ったのは、最終的には、その国土。 ロシアの凍てつく寒さに、フランス軍は敗れてしまうのだ。

見渡す限りの雪原を、よろめきながら歩いてゆくフランス兵たち。十万人は死んだという戦いは、こんな惨憺たる有様だったのか。

この圧倒的な迫力に、私などは「ああ、やっぱり。ヒットラーたちも、スターリングラードの戦いで敗れたんだものねえ」とつぶやいてしまったもの。ナポレオン、ヒットラーもかなわなかった、ロシアの冬って、どんな凄いものなんだろう……?

戦いで負傷したアレクセイを、僧院の一室で静かに、看取るナターシャ。最後に、彼女を許したアレクセイ。戦いもようやく、終わった時、彼女のもとへ、捕虜となっていたピエールが帰ってくる。廃墟と化した屋敷の入り口で、抱き合う二人——というラストシーンで映画は終わるのだが、見終わった時、深く静かなものが心に広がった。

こんなしっかりした骨組みの映画は、もう今では作ることができないだろう。映画の黄金時代に存在していたパワーは、今は、もうどこにもないからだ。たとえ、技術が、どんなに進歩していたとしても。

そして、これは、先月買った本。いつか、TVでオードリーの息子のルカ・ドッティさんがコメントしているのを聞いて、オードリーの得意なチョコレートケーキのレシピが載っているものを探していたのだが、それが上の本というわけ。

  

本当に、内容の豊かな本で、あらためてオードリーの魅力を味わった。 チョコレートケーキは、上に粉砂糖を一面にふりかけて、そのまんなかに一本だけ、ロウソクをともすというもの――いかにも、シンプルなのだけれど、オードリーは子供たちのバースデーのみならず、大切な友達の誕生祝にも焼いてあげていたそう。

ごてごて飾っていず、ロウソクも一本だけ、というところがいかにも、オードリーらしい。ルカさんが言うには、彼女が大好きだったレシピは、この他に、スパゲッティ・ポモドーロ。つまり、トマトソースのスパゲッティーというわけね。 

上のカラーの表紙に写っている写真が、それ。

ケーキも、スパゲッティーポモドーロも、いかにもおいしそうなので、今度ぜひ作ってみたいな。

オードリーの貴重なプライベートの写真や、エピソードが詰め込まれた本。まるで、宝箱のよう💎……これから、何度も読みませう。


世にも怪奇な物語

2022-09-15 16:36:45 | 映画のレビュー

映画「世にも怪奇な物語」を見る。1967年の映画である。実は――この映画の存在はよく知っていたのに、一度も見たことがない!(私の場合、若い頃読んだ、ダイジェスト版だけで、映画を観た気になっていることが多いです。これも、問題だなあ……)

そして、ようやく巡り合えたこの映画、期待にたがわず、面白かった! 一言でいえば、エドガー・アラン・ポーの短編を三つ取り上げたオムニバス映画なのですが、これらの監督と出演スターがふるっている! 

何と、一話目の「黒馬の哭く館」はロジェ・バディム監督。主演が若かりし日のジェーン・フォンダ。

二話目の「ウィリアム・ウィルソン」の監督がルイ・マル。主演がアラン・ドロンに、相手役がブリジット・バルドー。

三話目の監督が、巨匠フェデリコ・フェリーニ。主演がテレンス・スタンプ。

どうです? 映画史に残る、垂涎もののキャスティングでしょう?

個人的に最も面白かったのは、一話目の黒馬をモティーフとした怪異譚。私の好きな中世を舞台にしたらしい、設定や美術に惹かれてしまったせいもあるのですが……。

怪奇小説は結構読んでいる方だと思うのですが、このポーの短編は知りませんでした。やっぱり、「アッシャー家の没落」とか「黒猫」「黄金虫」といった有名な名作にばかり、目が向きがちですね。

  

さて、どんな話かというと、貴族のフレデリック(どこの国の貴族なんだろう?)は、まだ二十三歳の若き女性。夫が亡くなったため、莫大な財産を受け継ぎ、自由気ままに暮らし始めます。まわりにいる者をすべて、下女下男のように扱う、高慢な彼女には、一族の中でも貧しい従弟のウィルヘルムがいて、両家が互いに反目しあっています。

彼女はウィルヘルムを馬鹿にし、ウィルヘルムは女王然と振舞う彼女を、初めから相手にしない。その実、近づいて、口をきき合ったこともない二人ですが、ある日、森の中で、フレデリックは獣の罠にかかってしまいました。

フレデリックは、偶然近くにいたウィルヘルムに助けを求め、不承不承彼は、彼女を助けるのですが、この時、フレデリックな我知らずウィルヘルムに惹かれてしまいます。

しかし、ウィルヘルムが彼女に向けたのは、激しい嘲りのみ。拒否されたフレデリックは怒りに燃え、彼の愛する馬たちのいる馬小屋に放火するのですが、この時、ウィルヘルムは愛する馬を救おうとして、焼死。

そののち、謎めいた、黒馬がフレデリックの館にあらわれる――というのが、おおかたのストーリー。

ウィルヘルムに扮していたのが、いかにもヨーロッパ的な憂鬱そうなハンサムで、「この俳優は誰だろう?」と思っていたところ、何と彼がピーター・フォンダだと知った時の驚き!

って、フレデリックを演じているジェーン・フォンダの実弟ではないか。「イージー・ライダー」とかベトナム帰還兵のロマンスを描いた「帰郷」での彼しか知らなかったけれど、こんな繊細なムードのヨーロッパの貴族を演じていた側面があるとは……監督のロジェ・バディムは当時、ジェーン・フォンダの夫だったし、彼なら姉弟に恋愛ドラマを演じさせることも平気でやれそうです。

ロジェ・バディム自身は、決して大監督というわけではないのですが、どこか品が良く、作品そのものが面白い(「バーバレラ」も面白かったですし……代表作とされる「血とバラ」は未見なのですが)。ジャック・ドゥミや「愛人(ラ・マン)」を監督したドアノー監督といい、フランスにはこんな繊細な映画を撮る監督が多いと思わせられますね。

三話目の主演俳優テレンス・スタンプは、「コレクター」で女性を監禁する病的な会社員や、「ランボー 地獄の季節」で詩人アルチュール・ランボーを演じた個性俳優。彼なら、ポーの怪奇ものにはぴったりだと思わせられるし、監督があのF・フェリーニ。でも、サーカス的な演出を得意のするフェリーニには、怪奇ものはあまり、ぴったりこないような…。 

 


華麗なるギャッビー

2022-09-02 13:51:13 | 映画のレビュー

映画「華麗なるギャッビー」(2013)を観ました。あのレオ様が主演している、リメイクもの。もちろんロバート・レッドフォードが主人公のJ・ギャッビーを演じていた旧作(1974)版も見ているのですが、今回のものの方が、個人的にはよかったです。

ロバート・レッドフォードの甘く、優雅な雰囲気が、このロマンチックな恋愛ものにはぴったりといえばいえるのですが、レオナルド・ディカプリオ(しかも、中年になって、ずんぐりむっくりが目立ってきている)のふてぶてしさや野性味が、素晴らしい! 原作のスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャッビー」が世に出たのは1925年、と何と百年近くも前なのですが、レオナルドは、その伝説的な1920年代に、生き生きとした命を与えているように思うのです。

この作品は言うまでもなく、アメリカ文学史上に残る傑作で、ストーリーは多くの人が知るところなのですが、あえて書ききるしてみると――

主人公のニックは三十歳の文学青年だが、作家としては伸びず、普段はウォール街の証券会社で働いている。彼には美しい従妹のデイジーがいて、彼女はアメリカでも有数の富豪のトムと結婚している。

ニックが住むコテージの隣には、城かと見まごう豪邸があり、しばしば豪勢なパーティーを催している。しかし、主のJ・ギャッビーの素顔を知る者は誰もいず、彼が何をしてこれほどの財力を蓄えたかも、知る者はいない。

だが、ニックはある日、ただ一人、正当な招待状を受け取り、ギャッビーのパーティーに行く。呼ばれてもいないのにやって来る人々が、チャールストンを踊り、酒を飲み、狂乱の騒ぎを起こしている、風変りなパーティー。茫然としていたニックの前に、本物のギャッビーが姿をあらわすが――というのが発端。

実は、ギャッビーはかつて戦線の将校だった時、デイジーと恋に落ちたのだが、戦争の後、彼女はさっさと金持ちのトムに乗り換え、結婚してしまっていた。それでも、ギャッビーは彼女を忘れることができず、裏社会や酒の密造などで巨万の富を築いた後、デイジーに近づこうとする。

こう書くと、まるで自分を裏切った恋人を見返す男の復讐譚のよう。しかし、そうではなく、ギャッビーの人生の切なさも、悲しみも、彼が純粋にデイジーを愛し、彼女を手に入れようとあがくことに終始するところにあるのです。

     

再会したデイジーは、ギャッビーの願った通り、彼を愛し、トムの目を盗み不倫の関係にいたります。しかし、ギャッビーがトムと離婚して、自分と結婚してほしいといった時、彼女ははかばかしい返事をせず、この時点で、我々観客には、彼女が安楽なセレブ生活にすっかり浸りきり、、自分を投げ出すような真似は絶対にしない女性だということがわかってしまいます。

デイジーの返事に失望はするものの、彼女をあくまで愛し続けるギャッビーですが、自分とトムと、二台の車を連ねて行ったランチ会で、デイジーの夫トムから、自分の怪しげな仕事のことを暴露され、挙句の果てには、「ここにいる俺たちとお前とでは、決定的に違うものがある。それは、お前がどんなにあがいても手にいれられないもの。生まれが違うんだ」と侮蔑の言葉を投げられてしまう。

この時、終始にこやかだったギャッビーが見せた凄まじい怒り。ノースダコタの貧農の息子として生まれた彼の、密かなコンプレックスが、この瞬間あぶりだされたものとして、忘れがたいシーンです。

我を忘れたギャッビーの怒りに、デイジーの心は冷えてゆき、度を失った彼女はギャッビーと家路につく途中、女性をひき殺してしまう。しかし、トムはこの事故がギャッビーの引き起こしたものであるかのように、女性の夫に語り、彼はギャッビー邸に忍び込み、プールにいたギャッビーを射殺してしまう。

これが大筋のストーリー。あまりにドラマチックというかメロドラマなのだけれど、この小説が痛切な悲しみを感じさせる名作となっているゆえんは、結末。リックは事故の当事者であり、ギャッビーの死にも責任がありデイジーに「ギャッビーの葬儀に来てほしい」と電話をするのですが、すでに彼女は夫のトムと、旅に出てしまっていました。すべての罪を、ギャッビーに覆いかぶせて。

    

ギャッビーという人間を愛するようになっていたリックは、従妹や彼女が代表するブルジョワ世界の利己主義に悲憤を感じるのですが、それでもこの物語は、「憧れ」を描いて素晴らしい!

デイジーの住む屋敷の対岸にある城に住むギャッビー。彼が、湾に手を差し伸べて、デイジーの家の船着き場につく緑の明かりに手をさしのべるところ――映像の美しさと共に、憧れの美しさ・はかなさを象徴する緑の灯が、いつまでも心に残りました。


オールウェイズ

2022-08-17 11:43:37 | 映画のレビュー

 

映画「オールウェイズ」を見る。1989年にアメリカ映画。

スティーブン・スピルバーグ監督に、あのオードリー・ヘプバーンが天使ハップとして特別出演しているというのだから、凄い……

いや、凄いはずなのだけれど、正直見終わっての感想は、「あんまり面白くない」というところ。(私、この映画、この度はじめて見ました)

あのスピルバーグの作品とは思えないほど、小粒で平凡な作品になってしまっている気がする。

消火飛行士である主人公ピートが、同僚である友人のハルを助けようとして、自分が死んでしまう。彼の心残りは、地上に残してきた恋人のブレンダのこと。

天使ハップは、「あなたは死んだのだ」とはっきり宣告し、ピートにもう一度地上に戻り、有望な新人パイロットの守護霊として見守るように言う。しかし、その新人――飛行学校の生徒デッドの憧れの人が、恋人のブレンダであり、彼らの仲が急接近することに、ピートは苦悩する

こういう内容。どうです? 今の感覚からすると、陳腐なというか古くさい恋愛映画では?

 

それでも、この映画に描かれた80年代の世界は、私はティーンエイジャーだった当時と重なり、ファッションや、かかっている音楽の旋律など、懐かしさを感じてしまう。 映画を観ると、時代っていうものが、よくわかる。

オードリーの最後の出演映画でもある本作。 彼女の出るシーンは少ないはずなのに、画面に出てきたとたん、ハッと息を飲んでしまうような存在感やオーラがある。 さすがは、永遠のオードリーというべきか……。

オードリーも、「あのスピルバーグの映画なら」と快諾して出演の運びになったのだそうだけれど、「天使」「白いコスチューム」というのが、いかにもステレオタイプ化したオードリー像。

既成のイメージを壊す、斬新なオードリーも見てみたかった気もする。そして、これがおかしかったのだけれど、真っ白な服を着ているせいで、オードリーがとんでもなく日焼けしているのが、わかってしまうのだ。

晩年は、アフリカで難民の子供たちをサポートしていたオードリー。この日焼けは、アフリカの灼熱の太陽に焼かれたせいでありませうか?


日々つれづれ……「アーヤと魔女」の感想

2022-06-12 19:22:48 | 映画のレビュー

 

以前、知人から頂いた、時計草の花。三輪ほど摘んで、お手洗いに飾りましたが、紫色の花が、上品で気に入ってます。

    

お昼のティータイムには、クレープを焼いて、紅茶と――上の赤い箱が、紅茶の入っていたものだけれど、出雲紅茶に、瀬戸内レモンを♡はーと形に育てたもの(これを、乾燥させている)がセットになっているのだ。♡形のレモンというものが珍しくて、つい購入したのだけれど、和製紅茶も優しい味でいいな。

  

ジブリが3DGアニメとして、製作したという「アーヤと魔女」のDVDを観る。しかし、感想は……ウ~ン。あんまり、面白くないかも。

魔女の子供であるアーヤ。しかし、母親である魔女は、魔女仲間に追われていたため、孤児院「子供の家」の前に置き去りにされます。しかし、「子供の家」でも、持ち前のたくましさから、園長先生や子供たち仲間の上にも君臨していたアーヤ。そんなある日、魔女ベラ・ヤーガと連れの男マンドレークがやって来て、彼女をもらい受けられます。ところが、養女というのは、体のいい理由で、アーヤはベラの下働きとして、様々な魔法の薬を作る手伝いをさせられる――いつまでたっても、魔法は教えてもらえない。ここで怒り狂ったアーヤはベラ宅にいる、使い魔の黒猫の奸計をはかるのですが…というのが、大体の筋。

アーヤの隣の部屋は、浴室なのですが、一方、マンドレークが暮らす部屋でもあるらしい。そこで、マンドレークは、下手(アーヤが、『つまんねえ~小説』と言っている)な小説を書いているらしいのですが、実は寡黙な彼は、いったん起こり出したら、ベラも恐れる、パワーを発揮するらしい。おまけに徐々にわかってきたところによると、マンドレークとベラ、アーヤの母親は昔、音楽のバンドを組んでいたらしく、作中でもその音楽曲が流れるのです。ところが、この三人の因縁話が、観客の最も知りたいことであるはずなのに、最後まで、そのことは明らかにされない。

    

最期、ベラとマンドレーク(今一つ、はっきりしないのだけど、この二人、夫婦なの?)と仲の良い家族となり、楽しく暮らしているアーヤの元に、ある雪の夜訪れた客が、母親の魔女だった―ーというところで、唐突に物語が終わり「えっ?」という感じで、私は取り残されてしまいました。

そもそも、ベラたちは、アーヤが自分たちの友人の娘だと知っていたのか? そしてアーヤの母親を追っていた魔女軍団はどんな組織なのか?

ベラとマンドレークとアーヤの母親は、共に魔界の者でありながら、どうして、ロックバンドなど組んでいたのか?

すべてが、クエスションマークで、きちんとしたお話になっていない。この映画を観た、他の皆さんも、そう思われたのではないでしょうか?

監督は、「ゲド戦記」「コクリコ坂から」の宮崎吾郎さんで、私は「コクリコ坂から」の大ファン。しかし、ここでは「ゲド戦記」と同じように、消化不良! というしかない出来であります。


ドライブ・マイ・カー

2022-06-07 04:18:31 | 映画のレビュー

映画「ドライブ・マイ・カー」を観る。ご存知、村上春樹の短編が原作のもので、カンヌ映画祭で絶賛された話題作。

私は日本映画というものをほとんど観ないのだけれど、この作品は好きな俳優、西島秀俊が主演しているということもあって、気にかかっていた。ただ、原作の村上春樹の短編集「女のいない男たち」は、はっきり言って、面白くない! あの退屈な話をさらに、三時間もの長編にふくらませているだなんて――果たして、面白いのかしら?

 

でも、やっぱり気になる。ということで、ようやくこの度、鑑賞することができたのだけれど、そんな不吉(?)な予想はことごとく裏切られたのであります。

面白い! 三時間という長尺なのに、少しも飽きることなく画面に見入り、最後は余韻に浸ってしまった――短編集「女のいない男たち」の「ドライブ・マイー・カー」と「シェヘラザード」、「木野」などのエピソードを抜粋し、それらを一つに練り上げたとうのだけれど、村上春樹の原作より、はるかに傑作である。

物語の概要を簡単に言ってしまうと――劇演出家の家福は、妻の音(脚本家)を突然失う。家福と音は、仲の良い夫婦で、強い結びつきを持っていたが、それにもかかわらず、音は自分の仕事相手である俳優たちと次々、関係を持っていたらしい。

妻を亡くした後、喪失感に打ちのめされそうになりながら、仕事を続ける家福。そんな彼に、広島国際芸術祭でのオーディションん選出と、舞台の演出の仕事が舞い込む。家福は、愛車のクラシックカー、サーブ600で広島に向かう。

瀬戸内海にある島のゲストハウスを用意された家福。だが、事故防止のため、自分の愛車を運転することはできず、会場側が指定した女性運転手に車の運転を任せなければならないことになる。その若い女性に、最初反発するものの、やむなく運転を任せる家福。

間もなく始まったオーデイション。韓国、フィリピン、中国などからも応募があり、それぞれの母国語でチェーホフの「ワーニヤ伯父さん」を上演するという、実験的な試みが始まるのだが――。

何といっても、主役の家福を演じる西島秀俊が、とてもいい。TVにあらわれるたび、好感を持ってみていたのだけれど、実をいえば、彼の出る作品を観るのは初めて。こんないい俳優だったのか……。 最愛の妻を失い、心に大きな虚脱感を抱える家福の傷心が、その横顔にあらわれているし、オーデイションに姿をあらわした、妻の不倫相手とおぼしき若手俳優 高槻に対する感情を殺した冷静な態度にも、心のひだが感じられた。

相手役の女性ドライバー、みさきも素晴らしい。無口な彼女も、家福と接するうち、自分のことをぽつぽつ語るようになる。みさきは、北海道の出身で、母一人子一人の環境で育ったのだが、水商売の母親は自分を勤務先へ送らせるために、まだ中学生の彼女に車の運転を教えたのだという。しかし、山が崩れ落ち、彼女たち母子の住む家も、押しつぶされてしまう。その時、母親を亡くした彼女は、北海道を離れ、辿り着いた広島で、ドライバーの仕事を始めたのだという。

  

言うなれば、二人とも、人生で寄る辺をなくした者同士。車内で過ごす時間が、何のかかわりもなかったはずの二人の心の距離を近づけ、二人は今まで誰にも語ることのなかった、心の秘密を分かち合うまでになる――。

このみさきを演じる三浦透子も、「いいなあ」と思わせられる俳優。大きな目は、どこか眠たげで、着ているものや雰囲気はまるで、黒子のように目立たない。しかし、彼女が重い口を開くと、なんとも言えない味わいがあり、画面がぐっと引き締まるのだ。

広島国際演劇祭で開かれる「ワーニヤ伯父さん」の舞台は、誤って殺人を犯してしまった高槻の降板などの事件をへて、無事上演されることとなるのだが、こんな実験的な舞台――見てみたいような、とまどうような……。

何しろ、日本語以外にも、タガログ語、北京語、そして韓国の手話などが飛び交うのだ。これって、原作の「ワーニヤ伯父さん」を読んでいる(実は、私は読んだことがわりません)人以外、ちんぷんかんぷんで、面白がれないのでは?

広島というローカルな場所で、こんな前衛演劇が受けいれられるのかしら? とクエスチョンマークが浮かんだものの、最後が素晴らしい。

スーパーで買い物をしているみさきの姿がクローズアップされる。よく見ると、店内の表示はハングル文字で、どうやら彼女は韓国にいるらしいのだとわかる。そして、スーパーから出た彼女が乗ったのは、何と、家福の愛車であるはずの真っ赤なサーブ。車の中には、犬までいて、みさきは韓国に住んでいるのだと観客も了解する。

そのまま、車を運転するみさき。ひょっとしたら、彼女の行く先には、家福が待っているのでは――?と思いかけたものの、海辺の道をさっそうと運転する彼女をみて、どうやら違うのだなということもわかる。彼女は、この車を、家福からもらいうけたのに違いない。そして、この異国の新天地で、彼女が自分の人生を歩み始めたらしいことが、今までずっと無表情だったみさきの顔に、笑顔が浮かんでいることから、感じ取れる――何とも言えず、しんみりした、いいエンディングだった。