ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

中世写本の世界

2013-11-30 19:37:14 | カリグラフィー+写本装飾

昨日、名古屋まで行ってきた。私が属するカリグラフィーの団体「カリグラファーズ・ギルド」主催の一日ツアーで、古川美術館で数年ぶりに公開されるプシュコー派の写本を観にいくというので、その写本が見たかっのだ。

小さな私立美術館の二階に、ガラスケースに守られるようにして、その写本はひっそりと佇んでいた。 実際に見て、驚くのは、その小ささ。 文庫本より一回り大きいくらいのサイズじゃないだろうか? そして、羊皮紙の頁に描かれた細密画の美しさもさることながら、小さく書かれた文字の端正さ! 中世の人たちの技術の高さと、精神力を思う。

ヨーロッパ中世といえば、野蛮で非科学的な時代--一般には、そう思われているらしい。けれど、イマジネーションの奔放さと、宗教的対象への一途な情熱は、この時代をすこぶる面白く魅力的にさせているんじゃなかろうか?  以前、パリのノートルダム寺院を訪れた時、薔薇窓の美しさや建築の意匠に感嘆したことが、鮮やかに思い出される。

その後、「紙の温度」という日本最大級(なんと、世界各国でつくられた紙が9000種類もあるのだ)の紙屋さんへ。ヨーロッパやアジアで作られた紙や、和紙についての面白い話を聞く。朝早く起きて、新幹線に乗らなければならなかったけど、有意義な一日だったね。

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ノエル色の午後

2013-11-26 18:27:35 | ノエル

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色づきはじめた金柑の実とノエルです。でも、まだ齧りつくには、熟くしていないみたいで、少し口にしては、「うむむ・・・」という表情のノエル。

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ノエルハーブガーデンには、金茶色の優しい日の光が差し込んでいて、その透明な日差しは、冬の訪れを感じさせます。 空気を染め上げている、この色--それは、まるでノエルの毛の色のようであります。

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ノエル葡萄小屋のクリスマス

2013-11-25 19:50:27 | ガーデニング

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クリスマスのイルミネーションをほどこした、葡萄小屋のインテリア。 トナカイの飾りは、キャンディカラーに点滅し、窓の上には、葡萄の形をした照明が・・・。

クリスマスツリーは、何年か前はやったファイバーツリーというものですが、買ったばかりのときは、光の万華鏡を見るように、幾つもの色が交互に点滅し、それは綺麗だったのですが、今では、金色と青の照明のみ(かつては、紫や緑、赤などの色もきらきら輝いていました)。

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上の葡萄(今は、実がなって、葉も落ち、しばしの休息中)の葉の間からのぞくのは、白い硝子の玉。これも、クリスマスの飾り。 窓には、雪の結晶が見えるし、ノエル葡萄小屋はひとあし早くクリスマス気分?

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フランス幻想小説傑作集

2013-11-22 21:30:46 | 本のレビュー

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白水Uブックスから出ている「フランス幻想小説傑作集」。 中学2年生のとき、初めて買って以来、何度も読み直している。 もともと、幻想とか怪奇といったものに、目がないのだ。

全部で16編もの物語がちりばめられており、作者もサド侯爵から、バルザック、モーパッサンといった文豪までいるなど、豪華きわまりない選集なのだが、それらの中でも私が好きなのは、マルセル・シュオップの「ミイラづくりの女たち」と、ジュール・シュペルヴィエルの「沖の娘」。 

「ミイラづくりの女たち」は、弟(オフェリオンという古代ギリシア悲劇に出てくるような名前)とともに、リビアの砂漠に迷いこんだ「私」の物語。 血潮の色をした砂漠に円環状に円屋根の家が配されていて、そこでは、ミイラつくりが行われているという。女たちが、内臓や脳みそをひっぱりだしたり、香水やシナモンを体にすりこんだり、死体の爪を金色に磨いていたりするというのだから、何とも幻想的というか、変にエキゾチックな魅力さえ感じてしまう。 そして、文章がまた香り高く素晴らしい! 

「沖の娘」は、船が通らない時、海の上に突然出現する町に住む少女の物語。 彼女は海の壁に囲まれた村といっていい小さな町にいるのだが、そこには学校もパン屋も、いろんな店もありながら、住んでいるのは彼女一人きり。 彼女は、毎朝、部屋のカーテンを開けたり、村役場の旗を上げたり、いつの間にか出現する食べ物を食べながら暮らしている。・・・けれど、船が通るたび、この町は波の下に沈み、少女も深い眠りにとらわれてしまう。--

こんな話を読むと、大洋のどこかには、そんな不思議な町があって、ひとりぼっちの女の子が暮らしているような気さえしてくるから面白くて、哀しい。 同時に、人間が脳髄の中に広げるイマジネーションの凄さに感動もするのだけれど。

何度もいうように、私は幻想や怪奇に魅せられているのだが、悲しいことに、こうした物語を好む人はあまりいないのか、翻訳ものでも、こうした分野の本はほとんどといっていいほど見かけない。

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少し目先を変えて

2013-11-22 20:58:19 | コスメ・ファッション

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兄は、「REV-UP」という古着屋さんをしているのですが、そこで売られているブーツを購入。といっても、これは彼の友人であるシューズデザイナーが作った新品です。

バーガンディー色の革とクリーム色のコンビネーションが粋に見えたのですが、私の手持ちの服で、この靴に似合うのは、あんまりないかも・・・。黒かココア色のクロップドパンツの下にでも履きこなしたらいいのでは?

誰しもそうかもしれないけれど、ファッションというものは、好みの範囲が狭く、誰しもいつも同じような格好をしています。それが、その人の好みのスタイルなんでしょうけれど。 ご多分にもれず、私もそう。でも、マリリン・モンローが映画「帰らざる河」で披露していたような、ジーンズとチェックシャツという西部劇ファッションに憧れる気持ちもあるのです。 そうか! その西部劇にも、このブーツはあうね。

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世の中、すごいことが多すぎる

2013-11-21 20:45:08 | テレビ番組

最近、TVとお友達である。もともと、私はTVを見ない人で、「こんなもの見てる時間が惜しい」なんて思っていたのだが、近頃、妙にTV番組から目を離せない。

こないだは、「ダーウィンが来た!」という番組で、ライオンの生態を描いたドキュメンタリーが面白かった。百獣の王、ライオン様。でも、あの威風堂々としたたてがみを持つオスライオンは、な~んもしないで、狩りはもっぱら女性(といっていいの?)の役割。 彼女たちが捕ってきたシマウマだとかレイヨウなどの獲物を「おら、俺が食うんだ。どけ、どけ」という調子で、メスライオンたちを追っ払って、横取りするという情けなさ。

生まれたライオンの子供たちのうち、女の子はお母さんたちから狩りの訓練を受けるのだが、男の子はぐうたらと遊んでばかり。そして、一歳になる頃は、すっかり成長するのだが、そうなると群れの主導権を取られるのでは、と恐れる父親ばかりか母親たちからまで邪魔者扱いされ、群れから追っ払われるのだ。 

う~ん、野性の世界は厳しいというかなんというか・・・。追っ払われたオスライオンたちは仲間と2,3頭でさまよいながら、自分たちの群れをつくっていかなくてはならないというのだが、これって、人間の世界でも昔から語り伝えられた若者の冒険譚みたいではないですか?

そして、以前は物を食べないで生きることのできる不食人間が実在するとも見聞きした。本当だろうか?  高野山なんかの修行者は、ほんの少しの粗食で、凄まじい荒行を行うとは聞いたけれど、まったく物を食べないで生きるなんて・・・。

スウェーデンだか、デンマークの沼の底から発見された黒いミイラというのも鮮明に覚えている。 全然といっていいほど腐食しておらず、生前の容貌がそのまま残っているのだが、黒ずんだ体と、首に巻きつけられたロープが少し不気味--。このミイラはいけにえだったのだろうか、犯罪を犯したために殺されたのだろうか?

でも、まあTVを見ると自宅の茶の間にいながら、世間が広がるような気もする。 ただ、自分が実際見聞きするわけでないから、すぐ忘れてしまうのがオチですけれど。

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アトリエ・ドゥ・ノエル通信

2013-11-21 20:12:31 | アート・文化

 

 

 

                                                          

 

 

 

 来月12月1~3日に、恒例のギャラリーを開きます。

   暮らしの中の5人展とクリスマス雑貨

     假屋園 宏道   硝子

     大久保佳子    染

     Willy        革のカバン

     須々木久子    織物

     仲達 浩育    組み木

   他にカリグラフィーのクリスマスカード、葡萄のコンフィチュールの販売など。

 

 大体、こんなところです。 これから、また離れの棟の掃除をしなきゃあ、ね。

    

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素敵なごはん その2

2013-11-18 11:17:31 | ノエル

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最近、ノエルは太り気味。なんたって、食欲が旺盛なのです。 で、ご近所のIさんが下さったのが、このフード。 シニア用なのだそうですが、その分、カロリーは控えめなはず。 そして、お肉とお米、野菜のシチューだというのだから、ノエルの喜ぶこと、喜ぶこと。 毎朝、ドライフードとともに、一缶やるのですが、その時のうれしそうな顔といったら、思わず笑ってしまうほど。

こないだ、イギリスで作られたという犬と人の結びつきを描いたドキュメンタリーをTVで見たのですが、そこで戦争で負傷して記憶の半分と、半身のマヒという障害を背負ってしまった男性のことが紹介されていました。子供たちが生まれた時のことも忘れてしまい、家族との心のつながりも切れかけていた彼を救ってくれたのは、一匹のラブラドール犬。 この子は男性が必要としているだろう食物の缶を彼の膝の上に置いたのですが、感情が枯渇してしまっていた男性は無反応。

ほめてもらえるとばかり思っていたのに、男性が反応を示さないのに頭に来たラブラドールはこれでもか、とばかりに缶詰を次々、彼の膝の上に置き続けたそうです。(介助犬としては、落第だったというキャプションがついていました) その犬の一生懸命さに思わず微笑んだ男性。これが、男性が心を取り戻した第一歩でした。 そして、男性と家族は再び、愛し合うようになり、そこにはかけがえのない存在としてこのラブラドールの姿が・・・。 この子はのちに男性が交通事故にあった時も、車いすで動けない彼のために、毛布をさっとその体の上にかけ、急いで近くの建物に助けを求めにいったそう(このラブラドールは、この時の功績で表彰されています)。

犬って、素晴らしい力を持っているのですね!

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テディ・ベア

2013-11-13 19:31:43 | ある日の日記

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テディ・ベアが好きです。 きょとんとしたような、パッチリ見開いたような瞳の愛らしさと胸元に大きく結ばれたリボン・・・世代を超えて、これくらい人のハートをわしづかみにするものはないのでは? と思ってしまうほど。

私もドイツ・シュタイフ社のテディ・ベアを一つだけ持っています。 一般のヌイグルミと違って、くにゃんと柔らかいのでなく、固くしっかりしたボディと美しい毛--買ってからもう十年以上になりますが、今でも大好きなベア。 

テディ・ベアで思い出すのは、昔行った、九州のハウステンボス。 オランダの街と運河をそっくりそのまま作り上げた、とても素敵なアミューズメントパークですが、何とここはテディ・ベアづくし。 一角には、テディ・ベア博物館もあるし、園内を走る二階建てバス(これが、赤色の瀟洒な乗り物で、二階に乗ると、パーク内が見渡せて、楽しい!)のボンネット部分に取り付けられているのは、微笑むテディ・ベア。 愛らしいクマの存在のおかげで、ハウステンボスが夢の国に思えてしまったほど。

ハウステンボスはオランダをイメージしたものですが、テディ・ベアの本家本元は、ドイツ。あの大柄で真面目で、ちょっぴりこわもて(?)風に見えるドイツの人々がテディ・ベアが大好きというのは、親近感がわいてくるなあ・・・。 とにかく、ヨーロッパやアメリカの人々の生活にクマはしっかり、溶けこんでいるらしいです。

以前、テディ・ベアを主人公にして、原稿用紙5枚ばかりの小さな童話を書いたことがあります。 小さな女の子と暮らすテディ・ベアが女の子が眠っている夜中、外に抜け出して、お月さまと会話をかわすといったものです。

そんなに必要ないし、置く場所もないのだけれど、ショーウインドーやカタログにテディ・ベアの姿を見かけると、「いいなあ」と思わず、見いってしまう私・・・。

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フランツ・カフカ「城」

2013-11-12 19:20:01 | 本のレビュー
   

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フランツ・カフカの「城」を4日間かかって、読み終える。 部厚い文庫本で、「読むのに時間かかるかも」と思ったのだけれど、面白くて(カフカの文章は、読みにくいという人もいるそうだから、これは多分、私とこの作家のフィーリングがあったということなのだろう)、引き込まれるようにして読了した。 ただ、この小説は未完のまま終わっていて、カフカ亡き後、結末を知る者は永遠にいなくなってしまった。

この表紙が素晴らしい。薄黄のカバーの上に、グレーとくすんだオレンジ色でアルファベット文字が記されている。 デザインとして、出色といえばいいのかもしれないが、私はここにチェコ生まれのユダヤ人というカフカのアイデンティティーまで感じ取ってしまう。 どこがどうというわけではないのだけれど、中欧ヨーロッパの色彩感覚を思い起こさせるのだ。

文庫本の裏に書かれた説明--「測量師のKは深い雪の中に横たわる村に到着するが、仕事を依頼された城の伯爵家からは何の連絡もない。 村での生活が始まると、村長に翻弄されたり、正体不明の助手をつけられたり、はては宿屋の酒場で働く女性と同棲する羽目に陥る。 しかし、神秘的な‘城‘は、外来者Kに対して永遠にその門を開こうとしない・・・。職業が人間の唯一の存在形式となった現代人の疎外された姿を抉り出す」

・・・暗い話だと思うかもしれない。 確かに内容自体が暗いのだけれど、どこか長い長い寓話を読んでいるようで、ユーモラスな雰囲気さえ漂っている。 生涯プラハをほとんど離れることなく、保険協会に勤めるサラリーマンとして過ごしたカフカ。 そこで見聞きした硬直した官僚機構が、こうした幻想的な小説として開花したのだろうが、村の外側にそびえたつ広大な城は、そのままプラハの街を見下ろすプラハ城のイメージにつながってゆくのではないか?

村の情景や、村人の暮らしぶり、城の役人の描かれ方は、なぜか、中世ヨーロッパの民話か絵画を思わせ、カフカが暮らしたはずの20世紀初めのヨーロッパからは乖離している。 測量師Kは、どこからやってきたのか? なぜ異邦人として貶められ、悲惨な境遇に置かれる村から去っていこうとしないのか? こうしたことは、一切語られていない。 しかし、Kは自分を招いたはずの、城と接触することを諦めてはいないし、 多くの女性たちの好意を得る魅力もある。 Kとは何者なのか? 中世の村にまぎれこんだ現代人? 村にとっての災厄となる人物なのか?

カフカのことだから、これにも驚くべき回答を用意してくれていたのかもしれない。そして、かたくなに閉ざされていた城の門も開けられるはずだったのかもしれない。 Kという人物の不確かな身分は、そのままプラハ在住のユダヤ人として生きたカフカの姿にも重なるようだ( 多くの女性にもてるところも)。 

今、私は後悔しているのだけれど、プラハを訪れたとき、カフカ・ミュージアムで、ショップばかりでなく、展示館もきちんと見ておくべきだった。そして、カフカの小説をもっと若い時(できれば、十代の頃)読んでおくべきだった。 フランツ・カフカの本を、終生の愛読書にしたい。 

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