ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ホワイトゴッド―ー少女と犬の狂詩曲

2016-02-28 17:49:41 | 映画のレビュー

行きつけのミニシアターで観た映画。
犬たちが大群で、街を疾走するシーンのポスターがとてもスリリングで、公開を楽しみにしていた。

けれど……現実は、映画館のシートの上で「こんな残酷な映画見たくない。来なければよかった」と下を向き、スクリーンを直視する勇気もなかった私。

ストーリーは――説明するのもつらいので、省略するのを許して下さい。無理解な父親の方針で愛犬を路上に置き去りにせざるをえなかった少女。それから、犬がさまよい、闘犬に仕立て上げられるのが、目をそむけたくなるほど可哀想で……。

野犬保護収容所に押し込められた犬たちが、突如人間たちに牙をむき出し、雪崩をうったように街を駆けてゆく――けれど、彼らはこの後どうなるのだろう?  エンディングが流れた後も、つらくてつらくて、その日一日、何も楽しくなかった。


追伸:けれど、映画を離れた現実の撮影現場では、心温まるエピソードもあったのです。実は、この映画に出演した何百匹もの犬たちはすべて、殺処分されるのを待つばかりだった保護収収容所の犬。しかし、この映画を観た観客たちから「引き取って飼いたい」という要望が殺到し、結果すべての犬たちが新しい家族と暮らすことになったそう。
世の中には、美しいエピソードもあるのですね。本当にほっとした…

白鳥と遊ぶ

2016-02-27 22:08:03 | ある日の日記
郊外に、うどんを食べに行く。

ここは、大きな池を中心とした広大な私有地に、クラシックカーがいっぱい並んだ建物や、ハワイコーヒーやカレーを食べさせるカフェ、そしてうどん屋が並ぶという、何だか面白い場所。
クラシックカーは、趣味のない私にも、「凄いなあ、こんなに集めたもんだ」と思わせられる古き良き時代の外車がずらりと鎮座しているし、池は中央に噴水まであって、冬空の下でもここだけ眩しく見えるのだ。
鴨はどこでも見られるから良いとして、
   白鳥まで優雅に泳いでいるのには、うっとり。

スワン――「白鳥のように美しい」という形容詞があるのもむべなるかな。曇天の下で、この鳥は頭に黄金の冠をかぶっていないのが不思議なほど、高貴に光輝いていたのであった。「一休さん」という大昔流行ったとんきちアニメを思い出させる名前の(よく考えたら、このあたりはドライブウェイ。ここで、一休みしてください、という意味を持ったネーミングなのであろう、と合点がゆく)お店のお饂飩は、なぜか金色に透き通っていて、とても美味しく、付け合わせの舌にしみるような天婦羅とともに絶品であったのだけれど、早く、外に出て白鳥のブロマイドを撮ろうとうずうずしていた私。

と、私の気持ちを察したかのように白鳥は池から、優雅に上陸されたのであった。
そのまま、しずしずと歩いてゆく。貴族的な姿とは対照的に、足の水かきがおっきいのはご愛敬。
これで、水面下では、必死に水を蹴っているのだろうしね。何をしているのかと思いきゃ、草むらの草を食しているらしい。

ふうん、白鳥って、こういう風に食事をしているのか……そして、彼女(彼かもしれない)スワン嬢は、人間など眼中にもない様子で私のそばで散歩。
白鳥って、こんな風に飼っていても、人間を恐れることもないし、大空へ逃げていくこともないのか――ちょっと新発見した気分。

そばに白鳥が佇んでいるって、素敵。 また、会いたいでござる。

うっとり・・・

2016-02-25 20:52:42 | カリグラフィー+写本装飾

この間、頂いた本――「ヨーロッパ中世の四季」木島俊介著。中央公論社  です。
母が、「すごくいい本ねえ。よく下さったわね」と感想をもらしましたが、本当に素晴らしい美術書!
       こういう中世写本好きには、こたえられないページが並んでいる上、解説文が、深い知性と感性を感じさせ、目の前に豊饒な中世ヨーロッパへの扉が開かれたよう。
  ぅまく、画像を縦にできない()のですが、これは、中世写本の至高と名高い「ベリー公の大時禱書」の1ページ。 上部に天球図が描かれ、下には、ベリー公の生活や彼の領地での農民の生活が美しい細密画で描かれています。
このベリー公というのが、面白い。時のフランス王シャルル5世の弟ですが、政治など眼中になく、芸術のパトロンとして後世に名を遺した人物なのであります。
この時代の王族というのは、広大な領地や莫大な財産を後ろ盾に、自分のための祈りの書(時禱書を平たく言ったもの)を腕利きの画家に作らせたのですが、極めて魅力ある美の世界が誕生したのですね。
     
そして、ベリー公は自分のためのペットとして珍奇な動物を沢山飼っていたのですが、特に彼が愛したのは「熊」。この最愛のペットに「小姓」という位を与えて、旅先にも連れて行ったくらいなのですが、ベリー公のエンブレムにも、熊公が登場するのであります。そして、もう一つのシンボルは白鳥でした。


               
 ジャーン! このベリー公の紋章を見よ! フランス王家を意味する青地に百合をあしらった紋章に、仲良く寄り添う熊と白鳥。とっても、可愛らしいと思いませんか?
華麗でありながら、こうしたユーモラスな魅力があるのが、中世ヨーロッパ美術の世界。 一目みたとたん、すっかりこの紋章の虜になってしまいました。

中世ヨーロッパについて書かれた専門書は何冊か持っているのですが、この本ほどわかりやすく、エッセンスがちりばめられた本は知らなかったなあ…。中世人が、書物の挿絵や教会の装飾に用いた奇妙な、想像上の動物たち。あれは、当時の人々の豊かな想像力の産物とばかり思っていたのですが、キリスト教が、未開の野蛮な種族をもあまねく教化してゆく、ということを現してもいるのだとか。

以前、パリのノートルダム寺院で、夢魔のごとくグロテスクで魅惑的な動物のガーゴイル(一種の排水パイプの頭の部分)が建物の脇から、多頭の竜のように首を突き出していたのを見たこともありました。 ヨーロッパ中世は深いのだ! 

Tさん、こんな素敵な本をありがとうございました! ずっと、大切にしますね。
             

エッセイは難しい

2016-02-22 20:24:31 | ある日の日記
エッセイとは、何なのか?
日本語で言うと、『随筆』というのでしょうが、これがなかなかの曲者。

この間、エッセイなるものを書こうとしたのですが。はたと筆がとまってしまいました。
心に思うことや、日々の生活の中で感動したこと――それを書けばいいのだろうか? う~ん、悩む……。
「エッセイなんて誰でも書ける」という人がいますが、エッセイを書くというのは、一面とても怖いことではないのかな?
自分という人間の感受性や人間としての器の程度が、はっきり他人の目に映りそうだし。

話はここで横道にそれますが、私は作家のエッセイ集というものをまず読みません(例外は、曽野綾子と五木寛之。この二人のエッセイは。含蓄に富み、とても学ぶところがあるのです)。
ずっと以前、その頃ファンだったとても有名な作家のエッセイ本を読んだ時、そこに人を傷つけるような文章があるのを見、ショックを受けたことがあります。作家としての才能と人間性は別のもの――そう思って以来、好きな作家はその生身の人間があらわになるエッセイは読まず、文学作品だけ楽しむ方針にしましたが、これは間違っているでしょうか。
正直なところ、小説は面白いのに、エッセイはつまらないというもの書きも多いのかもしれません。


それでも、基本的にエッセイを読むのは好き。
エッセイストというプロの職業の人が書くものより、新聞の片隅に載っているフツーの人々の書くエッセイの方が、日々の心の陰影が感じられて、心に残る気がするのは、なぜ?

さあ、私も難しく考えることなく、エッセイを書くべし。

ある日の日記

2016-02-17 18:59:25 | ある日の日記
ここ一週間ほど、料理をしている。この前、食事を作ったのは半年くらい前(おい)じゃなかったっけ。
昨日やおとといは、豚汁やラタトゥイユを作ったから、今日は薩摩汁や五目豆で――はっきりいって、ご飯作りは家事の中でも一番面倒くさい。買い出しに出たり、昆布を湯につけて、だしを取るといった下ごしらえを考えると、2時間くらいたっちゃうのでは?

私の場合、何も考えず手が動くなんてことはなくて、いまだに料理の本を見ながら作っている。だから、味はまあまあなのだが、一度くらい「料理大好き! 得意ですわ。オホホ」なんてこと言ってみたいわ。

ああ、明日はアボカドが少し柔らかくなってたら、アボカドとサツマイモのサラダやチャーハンを作ろうかな?
食器を片づけたり、洗濯したり……家がだだっぴろいと、移動にも時間を取られるまする。

お夜食の時間です

2016-02-16 20:20:36 | ノエル
ノエルは、毎晩この時間を楽しみにしています。
何かというと、お休み前のおやつタイム


  
小さな食パンですが、ミルク味で、ほんのりと甘く、人間が食べてもとっても美味しい!

裏庭に出ると、今や遅しと待ちかまえているノエル。
ノエル宅のオレンジ色の門燈をバックに、浮かび上がる姿――いじらしくて、可愛いのであります。
         
一口、一口上品に頂くノエル。普段は、荒っぽいのに、テーブルマナーはお上品なのはなぜ?

夜のひと時――上を見上げると、冬の夜空に降るような星がきらめいています。冬の星ぐらい、冷たく美しいものは、そうないでしょう。

美しき中世へ

2016-02-14 20:39:11 | カリグラフィー+写本装飾

今週半ば、届いた郵便――それを開けてみたら、こんな美しい本たちが!

送ってくださったのは、以前カリグラフィー教室で一緒だったTさん。絵がうまく、映画や小説がお好き――と多才な方なのですが、私の書いた童話の載った同人誌「松ぼっくり」を送ったら、丁寧なお手紙と共に、伝統的カリグラフィーやイルミネーション、写本を解説した本を下さったという訳ですが、いいのかなあ? こんな立派な本。

でも、私の大好きな分野の本だし、長年カリグラフィーをしているといっても、その関連の本はちょっとしか持っていない私……中を見ても、本格的で、しかも美しい! うっとりするほど綺麗な写本や細密画、飾り文字がふんだんにちりばめられています。
金箔(これが、画材店で買うと高価なのです)やTさんが以前描かれたという花の細密画の原画(金の地に、アネモネを思わせる美しい絵が描かれています)まで、同封されていて、本当にうれしく有り難く、しみじみ見てしまいました。

本屋さんに行けば、山のようにある本たち……でも、私の数少ない知人たちの中にも、読書家という人はほとんどいません。だから、同人誌も数人の方に送ったきりなのですが、達筆で丁寧に感想を書いて下さったのには、びっくり!

はやく、お礼のお返事を書かなくてはなりませんね。

ある日の日記

2016-02-10 21:59:09 | ある日の日記
何だかくたびれてしまって、午後の間じゅうベッドで過ごしました。
異様に眠いし、体力が続かないなあ……。

先月も、頭がフラフラするのが続いていたし。しなければならないことが、なかな片付かないのは困りものです。


これからは、自分をなだめたりすかしたりして、日々を送らねば――もう、若くないのだし、と思ったのですが、私は若い頃からこういう人だったのでした……。

TVを見ても、ネットを見ても世の中には、様々なことが次々起こっていて、それもあっという間に忘れ去られていく――それに比べたら、自分という人間などいかにもちっぽけな存在で、砂漠の中の一粒の砂のようなものだと感じることがしばしばあります。はっきりいってしまえば、あくせくしようが、怠けようが、小賢しい奸智に過ぎないのかもしれません。

でも、知りたいことの知識を得るのは、とても楽しいし、人生学ぶのは、いつになっても遅くはない!? ああ、しかし、若い頃かじったフランス語ややりたいと思ってテキストだけ買ったロシア語を勉強する時間は、ほかにしたいことがあるので、ずっと無理でしょうね。

オレンジの壺

2016-02-08 20:39:58 | 本のレビュー

オレンジの壺」 宮本輝 講談社文庫。上下巻


ずっと以前買っていた、宮本輝の作品を再読。
久しぶりに宮本輝を読んだのだけれど、やっぱりこの作家は天才! 天性の語り部にして、サーガを語る物語作家! 
誰もあまりふれないけれど、この作家は、もう一人の国民的人気作家、村上春樹と同じ年(どちらも、関西出身だし)。

資質も感性もまったく違うタイプの作家なのだが、私自身は断然、宮本輝が好き!
こんなに面白く、小説がロマンであることを感じさせてくれる豊饒な才能を持つ作家なのに、なぜハルキほど世界的人気を得られないのか不思議…。

まあ、それは置いておいて、小説のあらすじを書くとしよう。
25歳のヒロイン、佐和子は短い結婚生活が破綻し離婚。それも、夫から「君には、悪いこところもないがいいところもない。人間として、女性としてまるで魅力がないんだ」という痛烈な捨てゼリフを投げつけられた後に。

大きな貿易業を営む父親のもとに帰った彼女に、父親は「何か事業をはじめたら?」と勧めるのだが、佐和子の心は動かない。別れ際に投げつけられた言葉が、彼女の心には反響していて、大きな傷口を作っていたのだ。

そんな佐和子に、弁護士が渡したのは、家業の会社の創始者である祖父が残した日記だった。今から65年も前、1922年(この「オレンジの壺」が書かれたのは、1990年頃)祖父田沼祐介が紅茶とスコッチウイスキーの輸入権を得るため、フランスに渡った時のことを記した日記には、恐るべき秘密が隠されていた……。

こうしたミステリー調の展開、スケールの大きな物語を語らせたら、面白さに置いて宮本輝の右にでる者はないに違いない! 
1922年,すなわち大正11年という時代、船に乗って太平洋を渡り、ヨーロッパへ向かった田沼祐介――彼がパリで出会ったのは、アスリーヌ夫人というユダヤ系の女実業家だった。紅茶やジャムを日本に輸入するため、アスリーヌ夫人に近づく祐介だったが、夫人の口から「あなたは、オレンジの壺になってくれないか?」という謎めいた言葉がもれる。
やがて、アスリーヌ夫人の娘ローリーヌと愛し合うようになり、彼女との間に子供をもうけるのだが、祐介は一足先に日本へ帰ることとなる。

帰国後届いたのは、ローリーヌが出産の際に死に、子供も死産だったという知らせ。だが、何かおかしい。
生まれた赤ん坊は、本当は生きているのでは?
祐介は何度も手紙でアスリーヌ夫人を問い詰めるが、らちを得ない。おまけに、夫人の使いという者が現れ、オレンジの壺としての任務を果たせと言って迫ってくる……日記はそこで終わっていたが、祖父の真意は生きているかもしれない子供を探してくれ、と佐和子に頼むことだったのか? そしてオレンジの壺とは何なのか?

すでに長い歳月がたっている上、アスリーヌ夫人もアウシュビッツ収容所で死亡しており、当時を知る人などほとんど残っていない。しかし、佐和子は、自分にとっては伯母にあたる祖父の娘が生きていることを確信し、フランス語の翻訳を頼んだ青年滝井の協力を得て、パリに渡る。


だが、そこで探索の果て、エジプトのアスワンでドイツ人の老婦人モニカ・シュミットから渡されたのは、もう一つの日記だった。なんと、祖父は遺品として残した日記と同時期にもう一つの日記を書いていて、そこにこそやましい秘密が隠されていたのだ(これは、「商売人がよくやる裏帳簿のようなものね」と表現されている)。
ここでは、祖父は単なる事業家ではなく、当時軍部の秘密機関から、特務を担ったスパイでもあったのだ。 だが、祖父は恋人を汚した軍人に復讐しようと、協力するふりをしていたというのだから、話はややこしい。
第一次大戦と第二次大戦のはざまに渡る時代――軍部が隠然たる勢力を伸ばしていたきな臭い時代の雰囲気が見事に描かれていて、当時のヨーロッパには、本当に、こうした諜報活動が繰り広げられていたかもしれない、と思わせられる。
アスワンで会った老婦人は、祖父が当時かかわったドイツ人の若い娼婦だったのだが、彼女は佐和子に「あなたのお祖父さまは、度し難き売国奴よ」との言葉を投げつける。祖父の日記には、Wという国際スパイや、非情な軍人Sが頻繁に表れ、祖父とかかわっていくのだが、彼らの肖像は印象的である。エリート軍人そのもののように見えながら、女装を趣味とし、同性のイギリス人「鯨」(これは、スパイとしてのコードネーム?)への恋のため、日本を裏切り、アスリーヌ夫人の組織に協力しているらしいS。
底知れない緑の瞳を持つ美貌の男「鯨」。

彼らが、ヨーロッパでもくろんでいたのは、何だったのか?  そして、第二次大戦を予期していたというアスリーヌ夫人が作り上げていた組織の正体は? そして、生きているとわかった祖父の娘マリーを、アスリーヌ夫人は「なぜ、死産だった」と言って嘘をつき、手渡そうとしなかったのか?
日記は、謎が深まっていくところで、突然ばたりと終わる。まるで、私たち読者と佐和子を迷宮に置き去りにしたように。

田沼祐介という日本人が残した日記は、もうはるか昔のことなのである。作品の舞台からも65年前。いかに長生きしたといえ、Sも「鯨」もすでに生きてはいないだろう。そして、彼らが誰であったかも、知ることはできない。
すべては、歴史の闇に消えてしまった……私の心に深く残ったのも、「謎」ということ。
遠い昔に、何があったにせよ、それは歴史といううねりに消えていくのである。

P.S 佐和子が、何度も「私って、石みたいなの」とか、「私、なぜ魅力がないのかわかったわ」と作品中でつぶやくところ……ふつうなら、「プライドがあるなら、そんなこと自分で言うな」と言ってやりたくなるところだけれど、この佐和子という女性、本人が自覚しているように「地味で、無口」にしろ、祖父の娘を探し出すために、パリやエジプトにまで飛び出していくという、一途で素晴らしい人なのだ。
そして、祖父が自分に日記を残したのも、「自分という人間の痕跡を残すため」だと思い、「人は誰しも、ある時代の中で懸命に生き、死に、そうしてその人を覚えていた人も皆いなくなる」と理解できる賢い女性でもある。

リズの瞳に乾杯

2016-02-04 20:09:02 | 映画のレビュー
先日、「いそしぎ」と」いう映画を観た。衛星放送されたものだけれど、この題名を聞いただけでエリザベス・テイラーとリチャード・バートン共演の映画だとわかる人は、かなりの映画通のはず。


これが、映画中の1シーン。あらすじをいうと、リズはここでは未婚の母であり、海辺の一風変わったコテージに住んでいる無名の女流画家。
彼女は、世間の良識に流されない生き方をしているのだが、裁判所の決定に従って、息子を学校に通わせざるをえなくなる。その寄宿学校の校長であり、牧師でもあるエドワード(これをバートンが演じている)と恋に陥るというストーリーなのだが、当時リズとバートンは実生活でも、夫婦だったというおまけつき。


リズとバートンのコンビ作映画は、確か「クレオパトラ」も含めて、13作ぐらい作られていて、くだんの「クレオ…」もどうしようもない駄作(ただし、豪華絢爛な失敗作ではあったが)。 演技の大根ぶりには定評のあるリズのことだから、「いそしぎ」も大したことはないかも――と思っていたら、なかなか良い映画なのだ。海辺の風景も、リズとバートンの出会いと別れも、題名が海岸に生息する鳥の種類の名だというウイットの効いた演出も、心に残った。

ただ、驚いたのはリズのいでたち。冒頭、スクリーンに姿を現した時、「う~ん、この頃のリズ・テイラーは40歳前後だったのかな」と思い、その印象はずっと続いていたのだが、後で確認するとこの映画撮影どきの彼女は、まだ33歳だったというではないか! 
何なのだろう……上の写真からもにじみ出る「中年」の雰囲気は……?  黄色いカナリア色のドレスや上にかぶった白いストローハットといい、若さを帳消しにしている気がするのは、私だけか。

そして、リズといえば、「世界最高の美女」の称号の外、「藤色の瞳」があまりにも有名。
藤色とは、どういうことか? というとそのものずばり、紫の瞳を持つということ。このパープル・アイの出現率は極めて稀で、青い目、緑の目、茶色の目などさまざまあれど、こんな瞳を持った人に会えるのは、一生に一度あるかないかくらい珍しいらしい。

エリザベズ・テイラーも、自分の瞳の色が自慢だったようで、映画撮影時の楽屋もラベンダー色に飾り立てていたというエピソードを聞いたことがあるのだけれど、この「いそしぎ」でも、淡い紫色のドレスを何回も着ているのだ。 ラベンダー色のブラウスやセーターとか。 しかしそれが似合っているかというと、微妙なところ。結構太っているようだし、小柄で頭が大きいのでは?

大体、エリザベス・テイラーというスターは、子役時代の「緑園の天使」「名犬ラッシー」の頃の大人の美貌を持った少女から、「日のあたる場所」の頃の輝くばかりの美しさが、絶頂で、30歳過ぎたころには、すでに容色に衰えが兆していたという不思議な存在。
「全米中の女性は、かつてエリザベス・テイラーになることを夢見ていた。そして、その願いはかなった」
という皮肉に満ちたジョークが出回ったのは、リズが無茶苦茶太っていた40代の頃だったと思うけれど、そうした大女優・絶世の美女にあるまじき滑稽さがあるのも、リズの魅力なのでは?  

色々な意味で面白く、スケールの大きな(何と、8回も結婚したのだから)映画スター。こんな人がいたのも、映画黄金期のハリウッドだからこそで、21世紀には、もうこういったスターは現れないだろうなあ。