ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

トイレの話

2016-06-27 21:11:46 | ある日の日記
突然ですが、皆さんはトイレの掃除がお好きですか? 私はキライです(きっぱり)。

でも、ほおっとけないし、誰かがやらねばならない。そんな訳で、必死の形相で立ち向かう(嘘)のでありますが、我が家にはトイレが三つあります。
居住スペースである母屋の、キッチン近くに一つ、離れへ渡る短い廊下のところに一つ、離れの奥に最後の一つ。
離れの奥にあるトイレは、バスルームと一つになっており、そんな奥の院にまでほとんど誰も行かないので、とっても綺麗なまま。 でも、掃除はしなきゃいけないですしね。

皆、新しいお手洗い場所なので、それなりに綺麗なのですが、「トイレクイックル」で便座を拭きながら、思うのは、この白い陶器はまるで、美少女の肌のようだということ。
昔、誰かが「美少女っていうのは、便器みたいなもの。汚れても、磨いたら、もとの綺麗さに帰るから」と下手なジョークを言っていたのが記憶に残っているのだけど、‘本当、そうだわ‘と今頃になって思う私。

昔、二十代の頃は広い家を掃除するのもぜんっぜん、苦痛でなく楽しかったもの。子供のころときたら、家じゅうを走り回って遊び、池に落っこちたこともあるというのに、今では広い家で暮らすということがしんどいです。 いつも生活に使っている場所を「居住スペース」と呼んでいるのですが、そこだけあれば十分ですという感じ。


昔の小説など読んでいる時、田舎の大きな家に住んでいる老夫婦が広い家をほとんど閉めきってしまって、二、三間だけを使って生活しているという箇所があり、「どうして、そんなもったいないことするのか?」と思ったものですが、今では良くわかります。
font size="4">「年を取ると、エネルギーがなくなる」
のだよ


話は戻りますが、トイレは確かに「ご不浄」の場所。でも、洗面台のところに瑞々しい花を置いたり、洒落た雑貨やテディベア、綺麗な石鹸、本を棚の上に飾ったりして、楽しく遊べるスペースでもあるのです。
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ある日の日記

2016-06-23 21:45:17 | ある日の日記

今日も、蒸し暑い。二階の自室で、クーラーをかけていると、別天地でどこへも出たくないくらい。
午前中は、自室で、カリグラフィーの練習。ゴシサイズドイタリック体を、久しぶりに書く。

昼食を食べた後、友人たちと集まる母を車で送り、ついでに県立図書館へ。 私の場合、本を借りるのに時間をかけるというころがほとんどなく、あっという間に決まってしまう。
そして、なぜか図書館ではくつろげない、というか本が読めない。だから、いつもそそくさと退散することにしている。

デパ地下で、少し惣菜を買い、帰宅。夕方、母をまた迎えに行き、ノエルを庭で遊ばせた後、散歩。

ううん。何ていうことなく、グルグルしていくうちに一日は過ぎてゆくもんだなあ……もっと流されることなく、人生の時間を有意義に使わなくては、ね。

今月末、東京へカリグラフィーのワークショップを受けに行くことにしているのだが、お金と時間を割くことに、これからもっとシビアにならねば。
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さざなみ

2016-06-21 21:24:18 | 映画のレビュー

映画「さざなみ」を観に行く。

あのシャーロット・ランプリングが主演するから、というのでどうしても観たかったのだけれど、いざスクリーンの彼女に対面して愕然……。
「さらば愛しき女よ」(これは、ロバート・ミッチャムがフイリップ・マーロウを演じたもので、ランプリングは魅力的な悪女の役どころ)や、「愛の嵐」、ヴィスコンティの「地獄に落ちた勇者ども」での輝くような美しさを知る者には、老女=ランプリングの姿は目にしたくないかも。

だが、ヨーロッパの退廃を体現した美女も、すでに70歳。それを思うと、老いの醜さや優雅さをさらけだして見せるランプリングは素晴らしき女優なのだ。70年代当時、同じように、大監督に愛されたドミニック・サンダが今や名も聞かなくなっていることを思えば。

物語は、結婚45周年パーティーを目前にした老夫婦の住むコテージを舞台として進む。ケイト(これが、ランプリング)は、突然夫のもとへ来た郵便により、遠い昔、スイスの氷河に落ちて死んだ、夫の当時の恋人の遺体が発見されたことを知る。
その日から、亡くなって久しい、恋人の追憶にふける夫――その姿を見るケイトの心に去来する嫉妬や猜疑心。これが老女の表情に浮かんでゆくのだから、何とも迫力がある。
気品ある老婦人の面差しから、一転して夜叉のような表情に変わるケイト。 ランプリングの凄さは、こうしたところにある。
ここまで自分をかなぐり捨てる演技ができたからこそ、女優として完成の域に達したのに違いない。

夫が、パーティーの席で「妻と結婚できたことが、自分の人生で最大の幸運」とスピーチするのを聞いて、幸せそうに微笑むケイト。夫婦の危機は回避されたかに見えたが、誰も見ていない時、彼女の顔には幻滅としかいいようのない表情が浮かぶ。その阿修羅のごときクローズアップを持って、映画はエンディングを迎えるのだが、ここに横たわる愛の孤独、断絶をどういっていいのだろう?
老いた夫婦の愛が、平穏というのは、神話に過ぎないといえば、言い過ぎだろうか。
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永遠のヒロイン

2016-06-21 20:53:05 | 映画のレビュー

永遠のヒロイン ハリウッド大女優たちの愛と素顔」 井上篤夫 NHK出版  

上記の本を購入して読む。大ファンであるヴィヴィアン・リーに1章がさかれているからだが、外のキャサリン・ヘプバーン、マレーネ・ディートリッヒ、イングリッド・バーグマンといった女優達のライフストーリーも読みごたえある一冊!

彼女たちの人生について、おおまかなことは知っていたのだが、この本では今まで知られていなかったエピソードや新事実などを掘り起こしていて、クラシック映画ファンには、こたえられないのでは?

ヴィヴィアン・リーについては、アン・エドワーズ著の傑作伝記を持っていて、何度も愛読しているのだが、それでも知らなかったことがいくつもあってびっくり。
何せ、ここではヴィヴィアンの実在の曾孫なる女性が、曾祖母の足跡を追って、ゆかりの人々を訪れる趣向なのだ。私は、ローレンス・オリヴィエと離婚した後の、晩年のヴィヴィアンに共感せずにはいられないのだけど、この本には彼女が最後の日々を過ごしたティカレージ荘の写真が載っている。 本当におとぎ話に出てくるような、優雅な家――美しい庭園の池を眺めながら、スカーレット・オハラ演じた女優は何を思っていたのだろう?  彼女の遺灰がまかれたのも、この池だったという。

そして感心せずにいられないのは、彼女の手紙。有名人の手紙を今までいくつも読んだ(もちろん、伝記の上で)ことがあるのだが、情熱的で、感性に満ち溢れていて、まさしく「ここにスカーレットがいる!」と思わずにはいられないものなのだ。

大女優たちの人生を思うと、栄光は苦い杯でもあることを、読者は理解するだろう。
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原稿のこと

2016-06-17 17:06:09 | 児童文学

夏の合宿に提出する作品。 取り掛かる前は、「これを書いている間じゅうは、毎日書かねば」と思っていたのに、疲れていたり、忙しかったりする時はパソコンに向かうこともなかった私――自分の意志の弱さやスタミナのなさに腹が立つ。

次は原稿用紙250枚~300枚以上の作品を完成させたいと思う(200枚以上ないと長編小説と言えないと、どこかで書いてあった。一般文学と児童文学では、少し概念が違うのかもしれないけど)。
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これ、何の花?

2016-06-17 16:49:53 | ガーデニング

これは、玄関前に少し前まで咲いていた夏椿の花。 西洋の「椿姫」とかココ・シャネルの愛したカメリアの花とかは、燃えるような色をした、少し重苦しいくらいボリュームがあるイメージですが、これは本当に清楚な花。


そして、こちらは先月のはじめ、Hさんから頂いた花。「時計草じゃないかしら?」と彼女はおっしゃっていたのですが、いざ咲いた花は、御覧の通り、紫の涼やかな雰囲気。
時計草は、名前が面白くて、「どんな花なのかなあ?」と以前想像を膨らませていたもの。花の形が時計を思わせるから、なんて凄いではありませんか?

でも、いざ実物を見たら、時計の針の形を思わせるような、そうでないような…。美しい花とも言えない形状だったし。少し、失望した記憶があります。

けれど、頂いたこの花は、とてもビューティフル! 鋭い切れ込みの入った小さな花弁がいくつも重なり合って、複雑な美しさを作りだしています。
ですが、名前がわからない……どなたか、この花の名前を知ってらっしゃる方はおられませんか?  ご存じの方はご一報下さいませ。
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アジサイの午後

2016-06-16 16:29:44 | ガーデニング
   
                  
ガーデンの煉瓦小道の脇に咲く、アジサイたち……この画像では写っていませんが、「おたふく」という名前の真ん中に向かって丸くつぼんだような花弁を持つ、可愛らしいものも今咲いています。



ガーデンで摘んだ花を、お座敷やお手洗いの中に飾ったり、門の前の大壺の中に生けこんだり……生活を楽しく彩ってくれるのですが、これをやっているのは私ではありません。

実を言うと、私は三十代の半ば頃、「フラワーデザイン」を3年間、習っていてNFD1級という資格ももらっているのですが、てんで日常生活に生かせておりませぬ。う~ん、ガーデンに咲くハーブの花々を編み込んで、花冠を作りたいと思って、習い始めたというのに…。センスがないって、こういうことなんですね。悲しい――

梅雨空の下に咲くアジサイ。ぽってりと大きく、イメージ通り水気を感じさせるものから、花火を連想させるユニークな形のものまで様々。こんなにバリエーションに富むというのに、江戸時代の朝顔ブームのような、大きなブームがなかったとは。信じられない! 世界に誇るべき、日本の「ハイドランジア」なのですから。
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ぐったり・・・

2016-06-15 08:38:07 | 健康・病気
何だか、頭痛いし、疲れやすい。食欲もない――床の上に寝転がって、ぐったりしている日々が続く。自分で言うのも何だけれど、浜に打ち上げられたワカメか何かみたい。

月一回、通院しているクリニックで、以上のことを言うと、「季節の変わり目ですからねえ」とのお言葉。
季節の変わり目に、気圧が下がる。すると、全身の血管が広がり、神経に作用するのだそう。頭痛、腰痛、めまい、しびれなどの症状があらわれやすく、対策は目まい止めを飲むのがよろしい、とのこと。

そして、気圧の変化を感じ取るのは、「耳」から。耳から全身に伝わるのですね。

月末にも、スケジュールがあるので、今のうちに、休んでおこうと思ってます。
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高原の休日2

2016-06-08 22:33:07 | 旅のこと
軽井沢から、群馬を通って那須へ。
その途中、足利フラワーパークへ寄りました。あんまり、期待していなかったけど、意外やすごくスケールの大きな花公園!

              これ、モネ邸のスイレン池の橋を思わせそうですが、この橋の上を覆っていあるのは藤棚。 ここは、藤の花で有名だそうで、園内にはあちらこちらに、大きな藤棚があるのですが、残念、開花はすでに終わってる。
でも、やはり綺麗ですね。こんな風に池に浮かんだ水連も、小さな丸い円にまとめてあったりして…。
    
  大きな薔薇園もあり、(薔薇が好きというのは、あまりにもフツー過ぎて抵抗があるのですが)、その中には、こんな風に外側の縁取りだけ赤いという麗しき薔薇も(品種名、確認するの忘れました)。

 そして、やってきた那須。ここへ来るのは、初めてであります。宿泊するのは、あの「二期倶楽部」。
これは、フロントの玄関のところに生けられていた花ですが、とってもトレ・ボー。 
      
 別のところでは、まるでサラダボウルのようにグリーンの植物がレイアウトされて、これもステキ。 


               
二期倶楽部は、那須の深い森の中、ヴィラ形式で、部屋部屋が並びます。 部屋といっても、まるでコンパクトな小さな家のよう! 上品でシンプルなメープルの色調の木製の家具、窓から見える緑の木々と流れる霧――ひそやかな時間を感じさせます。 そして、食事がとてもおいしかったのです。  

夕食に出された和食はモダンな懐石(多分。懐石料理って、食べた事ないので)調で、皿と料理の色どり、味覚がすべて、美感に訴えてくるような感じ。梅山豚(メイ・シャントン)とういう豚肉のお料理が忘れられない美味しさ。う~ん、写真に撮っておきたかったのですが、あいにくカメラをレストランに持っていくのを忘れてしましました。
この頃になると、滞在を楽しんでリラックス。

到着した当初は、あまりに森が深く、森閑としていて、部屋に置かれた、「二期倶楽部」編集の冊子も意識が高く、落ちつかない気分だったのだけど(ここでは、「三つの椅子」や「山のシューレ」といった冊子が出されていて、学者や文化人が、思想を語り合うという高尚な趣。この高級リゾートには、確固たるポリシーや思想があるようです)。
 ここでは、毎年夏、数日間だけ、「山のシューレ」(ドイツ語で学校という意味)というものが開かれていて、色々なワークショップも催されているらしいのですが、この前あったという、「粘土板を自分で作って、五千年前作られたヒエログリフと並ぶ最古の文字、楔形文字を彫る」ワークショップ。面白そうだなあ。

    

楽しみにしていた、翌朝の朝ごはん――洋食のブッフェだったのですが、あまりのレイアウトの美しさ・美味しさに感動。
  食って、幸せっていうことなんだ。



         
 「那須ステンドグラス美術館」も素晴らしい! 観光地によくありがちの、はりぼての建物などではなく、イギリスはコッツウッォルズ地方の蜂蜜色の石として知られるライムストーンで建てられた本格派。 


入り口の鉄製の門も照明もすべて、英国から運ばれたもの。館内を彩るステンドグラスは、中世のものではありませんが、19世紀末から、20世紀初めにかけてつくられた美しく繊細な芸術品! マナーハウスを思わせる、アンティークの重厚な家具やファブリックのソファ――ライムストーンの壁には、輝くばかりのステンドグラスが。

う~ん、まるで日本じゃないみたい。こういうところ(だけ)趣味を同じくする母と私は、「幸せだなあ」とため息。展示するのが、味気ない空間でなく、マナーハウスの小部屋を思わせるような美しい部屋に分かれているのも、良かった。

雨こそ降らなかったものの、曇りで霧が漂っていた那須。ステンドグラス美術館の建物も霧に包まれ、ロマンチックな雰囲気満点でありました。


そして、帰宅すると夏椿の花が咲いていました。まるで、私たちの帰りを待っていてくれたみたいに
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高原の休日 1

2016-06-08 22:07:34 | 旅のこと
那須と軽井沢へ二泊三日の旅行へ行ってきました。
観光列車「ろくもん」に乗るため、新大阪から幾度も列車を乗り換えて、長~い時間かけて軽井沢へ行くという変則的スケジュール。

でも、でも、「ろくもん」良かったです!
    
水戸岡鋭治デザインの車体は、戦国大名真田家をイメージした赤色。 同じく真田家の家紋である六文銭やつばくろの意匠があちこちに生かされ、綺麗。

      
列車内は、二人がけのテーブルと椅子が並ぶ小さな個室状になっていて、そこで時間をかけながらお料理も楽しめる、という趣向。でも、駅弁の豪華版くらいかな?と思っていたら、さにあらず。きちんとした料亭のお料理が運ばれてくるのでありました。 美味!  最後には、車内で点てられたお薄とお菓子(黒糖風味の水ようかんでした)まで席に運ばれてくるという凝りよう。

沿道の駅にとまるたび、少し長めに停車して、地元名産の食べものを買うことができたり、ホームには戦国の鎧をかぶった駅員の方がいるなど、「盛り上げ」ムード満点。
そして、列車がホームを滑り出すたび、手を振ってくれる地元の人々……う~ん、観光列車といっても、こんな風に有名デザイナーに依頼したり、地元で盛り立ててゆくって、素晴らしいなあ。プロジェクトって、やはり大切。


                           
ようやく着いた軽井沢。その手前から、風向明媚な高原の風景や洒落た洋館などが、車窓の向こうに広がり、以前、やはり列車でやってきた時の思い出が広がり、わくわく。

しか~し、であります。泊まるホテルは、駅から大分離れたところにぽつんとあるもの。到着したのが、まだ4時半ごろだったので、旧軽井沢の方へ散歩に出たいと思い、タクシー代をフロントで聞くと、た、高い! あきらめて、ホテルで過ごすこととなりました。くっ、ここまで来て、もったいないもんだ。


 正直言って、レストランの大きなガラス張りの窓から見える浅間山の眺望が素晴らしいだけの、料理もさっぱり美味しくないホテルでありました。母と、以前やってきた軽井沢の思い出を語らいあっていると、ストンと眠気が……。
高原の夜は深いような気がします。
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