村上春樹の「騎士団長殺し」を読了。 読み終わったとたん、う~んと思わず感嘆のため息が……。
やはり、スゴイ。この圧倒的なスケールと緻密にはりめぐらされた構成。それでいて、第一級のエンターティメント作品としての「読む者を楽しませる」サービス精神が感じられ、久々に「ハルキ節」を堪能した。
まず題名が刺激的である。もともと音楽にうといので、「騎士団長殺し」と言われても、「それ、何?」というリアクションだったのだけど、これはクラシックファンならすぐわかるようにモーツァルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」の登場人物から取ったもの。
妻に去られた肖像画家が、友人の紹介で彼の父親である、高名な日本画家の山荘に住むことになったことから、現実と幻想が入り混じる物語が幕を広げる。主人公が、山荘の屋根裏から見つけた、一枚の絵――それは「騎士団長殺し」とタイトルはつけられていたものの、絵に描かれているのは飛鳥時代の衣装を身に着けた人物たち。絵のできも素晴らしく、異様な迫力が感じられる。だが、日本画家は、なぜこの絵を封印せねばならなかったのか? 絵に描かれた殺人の場面は何を暗示するのか?
これは、(今は、すっかり年老いて、認知症にかかり老人施設にいる)日本画家が、大戦当時ウィーンにいて、体験したことが基になっていると思われるのだが、それを解くべく手立てはない。そして、夜中に近くの祠の穴から、不思議な鈴の音が鳴り、免色(めんしき)という謎めいた隣人までが、主人公の人生に登場してくる――。
このように、謎が謎を呼び、読者を惹きつけて離さないストーリーなのだが、私が一番興味をひかれたのは、谷をへだてた豪邸に住む、免色という人物。真っ白な髪をなびかせた、この中年男性は、以前IT関係の仕事についていたとかで、富裕な生活をしている。だが、広い屋敷に一人で暮らし、掃除・洗濯などをこなし、孤独に生活している。
彼は、自分の娘ではないかと思われる、十三歳の美少女「まりえ」を双眼鏡で観察するため、わざわざ、この辺鄙な場所の屋敷にやってきたのだが、この人物の造形がとても魅力的。
淡々としているようでいながら、内側にとてつもないブラックホールを抱えている人物――基本的には「善」な人物でありながら、黒い「悪」の部分がいつ噴き出すかわからないマグマのように、免色の中に存在している。
この「悪」は、主人公に「あなたが、祠の穴に入っていたとしてら、僕はそれを見殺しにするかもしれません」と言ったり、自分の屋敷にしのびこんだまりえが隠れる洋服ダンスを、彼女がそこにいると知っていながら、わざと開けないという行動に現れているのだが、このミステリアスさがとても面白い!
何人もの方が指摘していたけれど、この免色という人物は、村上春樹の大の愛読書であるフィッツジェラルドの「華麗なるギャッビー」の主人公、ギャッビーを彷彿とさせる。巨万の富を得ながら、広大な屋敷に孤独に暮らす謎の男。彼の目的は、湖の対岸に住む、かつての恋人を手に入れることだった――このアメリカの名作が、こんな風に変奏されたかというと、文学ファンの心をくすぐること間違いなし。
そして、免色という人物は、ギャッビーと比べても、遜色ない魅力的な人物に造形されているのだ。
ただ、いくつかのエピソードが解決されずに終わっていることが気がかり。「でも、まだわからないことが……」と読み終えた私の目に飛び込んだ来たのは、「完結」ではなく、「第二部終わり」の結び。 ぜひ、第三部がありますように!