ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

猿の惑星

2021-09-25 16:27:17 | 映画のレビュー

映画「猿の惑星」(1968年製作)を観る。実は、この映画史に残る名作を観るのは初めて。もちろん、大体のあらすじとかは知っていたのだが……。

今も思い出すのは、大昔のこと。もちろん、その時もリバイバル公開されていたはずなのだが、当時まだ小さい子供だった兄がこの映画に連れられていった。そして帰った時、祖母を見てしみじみ言ったという。「今日行った映画に、おばあさんによく似た猿が出ていた」――もちろん、そこで祖母に怒鳴られたらしい。

私はこの話を知らず(当時、生まれたばかりだったのかも)後で聞かされたのだが、とても笑ってしまった。

そんな思い出話の残る映画――実際にみてみたら、重厚さとエンターてティメント性を兼ね備えた傑作! とても、とても面白い!

主演が超大作には、ピカ一のチャールトン・ヘストンというのも、まさにはまり役。ヘストン演じるテイラー率いる宇宙船は半年間の飛行をへて、地球に帰還する――というプロローグからこの映画は始まる。

しかし、彼らがなぜ宇宙へ調査旅行に行くことになったのかははっきりせず、理由は最後まで明らかにされていない。半年ぶりに、地球に帰還したとはいえ、その時地球時間では700年が経過しているはずなのだが、突然宇宙船は不時着し、その時船内の時計によれば、出発時からすでに2千年が経過したことがわかる。

着いたのは、湖で宇宙船はあっという間に沈んでしまう。テイラーたち3人の乗組員たちは命からがら脱出するのだが、そこは懐かしい地球とはまるで違う岩と砂だけの荒涼たる世界が広がっていた。

ここは地球から300光年離れた別の惑星だと確信するテイラーたち。そこへ人間そっくりの口のきけない生物たちが集団で押し寄せてくるのだが、彼らを狩っているのは、なんと馬に乗った猿!

猿たちに捕らえられたテイラーたちは、猿族の住む居住地に連れていかれるのだが――。

なんといっても、この猿たちの住むところが面白い! まるで石器時代を思わせる岩をくりぬいた空間なのだが、その奥には実験対象とする人間を檻に閉じ込めて飼育しているのである。檻の中には、藁がしかれ、無抵抗の人間たちにホースで水を浴びせなどする。 すべての生物連鎖の頂点にいるはずの人間が、猿になぶられ、「獣」扱いされている世界。これが「猿の惑星」なのだ。

    

当然、テイラーもその檻に入れられる。しかし、彼が他の獣化した人間とは違い、知性を持ち言葉も操れることを知った学者のジーラ(多分、これが祖母に似ているという猿だったのだろう。上の写真の右から二番目)とその婚約者のコーネリアス(これは一番右)は、テイラーに興味を持ち、接近してくる。  ジーラ達に反して、強固なまでにテイラーを求めず、抹殺しようとするのが長官のザイアス。 ザイアスはなぜ、かくもテイラーを敵視するのか、そして恐れるのか? その秘密は、猿族たちの信奉する聖典より過去の時代に、人間が猿族たちより高度な文明を持っていたという事実にあった――。

大体のあらすじは、以上のようなものだが、こんなあらすじでは、とうてい今作品の魅力は表しきれない。 ユニークなのは、猿たちが、その階級に合わせて、コスチュームが違うこと。例えば、ジーラたちはモスグリーンの制服なのに対して、ザイアスらリーダー的立場にある猿たちは、ややオレンジ色がかった服を着ている。 彼らの住まう石をくりぬいたドームのような場所には、人間と彼らの生活が、紙芝居を思わせるようにスペースごとに展示されている。(ところが、テーラーは、その中の一人がかつての宇宙船の仲間であったこちに気づく。つまり、これは剥製なのだ。ああ、なんと恐ろしい……)

 聖典以前に高い文明が存在したという証拠、そして、猿は人間から進化したという学説を確かめるため、テイラー、ジーラ、コーネリアス、そしてテイラーの恋人となったノバたちは、禁断の地である洞窟を目指す。だが、ザイアスは彼らを追い、テイラーに決定的な言葉を吐く。ザイアスの言う「運命」を確かめるため、ノバを連れて去ってゆくテイラー……だが、彼の目の前に見えたのは、海岸に佇む「自由の女神」像だった。

     

この強烈で、残酷なエンディング。 はっきり描かれなくともわかる。おそらく人間は核戦争に類したもので、自分たちを滅ぼしてしまったのだ。その後、放射線による遺伝子変化などで、猿は進化し、人間は言葉も喋れない劣等種族として、生き残ることになる。

遠い未来には、本当にありうる話かもしれない。 私はとっくに死んでいるから、関係ないけれど。

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季節の変わり目

2021-09-25 15:36:37 | ある日の日記

 

上の写真は、コルクボードに張ってあったノエルハーブガーデンを写したもの。写真をさらにスマホ撮影したものなので。あまりクリアでありません。写っているのは、かつて兄が乗っていたミニですが、後ろの部分が長くて、木造のパネルがあったなあ……ミニ・クーパーはよく見るけれど、こういうのはほとんど見たことがない。車に詳しくないので、どういう名前の形式のものか知らないのですが、写真を見ているうちに、ふと懐かしくなってしまいました。

こういう懐古趣味の小型車も、最近ほとんど見ないし……。

   

そして、これが三週間ほど前、近所の方から頂いたメダカ。 キッチンの窓辺に置いているのですが、見ているだけで本当に楽しい! 「水辺の癒し」というと、あまりに手垢のついた言葉ですが、小さな魚が水槽の中を泳いでいるだけで心が和むのは皆同じはず。

今まで知らなかったのだけれど、メダカはちゃんと夜は眠るし(魚はまぶたがないから、人間の目にははっきりわからないとしても)、冬は水温が低くなると冬眠するのだそう。 生き生きと泳ぎ、こちらをリフレッシュさせてくれるのですが、寿命は1~2年だそうな。そうか――長くは生きられないんだなあ。 大切に世話をせねば🐡

       

簡単なミックス粉を使って焼いたパウンドケーキと、珈琲で午後のお茶。 ケーキが焼ける時の匂いは、鼻をうごめかしたくなるくらい好きです。

ホームステイの日が続きますが、少しでも日々をリフレッシュしていきませう。

 

 

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惑星ソラリス

2021-09-17 15:04:21 | 映画のレビュー

 

映画「惑星ソラリス」を観る。 知る人ぞ知る名匠アンドレイ・タルコフスキーの作品(1973年)。

以前から、「いつか観てみよう」と思いながら、果たせずにいた映画。それをやっと観ることができてうれしい。まずは、乾杯🍻

感想は――というと、実に不思議な感触の映画。ロシアがまだソ連だった頃の映画なのだが、全編に沈むような憂愁が漂っているのだ。暗くて、寂しいといってもいい。なのに、人の心に訴える詩的世界が感じられ、三時間近くある映画を一気に見てしまった。

物語は、謎の惑星ソラリス。そこでは、思考を持つとされる海が惑星全体を覆っており、その海を研究するために科学者のチームが地球から派遣されている。そこで異様な体験をしたという人物の話も聞いた上で、研究を続行するかを決定するために、主人公の心理学者クリスはソラリスへ派遣される。

だが、彼が見たのは、大勢の人々がいたはずの調査ステーションには三人しか人が残っておらす、内一人も自殺したばかりという、異常な現実。

荒涼としたステーションで過ごすうち、クリスの前に現れたのは、十年前に自殺したはずの妻ハリーだった……。

映画は、クリスが死んだはずの妻ハリーを拒否し、彼女と再び愛し合い、別れるまでを描くのだが、このハリーは実はソラリスの海が、人間の思考を読み取り、その記憶を物質化したもの。 

   

これがソラリスの海。青く、美しく神秘的な水の世界がどこまでも広がる。海が思考を持ち、人間の記憶に眠る大切な人の実体を形作るとは、(原作の)スタニスワフ・レムの作家的想像力に驚嘆してしまう。 このテーマだけで、すでに素晴らしい。

ソラリスのステーションの無機質な空間。そこから見える海と雲だけの風景。こんなところにいたら、私など一日で発狂してしまいそうに思うのだけれど、「2001年、宇宙の旅」といい、宇宙空間を舞台とした作品には、究極の孤独が感じられるのはどうした訳なのだろう。

惑星ソラリスの力を借りて、クリスの前に甦ったハリー。クリスは彼女に対して持っていた負い目を解消し、再び彼女と一つになろうとする。しかし、結局、クリスは彼女を全面的には理解しえず、ソラリス版ハリーは、自ら消滅することを選ぶ。 原作を読んでいないのでわからないのだけれども、この作品の持つ静かさ・重苦しさはソ連という共産圏の空気感だったのかもしれない。

もし、ハリウッドが同じ題材で映画を作ったとしたら、もっとダイナミックで娯楽的なものを作ったはず。カール・セーガン原作で、ジョディ・フォスターがヒロインを演じた「コンタクト」を思い返してみても、そう思う。ここでフォスター演じる主人公は、宇宙空間で死んだ父親に再会するのだが、もっと軽やかで、幻想的なイメージに仕立て上げられていたもの。

特筆することは、冒頭と最後の、(多分、ソ連国内の)郊外のコテージの映像。簡素で、洒落たインテリアがしつらえられ、芝生の庭には木が立っている。当時のソ連の知識人層の生活ってこんなものだったのだな、としみじみ。

 

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ヒトラー 最後の12日間

2021-09-14 06:24:40 | 映画のレビュー

ノエルをシャンプー&カットに送り出して(朝の九時半に連れていったら、夕方四時半に車で迎えにいけばいいだけなので)、昼から久々に、NHK衛星放送の映画を観る。(2004年製作)

興味のある題材の映画だったから。「ヒトラー 最後の12日間」というヒトラーが、地下塹壕で最期を遂げ、残されたナチ党員達がどのようにして降伏に至ったかまでを克明に描いている。

   

ドキュメンタリー映画かと思ってしまうほど、臨場感たっぷりの映画なのだが、その功績は、主演のヒトラーを演ずるブルーノ・ガンツのそっくりぶりにあげられるべきだろう。 何せ、肖像や白黒映像で何度も観たことのあるヒトラーそのもので、「本物か?」と思ってしまうほどなのである。  映画化の土台となったのは、ヒトラーの秘書だった若い女性の書いた本なのだが、確か日本でも翻訳された時、評判を呼んだはず。その時、読みたいなと思いながら、例によって「思った」だけですませてしまった私。 

この映画を観ながら、そのことを後悔してしまった。今からでも読んでみたい。

  

これが、その若き秘書を演じたアレクサンドラ・マリア・ララ。地下壕・ナチの最後という陰隠滅滅たる世界にあって、可憐に咲き誇る薔薇のごとき美しい女性。

映画は、若い彼女の視点を通して、あるいはナチ高官たちの思惑や疑心暗鬼を詳細に描写しながら進む。緊迫の十数日間を通して、ナチの末路がどんな風であったのかが、現代の私たちにも手に取るようにわかる。

ただ、この映画を観て印象的だったのは、(ストーリーとはまったく関係ないことなのだけど)ナチの軍服の美しさ。ローデンコートを思わせる美しいモスグリーン色の軍服に、鷲の紋章、赤いカラーに金のアカンサス模様などが美々しく映えている。 一人の将校に至っては、軍帽に銀の髑髏☠の飾りをつけているほど。 彼らが乗っているのは、磨き抜かれた黒のダイムラーベンツ。 終盤になって攻め寄せてくるソ連兵のあか抜けない軍服とは、皮肉なまでの対照である。

ここで私は思い出したのだけれど、ヒトラーが政治家・独裁者への道を進むことになったターニングポイントは、彼が美術大学の入学試験に失敗したということにあったはずだ。 もともとは画家志望だったヒトラー。美術家崩れだったからこそ、こんな美意識(たとえ、歪んだものであったにもせよ)を張り巡らした軍服や規律を作り上げたのかもしれない。

もし、ウィーンの美術大学が、青年ヒトラーの入学試験に「合格」の判を押したなら、凄まじいホロコーストも、ナチ帝国も出現することはなかったのかも――運命は、小さな偶然が、暗い終末へと導くこともある。

そして、頭に血をのぼらせ、口角泡を飛ばして、部下たちを怒鳴りつけるヒトラー……まるで、狂人そのものの形相で、「よく、こんな人についていったな」と思ってしまったのだけれど、戦線をいったん離れる、私生活に戻ると、「優しいヒトラーおじさん」になってしまったりする。このアンビヴァレンツ。 

ただ、ヒトラーという人は、潮時というものを心得ていたと思う。絶体絶命だと悟った時、恋人のエブァ・ブラウンと共に死を選ぶ。自分の死体が連合軍のさらし者にされることのないように、ガソリンをまいて燃やし、跡形もとどめないようにせよ、と部下に命じる。

中東の独裁者で、死を恐れ、逃げ惑った人物や、サリン事件の首謀者とはまるで違う。 歪んだ美意識が、彼なりにあったのかもしれない。

 

 

     

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残暑

2021-09-06 16:11:42 | ある日の日記

半月ぶりの投稿。実は、パソコンの調子がずっと悪く、とうとう修理に出すことになってしまったのです。修理が終わって、手元に戻ってくるまで10日以上ーーその間、何もできないので、映画を見たり、家の中を片づけたりしていました。

こうして、文章を書くのも、久しぶり。こないだの晩は、ひどい雷雨でしたが、我が家のノエルがひどいパニックに陥り、今まで一度も来たことのない、家の奥深く(?)にある二階の私の部屋までかけり上がってきました。

ノエルもすでに十歳の老犬。若い頃は、どんな大雨が降ろうが、雷で空の色が変わろうが、「あら、それがどうかした?」という風に泰然自若と構えていたのに、近頃ではすっかり臆病になってしまいました。 自分のいる渡り廊下のガラス戸をこじ開け、家に侵入し、駆け回っています。怖くて、じっとしていられないのですね。

人間も年を取るけれど、犬だって取るんだ…若い頃のエネルギーが爆発するようだった、やんちゃなノエルを知っている身としては、少しせつない気持ちになってしまうのですが、これもやむなし。 雷が鳴るたびに、ノエルはそわそわと動き回り、ベッドの上で眠っている私を起こすのですが、結局二階の部屋でお泊り。 これから、ノエルが年を取ってゆくにつれ、世話がいろいろ必要となるのでしょうね。

     

そして、今日のおやつはこれ。「月桂樹のプリン」なるものを作ってみました。オーブンで一時間近く焼いた後、冷蔵庫で冷やして食べたのですが、美味しかった! 牛乳に浮かべて煮た月桂樹の香りが、そこはかとなくして……。 

   

この間は、残暑見舞いと称して、こんなものも送られてきました。 いわゆる赤紙ーー召集令状の体裁を取ってあるのだ! 面白い……どうやって作るんだろう? しみじみと眺めてしまう私。 オタクの世界も深いなあ。

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