ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

人間にとって成熟とは何か

2013-08-31 22:26:03 | 本のレビュー

007_2

曽野綾子さんの「人間にとって成熟とは何か」を読ませていただきました。曽野さんは、日本の作家で、私が最も尊敬している一人です。この幻冬舎から発行されたばかりの新刊は、「もっと尊敬されたいという思いが自分も他人も不幸にする、他愛のない会話に幸せはひそんでいる、「うまみのある大人」は敵を作らない、などの章からなっていますが、どれも読みごたえありです。

「醜いまでに華麗な絨毯のような」この世の諸相を鋭く切り取り、素晴らしい切り口で語ってみせるエッセイの人気の高さは、ご存じの通り。「諦めることも一つの成熟」という言葉には、わたしもなるほどと納得しました。大体、今は頑張ることやをもてはやす風潮になっていますが、頑張ったからといって、必ず夢がかなう訳でもないし、挫折し嘲笑を浴びることだって、あります。諦めることも、人間の大切な智恵で、そうすることで、思いもしなかった平安が訪れることもあります。

私も、短くはない歳月を生きてきて、絶対的な善というものもないかわり、100%の悪もないということがわかってきました。早い話、そんなにいい人もいないかわり、極悪人というのも滅多にいないのです。曽野さんが、アフリカへ行った時、骨と皮ばかりに痩せ細った母親にたった一つだけあった飴を渡したことがあったそうです。彼女が抱いている赤ん坊に口移しで、甘い唾液を与えてやればよい、と。でも、その母親は自分が飴玉を食べただけだといいます。その時の印象を、曽野さんはこう書いています「すべてのことは、崇高なばかりでもなく、動物的なだけでもなかった。すべてのことに、私はいささかの真実と虚構があることを見たのであった」。この母親を非難する人も、硬直した考え方しかできないということになるのかもしれません。

曽野さんは、面白いことも言っています。最近の日本女性の着物は、色が淡く地味になったと。歌舞伎や能の衣装は派手な色遣いで、存在感が際立っていたのに・・・。「私が外国で着物を愛するのは、あの巨大な色とりどりの大理石の柱、実物の人間よりはるかに大きい天使の羽が広がっているような彫刻、部厚で凹凸のはっきりした金縁、鏡、シャンデリア、といったような派手な道具立ての建物の中で、日本人が、細い路地の築地塀の外を静かに歩く女性が着ていると美しいと思う紬など、実は雑巾にしか見えないことを発見したからだ」--これ、秀抜ですね。

P.S 曽野さんは、「ソノ食堂」と題して、自宅で家族や秘書たちに料理を作るのだそう。それで、そのメニューがおからをかけたごはん。美味しそうです。

コメント

久しぶりに・・・

2013-08-31 16:01:00 | カリグラフィー+写本装飾

004_2


この2、3日忙しかったのですが、今日は朝からカリグラフィーの練習。以前、ギャラリーのカフェで使っていた紙のランチョンマットがごっそり出てきたので、それにフラクチャー体を書くことに。(紙の下にギャラリー アトリエ・ドゥ・ノエルのスタンプが押されているのは、ご愛嬌)

フラクチャー体は、ドイツの伝統的書体で、20世紀の半ばまで、よく使われていたものだそう。久しぶりに書きましたが、やっぱり練習不足ですね。

   006_2


細長い封筒(フランス製だそうですが、用途もないので、長いことしまわれてました)があったので、それに合わせてカードも作りました。下に、クマを書いた丸い飾りもつけたのですが、烏口のついたコンパスが見当たらないので、手書きで縁取りをしたら、綺麗にできませんでした。でも、何枚かサンキューカードを作り置きしておこうかな、と考えています。葉書や一筆箋でも用は足りるのですが、カードの方が「ありがとうございます」という気持ちが伝わるような気がするのです。

コメント

ノエルの雑記貼2

2013-08-28 20:25:11 | ノエル

003

ハ~イ、ノエルです。名うての乱暴者で、男か女かわからないとよく言われるけど、こないだ、2歳の誕生日を迎えたの。なんだか、むっと暑いのやら、ジージー言う蝉の声がなくなったな、と思ったら、空にはもこもこした可愛い雲が浮かんでたわ。あれって、羊雲っていうんだって。でも、あたしとしたら、木にとまっている蝉に飛びかかって、ぱくっとする楽しみもなくなっちゃうんだけど。

でも、これから秋本番! これからが、絶好調よ(「やめてくれ!」という悲鳴がどこかで聞こえたけど)。

   005


コメント

太陽がいっぱい

2013-08-27 20:21:20 | 映画のレビュー

Photo


懐かしの「太陽がいっぱい」である。アラン・ドロンも、今では八十歳を越えるおじいさんになってしまったが、この時は芳紀(?)25歳の、水もしたたるばかりの美青年ぶりであった。真っ青な地中海、そこを航海する美しいヨット--舵輪を力いっぱい振るドロンの映像が、今でも目に焼き付いている。

とにかく、映像が美しい。撮影の名手、アンリ・ドカエの映し出してみせるイタリアの町の風景と海の青さは、絵画以上の美しさである。 ストーリーはあまりに有名だから、ここで言うのはヤボというものだろうけれど、はしょって言わせていただくと、アメリカから金持ちのどら息子フィリップを連れ戻すよう、彼の父親から依頼されたドロン演ずるトム・リプレーは、イタリアにやってくる。 彼が感ずるフィリップが代表する特権階級への憧れと、屈折した劣等感・・・フィリップから数々の屈辱的な振る舞いを受けながら、暗い微笑を浮かべるドロンの演技が凄い。おそらく、トムの感じていた気持ちは、当時のドロンには親しみ深いものであったはず。

とうとうフィリップを殺し、口封じのために、フィリップの友人も殺す。完全犯罪をもくろむトムがホテルの部屋で、筆跡の練習をするところが面白い! 大きな声では言えないが、ミステリー物語で、殺人犯人を応援したくなったのは、この時だけである。 フィリップの恋人マルジュにも言いより、美しい彼女を陥落するのでもあったが、このマルジュを演じるのはマリー・ラフォレ。憂愁を帯びた大きな目と、小麦色の肌が魅力的な女優であったけれど、後年中年になった彼女を見てがっかりしたことがある。 なんだか、頬骨のごつさが目立つ、オーラが消えかかった女性になってしまっていたのである。

   Photo_2


 ラスト、太陽の陽光がいっぱいに降り注ぐビーチで、満足そうにチェアに横たわるトム。彼のもとに警察がやってきて、カフェの女主人に彼を呼ぶよう、指示する。何と、行方不明を装うため、必死で画策したフィリップの死体はロープにからんだまま、ヨットに結び付けられていたのである。待っているのは、無残な破滅とも知らず、にこやかに笑いながら、立ち上がるトム・・・ここで、映画は終わる。  こんなに見事なラストを、私は今まで見たことがない。

 ここに描かれた、風光明媚なイタリアの風景、白い家、残酷なまでに輝く地中海。 それは、死の罠のような魅力だ。そして、ドロンの冷たく、華麗に輝く青い瞳が、あなたを惹きつけて離さないだろう。

コメント

トイレで遊ぶ

2013-08-26 16:11:42 | ある日の日記

普段、使っているトイレの奥に、もう一つトイレがある。家の奥の方にあるので、ほとんど使われないまま。これも、使われていない浴室と一緒になっていて、戸で閉め切ると、一つの部屋のようになる。

わたしの秘かな楽しみは、夜になって電気を灯した、浴室兼トイレの部屋で遊ぶことだ。オレンジ色の明りに灯された、浴室は生活の匂いがない分、光るタイル、清潔な浴槽、便器などが、楽しい遊園地のようにさえ見える。 トイレの木の床に座って、窓を開け、夜の風を感じながら、とりとめないもの思いにふけるのだが、実はトイレって(きれいにしていれば、だけれど)、家で一番面白い場所じゃないだろうか?

こんなことを言えば、変人扱いされそうなので黙っていたのだが、こう思っているのは私だけじゃないはず。以前、雑誌で英国の家を見たことがある。イングリッシュガーデン、簡素でおいしそうな朝食のついたB&Bの家・・・そこでは、トイレが一つの小さな部屋のようになっていて、リバティー風の花柄のカーテン、お気に入りの本を並べたライブラリー、壁に飾られた写真や飾りが並んだ、実に素敵な場所となっていたのである。英国では、トイレは子供部屋みたいに楽しいものであるのか!  

柔らかい照明にさらされた、浴室でのひととき・・・ひんやりした床の感触と白い壁。そこにいると、雑事から解放された非日常的な気分にさえひたることができる。家の奥に存在するトイレ・・・それは、わたしの秘密基地といっていいかもしれない。

コメント

料理嫌いの弁

2013-08-24 20:34:55 | ある日の日記

料理が苦手。一応、ごはんは作れるのですが、それが一週間も続くとへとへとになってしまいます。高校卒業時に初めて、料理なるものを作っていらい、もう四分の一世紀になろうというのに、いまだに料理本を片手にしないでは、ハンバーグも筑前煮もできない始末。悲しい・・・。

料理本(栗原はるみなどがいい)のレシピ通り作るから、まあまあの味のものができることが多いんだけど、冷蔵庫の残り物を使って、ささっと炒飯を作るなんて、高等技は永遠に無理でありましょう。 あんまりストレスがたまるので、普段ご飯作りなんてやっておりません。学生時代、「料理をものにするんだ!」と必死の思いで、一人暮らしにもかかわらず、せっせとあれこれごはんを作っていた私・・・今思えば結構可愛らしいところもあったのかも。

世には、料理を作ることが何より好き!といつもあれこれメニューを考えてはアイデア料理をつくることを考えている人もいるらしい。書店に並ぶ、そうした料理本を見ると、わが身には、全然ない才能を持つ人への羨望がこみあげてきたりもする。

でも、しかしである。ブログなどでも、「我が家のごはん」といって、会心の家庭料理の写真を公開したりする人も多いけれど、果たして、人にも食べさせてあげたい、と他人にふるまう人はどれほどいるのかしら? 料理自慢をするばかりで、人には食べさせない・・・で、本当の腕前は誰も知らないってこともよくありそう。

色々言ったけれど、やっぱり私が一番うらやましいのは、人の心に響く料理が作れる人・・・それはやっぱりおいしいごはんには「幸せの味」があるものね。

コメント

へんな・そうぞう

2013-08-23 12:56:20 | ある日の日記

人に話したことはないのだけれど、変な空想に襲われることがたびたびあります。今はそうでないものの、電気をつけずお風呂へ入っていた頃、ふいに蛇が中にいるんじゃないかと考えてしまうことがよくありました。真っ暗な浴室の、黒くさえ見えるお湯の底に、幾匹もの蛇がからみあっていることを想像するのは、なかなか・・・怖いものですね。 足の裏にぬるぬるした鱗がふれてしまうのでは、と思うのもスリリング。

これは浴室に限ったことではなく、ベッドに寝ている時も、足元に黒い蛇がとぐろを巻いているようで、気になって、布団をめくってみたことも・・・。夜中、灯を消した室内で、目が覚めた時など、蛇が足元にいるような気がするってのも、やっぱり怖いな。多分、ロアルド・ダールの短編で、アフリカに赴任した男が眠っている時、ベッドの中に蛇が忍び込んでいたという話を読んだ時から、自分の想像にひきつけてしまったんでしょう。

この事から思いついて、蛇を守り神にする村と、そこを訪れる作家の長編を書いてみようとしたのですが、中途で挫折してしまいました。

それから、髑髏のマークが浮かび上がった蛾を想像してしまうこともあります。こんな奇怪な蛾を飼育している養虫園があったら、どんなに気味悪いだろうかって。 あまり愉快な想像ではありませんが、退屈しないですみます。

コメント

暗黒のメルヘン

2013-08-22 17:14:11 | 本のレビュー

   004_2

澁澤龍彦編著の「暗黒のメルヘン」・・・う~ん、趣味がきついというか、こういう偏愛趣味は澁澤ならでは。こうした独自のスタイルを追及する作家も、今はいなくなってしまった(これは、Mさんから頂いた本の一冊です。黒を背景として、さまざまな人物の肖像が描かれた表紙も、魅力的!)。

夢野久作、島尾敏雄、三島由紀夫、倉橋由美子、安部公房、日影丈吉・・・など、昭和の文学史を彩ってきた作家が、一堂に会している上、それが幻想ものに限られているのだから、この上なく贅沢なコレクション!--あっ、我ながらちょっと興奮しているかも。日影丈吉の「猫の泉」は、高校生の頃だったか読んで、心に残っていた短編。それが、この選集にもおさめられている。ただ、南フランスの、ほとんどの人が存在を知らない謎めいた村へたどり着き、不気味な村人や、猫に会うというストーリー--記憶の中では、もっと面白かったような気がするのだけれど。

でも、これって、萩原朔太郎の「猫町」にも、通ずるモチィーフ。私も、ふと目のあった猫を追いかけて行ったりしたら、不思議な異界に連れていって、もらえるかもしれない。小栗虫太郎という人は、江戸川乱歩以前の、推理小説の元祖ともいえる人じゃなかったっっけ。「黒死館の殺人」なんて、あまり面白いとは思えず、その理屈っぽさに閉口した覚えがあるのだけれど、ここの「白蟻」は土俗的な恐怖が迫ってくるようで、肌に粟立つ感じだった。

倉橋由美子も、若い頃偏愛した作家だけれど、今読むと、この人の作品毒が強すぎ・・・やっぱり、「夢の通い路」とか「倉橋由美子の怪奇掌編」ぐらいに抑えとくのが、無難でありましょう。

メルヘンって、考えてみれば、グリム童話の昔から残酷であったり、人間の暗い欲望をのぞかせる「夢」であったはず。星や女の子やファンタジックな背景に彩られた、可愛いものではないのです。 あくまで、万人向けではありませんが、その道の趣味の人にとっては、毒(媚)薬のごとき、魅力ある一冊。

コメント

本がいっぱい

2013-08-20 17:19:57 | 本のレビュー

003


東京のMさんから、小包が・・・開けてみると、こんなに沢山の本! 澁澤龍彦やボルヘス、マンディアルグといった幻想文学系の本がいろいろと。澁澤龍彦は、若い頃愛読した作家なのですが、読んでいたのは河出書房の文庫本がほとんどで、こんなハードカバーのは知りませんでした。おまけに、出版元が「薔薇十字社」という、マニアックなというか澁澤カラーここにきわまれりの素晴らしさ。この出版社、今はないのかな? 中世紀の秘密結社を思わせるネーミングにほれこんでしまったけれど、装丁も革表紙でないのが不思議なほど凝ったもの。古書店でも高値で、売買されるような希少本じゃ・・・?

そして、ボルヘスは名前だけはよく知っていたのに、ついぞ読む機会のなかった作家。「百年の孤独」のガルシア・マルケスは大好きで、ほとんど読んでいるし、イザベル・アジェンデもその天才的なストーリーテラーに魅了された作家・・・南米文学のテイストはかなり好きと思っていたけれど、まだまだ未開拓の土地(?)がありました。バスカル・リョサも読んでないし・・・。

マンディアルグもそう。名前だけはよく知っていると思いながら、作品を読んだことがないって、よくあるんだなあ。マルグリット・ユルスナールとかマルセル・シュオップとかいう系列の作品かしら? そして、ボルヘスも「怪奇小説もの」が入っているなど、怪奇小説ファンの私にはたまらないセレクト! う~ん、前にも思ったけれど、どうして私の本の好みがわかるのかな?

同封されていたMさんの手紙の文章も、飄々とした味わいがあって、唸らされてしまいました。魅力的な文章が書けるというのは、最大のチャームポイントだろうと、個人的に思ってます。

コメント

風立ちぬ

2013-08-19 17:10:30 | 本のレビュー

004


「堀越二郎と堀辰雄に。敬意をこめて」--宮崎駿監督の「風立ちぬ」に書かれたオマージュ。宮崎駿が「飛行機という夢」に書いた文章は、素晴らしい名文でうならせられっぱなしだったのだけど、そうなれば原作というか、映画のイメージソースにもなった堀辰雄の名作も読んでみたくなった。そして、読んでみたのが、この文庫本。

日本文学史に残る名作・・・でも、読んだ記憶がない。「風立ちぬ。いざ、生きめやも」--この章句にもある通り、結核を患った恋人との愛と別れを、高原のサナトリウムを舞台に詩情豊かに描いたもの。というと、「ああ、闘病ものね」といわれがちなのだが、堀辰雄の作品はそうしたセンチメンタルさを排した、凛烈とういうべき世界を築きあげている。作品には、信州の高原の冷たく、清涼な風さえ、吹きぬけてきそうで、静謐な死さえ横たわっている。

トーマス・マンの「魔の山」もそうだったけれど、俗界を離れ、死の影と向き合う日々は、透徹した精神をもたらすのかもしれない。富士見高原のサナトリウムが舞台とされる「風立ちぬ」には、信州の冬の自然にも似た厳しさと、透明感が感じられて、強く惹きつけられる。この作品は、堀辰雄自身が実生活で経験したことであり、それが作品の吸引力ともなっているのに違いない。

ただ、堀辰雄自身も結核を病んでいて、後に彼自身も若くして世を去ったとは知らなかった。軽井沢や富士見高原での療養の日々が、傑作文学として結晶化された訳なのだが、そうしたことも知らず、軽井沢へ行った時、万平ホテルのカフェテラスで「ここに、堀辰雄も来たって、書いてある。文学の薫りがするね」などと思っていた自分が、恥ずかしい。

この文庫本におさめられた短編「美しい村」も、素晴らしい作品。人々が、昭和の初めの軽井沢の空気を追憶するのに、堀辰雄の名を必ずあげるのも、よくわかる。名作って、本当に長い命を保ち続けるものなのだなあ。

コメント