ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

台風の中

2022-09-19 12:25:56 | 本のレビュー

史上最大級の台風14号が来ると言うので、戦々恐々としていたのだけれど、今の所は、空がグレーで、風がざわざわと不吉に揺れているだけ。これから、ひどいことになるのかな? 上についてるランプは、「トワルドジュイ」という、かのマリー・アントワネットが愛したという生地が貼られているのですが、ほの明るい感じが好きです。

ヴェルサイユ近郊で作られ、当時のヨーロッパで人気だったというトワルドジュイ。いかにも、アントワネットが好みそうな、華やかで、そのくせ田園の空気感の漂う布地ですね。

さて、外出などできないので、久しぶりにゆったりした気分で、高校時代愛読していた川原泉の少女マンガ「笑う大天使(ミカエル)」の愛蔵版を読みました。高1か2の頃、夢中で読んだなあ~。作者の川原泉という人はやたら博識で、女高生を主人公にしても、数式とか世界史etcの知識がギャグと一緒に披露されていて、「勉強になるマンガ」としても面白かったもの。

   

内容の絵と展開は、こんな感じ。私は年寄りなので、今のマンガのことはてんで疎いのですが(「鬼滅の刃」も、ブームが去った後、やっと読んでいる有様)、21世紀の今も通用するのでは、と思うほど古びていない! あっ、一言つけくわえさせていただければ、右横に置いているのは、子汚いペーパーウェイトなどではありませぬ。 今を去る45年も昔、小学校に上がる前、家族旅行で訪れた秋吉台の鍾乳洞前の石屋で、6歳の私が買った、ナンタラという石であります。ちょっと、大理石っぽい模様が走っているのですが……今も、大切に手元に置いてます。

   

そして、これはこの間の「秘密の変身」と同じ、宮敏彦という方が書かれた少女ミステリー。この本も内容がうろ覚えながら、とても面白かった記憶があり、ネットで長い間探してました。それをとうとうゲットできた時は、本当にうれしかった!

四十年ぶりに再読しても、やっぱり面白かった。三回も繰り返して、読んでしまったくらいです。このお話、島根県の隠岐の島が舞台に使われ、そこで東京からやって来た少女が殺されるのですが、彼女が死ぬ直前に買った、玉若酢神社の駅鈴(もちろん、売店で買ったレプリカですが)が、効果的に使われています。チリンチリンと悲しい音を立てて鳴る駅鈴と、死んでしまった美しい少女。

寡聞にして、知らなかったのですが、この隠岐の島の駅鈴は、ここだけにしか存在しないとされる、文化財としても貴重なもの。昔、朝廷からやって来た役人が、馬に乗って、自分が来たことを近隣の村に知らせるのに、馬の背に、駅鈴をつけ、その音を鳴らしていたのだそうな。

玉若酢神社の宮司は、大国主命の末裔とされ、当時からずっと宮司を務め、代々駅鈴を継承し続けているのだそう。神社の隣に、宮司さんの住居もあり、そこでこの駅鈴が展示されている――そして、境内には樹齢二千年とされる杉の大木があるのだとか。へ~、古代杉っていうのは、屋久島だけのものではないんですね……。

旅情あふれる少女ミステリ。この雰囲気に魅せられるあまり、今まで訪れたことのない隠岐の島へ、旅に出たくなってしまいました。しかし、同じ中国地方とはいえ、遠い離島。松江や米子からフェリーに乗って、一時間とか――遠すぎる!

作者の宮俊彦さんの本をもっと読んでみたい、と思ったのですが、これほど力量のある人なのに、上記の二冊以外、ほとんど出版されていず、それも五十年近くも前の話。今、生きていたら、百歳近いお年のはずだし―古書っていうのも、不思議な縁であります。

付記:

今、夜の六時半近く――やはり、外は大荒れで恐ろしい空模様に。電車はほぼ止まり、日本全国で、台風が猛威をふるっている事態です。

天災は、恐ろしいものですね……。

コメント

世にも怪奇な物語

2022-09-15 16:36:45 | 映画のレビュー

映画「世にも怪奇な物語」を見る。1967年の映画である。実は――この映画の存在はよく知っていたのに、一度も見たことがない!(私の場合、若い頃読んだ、ダイジェスト版だけで、映画を観た気になっていることが多いです。これも、問題だなあ……)

そして、ようやく巡り合えたこの映画、期待にたがわず、面白かった! 一言でいえば、エドガー・アラン・ポーの短編を三つ取り上げたオムニバス映画なのですが、これらの監督と出演スターがふるっている! 

何と、一話目の「黒馬の哭く館」はロジェ・バディム監督。主演が若かりし日のジェーン・フォンダ。

二話目の「ウィリアム・ウィルソン」の監督がルイ・マル。主演がアラン・ドロンに、相手役がブリジット・バルドー。

三話目の監督が、巨匠フェデリコ・フェリーニ。主演がテレンス・スタンプ。

どうです? 映画史に残る、垂涎もののキャスティングでしょう?

個人的に最も面白かったのは、一話目の黒馬をモティーフとした怪異譚。私の好きな中世を舞台にしたらしい、設定や美術に惹かれてしまったせいもあるのですが……。

怪奇小説は結構読んでいる方だと思うのですが、このポーの短編は知りませんでした。やっぱり、「アッシャー家の没落」とか「黒猫」「黄金虫」といった有名な名作にばかり、目が向きがちですね。

  

さて、どんな話かというと、貴族のフレデリック(どこの国の貴族なんだろう?)は、まだ二十三歳の若き女性。夫が亡くなったため、莫大な財産を受け継ぎ、自由気ままに暮らし始めます。まわりにいる者をすべて、下女下男のように扱う、高慢な彼女には、一族の中でも貧しい従弟のウィルヘルムがいて、両家が互いに反目しあっています。

彼女はウィルヘルムを馬鹿にし、ウィルヘルムは女王然と振舞う彼女を、初めから相手にしない。その実、近づいて、口をきき合ったこともない二人ですが、ある日、森の中で、フレデリックは獣の罠にかかってしまいました。

フレデリックは、偶然近くにいたウィルヘルムに助けを求め、不承不承彼は、彼女を助けるのですが、この時、フレデリックな我知らずウィルヘルムに惹かれてしまいます。

しかし、ウィルヘルムが彼女に向けたのは、激しい嘲りのみ。拒否されたフレデリックは怒りに燃え、彼の愛する馬たちのいる馬小屋に放火するのですが、この時、ウィルヘルムは愛する馬を救おうとして、焼死。

そののち、謎めいた、黒馬がフレデリックの館にあらわれる――というのが、おおかたのストーリー。

ウィルヘルムに扮していたのが、いかにもヨーロッパ的な憂鬱そうなハンサムで、「この俳優は誰だろう?」と思っていたところ、何と彼がピーター・フォンダだと知った時の驚き!

って、フレデリックを演じているジェーン・フォンダの実弟ではないか。「イージー・ライダー」とかベトナム帰還兵のロマンスを描いた「帰郷」での彼しか知らなかったけれど、こんな繊細なムードのヨーロッパの貴族を演じていた側面があるとは……監督のロジェ・バディムは当時、ジェーン・フォンダの夫だったし、彼なら姉弟に恋愛ドラマを演じさせることも平気でやれそうです。

ロジェ・バディム自身は、決して大監督というわけではないのですが、どこか品が良く、作品そのものが面白い(「バーバレラ」も面白かったですし……代表作とされる「血とバラ」は未見なのですが)。ジャック・ドゥミや「愛人(ラ・マン)」を監督したドアノー監督といい、フランスにはこんな繊細な映画を撮る監督が多いと思わせられますね。

三話目の主演俳優テレンス・スタンプは、「コレクター」で女性を監禁する病的な会社員や、「ランボー 地獄の季節」で詩人アルチュール・ランボーを演じた個性俳優。彼なら、ポーの怪奇ものにはぴったりだと思わせられるし、監督があのF・フェリーニ。でも、サーカス的な演出を得意のするフェリーニには、怪奇ものはあまり、ぴったりこないような…。 

 

コメント

エリザベス女王のこと

2022-09-15 16:08:37 | アート・文化

英国のエリザベス女王が亡くなって、一週間。世界一威厳があり、クイーンという名にふさわしい方だったなあ……。

ガラスの柩や、壮麗なスケールの国葬は、まさに大英帝国ここにあり、という感じでしたね。女王陛下が亡くなられた日に、空には二つの虹が🌈が出ていたというのも、まるで物語のよう。かくも女王という威厳に満ちていながら、クマのパディントン好きとか、はやりものが好きというお茶目な面があったのが、何だかいいなあ、と思わせられます。国民から圧倒的な人気があったのも、この横顔ゆえか?

                                私の部屋にも、エリザベス女王のお気に入りのキャラクターだったとかいう、「デイッキー」(多分、そういう名前だだったと思う)のぬいぐるみがあります。ずいぶん前に、「アフタヌーンティー」で買ったのですが……これも、パディントンと同じく、クマ🐻じゃないかな?

エリザベス女王と言えば、その圧倒的な存在感やオーラと共に忘れがたいのが、あの絢爛たる紋章。ユニコーンや盾の絵が描かれた重厚なものですが、バッキンガム宮殿の門にも、大きな金色の女王の紋章が、麗々しく取り付けられていましたっけ。

     

在位70年。96歳での逝去――一つの時代が終わったのだなあ、とTV画面を見つつ、感じさせられました。これから未来の人々が、女王のいた時代を振り返る時、古き良き英国と懐かしむことになるのでしょうか?

コメント

もう、秋

2022-09-07 23:00:16 | ある日の日記

  

今日、カリグラファーズ・ギルドの作品展から、出品作品が帰ってきましました。実は、これ二年前の東京オリンピックを題材にしたもの。だから、ギリシアの神殿っぽいイラストやオリーブの葉もちょこっと書き加えてます。忙しいので、東京と京都で行われた展示会にも足を運べないままでしたが……。

あまり良い出来ではないけれど、飾るには手ごろな大きさなので、自室のベッドの近くの壁にかけることにしました。

ばたばたと家の用事を片づける間に、短編を五十枚ほど書き上げる。

そして、以前から、読みたいなと思っていた三島由紀夫の「英霊の声」収められている短編集も何とか読了。何といっても、掉尾にある「英霊の声」が圧巻! 三島文学にはつきものの、あまりに端正な構成美のせいで、いささか情感に欠ける恨みはあるのだけれど、この神事の最中、よりましの中に降りてくる、英霊――二・二六事件の将校や特攻で若い命を散らした霊の言葉や彼らの語る「真実」は、鬼気迫る物凄さ。天皇制についてもふれた、永遠の問題作ともある通り、この作品を書いた三島のある種の覚悟のようなものが行間の影からも読み取れて、気味悪くも、胸がざわついて仕方ない異様な作品となったもの。

たぶん、この「英霊の声」は、私の内でも長く印象に残るのでは、と思います。

 

 

コメント

華麗なるギャッビー

2022-09-02 13:51:13 | 映画のレビュー

映画「華麗なるギャッビー」(2013)を観ました。あのレオ様が主演している、リメイクもの。もちろんロバート・レッドフォードが主人公のJ・ギャッビーを演じていた旧作(1974)版も見ているのですが、今回のものの方が、個人的にはよかったです。

ロバート・レッドフォードの甘く、優雅な雰囲気が、このロマンチックな恋愛ものにはぴったりといえばいえるのですが、レオナルド・ディカプリオ(しかも、中年になって、ずんぐりむっくりが目立ってきている)のふてぶてしさや野性味が、素晴らしい! 原作のスコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャッビー」が世に出たのは1925年、と何と百年近くも前なのですが、レオナルドは、その伝説的な1920年代に、生き生きとした命を与えているように思うのです。

この作品は言うまでもなく、アメリカ文学史上に残る傑作で、ストーリーは多くの人が知るところなのですが、あえて書ききるしてみると――

主人公のニックは三十歳の文学青年だが、作家としては伸びず、普段はウォール街の証券会社で働いている。彼には美しい従妹のデイジーがいて、彼女はアメリカでも有数の富豪のトムと結婚している。

ニックが住むコテージの隣には、城かと見まごう豪邸があり、しばしば豪勢なパーティーを催している。しかし、主のJ・ギャッビーの素顔を知る者は誰もいず、彼が何をしてこれほどの財力を蓄えたかも、知る者はいない。

だが、ニックはある日、ただ一人、正当な招待状を受け取り、ギャッビーのパーティーに行く。呼ばれてもいないのにやって来る人々が、チャールストンを踊り、酒を飲み、狂乱の騒ぎを起こしている、風変りなパーティー。茫然としていたニックの前に、本物のギャッビーが姿をあらわすが――というのが発端。

実は、ギャッビーはかつて戦線の将校だった時、デイジーと恋に落ちたのだが、戦争の後、彼女はさっさと金持ちのトムに乗り換え、結婚してしまっていた。それでも、ギャッビーは彼女を忘れることができず、裏社会や酒の密造などで巨万の富を築いた後、デイジーに近づこうとする。

こう書くと、まるで自分を裏切った恋人を見返す男の復讐譚のよう。しかし、そうではなく、ギャッビーの人生の切なさも、悲しみも、彼が純粋にデイジーを愛し、彼女を手に入れようとあがくことに終始するところにあるのです。

     

再会したデイジーは、ギャッビーの願った通り、彼を愛し、トムの目を盗み不倫の関係にいたります。しかし、ギャッビーがトムと離婚して、自分と結婚してほしいといった時、彼女ははかばかしい返事をせず、この時点で、我々観客には、彼女が安楽なセレブ生活にすっかり浸りきり、、自分を投げ出すような真似は絶対にしない女性だということがわかってしまいます。

デイジーの返事に失望はするものの、彼女をあくまで愛し続けるギャッビーですが、自分とトムと、二台の車を連ねて行ったランチ会で、デイジーの夫トムから、自分の怪しげな仕事のことを暴露され、挙句の果てには、「ここにいる俺たちとお前とでは、決定的に違うものがある。それは、お前がどんなにあがいても手にいれられないもの。生まれが違うんだ」と侮蔑の言葉を投げられてしまう。

この時、終始にこやかだったギャッビーが見せた凄まじい怒り。ノースダコタの貧農の息子として生まれた彼の、密かなコンプレックスが、この瞬間あぶりだされたものとして、忘れがたいシーンです。

我を忘れたギャッビーの怒りに、デイジーの心は冷えてゆき、度を失った彼女はギャッビーと家路につく途中、女性をひき殺してしまう。しかし、トムはこの事故がギャッビーの引き起こしたものであるかのように、女性の夫に語り、彼はギャッビー邸に忍び込み、プールにいたギャッビーを射殺してしまう。

これが大筋のストーリー。あまりにドラマチックというかメロドラマなのだけれど、この小説が痛切な悲しみを感じさせる名作となっているゆえんは、結末。リックは事故の当事者であり、ギャッビーの死にも責任がありデイジーに「ギャッビーの葬儀に来てほしい」と電話をするのですが、すでに彼女は夫のトムと、旅に出てしまっていました。すべての罪を、ギャッビーに覆いかぶせて。

    

ギャッビーという人間を愛するようになっていたリックは、従妹や彼女が代表するブルジョワ世界の利己主義に悲憤を感じるのですが、それでもこの物語は、「憧れ」を描いて素晴らしい!

デイジーの住む屋敷の対岸にある城に住むギャッビー。彼が、湾に手を差し伸べて、デイジーの家の船着き場につく緑の明かりに手をさしのべるところ――映像の美しさと共に、憧れの美しさ・はかなさを象徴する緑の灯が、いつまでも心に残りました。

コメント