ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

「檸檬」の万年筆

2020-11-28 15:32:00 | アート・文化

 

上の写真は、十数年も前、雑誌「Lapita」を購入した時、付録についていたものです。文面をよく読んでみると――そう、あの梶井基次郎の名作「檸檬」を万年筆🖋にしたもの。

こんな粋な付録もあったのですねえ……この間、取り出してみるまで、ほとんど忘れていました。

    

箱から取り出した、実物の写真。梶井基次郎が、作中で檸檬を「レモンイエロウのチューブから取り出したような」と描写している通り、ふるいつきたいほど、素敵なレモン色です。

「檸檬」は神経衰弱気味の青年「私」が京都の町をさまよった挙句、書店「丸善」に入り、檸檬を本を積み重ねた上に置いて去るというお話ですが、檸檬の紡錘形の鮮やかなイメージと、それが爆弾と化し、丸善の建物を破壊したら面白いだろうという過激(?)かつシュールな想像が、多くに人を魅了してきたことは、あまりにも有名。

そして、この🖋は、丸善とのコラボレートで出来上がったものだと――箱の裏側には由来が書かれてありました。

手にとっても、小ぶりで滑らかな手ざわりの、素敵な万年筆。何だか、文豪気分になってしまいそうであります。

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ある画家の数奇な運命

2020-11-28 14:41:17 | 映画のレビュー

  

先日、本当に久しぶりでミニシアターへ行ってきました。上の写真のドイツ映画「ある画家の数奇な運命」がどうしても観たかったのです。

そして、予感は外れず、とても素晴らしい映画! 文句なしに、2020年の今年観た映画のナンバー1と言ってよいほど。

数奇な運命、と銘打っている通り、ドラマチックで残酷で、しかも深い感動の残る映画。リアリティ溢れる虚構のドラマだと思っていたら、後で解説を読むと、現代美術界の巨匠ゲルハルト・リヒターの生涯をモデルにしたものなのですね。

しかし、この映画の成立そのものが謎めいている、監督のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクは、映画化をリヒターに申し出たところ了承し、取材もOKされたものの、「何が真実で、何が創作なのか明らかにしない映画を作ってほしい」と頼まれたそう。

つまり、この映画はゲルハルト・リヒターの実人生をモデルとしながら、まったく別の若い芸術家が運命と闘争する物語となっている訳。ある意味、一筋縄ではいかない映画となっています。

      

そして、なんといっても、主人公クルトを演じるドイツ人俳優トム・シリングがいい! 映画のスティール写真をはじめて見た時は、「なんだかレオナルド・ディカプリオを渋くしたような俳優だな」なんて思った、イケメン好きの私ですが、実際にスクリーンで見ると、もっと憂鬱で線が細そう。これが、ヨーロッパの味わいでしょうか。

時は、戦時中のミュンヘン。クルトは、若く美しい叔母エリザベートに憧れを抱いていますが、彼女は突然、精神の均衡を崩してしまいます。「統合失調症」と診断されたエリザベートは、精神病院に強制入院されてしまうのですが、当時はナチスの全盛時代。

ナチスがユダヤ人ばかりでなく、障害者や精神病者をも「必要ない者」として安楽死させたことは有名です。最初エリザベートは、断種手術を実行されるだけだったのですが、主任医師ゼーバンドの前で暴れた彼女は、ゼーバンドの判断で「安楽死」の判断が下されることに――。

この安楽死の場面は、ユダヤ人のガス室での殺人とまったく同じもので、エリザベートの最期のシーンは、思わず目を覆ってしまいたいほどでした。こんな残酷なことが、遠い昔には、朝パンを食べることと同じように当たり前に行われたんだ……現場のガス室が、リノリウムの床や真っ白な壁など、今の手術室や倉庫とそう変わらない背景だけに、よりリアルに迫ってきて、怖かったですね。

さて、成長したクルトは絵の才能を見出され、美術学校へ。そこで出会った叔母の面影を残す女性と激しい恋に陥ります。くしくも、叔母と同じ名前を持った彼女の愛称はエリー。

ところが、何と彼女の父親こそ、叔母を死に追いやった婦人科医ゼーバンド教授。彼は、戦後「安楽死殺人」の罪を問われるはずだったのですが、ソ連の高官の妻の命を救ったことから、何食わぬ顔をして現在の地位にありついているのでした。

ゼーバンドは、クルトを「虫がすかん」と忌み嫌いますが、ついにはエリーと結婚することを認めます。

そうしているうちにも、東側のドイツの芸術に違和感を抱くようになったクルトは、ベルリンの壁が築かれる直前、からくもエリーと一緒に西側ドイツへ脱出。そこで、貧しさと戦いながら、自分の芸術を生み出すために苦闘してゆくというのが全体のストーリー。

    

ただ、見ているうちに疑問に思ったのだけど、クルトは自分の叔母の死に、いつ義父のゼーバンドが関与していると気づいたのだろう? この瞬間は、はっきり描かれていませんし、無口なクルトの心理が細かに描写されることもありません。しかし、彼はいつ気づいたとしても、ゼーバンドに向かって、面と向かって罵ったり、糾弾することもないのですね。

これは、エリーを愛しているから? 彼女とのつながりが断ち切られることを恐れて?

自分のオリジナルな表現を求めて、あがくクルト。彼がデュセルドルフの美術学校でキャンバスと向き合う日々で、ついにつかんだ方法――それは、写真の模写。模写でありながら、生きた感情を持って、見る者の心に迫ってくる絵画です。

発想の発端となったのが、戦中のドイツの安楽殺人を糾弾する新聞記事。それを自分と叔母が映っている写真と重ね合わせてみたのです。その時、ちょうどやって来たゼーバンド。

彼が絶句し、うろたえ、部屋から逃げていく様は、小気味いいほど。 これぞ、最高の復讐なるべし。何せ、ゼーバンドは自分の直属の上司であった男が安楽死殺人のかどで逮捕され、いつ自分に手が回ってくるか戦々恐々していいるところに、娘婿が自分の罪を知っていることを悟ったのですから。

この映画は、クルトが内向的な性格で、感情をぶつけるということがまるでないため、わかりやすいカタルシスは存在しないのですが、それでもラストシーンは本当に圧巻!

初の個展が大成功し、「君は大成する」と絶賛されたクルト。妻のエリーも生まれたばかりの我が子を抱いて、会場に来ています。

しかし、彼はその後、一人で街角を歩き、やがてバスの操車場へやって来ます。そして、バスの運転手に頼み、いっせいにクラクションを鳴らしてくれるよう頼む訳です。

ヘッドライトが光り、クラクションの鳴り響く中を、両手を広げ、目をつぶり、湧きあがってくる感情に身をゆだねるクルト――それは遠い昔、何十年も前、叔母のエリザベートが幼いクルトの前でやってみせたことなのですね。

まるで、叔母の命が、芸術となってクルトの中に甦ってきたかのような符号。いつまでも心に残る、素晴らしいエンディングでした。

📓これが、クルトの妻エリー。父の罪を知らないまま、クルトをひたすら愛し続ける女性です。しかし、演じる女優がパウラ・ベーアと知ってびっくり。彼女は、フランソワ・オゾン監督の「婚約者の友人」のヒロインを演じた女優なのですが、この残酷で美しい、心を切り裂かれるようなミステリー作品は未だに強く、印象に残っています(最後が、ヒロインが「希望」というにもかかわらず、救いがない)。

モノクロ作品なのに、ところどころに濡れたように輝く光が感じられ、まるで夜の光と影を見ているような、美しい映画でした。

 

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今晩は

2020-11-22 20:56:25 | ある日の日記

今晩は。お久しぶりです。

気づくと、このブログも半月も間が空いてしまいました。近頃、夕食を食べた後グタッと眠くなってしまい、9時半頃には眠ってしまったりするのです(おい……(^^;)

  

今朝から、また寒くなったなあ……と引き出しの中から取り出した靴下類。タイツと靴下と、室内専用のモコモコの厚手ソックスですが、みな北欧製のもの。超寒がりの私には手放せない、冬の必需品です(やっぱり寒い国だけあって、向こうのものは、あったかくて霜焼けなどにならないような気がする……)。

      

足と言えば、もう一つありました。この足裏の拡大図を見よ! 実は、これは、先月行ったリフレクソロジー講習でのもの。といっても、ほんの初歩のことを教えてもらっただけの半日講座でしたが、マッサージをするとはこういうものかとわかって、面白かったです。リフレクソロジーって、昔から興味があったのですが、勉強してみたい気分。

 

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慕情

2020-11-07 09:23:28 | 映画のレビュー

   

1955年制作の映画「慕情」を観ました。主演は、モンゴメリー・クリフトとの共演「終着駅」で知られるジェニファー・ジョーンズと往年の人気スター、ウィリアム・ホールデン。 実は、この名画を観るのは初めて。昔の思い出話になるのですが、中学・高校時代、映画雑誌「スクリーン」を愛読していた時、この「慕情」の特集がもモノクロで紹介されていたものでした。当時の私にとっても、「慕情」というタイトルは古風に感じられたもの。

しかし、ジェニファー・ジョーンズがチャイナドレスを着て、イギリス人と中国人のハーフの女医を演じるという設定や、昔の香港の情景がクローズアップされていて、それが記憶の奥にずっとゆらめいていました。

そして、今回縁あって、四十年ぶりに初見することになったこの映画――とっても良かった! 戦後間もない香港の風景の何ともエキゾチックなこと。そして、ジョーンズ演じヒロインのハン・スーインが働く病院のレトロな感じ. まったく知らない世界に触れたようで、新鮮な驚きでした。

ハン・スーインは中国人の夫を戦争で亡くした後、「医学に情熱を捧げる」人生を生きてきたのですが、そんな彼女の前に現れたのが、アメリカ人の新聞社の特派員マーク。初めは堅苦しいまでに、マークに反発していたハン・スーインですが、徐々に彼に惹かれ始め、病院の裏手にある丘の木の下で待ち合わせをするまでになります。

     

と、ここまで書くと、本当に古いメロドラマみたいな筋書きになってしまうのですが、そんな甘ったるい情感を吹き飛ばしてしまうのが、ハン・スーインの奇妙な道徳観。 自分はハーフだから、マークの迷惑になるとか、いつかは中国に帰るつもりでいるため、これ以上あなたと会う訳にはいかない、とか夫が亡き後は医師としての本分をまっとうするつもりだとか、お堅いことこの上ないのですが、これはひょっとしたら現代の人間にとっての勝手な感想なのかも。

イギリスの植民地であった香港は、中国と微妙な緊張関係を持っていたはずだし、ハーフへの差別はひどいものだったのかもしれません。本国中国は、共産党が強い力を伸ばしており、古い倫理観を国外の中国人にも押しつけ、国への忠誠を強要しています。その中で、生きていくには、生真面目である必要があったのかも。事実、ハン・スーリンはマークとの関係を理由に、病院を追い出されてしまっています。

しかし、この映画の最大の魅力は、昔の香港の風景! ハン・スーリンとマークが海水浴に行ったシーンがあるかと思えば、何と少し泳いでいっただけの対岸の友人の家にたどり着いてしまうのです。病院の裏の丘から見る香港島の建物群の異国情緒あふれる感じも、心を惹きつけられてしまします。今は、どぎついネオンがキラキラしているような香港も、八十年近く前はこんな風だったのか……。 マーク達二人の背後に漢字の看板が踊り、二人が中国の占いをしたりする場面は、素晴らしく魅力的。

最後、朝鮮戦争を取材に行ったマークは、そこで爆弾に当たり死んでしまいます。その悲報を受け取ったハン・スーリンが、まっさきに向かったのは、あの丘の木の下。そこで、悲しみをこらえて、じっと佇む彼女の姿――しっとりとしていながら、切ないラストシーンでした。

    

私見ですが、アジア女性を演じたハリウッド女優は、ジェニファー・ジョーンズだけなのでは? 

カトリーヌ・ドヌーヴがベトナムを舞台にヒロインを演じた「インドシナ」や、二十代の頃好きだったベトナム映画「青いパパイヤの香り」のシーンも、なぜか懐かしく、思い出してしまいました。

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