ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

水仙の香り

2015-01-27 17:59:54 | ガーデニング

水仙の花束を頂きました。 キッチンの窓辺の床の上に飾ったところですが、ここだけもう春の息吹が感じられるかのよう。
そして、また香りが素晴らしいのであります。 気品があって、どこか人を酔わせるような香り・・・ギリシア神話では、美少年ナルシスの伝説が有名ですが、この酔わせられる香り--確かに素晴らしい美貌を彷彿とさせるのであった!

瀬戸内海には、冬のさなか、水仙が咲き乱れることで有名な島があり、いつか訪れたいと思いながらも果たせていません。 訪れた地で、花や植物が忘れがたいシーンの一つとして、ずっと後まで残るのは皆さんご存じの通り。 私もまだ小学生の頃、同じように瀬戸内海の真鍋島を訪れた事があるのですが、そこで観光案内所の窓口にガラス瓶に入れられて飾られていたスノーフレークの花束を今も鮮やかに覚えています。 少し、スズランを連想させるランプのような形の花に緑の縁取りの入った花--幼心にキュートな花だなあ、と思ったのかどうか。 

さて、この水仙。活けられているのは、備前焼の花瓶に、背景は純「和」の庭だけど、これもいいかも。

季節のカード

2015-01-27 17:50:38 | カリグラフィー+写本装飾

バレンタインのカードを作る。 紋章をデザインして、下には、薔薇をあしらう。 その間に書かれたモットーは、Ab uno disce omnes--「一つからすべてを学べ」というラテン語の言葉。 はっきりいって、バレンタインとは、何の関係もない言葉なのだけど、適当な言葉が全然うかばなかったから・・・。

やっぱり縁取りに使うのは、赤の紙がぴったりくるよう。 これをあと、4枚ほど作ってプレゼントしたいな。


カラスって一体・・・

2015-01-23 20:39:23 | ある日の日記

Yさんに、一つの記事に複数の写真画像を載せるやり方を教えて頂いたはずなのに、またわからなくなり一個きりの写真しかのせられません。そんなこんなで、せっかく記事を書いてもヒートアップせず、短めのもので終わってしまうことが多いような・・・?  まあ、仕方ないんですけど。

さて、今日の話題は鴉。 あの人間には親しみ深くも困った存在でもあるカラスさんについて。

実は今日、買い出しに出かけていて、車の中から路上にとまっているカラスと目があったのです。そして、ふと疑問。 カラスのフンって見たことがないような気がする。 鷺などはおびただしい白いフンを残しているのを見たことがありますが、カラスっておトイレするの?  そもそも、カラスはなかなか神秘的な鳥でありまして、その賢さは群を抜いている! 人間のゴミ袋の食べ物を狙って、戦略を練ってくるし、光りものが好きとかできらきら光る金属をコレクションしているという、もっともらしい噂も。  

人家のそばに居るのは、ハシボソガラスとハシブトガラスの二種といわれています。 あいにく地方に在住しているので、実感に乏しいのだけれど、東京などのマンションに住む人の話でベランダにカラスが遊び(?)に来て困るという話を耳にします。 カラスの方は、人間の存在を認識し、懐いて(?)くるらしい気配もあるのだとか。 まあ、人間と目があったら「バカー、バカー」と鳴いて飛びさるという憎たらしい輩もいるというから、一律には言えないけれど。

物書きの人たちのエッセイにも、仕事場のベランダにやってくるカラスたちとの間に、不思議な友情がめばえるというエピソードを何度も読んだことがあって、カラスとお友達になるには、都会に住まなきゃならないのね、と思ったことも。 カラスはご存じの通り、ゴミあさりで嫌われる鳥。 でも、その賢げな黒い瞳を見ていると、真っ黒な盗賊なのか、人間には理解できない深淵な考えを抱いているのかわからなくなるのです。

カラスが賢いことは、古代から知られていて、ヤタガラスという伝説の三本足のカラスが神武天皇を熊野国から大和まで案内したという神話もあるのです。 三本足のカラス--すごくミステリアスだけれど、目じりに浮かぶシワは嫌だなあ・・・。英語では、目元のシワのことをカラスの足跡というそうであります。  


海辺の家

2015-01-22 20:27:54 | ある日の日記

私には、昔から一つのイメージがあって、それは海辺で余生を過ごしたいということ。もともと島が好きで、そこに一人住む海洋学者を描いた小説をいつか書いてみたいという夢とも関連するのだろうけれど、イメージというにはやや具体的な願望も混じっている。

例えていえば、鎌倉の海岸といった場所で、真っ白いコテージを思わせる家に住みたい。そうして、そこの広くもない庭で植物や花を育てたいのである。 海に面した大きな一枚ガラスの窓からは、青や群青、マリンブルーといった様々な色に移り変わる海を見ることができ、雄大な日没も嵐の風景も見ることができるだろう。 そこで、何をしなければならないということもなく、海を見ながら紅茶を飲んだり、ハーブや薔薇を育てるといった日々は、理想的な老境にも思えるのだが、いかがなものだろう?

海辺の家は、それ自体が一艘の船のようであるべきだ。 外壁も室内も真っ白なペンキで塗られ、船室灯を思わせる照明が、夜ともなると灯台のように鮮やかに灯る……そして、犬がそばにいればこれ以上の望みはない、と言っていいのだが、やっぱり現実離れしてるかしら?


カリグレイスコープ

2015-01-19 18:54:48 | カリグラフィー+写本装飾

昨日、大阪まで河南美和子さんのカリグラフィーのワークショップを受けに行ってきました。習った技法は、「カリグレイスコープ」というもの。文字と模様を万華鏡のように見せるものです。

本で見た時は、それほどとも思わなかったのですが、沢山展示されいているカリグレイスコープのカードやクラフト作品を見ると、やっぱり綺麗。そして、これ「カリグラフィーを知らない人にもできる」というだけあって、コンパスと色鉛筆、カラーボールペンさえ手元にあれば、簡単に作れてしまうものなのです。 大きくて、見栄えのするデザイン。カードづくりにも、気軽に活用できそうだし、これでコンサルティーナブック作っても楽しそう。

 

朝10時から夕方4時半までかかって、色々教えて頂いて、充実感ありの一日。帰りに、大丸デパートでクッキーを買って帰るのも、大阪に来た時の決まりごとであるのだ!


鶏、その他のこと

2015-01-17 19:54:29 | ある日の日記
鳥インフルエンザが発生し、何万羽もの鶏が殺処分されてしまうと、ニュースで報道され暗い気分に。沢山の殺された鶏たちの入れられた袋が幾つも幾つも並んでいるのを見ると、鶏たちが可哀そうでならないのはもちろんなのですが、養鶏場で世話をしていた人たちや、鶏を処分しなければならない人たちの気持ちを思うと、やりきれないのです。


そんなことを思いながら、久しぶりにまる一日、家にいてのんびり過ごしました。今日は、冷たい北風が吹きつけて寒いです。もう、そろそろ大寒ですね。



サンローラン

2015-01-16 10:12:43 | テレビ番組
この間、TVのプレミアム特集で「イヴ・サンローラン」を観る。もともとサンローランが好きなのだが、没後映像やドキュメントで様々に回顧されているようで、とてもうれしい。

シャネルもまぎれもなく永遠のモードだけれど、やはり20世紀前半まで存在したドゥミモンドの世界の香りがするようである。洗練された社交界のものでありながら、どこか水商売っぽさもあるというような。ディオールは、大ブルジョワの出身であったから、作る洋服も上品で、保守的な傾向が強い。
そこへ行くと、サンローランは、モンドリアンの絵画をワンピースに取り入れ、サファリルックを生み出し、女性の服に初めて、ポケットをつけるなど、何とも革新的! モダンで若々しいのである。

一時代を作り、世界じゅうでコピーされたというモンドリアンルック。わたしも、若かったら、着てみたいもの!サンローランの服には、モロッコの大地からインスピレーションを受けた、鮮やかな色が氾濫していて、マゼンタ色、カナリア色、深い海の輝きを思わせるブルー…と、色彩の美しさにうっとりしてしまう。 デコルテのラインの線、スカートのドレープの襞、腰で結ばれたサシェにロープ…そんな計算されつくしたデザインがあってこそ、モードは芸術に昇華されるのだから。

そうして、サンローランの人生と対比されながら、映し出される服を観ていて、気付いたのだが本当に完璧な服には、「流行遅れ」などというものはないのである。よく昔の映像やドラマを観ていて「ああ、これは昔のものね。お化粧も服の形も、今と違ってちょっと滑稽(やぼったい)」という感想を抱くことがあるけれど、至高の芸術品と化した服は、流行も時間も超えるのである。 サンローランは「真に美しいものの前では、人間の存在は意味を失う」というような言葉を残したといわれるが、そこまで行かなくても「美の前では、言葉を失う」くらいはいえそう。

最後に興味深い事実が語られていた。あれほど、色々な民族の服のテクチュアを融合させた服を想像したサンローランは、旅をほとんどしなかったそう。ひょっとしたら、偉大なデザイナーは、デッサンに筆を走らせる時、紙上の旅を心ゆくまで楽しんでいたのかもしれない

子羊たちの行進

2015-01-13 20:27:27 | アート・文化
年が明けて、もう二週間にもなるのにまだぼけています。ここらへんで、しゃきっと襟元をただすような気持ちにならなければ、と思うのだけど頭の中はまだ2014年モード。

そんな私を横目で見るようにして、目の前を行進してゆくのは、真っ白いムクムク毛の羊さんたち…いや、夢ではありませぬ。うちには、三匹のヤギならぬ三匹の小羊がいるのであります。 茶色い日記帳の上を歩いてゆく羊たち--とても可愛いくチャーミング!

昨年末、我が家にやってきた彼らは、組み木作家の仲達浩育さんが作ってくださったもの。本当は壁やバッグに飾るものなのですが、普段は、壁にかけたカレンダーのところに鎮座しております。下の丸いガラスの飾りも可愛い上、何より木をくりぬいて作っているというのに、羊の毛の柔らかい質感、パチッと見開いた瞳までくっきりと再現されていて、得も言われぬ愛らしさ。

いつも毎朝起きるたび、視界の隅に子羊さんの姿がちらっちらっと見え、「早く、しっかりしなよ」とハッパかけられているような気分になります。おお、そうだ。私も、新年に向かって、歩きださねば。子羊たちが見守ってくれるはずですね。

青い太陽

2015-01-12 21:15:20 | 本のレビュー
この古色蒼然(?)とした表紙、見て下さい。実は、三十年も前、当時中学一年生だった私が、愛読した青春小説なのであります。ふと思い立って、書斎の二階にず~っとしまったきりになっていた、この「青い太陽」をひっぱりだして正月の間、読んでいたのでありますが、懐かしかった…。 「青い太陽」--タイトルも時代を感じさせるのですが、物語の舞台となっているのは、何と1966年! わたしもまだ生まれていない頃です。

東京オリンピックがあった二年後を舞台に、水泳に青春をかける女子高生和世(この表紙のストレートヘアの女の子)を主人公に同じく水泳のエース三輪光との恋愛や青春群像を描いたものなのですが、今の時代に比べて「純粋」という言葉がぴったり。わたし自身は運痴(死語)で、スポーツとは縁のない青春時代を過ごしたのですが、この小説にすっかり魅せられて、似たような設定の小説を書いて遊んでいたことも…。地理の授業で配られる地図帳を片手に、「鈴蘭台」といった地名を探し出して、必死に小説の舞台作りをしていた中学生の姿を思い浮かべると、自分ながら微笑ましい気もしますね。

そして、描かれた1960年代後半の東京が、不思議に懐かしいのです。庄司薫の「赤ずきんちゃん 気をつけて」とか「白鳥の歌なんか聞こえない」といったかつての青春小説も当時を描いたものですが、この頃の東京はずいぶんのんびりとしていて、若者たちの生態もテンポがゆっくりしているような感じ。出てくるケーキやお菓子もチョコレートケーキやレモンパイ、といったもので、今みたいなきらびやかな宝石細工みたいな瀟洒なものではないし。 でも、とても惹きつけられる空気感があって、「わたし、ひょっとしたらこの時代の東京に青春を送るべきだったのでは?」と思ってしまうほど。 以前、人と映画の話をしていて、「ロミー・シュナイダーとかジェームス・ディーンが好き」と言うと「あなた、戦後に生まれりゃよかったのにね」と言われたこともありました。わたしって、生まれてくる時代を間違えたのかも(そんな大げさなものか?)

主人公和世は、メキシコオリンピックを目指して泳ぎ続けるのでありますが、代々木にある五輪プールに東京五輪の金メダリストたちの名前を刻んだ、金色のプレートがあるということもこの小説を読んではじめて知りました。千駄ヶ谷駅、代々木競技場…「青い太陽」に出てくる地名は、のちに東京で暮らすことになった時も、あまり縁のない場所ながら懐かしい響きを持って感じられたもの。 皆さんにも、こうした忘れられない本ってありますか?

P.S この本が発行されたのは、「コバルト文庫」から。当時は、ティーンエイジャー向けの小説をたくさん出していたところですが、今もあるのでしょうか? 



新年

2015-01-12 20:53:51 | ある日の日記
遅ればせながら、初詣に行ってきた。遅過ぎる…もちろん、わたしも正月三が日のうちに行きたいのだが、車がすご~く混んでいて、参るだけで一日仕事という大変さなのだ。

そんな訳で、人が少なくなった頃を見すまして、ささっと参ることに決めているのだけど、上の写真がやっとの思いでゲットした破魔矢であります。そこまでして行かなくても--と自分ながら思ってしまうのだが、神社に行かないと新年が来たような気がしない。 石段を登り、掃き清められた境内に参拝して、すがすがしい朝日を浴びること--これあってこそ、日本人というものだわ――まあ、信心というより情緒的な気持ちよさで行っているというのが、本当ですけど。

いつも行っているのは、吉備津神社。いうまでもなく、古代吉備の国を連想させる古式ゆかしい本殿と、松の木がずらっと続く参道がどこか海辺の松原を連想させる社であります。そして、ここで有名なのが、「吉備津の釜」。上田秋成の「雨月物語」にも恐ろしい物語として出てくる、この釜…祈祷してもらったら、実物にお目にかかることができるのだろうけれど、ちょっと勇気がいるかも。