ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

ある日の日記

2016-12-29 09:44:08 | ある日の日記

くたびれてしまって、よれよれの状態です。
4時とか5時前とかに、目が覚め、明け方にうとうとしてまた目が覚めるということを繰り返しています。

そんなこんなで、この数日、朝起きても体がしばらく動かず、ノエルの散歩に行くことができず、上のガーデンで放してもらっています。ノエル、ゴメンね。


何だか、一年の疲れが出てしまっみたい。来年は、もっと元気で過ごしたいもの。

昨日の夕刊で、女優キャリー・フィッシャーさんの訃報を知って、ちょっとショックでした。私は、「スター・ウォーズ」のファンなどではなく、ストーリーさえあんまり知らないくらいなのですが、レイア・オーガナ姫演じた、彼女の若々しい姿は、くっきり記憶に焼き付いています。
幼い頃、兄の部屋の本棚にあった映画雑誌や「スターウォーズ」のパンフレット―――そこには、この宇宙活劇のシーンが幾つも載っていて、のちの映画への熱狂もここから来たのではないかと思ってしまうくらいでした。

レイア姫のキャリー・フィッシャーは、お姫様がぴったりというようなとびきりの美人ではなく、アメリカの街にいる「ちょっと可愛い女の子」というくらいのキュートさだったのですが、逆にそれがフレッシュな魅力になっていたのではないかな?
若い日のハリソン・フォードも、大きな青い眼が印象的なマーク・ハミルも、そこにいました。(ああ、懐かしの70年代!)

「スター・ウォーズ」と聞くと、昼下がりの子供部屋や、映画雑誌でいっぱいの本棚を思い起こしてしまう私なのですが、どうかキャリー・フィッシャーさん、安らかに。

コクリコ坂から――マンガを読む

2016-12-28 20:48:30 | 本のレビュー

二日前ほど前、小包が届いたと思ったら、Yさんから送られてきた本でした。「えっ、またコクリコ坂?」と思わず、目をパチクリさせてしまったのですが、これは映画の脚本と映画の原作であるマンガ(ああ、回りくどい言い方ですみません)であるのだそう……いいのかなあ? こんなの頂いちゃって…。

早速、マンガの方を読んだのですが、映画と話がだいぶ違う。というか、正直、あんまり面白い少女マンガではないのであります。このマンガを書かれた高橋千鶴という方は、私が小学生だった頃読んだ記憶のあるマンガ家さんだったはずなのですが(読んだ作品の方は、全然覚えてないのだけど)、こんなに絵が汚かったかな?
映画では、主人公の海の家(昔は、明治時代から続く医院だった)に同居する下宿人の女性たちも、離れに住む海の祖母もうんとステキに描かれていたのに、このマンガでは何だかやたらバタバタしているのです。
それに、カルチエラタンという、とんでもなく魅力的な文化部の建物は、原作のマンガでは影だになく、問題となっているのは、「制服か私服か?」という学生運動もどきの紛争であります。 ひと昔前の少女マンガって、こんなだったの? ついていけないなあ。

海と風間君の「異母兄妹」の疑いと彼らの悩みは映画版そのまま、とはいえ、ストーリーがまるで生きていないのです。はっきりいって、少女マンガとしても失敗作。

そんな読後感を抱きながら、今度は脚本版の本を広げてみました。すると、宮崎駿さんも、原作は「不発に終わったもの」と評価されていました。それはわかるのだけれど、なんでそんな作品を映画化しようと思ったのかな? ストーリーも、大分というか、相当違っているしね。

しかし、宮崎氏の「企画のための覚書『コクリコ坂から』について」を読んだとたん、う~んと唸ってしまいました。やっぱり、宮崎駿さんって、天才ですね。この(あんまり面白くない)マンガから、原形だけ借りて、あれほどのイメージを膨らませた作品を創造するなんて……書かれた文章の堂々たる構成や、うまさにも感嘆。
これが「一流」のクリエーターの理解力・創造力というべきでありましょう。

P.S 実は脚本そのものを読むのは、これから。考えてみれば、小説でも解説でもない「脚本」を読むのなんて、初めてかも?
    

ベン・ハー

2016-12-28 20:09:34 | 映画のレビュー

映画「ベン・ハー」を観る。最初、観たのは中学生の頃のことで、それから二回くらいは観た記憶が…。
それでも、この二十年くらいはずっとご無沙汰だったはずであります。

この映画、何といっても主人公ベン・ハーが幼馴染にして後宿敵となったメッサーラと繰り広げる戦車競走のシーンが圧巻! 四頭の馬にひかせた戦車で、円形闘技場を死に物狂いの迫力で疾走してゆくのだが、ああ、恐るべき臨場感! ダイナミックさ!
広大な競技場は、どこか映画草創期のセシル・B・デミルの作品に登場するセットを思わせ、「これぞ、ハリウッド」と叫びたくなること、間違いなし。

それに、1959年製作の本作では、まだまだ特撮なんてあるはずはなく、この戦車シーンは、あくまでハリウッド技術のたまもの――映画史に残る名シーンとなったのは、当然というもの。

さて、ストーリーはあまりに有名作品だから、皆知っているはず、と思うのだけれど、もう60年近くも前の名画だから人々の記憶から薄れつつあるかも。そんな訳で、思いっきりはしょったあらすじ紹介をば、ここでいたします。

この作品の背景になっているのは、イエス・キリストの生誕とその処刑・復活という聖書物語。それを基盤として、ユダヤの王族につらなる貴族、ユダ・ベン・ハーの物語が語られていきます。エルサレムで、幼馴染のメッサーラと再会するものの、支配される者と支配する側という立場の違いから、友情に亀裂が入る二人。

そして、新総督のパレード中、ベン・ハーの屋敷の瓦が下に落ち、総督が重傷を負ったことから、ベン・ハー一家は「反逆者」として罪を問われることになります。ベン・ハーは、ガレー船の漕ぎ手として、母・妹は地下牢へ――これにも、メッサーラの策略があったのですね。
屈辱に耐え、ガレー船をこぎ続けるベン・ハー。ある日、船の司令官アリウスを助けたことから、彼の養子としてローマに凱旋することとなるのですが、そこで聞いたのは、母・妹はすでに死んでいるという悲報。

しかし、これは嘘で、らい病に侵された彼女たちは、牢から「死の谷」へ追われていたのでした。戦車競走の死闘で倒したメッサーラから、その事実を知るのですが、この「死の谷」の描写が凄い!
古代ローマの時代には、らい病患者たちは、本当にこんな生活をしていたのでしょうか?  谷の上から投げ落とされる野菜や食物を糧に、暗い洞窟の中で、うめきながら生きながらえているなんて……当時、未曾有の大作として作られただけあって、「ベン・ハー」の美術や衣装はいかにも、当時を再現したリアリティが感じられるもの。ハリウッド臭さがなきにしもあらず、とはいえ。 だから、事実はこうだったのでしょう。
壮大なエンターティメントとして、楽しめながら、歴史を味わうことのできる名作なのです。

キリストの復活と同時に、母と妹の病が癒えるというのも、美しい「奇跡」と感じられるはず――実をいうと、私はベン・ハーの名前が「ユダ」であり、キリストの物語とサブタイトルにあることからして、「これ、快男児チャールトン・ヘストンが主演とはいえ、このベン・ハーは後に、キリストを裏切るユダに変貌するという伏線なのでは?」と疑っていたのですが、全盛期のハリウッドがそんなひねった(意地悪い?)ことするはずもありませんでした

やかまし村の春・夏・秋・冬

2016-12-24 22:41:13 | 本のレビュー

やかまし村の春・夏・秋・冬」 アストリッド・リンドグレーン作。 岩波少年文庫

「長くつ下のピッピ」で知られるリンドグレーンの本当の代表作だといわれている「やかまし村シリーズ」。といっても、実のところ、このシリーズを読んだことはおろか、名前さえも知らなかった私。
三部作からなる、同シリーズを読んだのも、ここ数か月のことなのだけど、とってもハートフルで面白い本なのだ。

スウエーデンの農村地帯を舞台に、山深い(と思われる)村に住む、たった6人の子供たち。うち、主人公の女の子リーサと二人の兄弟の外、あと三人の子供たちも隣り合った家々に住んでいるというのだから、信じられないほど牧歌的で、理想的な小世界。
こんなに小さな世界で、子供たちがそれぞれ仲が良く、豊かな遊びを繰り広げるなんて、ほとんど神話の領域としか思えないほど。ギリシアのダフニスとクロエの物語をさらに、幼年時代にさかのぼらせたものと思ってしまうほど、リーサたちの世界は楽し気で、現実に存在するとは思えないほど。
それでも、やっぱり何十年も前のスウェーデンの田舎の子供たちの姿も浮かび上がってくるのだから、読者の子供たちの心をとらえて離さないのも、当たり前。

リーサたちも、もちろんケンカもします。しかし、決して傷つけあうことはしないし、現実の苛酷な世界からは隔絶されたユートピアに遊んでいるような幸福感が、物語全編を漂っているのです。 ああ、私も、やかまし村の子供になりたいなあ。 勉強しないですむし、色々面白い遊びを考えて、暮らすのは楽しそう!


P.S このシリーズが出ている岩波書店が、夏の読書フェアとして本の片隅に用意していた応募券。ふと買った本の裏表紙にあるのを、これまたふと見つけて応募してみたところ、ブックカバーが当たりました。 
地図のイラストが描かれたブックカバー…なんでも、「岩波少年文庫サイズ」なのだそう。ふうん。ブックカバーなんて使ったことないのだけれど、キャンバス地に書かれた地図っていいね。 これから、使わせていただきませう。

生まれて初めてのローストチキン

2016-12-24 22:11:28 | ある日の日記
ひょんなことから、母の友人Iさんの紹介で、パンを教えていらっしゃるKさんのお宅で、クリスマスのごちそうを作ることに!
「クリスマスのごちそう」とは――そう、あのローストチキンであります。 七面鳥を使うのが、外国での本式というのだけれど、そこはそれ、日本。
鶏一羽をまるまる使うのですが、これがスゴ~イ迫力。
    
こんな風に、特別にお肉屋さんで買ってきた鶏(内臓を抜く処理をしてあります)の体に、もち米、ぎんなん、人参、セロリ、玉ねぎなどを入れていくの。
最初は、首のない鶏の体を見て、いかにも「もと生きていた生物」という感じが生々しくして、かわいそうな感じさえしたもの。けれど、作業してゆくうちに「命を全うしていく、命を頂くとはこういうこと」と料理する意味がわかりました。
    中身のフィリングをつめたチキンの上から、タラ~リとオリーブオイルをかけてゆきま~す。 私たち母娘の外、Kさん、Iさんそれぞれが、自分の鶏を料理して、オ~ブンに入れていくのですが、これがなかなかの一仕事。
鳥を一羽、丸々焼くというのは、かなり時間がかかるのであります。 で、待ち時間に、Kさんがクリスマスのためにいくつも焼いていたシュトーレンの最後、という「貴重」なお菓子と紅茶でティータイム
 このあと、丁寧に入れて下さった珈琲とフライパンで焼いた焼きリンゴ(砂糖とバターがとっても、香ばしいのだ)の美味しいもてなしも続き、器もよく見るとコペンハーゲンとかジノリの高級さ……上等な食器と美味しいお茶(プラス菓子)というのは、とても幸せな時間を運んできてくれるものなのでした。

 そして、無事焼きあがった「ローストチキン」! 外国の映画とかではよく見たけれど、こんな「大物」を自分で料理する日が来るなんて想像もしてませんでした。ああ、いい日だなあ~。
     
 夜、自宅に持ち帰ったロスとチキンをキッチンのテーブルの上に盛ったところ。白熱灯の下では、変に赤みがかっていて綺麗に写真にとれなかったのですが…。
そして、この料理の素晴らしい所は、Kさん宅から車で持ち帰る時にも、車の中いっぱいに「とんでもなく、おいしそう」な香ばしい匂いが漂っていたこと。この香りは、キッチンの中にもずーっと漂っていて、クリスマス気分をいやが上にも高めてくれました。

2016年12月24日――生まれて、初めてローストチキンを焼いた日。これ、日記につけておこう。

松ぼっくり87号

2016-12-18 21:01:40 | 児童文学

所属している児童文学の同人誌「松ぼっくり」の87号が手元に届きました。

今回、私に配布された冊数は15冊。私は創作ではなく、アウシュビッツと文学についての評論を載せたのですが、誰に差し上げるか、ちょっと思案中です(あまり、在庫がないので)。

大塚国際美術館

2016-12-15 06:39:46 | 旅のこと
日帰りのバスツアーで、「ウェスティンホテル淡路でのランチビュッフェと大塚国際美術館」というものに、行ってきた。

どちらも、徳島県にあるのだけれど、鳴門の渦潮を子供の頃、観に行った時以来じゃないかな?
だから、楽しみにしていた訳。まず、ウェスティンホテルに着いて、ランチ。

      
やっぱり、とても綺麗なホテル。ここには、奇跡の星の植物園といった名前の施設もあって、「行ってみたいなあ」とずっと思っていたのだけれど、残念ながら今回のツアーでは、食事のみ。

そして、いよいよ大塚国際美術館。日本一入館料が高い美術館として知られるというのは、初めて知ったのだが、それよりもここは世界のあらゆる名画を「陶板」で複製したというのが、有名。
まがいものばかり集めて、どうするんだろう? と以前は胡散臭く思っていた私。
でも…でも、実際に見てみると、スゴ~イ迫力だったのだ!

古代から現代へと膨大な美術品のリメイク(?)コレクションがずらりと並ぶのだが、はじめに登場するのはあの「システィーナ礼拝堂」。
   

   こんな感じ。スケールの大きな空間が、そのまま再現されている。
 中央に、立ちはだかる筋肉隆々のキリストを見ていると、何年も何年も前、ローマで実物を見た時のことを思い出してしまった。
5月のイタリアの空は、ズコーンと青く、バチカンの入り口には、欧米人や東洋人、アフリカ系の人々などさまざまな肌の色の人が、長い長い列を作っていて、自分がコスモポリタンになってしまったような感じさえしたもの。
そして――人々に押すな押されるな、という雑踏の中で見た「最後の審判」は、天井を見上げていた首が痛くなったことと、色彩の青の印象が鮮やかに残っているにすぎなかったのだった。
ここでは、じっくり見ることができる。

 
     
外にも、教会などの壁画をそのまま再現したものが、いくつもあって見ごたえあり。
もちろん、すべて陶板で作ってあるのだから、本物だけがもたらす「感動」はない。しかし、こんなスケールの大きなレプリカを見せてもらうと、不思議な居心地の良さと満足感を感じてしまうのだ。
 
そして、この血のような赤。
   
イタリアのボンペイ遺跡から発見されたという「秘儀荘」を再現したものであります。
昔、ボンペイの遺跡を歩いた時のことは印象に残っているのだけれど、ここは当時公開されていなかったのじゃないかな?
とても魅力的な壁画。 ヴェスビオ火山が爆発するまで、ボンペイの人々は、こうした高い文明と豪奢な生活を楽しんでいたのだろうな。

    
私の好きな中世美術の部屋もあって、しみじみと作品を味わうことに。

まだまだコレクションはあるのだけれど、最初の階にあった古代・中世の空間があまりに魅力的で、滞在時間の間じゅう、ズ~ッとここにいた私。

大塚国際美術館って、楽しいですね。 ディズニーランドのような美術館! 
      

そして誰もいなくなった

2016-12-08 20:42:08 | テレビ番組

NHKのプレミアム放送でアガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」を放映しているので見る(今週の日曜日が最終回のよう)。

クリスティーは、小学校高学年から中学時代によく読んでいたし、今でもファン。だから、この番組も楽しみに見た訳。

シャーロックホームズものもそうだったけれど、英国のTVは素晴らしく映像が美しい。整然とした静けさやどこか冷たさの感じられる、孤島の別荘内の雰囲気がゾクゾクするほど染み出てきて、まるでひんやりとした手で頬を撫でられるようなスリルが。

内容は、あまりにも有名で今さら紹介するのも野暮だから、できるだけ端折って言うことにする。つまり、十人の男女に「オーエン」と名乗る人物から招待状が送られ、互いに見ず知らずの彼らは、孤島に集まることになる。だが、夕食の席上、隠されたレコードから流れてきた言葉は、場を凍らせるに足るものだった。
つまり、集められてきた人々は、過去に殺人の罪を犯しながら、法に問われることなく何食わぬ顔で生きてきた者という共通点があるのだった。

殺人の内容を読み上げられ、慌てふためく人々―そして、なんと彼ら自身、オーエンなる人物にあったことはないのだった。「UN NONE」―-どこにもいない者、つまりオーエンという名前の謎がわかった後、彼らは一人、また一人と何ものかの手で殺されてゆく。
人が一人殺されるたびに、食堂のテーブルの上に置かれた翡翠のインディアン人形も一つずつ消えていく―――この薄気味悪いストーリーと真綿で首を絞められるような恐怖。
ミステリーの名作は、数あれど、この「誰もいなくなった」ほど卓越したものはそうないに違いない。

私も、クリスティーの原作は、何度も読んでいて、内容も文章のディテールもくっきり頭に残っているのだが、ヒロインというべきヴェラ・クレイソーンの面影がひときわ印象に残っている。 家庭教師先で教えていた少年を、その叔父にあたる青年への愛のために、「殺した」彼女。泳げない少年シリルを、そっと言葉巧みに沖へ向かうよう促し、「絶対、助からないように」ゆっくり泳いで救いに向かったのだから。
ヴェラの心情や回想のシーンの描写が、鮮やかだった。

    
しかし、このTV版では、何といっても元傭兵にして、悪漢のロンバートが出色。演じている俳優が素晴らしくハンサムなのもうれしいいし、彼がいるために、このひんやりとして動きに乏しい世界が生き生きと躍動して見えるのだ。(このロンバート役の俳優は、ぜひチェックしてみねば!)

最終回のどんでん返しが楽しみ――オーエンとは一体誰だったのか?

P.S
「ミステリの女王」としてあまりにも有名で、「聖書の次に売れたベストセラー作家」との異名も持つ不動の地位にあるクリスティー。長年、愛読してきた私は彼女の伝記やその謎の失踪事件をあつかった本も持っているほどなのだが、意外にも「クリスティーは、好きじゃない」という人も多いらしい。
昔、ミステリー好きの人たちと話した時も、「クリスティー? たくさん本があるけど皆同じようじゃない」とか「人物が類型的だし、作品で描かれる世界も決まりきまっているでしょ」の言葉が聞かれたもの。
うむ。確かに言えてる。
しかし、それでもクリスティーの作品に描かれた、郷愁を誘う古き良き英国の世界を愛してやまないのです。


作品展

2016-12-08 18:22:33 | カリグラフィー+写本装飾
神戸で、カリグラフィーの作品展があり、私も受講生なので、作品を出展。
会場は、異人館通りへ向かう、坂道の一角にあるギャラリーで、抜群のロケーション! ああ、この坂へ来たのも、何年ぶりか……お洒落な建物やレストランがあちこちあり、すっかり気分が上がること間違いなし。
私が、いつも食事をする「にしむら珈琲店」も、ここはツタの絡んだ煉瓦の洋館で、とっても雰囲気があるのであります。

「GALLRY 北野坂」というところで、作品展はあるのだけれど、当番のため、会場に入ったとたん、「わあ」と思ってしまいました。皆さんの作品が、レベル高い!
う~ん、凄いなア…。 教室を主宰している清水裕子先生の、レターカッティング作品は、西洋では、墓石の墓碑銘を彫るのに使われるなど、技術と伝承がずっと伝えられていたものですが、彫られた文字のすばらしさもさることながら、薔薇色がかった大理石や黒い石など、使われる素材の石の美しさもほれぼれしてしまうほど。

私の写本装飾作品は…もう少し上達したいですね。 世界的カリグラファーであるヘルマン・ツアップの作品集が閲覧できるコーナーも、特別に設けられていて、端麗な字を味わうこともできるのです。
出展作品の説明にも、使われる紙が、「木炭紙」、「ファブリアーノ・ローマ」「出雲わら画仙紙」と説明書きがされ、紙の質感をとくと見るのも勉強に。

当番が終わった2時半ごろ、一緒に来た母が一足先に向かった神戸大丸に行き、無事合流。ああ、月に一回こちらに来ているといっても、目的地までをまっすぐ往復するだけなので、このデパートを歩くのも、何年ぶりか。 いろんなデパートがありますが、神戸大丸は、「旧居留地38番地」とか、往来に面した野外カフェなどがあり、もっとも好きな所です。

母も、「やっぱり都会はいいわねえ」とうれしそう。もっとのんびりしたかったのだけど、ノエルが心配で、夕飯のお弁当や父用の野菜を買って、早めの帰宅とあいなったのであります。