ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ヴェルサイユの宮廷庭師

2015-11-27 20:47:50 | 映画のレビュー

「タイタニック」の鮮烈なヒロイン像が、忘れ難いケイト・ウィンスレット主演の歴史ドラマ。

かの輝しき太陽王ルイ14世の治世時代――王の一声で、ヴェルサイユに壮麗な宮殿が造営されることに。その時、庭園づくりを命ぜられたのが、造園家ル・ノートル。 彼は、王の期待にこたえ、後世の時代にも讃美されてやまない、名園をつくりあげることとなるのだが、ここに知られざるエピソードが…というのが、この物語。

ヴェルサイユ宮殿の窓からも、望むことができる広大なフランス式庭園。その幾何学的図形を思わせる、整然とした庭の一角には、円形の噴水で縁取られた場所があり、ここだけはル・ノートルの手によるものではなく、サビーヌという無名の女性庭師が作りあげたもの。 この時代、女性として専門の仕事を持ち、天才ル・ノートルの信頼を勝ち得たサビーヌとは、一体どのような人だったのか?

彼女についての資料はほとんど残っていないそうだから、彼女とル・ノートルとの間に、ロマンスが芽生えたとする、本作のストーリーも、あくまで想像力の産物。でも、歴史上での「if」は、幾つあっても、楽しいし、このロマンス談だって、絶対なかったとはいいきれない。 私達観客は、華麗な宮殿や庭園の影にしまいこまれた夢を、漂ってゆけばよいのに違いない。

唸らせられるのは、ウィンスレットの演技の上手さ! 彼女はドイツの作家ベルンハルト・シュリンクの世界的ベストセラー作「朗読者」の映画版のヒロインも演じていて、元アウシュビッツの女看守であり、文盲である身を隠して、一人の少年(これが、後に彼女を裁く検事側として、法廷で再会する)と情を交わし合う薄幸の女性を見事に浮かびあがらせていたのだが、この「ヴェルサイユ…」でも、瞠目するしかない、名演ぶりなのだ。

そして、映像の美しさも特筆もの。フランスの栄華が咲き誇り、その芳香が遠い国々までを魅していた時代の絢爛たる色彩や美が、スクリーンに溢れかえっていて、普段、ロココやヴェルサイユ王朝などに興味のない私まで、うっとりしそうなほど。
ルイ14世という、巨大な君主像の実像も、魅力的に描かれていて、はじめて、このあまりに有名な王のことをほとんど知らなかったことに気づいた。 

「太陽王」という異名も、その権力の大きさを物語るだけでなく、少年時代、バレエを踊り、その時「太陽神アポロン」に扮したというエピソードからくるのだということや(それにしても、王がバレエダンサーにもなるだなんて!)、双子の兄弟がいて、そのかたわれは一生仮面をつけたまま、「鉄仮面」として孤島に幽閉されていた、という奇怪な噂まで、ルイ14世はなかなか面白き王なのである。

物語の最後、ル・ノートルとサビーヌは、ひそやかに庭園を去り、後に残った王とおつきの者たちは、円形の舞台の上で踊る。いや、王は彫刻のように佇み、人々が彼のまわりで輪舞を繰り拡げるのだが、その情景がカメラから遠ざかるにつれ、ヴェルサイユの全貌が広がってくる。思うに、庭園とは、造園家の夢、権力者の夢が一つに溶けあった、素晴らしきイリュージョンなのかもしれない。
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いのちのパレード

2015-11-25 13:24:06 | 本のレビュー
     
「いのちのパレード」 八束澄子著。講談社

「松ぼっくり」の先輩、八束澄子さんの作品です。
これ、実は中学2年生の女の子が妊娠してしまい、その衝撃的な事実を中心に、周囲の人間群像を描くというストーリー。

こう書いてしまうと、ずっと昔のTVドラマ「金八先生」の話を思い浮かべてしまいそうですが、語り口調は、ごくストレートで明るいのです。 数人の登場人物の名前が冠せられた章が独立して続き、彼らの視点で、『いのち』というものの大切さ・はかなさが綴られていきます。

妊娠した女の子の親友で、この物語の主人公というべき万里の姉は、赤ちゃんの時死んでしまっていたり、万里の母親は産婦人科の看護師で、出産という場に立ちあうプロフェッショナルだとか……「赤ちゃん」とか「出産」ということを、こんなにも直球でとらえた小説(これは、児童文学ですが)は珍しいのでは?

私自身も、「そうだったのか!」と目からうろこが落ちる思いになったこともしばしば。赤ちゃんは、生まれてくる時、頭蓋骨のすきまを閉じ、頭を小さくして、回転するように産道を降りてくるなんてことも知りませんでした。

そして、月足らずで生まれ、そのまま死んでしまった赤ちゃんたち――小さく、手の平に乗るような、そんな赤ちゃんたちのために、「小さなベビー服」を作り、最初で最後のベビー服を着せてあげるボランティアさんたちもいるのです。
「肌にさわっても、痛くないように」柔らかなガーゼ地でつくった可愛らしいベビー服。そこには、生きているから、とか死んでしまっているから、といった生死のはかりを越えた、深い愛情が感じられてならないですね。
こうしたベビー服や、ボランティアさんの存在も、この本を読んではじめて、知ったこと。世界には、人知れず、あたたかな善意の灯がともっていることを認識させてくれる、象徴的なエピソード!


生まれてくる命と、やむなく断ち切られてしまう命(一年間の中絶数は、20万件にのぼるそう)。「いのちのパレード」の登場人物たちも、それを読んでいる私達も、何かの天恵のようにして与えられた命――物語の終わり、万里が見る夢に現れるパレードの情景は、作者のすべての命への愛情が感じられるような印象的なシーンです。

今を生きる子供たちに、これから生まれてくる子供たちに、エールを贈りたくなる物語。
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ありがとう!

2015-11-24 17:35:01 | カリグラフィー+写本装飾

っても、素敵なカードです。
実は、これカリグラフィー仲間のSさんから頂いたのですが、教室をやめるという時になって、こんな素晴らしいカードを頂けるなんて、思ってもみませんでした。 文字は、ドイツの歴史的書体フラクチャー体でピシッと決め、周囲は黒・グレーをきかせた優雅な花たちが縁取り……う~ん、よけいなデコレーションはなく、それでいて大人の品格が漂うカードですね。
おまけに、すべて直筆!  10年もカリグラフィーをやってきましたが、直筆で書かれたカードを頂いたのは、数度しかないなあ――。


中には、丁寧なお手紙が入っていて、読むとこちらの胸にも、Sさんの暖かい言葉が沁みとおってくるよう。近頃、こんなにうれしかったことってありません!


本当に、ありがとうございました。Merci



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午後のお茶

2015-11-22 20:38:49 | ある日の日記

この間市内にできたという、カヌレ専門店「ガトーミュール」へ行き、小さなカヌレを買ってきました。
様々なフレーバーがあるのだけれど、一つ一つがごく繊細で、舌の上で転がる美味しさ!

珈琲を入れて、カヌレをおともに、午後のお茶。秋の終りのティータイムを楽しむひととき。
これは、この小さな可愛いカヌレを教えてくださったカリグラフィーの先生のところで作られた(先生は、葡萄も栽培されているのです)葡萄のジャム。 黄金色に輝く手作りジャムは、焼いたクレープにのせると、美味しそう…。

この葡萄のジャムは、tododesu.comで入手できるはずです。
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七瀬ふたたび

2015-11-22 19:26:12 | 本のレビュー

「七瀬ふたたび」 筒井康隆 新潮文庫

1970年代に発表されたテレパス七瀬の三部作のうち、第2作目となるもの。

話は冒頭から、横道にそれるのだが、私は個人的に筒井康隆のファンである。その狂気、想像力の限界を超えた過激な内容、イメージや言葉の奔流などが、彼をあらゆる作家からはるかに遠いブラックホールのごとき、「破滅的な破壊力を持つ天才」ならしめているのである。
このテレパス七瀬シリーズと並んで、「旅のラゴス」という筒井には珍しい、異世界ファンタジーものが大の愛読書で、中学、高校時代以降、幾度繰り返し読んだか、数えきれないほど。
他の惑星から飛来した「御先祖さま」が残した膨大な知識を学ぶため、旅を続ける若き旅人、ラゴス。彼は、その行く手、奴隷から王へ、再び奴隷へ、そうして、最後は賢者へ――と波乱万丈の旅をすることとなる。 異世界の町、密林、小さく平和な王国などが、青い月光の向こうに浮かびあがってきそうなほど、鮮やかに描き出され、この書物のページを繰るたび、私は十代の日と同じように、陶然としてしまうのである。


さて、この「七瀬ふたたび」。SFが全盛期だったといわれる、昭和40年代に書かれただけあって、物語は、きわめてSF調である。まず、主人公七瀬は、超能力者で、「人の心を読むことのできる」精神感応能力者である。
若く美しく、知的で強い意志を持った七瀬。彼女は、私が今まで読んだきた小説のヒロインの内でも、第一級といってよいほど、鮮やかな面影を残しているのだが、彼女がまず夜汽車に乗り、崖崩れと列車の転覆を感じ取ったことから、物語の舞台が開く。
感じ取った――とあいまいな言い方をしたが、これは彼女ではなく、たまたま居合わせていた青年、恒夫が「予知」した内容をテレパス能力で知ったからに外ならない。

この列車に乗っていた、予知能力者「恒夫」、七瀬と同じテレパスである、5歳の幼児「ノリオ」など、外の超能力者たちとの出会いが、七瀬の運命を決定していくのだが、数話のオムニバス形式になった物語の面白さ、比類のない展開……など、筒井康隆の才能には舌を巻くばかりだ。 超能力者という特異な立場の人間が抱かざるを得ない、深い孤独、あるいは選良意識、自分の能力を他人に知られるのではないか、という恐怖などが、こちらにも痛いほど伝わって来て、私達は、七瀬にいっそう肩入れするのである。

七瀬が出会う、何人かの超能力者。その中で、一番印象に残るのは、「時間旅行者(タイムトラベラー」の藤子だろう。時を越えて、移動できるだなんて、現代世界をにぎわしている「エスパー」らしき人々の中でも、こんな特殊な能力を標榜している人物はいないはず。 筒井康隆の初期の名作「時をかける少女」を思いだして、ニヤリとしそうなのだが、物語は決してエンターティンメントではない。

互いにようやく「仲間」を見いだし、身をよせあう七瀬たち。だが、彼女たち「エスパー」を人類に対する脅威ととらえ、抹殺しようとする組織の手が伸びはじめていた――というのがストーリー。

この小説は、ある意味、とても過酷で、非情な世界を描きだしている。魔女狩りのように、犠牲者をあぶりだし、殺そうとする組織は、現代の世界でも、「正義」の名のもとに存在するのかもしれない。
終章、すべての仲間たちを殺された七瀬が、自らも瀕死の重傷を負いながら、森を歩いて行くシーンは、圧倒的な密度で書かれている。これほど、素晴らしい描写力を持った文章を、私はほとんど知らない。
最後、七瀬は、樹の下に身を横たえる。
「…太陽は中天にあり、その光は横たわった七瀬の頭上、風にそよぐ木の葉越しに暗い森の中へも射しこんでいた。七瀬は血にまみれた胸を大きく波打たせながらながい間、枝や葉に遮られてちらちらしながらもわずかに見える青い空を見上げていた。楽しかったことだけが葉のはざまの光の乱舞につれて次々と浮かび、通り過ぎて行き、その幻想がすべて通り過ぎていったのちに七瀬がちらっと口もとへ微笑を浮かべた時、深い虚無がやってきた。」


天才、筒井康隆の黄金期の代表作にして、素晴らしき傑作!
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作品展のこと

2015-11-19 20:41:02 | カリグラフィー+写本装飾

今日は、カリグラフィー教室展の初日なのです。

私が、店番じゃなかった、当番をするのも、今日。柔らかな照明のふりそそぐギャラリーの中で、カリグラフィー作品がきれいに行列しています。
う~ん、あまり綺麗に撮れてないいんだけど……この日のために、教室生たちが一丸となって、懸命に制作した力作がならんでおります。一枚の書道作品でも、仕上げるのはなかなか大変なんです…。


でも、やっぱり先生の作品は圧巻! また、例によって綺麗に写真が撮れていないのですが、青い夜空の下、丘の上に並ぶ木々の真上には、一つ一つ星が光り、浮き上がるように制作された羊たちが、ふうわりと夜空に舞いあがる絵――カリグラフィー部分の金文字は余白に書かれ、まるで一冊の美しい絵本のページを繰っているようであります。

こんな表現の仕方のカリグラフィーもあるのですね。カリグラファーの作品でも、「字はうまいけれど、なんだかのっぺりしているなあ」とふらちにも(?)考えることのあった私。 でも、これは、魅力的で、見ていると、何だかイタリアはトスカーナあたりの丘陵と飛ぶ羊の映像さえ、浮かびそう。


赤い花のアレンジメントも、会場を彩ってくれてます。ちょっと、秋の終りを感じさせる肌寒い日、先生の優しく穏やかな人柄をしみじみ感じながら、太陽がななめにかしいでいくまでを過ごしたのでありました。
 

 
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眠れません・・・

2015-11-18 20:52:57 | ある日の日記
深夜三時頃――草木も眠るうしみつ時、ベッドを抜けだして、そ~っと、ブラインドを開け、窓の向こうを見る私。もちろん、外は真っ暗であります。  家々の明かりはまったく消え、バイパスに面した飲食店のネオンもとっくに消えている……夜の深い底で、ひそかに孤独をかみしめる私。 まあ、こんな時刻に起きて活動している人がいる方がおかしいのだけれど。

今年の春ごろまで、4、5か月近くかかった不眠症がようやく良くなり、快眠をむさぼっていたはず――なのでありますが、ここ1ヶ月半ほど、またもや眠れないように。

不眠症と一般に言われている疾患も、まったく眠れない症状をいうのではなく、夜中に何度も起きる、明け方に覚醒するなどして、必要とされる睡眠時間がとれないことをさします。

私も、普通に何とか寝ついても、夜中の2時頃、目覚めることがしばしば。明け方の6時頃、ようやくうとうとして、犬の散歩に行くため、また起きるという日々です。

4時間か4時間半くらいしか寝れてないなあ…睡眠不足って、疲れるな。

眠れないと、どうしても暗いことを考えてしまいますね。


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11月例会

2015-11-15 20:35:36 | 児童文学
数日、降り続いた雨があがって、明るい太陽がのぞいた本日の日曜日。

1時間ほど、車を走らせて、倉敷へ。
今日は、岡山児童文学会(松ぼっくり)の例会がある日なのです。


美観地区の綺麗なカフェで、ちょっと珈琲ブレイク。

来月の忘年会の日に渡される同人誌「松ぼっくり」86号に出す自分の作品の校正を各自したのですが、今まで、私、自分の書いたものに、じっくり向き合っていなかったことを、しみじみ反省。書きっぱなしで、後を見ず――という悪の典型のようだった私。

書いた後の作品に目を通すことで、至らないところ、原稿の瑕(きず)が目につくのが、怖かったのです。

 
夏に書いた「乳歯がぬけた」女の子が、その歯を真夜中取りにきたネズミに連れられて、ネズミの国へ行く、という「コルキアの国のお話」ではなく、新しく書いたものを載せることにしたのですが、う~ん……不満がまだまだあります。題名もちょっと…なので、直しましたし。
でも、こうしてゲラに目を通すと、不思議な満足感も!

松ぼっくりの会員14名の作品が載る本――今から、できあがるのがとても楽しみです。



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間にあう?

2015-11-14 10:38:08 | カリグラフィー+写本装飾

昨日も、ノエルの伝染病の予防注射へ行ったり、来月のコンサートのDMを印刷などしていて、バタバタ。

来週から、カリグラフィー教室の作品展があって、販売用のカードを作ってくれるよう頼まれているのに、まだ何にも手についてない…こんなことで良いのか!?

でも、カリグラフィーを始めて、今年で10年。「もう、潮時だな」と思っていたこともあり、今年限りでカリグラフィー教室(先生は、途中でかわったけれど)もやめることに。

カリグラフィーとは、手書きのアルファベットで「心を伝えること」。ぬくもりのあるカードが作れたら、いいね。写真は、原料(?)のタント紙であります。
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ゴールデンのサインボード

2015-11-13 10:11:33 | ガーデニング

今朝のノエルハーブガーデン。大きくそびえたつカイの木も、だいぶ紅葉しています。

曇り空の下の、ノエル葡萄小屋。扉の前の椅子には、スミレのお花の寄せ植えのリースが。近寄ってみると、こんな風。 寄せ植えって、見るのが好きなので挑戦してみたいのですが、なかなか時間的余裕がなくて…これは、郊外の園芸ショップで購入したもの。
そして、これは! ゴールデンの仔犬を模したサインボードであります。
オレンジ赤のボードには、ボールをくわえたゴールデンの仔犬が描かれ、とってもキュートなの。後ろに、小さく映っているのは、もちろんノエルであります。  サインボードは、色違いでもう一つありまして、

ジャジャーン、これ!  ガーデンが道に面した黒いフェンスにかけました。さきほどの、寄せ植えのリースもそっと、傍らに置いて見て…結構すてきかも? ボードには、英語で「ゴールデンレトリバーの幸せなおうち」と書かれています。
本当、ゴールデンは幸せが良く似合う犬ですね。 ここは、学童用の通学路にもなっているので、子供たちにもこのコがにっこり笑いかけてくれるはずです。
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