ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

美女と野獣

2014-10-29 16:05:17 | 映画のレビュー
今日は、時間があったのでディズニーアニメを観てゆるりと楽しむ。「美女と野獣」--あまりに有名なおとぎ話だけれど、ディズニーがどんな味付けで楽しませてくれるのか、目を離せないところ。

魔法によって醜い野獣に姿を変えられた王子。彼をありのままの姿で愛してくれる女性があらわれたら、その魔法がとけるという物語は誰もが知っているのだが、ヒロインのベルの存在がわかりにくかったかも。原作では、野獣に危機を救われたベルの父親が、花嫁として娘を野獣の城にさしださねばならない・・・というプロローグがあったかと記憶しているのに、ディズニーアニメでは、荒れ果てた城にベルがぽつんといて、その説明もないのは唐突な感じが・・・。 そして、元王子の野獣が冷たく、無情で少しも魅力的ではないのだ。 これって、魔女の怒りを買って変身させられたのも無理ないかも(普通、こんな目にあわされたら心を入れ替えると思うんだけど)。

ベルがひたすら明るくチャーミングで、おなじく紅茶ポットやティーカップ、燭台などに姿を変えられたお城の召使たちと心を通わせる場面は、なかなか楽しいのだが、野獣がかくのごとくの有様であるため、物語に感情移入しにくいのが難点。 ディズニーアニメはヒロイン像作りは巧みなのだけれど、男性を描くのは得意でない?

この物語の主眼はクリスマス。野獣が魔法にかけられたのも、その魔法がとける奇跡が起こるのも聖夜のできごと。荒れ果て、冷え冷えとした城が、最後、赤い緞帳や蝋燭の灯、緑のモミの木が華やかに飾りつけられ、暖かな息吹とともに蘇るところは見事! おとぎ話は、クリスマスに一番良く似合う。

イルミネーシヨン

2014-10-27 10:15:05 | カリグラフィー+写本装飾
この間、金箔と金泥を塗っておいた飾り文字を彩色する。


紋章の部分が綺麗にできなかったけれど、これはもうあきらめるしかない(楯のオレンジ色に地の部分の緑がミスマッチな感じ)。

上の写真の本に載っていた、幾多の文字から選んで模写したもの。左下にある小さなノートは、カリグラフィーを勉強する上で、メモしておくべき事柄を記したものです。

細かい仕事だけれど、飾り文字の制作はなかなか面白いでごわすよ。

ノエル、ドッグランへ!

2014-10-27 09:38:42 | ノエル
ノエルを連れて、ドッグランへ。 市内の薔薇園に付属して、ドッグランが設けられていると、以前から愛犬家の方たちから聞いていたのだけど、一年以上も前一時間半ものドライブの果てにたどりついたドッグランでのノエルの情けない思い出からして、なかなか足が向かわなかったのです。

それでも、お日柄も良い秋晴れの日。思い切って、連れていくことにしました。いつも、ハーブガーデンで一人遊びばかりしているのも、ちょっと可哀そうな気もして。
車の中では、いつもどおりハイテンションでわあわあ騒いでいたノエル。ところが、いざ入園許可証をもらいドッグランへ入ると、かちんかちんに固まって動こうとしない。 他のワンコたちは、「みんな仲良く遊ぼうね!」のノリで楽しく駆け回っているのに、人間たちのいるテントのベンチの上に座って、おじさんおばさんのみに愛きょうを振りまいています。

えっ家ではあんなに、わんぱくでやりたい放題なのに、どうしたんだ?--何のことはない、内弁慶だったんですね。それでも、少し慣れてくると、他の犬たちのいる運動場の方にも行ったのですが、大きなバーニーズ・マウンテンのおじさんに追っかけまわされると、泡吹いて逃げまくり、隅っこに隠れたり・・・。 最後は水飲み場が『安全地帯』と確信したのか、そこにたてこもり。

ああ、以前行ったドッグランでも、こうだったなあ。 みんなと遊べなくて、隅っこで小さくなっているノエル。 それはそうと、ここにはゴルデンレトリバーがいっぱい来ていて、目印がないとどれがノエルかわからなくなるほど。それで、ハンカチを首に巻いて、バンダナがわりに。 写真は、他のゴールデンに囲まれて、ベンチの上に逃げたノエル。他の犬は、決して(人間様の座る)ベンチには上がらないから、安全だと思うのでしょうか?

週に一回ぐらいは連れてきて、他の犬にも慣らさなきゃ・・・ここで過ごしていたら犬社会のマナーも覚えて、乱暴にも振るわなくなるでありましょう(希望的観測大でありますが)!

靴のお洒落

2014-10-23 21:25:33 | コスメ・ファッション
デパートがセールをしているというので、車で街まで。

これから寒くなるだろうから、ということで「組曲」でセーターを一枚購入。普段着使いに、重宝するシンプルで少しキュートなデザイン! 本当は20代向けなのですが、そこはそれ。落ち着いた、大人らしい格好というのは、どうも好きじゃないのです。

洋服を買う時は、パパッと見てすぐ決めてしまえるのですが、難しいのが靴の購入。かのイタリアでは、「お洒落な人は、足元を見ればわかる」というそう。 それだと、わたしなど失格でしょうね。 ハイヒールなど買ったことがなく、ヒールの高い靴を履いている人を見ると「よく、あんな難しい靴を履いて、すすっと歩けるものだ」と感心してしまいます。 いや、本当は履いてみたいのですが、階段を下りる時や新幹線のホームを下ってゆく時のことを想像すると、怖くて仕方ありません。これって、一種の恐怖症? わたし、閉所恐怖症に、高所恐怖症もあって、これ以上増やしたくないんだけど・・・。

それで、いつもかかとの低いペタンコ靴やサンダルを履くことに。でも、これだって油断はならず、かかとが痛くなったり、甲の部分がきつかったり--。別に足の形が悪いとかいうのではないと思うんですが・・・。以前東京で買った、美しい黒のパンプスも、かなり高かったのに、つま先が痛くなって、いつの間にか履かなくなってしまいました。 かかとの部分が6センチほどあるブーツも持っているのですが、これで車に乗ってアクセル踏むのも怖く、新幹線に乗るのも怖い。そんな訳で、「お洒落じゃないなあ」と思いながら、履き古した革靴履いて、歩き回っています。

あっ、でも靴箱のぞいていたら、去年ウィーンのケストナー通りで買った黒のローファーがありました! これで、よそ行き用に歩けるぞ~。

P.S 皆さんは、靴を買う時、どうされていますか? やっぱり、ハイヒールとかピンヒールを履くのは、すごい冒険?

イヴ・サンローラン

2014-10-21 09:21:59 | 映画のレビュー
長い事、公開を楽しみにしていた映画。あの20世紀最大のファッションデザイナーといってよいイヴ・サンローランの人生を映像化するというのだから、華麗にして香り高い物語になるはず。

もともと、サンローランのドキュメンタリービデオを持っていて、それは当時60歳になった彼が自らのデザイン人生を物語るという構成になっていたのだが、そこに描かれたオートクチュールの美はもとより、モロッコはマラケッシュの別荘のエキゾチツクな舞台のような美しさ(邸内の部屋の中に噴水の水盤があったりなどして)やプルーストやマリア・カラスを敬愛するというサンローラン自身の独白にも芸術的な薫りが感じられていて、うっとりとなったもの。とてもお気に入りのビデオだったのだが、時代はDVD一辺倒となり、自宅のプレーヤーでも観ることができなくなってしまった。

さて、こちらの映画版ではピエール・レネという新人俳優がサンローランを演じるのだが、まるでサンローランの若き日が再来したかと思えるほど、容姿も漂うオーラもそっくり。 長身にメガネをかけた、内気な美青年だったサンローラン。そのガラス細工のような繊細さやはにかむような表情・・・映画という魔術を超えてサンローランの人生を追っていくかのような錯覚にとらわれてしまう。

1957年、まだ21歳のサンローランはクリスチャン・ディオール社のデザインを一手にまかされる。この青年の卓越した才能をディオール自身が認めていたからに他ならないのだが、これは栄光に満ちたキャリアの第一歩に過ぎなかった・・・。同性愛者であったサンローランの生涯にわたるパートナーであったピエール・ベルジエの視点から物語は語られるのだが、天才を愛し、その壊れやすい繊細さを守ろうとしたベルジエの姿も深く印象に残るに違いない。 神から愛された者--アマデウスという形容がぴったりするほどの絢爛たる、きらびやかな人生を送った者がそうであるように、サンローランも栄光と等分の地獄をのぞかねばならなかった。 華やかなショーの陰で深まる孤独、デザインを常に創造しつづけねばならない重圧・・・これから逃れるように、サンローランはアルコールやドラッグに手を出す。 この逃避が、彼のナイーヴな神経をさらに痛めつけたと考えるのは、うがちすぎだろうか?

映画は、サンローランの全人生を物語ることなく、彼の黄金時代だった1970年代までを描いているのだが、最後の「バレエ・リュス」と題されたショーの光景は圧巻! フォークロア調を取り入れたコレクションの服が次々と立ち現われてゆく。一つ一つが夢のように美しく、幻想の世界でしか出会えないほど完成された服・・・おとぎ話の「ロバの皮」に出てくる王女が身につける「太陽のドレス」、「星のドレス」、「月のドレス」もこれほど美しくはなかったに違いない!)
マリア・カラスのアリアに合わせて、舞台に現れるモデルやドレスを見ていると、さながらパリ・コレのショーの特等席に座っているかのような臨場感だ。 オートクチュールの舞台とは、オペラやバレエに匹敵する芸術なのかもしれない。

最後に、こぼれるような微笑を浮かべてランウェイに登場するサンローラン・・・直前まで神経衰弱と病気で、やつれ細っていたことなど嘘のように。 芸術家は、こうして不死鳥のように何度も蘇るのだ--。

イヴ・サンローランは2008年、71歳で世を去った。 今も覚えているVIDEO版では、サンローランはこう言葉を結んでいる。「バレンシアガ、シャネル、ディオール・・・彼らは皆スタイルを持っていた。私はスタイルを持った最後のクチュリエだろう」、「栄光という名の神聖な王妃、私はその胸に永遠に抱かれる。私の死後も私の仕事は永遠に残るだろう」--アンディ・ウォーホル描く、若き日の美しいサンローランの肖像とともに、これらの言葉も、永遠に私の心に残るに違いない。

ある日の日記

2014-10-19 15:51:11 | ある日の日記
数日前から、リフォーム工事が始まっていて、母屋に続く寝室棟はすっかり解体済み。廊下も部屋の床もぜ~んぶ取り外されていて、下の土が丸見え!
私が暮らしていた二階はどうなってるのかしら? もう階段も壊されたから、見に行けないんだけど・・・。壁や押入れが根こそぎ外側がはぎとられ、中の様子が露呈しているのを見ると、何ともいえない微妙な気分に。 

これから壁土を塗ったり、床や天井の板を張ったり、クローゼットを作りつけたして、ようやっと「部屋」というものになるんだわ・・・それにしても、土の匂いって嫌なもんである。庭や草はらの土はみずみずしい、自然の息吹を感じさせるのに、床下の土ったら、死臭(?)を感じさせるような、いや~な匂いがするんである。 やっぱり、人間もそうだけれど、生き物(土が生き物か?)は外の「風」にあたらないといけないということを痛感。

それでも、この匂いは懐かしい思い出とも結びついている。ず~っと昔、私が子供だった頃、その頃家で飼っていた「コロ」という雑種の犬が、必ず縁の下にもぐって、子犬を出産していたもの。 子供が生まれて間もなくは、少しでも近づいたら歯をむき出して怒るのに、子犬がある程度大きくなったら、さっさと縁の下の巣から飛び出てくる。そうして勿論人間の関心は、可愛い子犬に向くから、それにいちいちやちもきを焼いて怒ったものだっけ--何なんだ、この身勝手さは。
それはともかく、子犬を見ようと縁の下に顔を向けると、決まってこのしめったようなカビ臭い匂いがしたものだった・・・土の匂いは幼い日の思い出をも喚起してくれるのであります。

リフィーム工事は、来月の終りくらいに完成する予定。それまで、借り暮らしの生活が続きます。日曜日の今日は、一週間ぶりに夕食の支度--こんな風に日常がゆるりと流れていくといいな。

 


不思議の国のアリス

2014-10-19 10:59:59 | 映画のレビュー
ディズニーアニメ、「不思議の国のアリス」を観る。あのディズニーが、ルイス・キャロルが著したところなる英国児童文学の金字塔をどう映像化したか、興味は尽きないところなのだけれど、正直そんなに期待していませんでした。だって、あの独特の言葉遊びやテニスンの銅版画の夢魔のような凄み・・・とても、アニメで表すのは無理なんじゃなかしら?

ところが、でありました。まず、主役のアリスの絵がとても可愛い! わたしは、どちらかというと宮崎駿のジブリアニメの人物の絵柄や背景描写が大好きで、ディズニーのミッキーマウスやクマのプーさんなどあんまり繊細さが感じられないなあ、と思っていたのだけど――。 「雪の女王」でも、そうだったけど、ディズニーは、ヒロイン像を作るのがたくみなのかな?

そして、お話もとても面白い! あの考えようによっては難解な原作をここまで消化し、新たなエンターティメント作品にするとは、さすが世界のディズニーというべきか? 恐るべし・・・。 森の中に、突如緑の広場のような不思議な場所が出現して、そこには白い木戸の門を押して入ると、マッドハッター(気違い帽子屋)と三月うさぎのお茶会が開かれるところ・・・あの場面が何とも知れず好きです。 こんな気違いじみていて、楽しい(?)お茶会があれば、わたしも行ってみたいもんです。 ティーカップが縦真っ二つに割れていて、なぜかそこに紅茶がちゃんと入っていたり、ティーポットから噴水のようにお茶が飛び出してきたりして面白そう。 アリスがそうだったように、帽子屋たちは絶対、お茶もスイーツも味わわせてくれそうにないけど。    「誕生日じゃない日に乾杯!」--これが、彼らのお茶会の合言葉。 つまり、一年中お祭りさわぎのお茶会を開いてるっていうことね――この「誕生日じゃない日に乾杯」、なかなかいい文句で、忘れがたいお言葉。

原作では、一目見ると忘れられないくらいグロテスクに描かれていた赤の女王。ここでは、太っちょの長屋のかみさん風にデフォルメされていて、これも笑ってしまいそう。やっぱり、漫画ですね。

数学者であったルイス・キャロル。原作の「不思議の国のアリス」にも、トランプ(赤の女王の兵隊たちは、皆トランプのカード)が重要なモティーフになったりしていて、ハチャメチャな中に、どこか数学的な構築性と美しさを感じさせるものがあるのですが、そこはぐっとくだけて楽しいディズニー。 わたしもアリスと同じように、午後の夢のひとときを楽しみました!

P.S うちにも、テディ・ベアでできた「マッド・ハッター」があります。この子の他にも、「三月うさぎ」がいれば、ひょっとしたら本当に「お茶会」を開くのでは? と思ってしまうのでありますが、うさぎをテディ・ベアで作ることはできませんよね。 

最後の夜

2014-10-15 21:40:47 | ある日の日記
明日から、私の部屋がある寝室棟のリフォームが始まる。それで、一週間以上前から、ちょこちょこ物を運び出していたのだけれど、今日部屋を決定的に空にすることに。

それで、座敷に積み上げられた私有のものを見ていると、「どうして、こんなに・・・」と我ながらうんざりするほど物がある。門の横の小屋、書斎の二階、そして離れと、本があるのに、寝室の本棚にも本を並べたりなどしているのである。それから、趣味の紙や封筒などが束になってあり、カリグラフィー関連の資料などエトセトラ、エトセトラという凄さ--あ~、「簡素」さとは、ほど遠い生活してたんだわ・・・。

今度リフォームする部屋には、大きなクローゼットがつくから、服飾品は、それに収められる量にしなくては! この年齢になっては、物を増やすより、すっきり生きる方法を学ばなくては・・・と思うのだけど、洋服は好きだから困りものである。

今は、夜。子供時代からずっと過ごしていたこの部屋で過ごすのも最後。5つある窓からは夜が広がり、部屋には温かなオレンジ色の照明がともっている--ここを以前リフォームしたのは、まだ小学校5年生の時で、沢山ある窓や白い壁、明るいオレンジの光が輝くさまが、飛び上がるほどうれしかったものだっけ。  あれから、何十年の時をへたものの、今見てもなかなか魅力ある部屋である。

そばの家の窓が見えたりせず、少し高台にあるせいか、夜照明がともると、ちょっと灯台に似た趣があると、思うのは私だけ?
今日は、この部屋で眠る最後の日。 「美しい部屋は空っぽ」という有名な小説を書いた、海外の作家は誰だったろう?

本池秀夫 革の世界

2014-10-14 20:41:48 | アート・文化
以前から楽しみにしていた、レザーアートの第一人者といわれる本池秀夫さんの作品展へ。 新見美術館(岡山県新見市西方361)で、11月30日まで開かれている「本池秀夫 革の世界」です。

作品集で、その凄さは十分予想していたのだけれど、実物を見て初めて、その魅力を思う存分味わうことができました! 人形の一体、一体の繊細な表情まで革で表現され、服はもちろん、傍らに寝そべる犬や家具まで、すべて革! 木製としか見えないテーブルや椅子まで、皆革でできているというのだから、至高の職人芸もここに極まれり。 そして、小さな人形たちの織りなす世界は、いつかどこかのアメリカかヨーロッパの生活を思い起こさせて、遥かなノスタルジアを感じさせるのです。

精緻な小宇宙を思わせる人形たちの世界に、遊び心や物語を感じさせるのも、本池さんの作品の魅力。 ヨーロッパの小さな町の広場が出現した、と思ったらその中央の塔にはオスカー・ワイルドの「幸福の王子」の像が立っているといったあんばい(革と同時に銀細工もされるそうで、シルバーで表現されたティーカップや燕が素晴らしい!)。

入り口を出たところに置いてある大理石像(本当にそう思ってしまいました)も、よく見ると革でできていて、優しい乳白色の肉体も、女性の表情もつい触れてみたくなるような質感と魅力にあふれています。垂れ下がる衣のドレープも、柔らかな曲線を描いていて・・・う~ん、なんて凄いんだろう・・・。

息子さんの本池良太さんの作品も見せていただいたのですが、ちょっとした革細工も、目を惹きつけられる美しさ。これらのレザーアートを見ていると、その昔ヨーロッパの伝説に出てくるドワーフたちの宝石細工の物語を思い出していまいました。彼らが、鉱石を掘って、作り上げるという宝飾品は、筆舌に尽くしがたい美しさと緻密さなのだとか――。 

工芸の美しさを、どうぞ堪能あれ! ハラショー!

思い出のマーニー

2014-10-11 21:51:18 | 本のレビュー
この夏、ジブリアニメで公開されていた映画「思い出のマーニー」の原作。
有名な作品なのだろうけれど、今まで全然知らなかった作品。本屋さんに、並べられているのを見て、迷わず買い、帰宅してすぐ頁を開きました。

そして、そして・・・想像以上の名作! 今まで、こんなに面白くて、心に残る作品を読まずにすませていたなんて――書物の森は奥がふかい! 同じ英国の現代児童文学でいうなら、「トムは真夜中の庭で」に匹敵するほどの作品だと思います。

母親を失い、祖母を失い、肉親の縁に薄い少女アンナは、心優しい養父母に引き取られるのですが、かたくなな心の檻はときほぐせないまま。その彼女が、夏の間、預けられた海辺の町で出会ったのは--というのが大筋なのですが、アンナという孤独な少女の内面が子供向けの物語とは思えないほど、如実に描かれていますし、周囲の人々の人間像も巧み。そして、何より、舞台となる海辺の町で、マーニーと会う場面が素晴らしく印象的!

何せ、ありきたりの場所でなく、入江の中の湿地地帯が舞台。その向こうに見える岸辺にひっそりと建つ魅力的な屋敷は、人が住んでいるような空屋のような不思議な雰囲気をはらんでいる(屋敷じゅうの窓が明るく輝いていて、まるでパーティーでもあるのかと思えば、夕陽が窓ガラスに反射していただけだったり・・・)のですが、そこへは潮が満ちている時だけ、ボートを漕いでたどり着けるのです。 その窓から、誰かがのぞいているような・・・。

やがて、アンナが出会った少女マーニーは、とても可愛らしく、魅力的なのですが、ふいに消えたり、現れたりします。ここで、マーニーという少女の夢のようなとらえどころのなさを描く、作者の筆致はとても巧みです。 美しく、お金持ちで、あらゆる点で恵まれているように見えるマーニーの深い孤独も少しずつ明らかになっていくのですが、二人の少女が決定的な行き違いをする嵐の夜を経て、もう一度マーニーの心を確かめるため、雨の中、ボートを漕ぎだすアンナ。 けれど、雨の降りきしる窓の向こうで、少しずつ消えていくマーニー・・・その時、アンナは確認します、もう二度と、マーニーには会えないこと、湿地屋敷が最初から空屋だったことを。

マーニーとは誰だったのか? そしてアンナは鮮烈な夏の記憶を夢として、忘れてしまうのでしょうか? マーニーとアンナの友情が交感の喜びと輝きに彩られながら、喪失の悲しみに満ちているのも、この物語を忘れ難くさせているのかもしれません。

二人の少女の、出会いと別れの物語。