ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

明治の薔薇園

2013-09-29 08:46:16 | アート・文化

森茉莉のエッセイの魅力に惹きつけられていた時のこと--その文章の中に、彼女が子供時代を過ごしていた明治の東京には、薔薇園が幾つもあったとの記述があった。 森茉莉は言うまでもなく、文豪森鴎外の娘。 彼女が生まれ、育ったのは、本郷近くの団子坂の上のお屋敷。いうなれば、山の手と呼ばれていた地域。 その近くにも、薔薇園があったそう。

森茉莉の、独特の香気溢れる文章を読むと、明治や大正の日本はかくも優雅で、美しかったのかと思ってしまう。 鴎外の家庭ならではだけれど、東洋と西洋の文化が溶け合い、生活の隅々のまで、美意識が張り巡らされている。 茉莉の弟の森類という人のエッセイに、「夜中に目を覚まして、「パパ、おしっこ」と父を起こす。握られた父の手からは、無限の優しさが伝わり、廊下は冷たかった。上野の山で獅子が吠えるときは、つないでいる父の手に力をこめるのである」というようなものがあったが、この頃開園したばかりの上野動物園のライオンのことを、獅子と呼ぶのも、何とも優雅。

茉莉自身は、少女時代の思い出に、「大正4年だったかの年の、美しい薔薇色の空を私は忘れない」とし、その時の空がどんなに美しかったかを、また彼女にしかできない一流の文体で、記しているのだが、そのような空の下に広がる薔薇園を、私は想像してしまう。 空気自体が紅に染まっているかのような中、夢幻の宴のごとく、咲き誇る薔薇たち・・・。

当時の日本には、西欧の薔薇が幾つも運び込まれ、植物学者たちの手で熱心に研究されていたのかもしれない。 かつての東京のあちこちにあったという薔薇園--それは、明治の彼方に消え去ってしまった。

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秋色のかぼちゃ

2013-09-28 12:53:55 | ある日の日記

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近所の方から、素敵なものを頂いた。 上の写真がそれだけれど、新種のかぼちゃだということ。 緑色のものばかり、スーパーで見慣れた目には、遠い異国の果実のように新鮮に映る。

これって、ハロウィーンのジャック・ランタンに最適じゃない? 目と口の穴を開けたら、かぼちゃのお化けに早変わり。 でも、そんなことをするには、あまりにもかぼちゃの形がキュートで、このままで飾りにしたい。 オレンジ色を見ていると、かぼちゃの内側から温かな灯がこぼれでているような気にさえなるのだ。

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秋色のかぼちゃは、自然が生んだ美しいオブジェであります。

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八雲立つ・・・

2013-09-27 11:18:51 | 旅のこと

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秋風に吹かれて、出雲へ行ってきた。といっても、バス旅行が当たったんだけれども・・・。出雲といえば、何といっても出雲大社。 ここへは、十年近く前、友人と来たことがあるのだが、今年は大遷宮とかで、社もすっかり新しくなっている。

「あれ、以前来た時は、もっと古色蒼然たる雰囲気があったのにな」と思いながら、参っていると、それは古来から残っている宮だと判明。 ここは、写真撮影も禁止されており、古い木組みや、彫りこまれた意匠に、「神寂びた」という言葉が思わず浮かんでしまったほど、厳かな雰囲気。 

そして、出雲は「八雲立つ・・・」と形容されたように、雲が多い土地。 グレーがかった雲がむくむくと湧いてくるようで、心なしか空が低く感じられる。 これでは、確かに冬の積雪量は凄いだろう。 ずっと昔からそうだったのだろうな、と思いながら、しばし、古代に思いを馳せる。出雲大社は、よく知られているように、大国主命を祭っており、彼は大和朝廷以前にこの地方を治めていた部族の王がモデルなのでは、と言われている。 天津神と国津神の争いの神話は、そのまま大和民族と、先住民族との抗争の歴史を土台としたものだと、よく言われているけれど、当時の出雲にはどんな風景が広がっていたのだろう?

太い神殿の柱が地中から発掘されて、「古代文明の遺産」と騒がれたことも、大分以前になる。いにしえの日本は、ミステリー小説など遠く及ばないロマンである。

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百年前の女の子

2013-09-24 18:41:15 | アート・文化

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自宅の座敷に飾られた屏風です。 実は、曾祖母の妹にあたる人が、女学校時代に描いた絵。 明治末年か、大正の初めの頃・・・詳しくはわかりませんが、ざっと百年くらい前のものになるでしょうか。 学校の課題用に提出したものなのでしょう。 二年以組とかい組、などと傍らに記されています。

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女学校の二年というと、今でいうと13、4歳の女の子でしょうか?(詳しくはわからないのですが) その年頃の少女が、まじめにきちんと写生しているという感じで、とびきりうまいというものではないにせよ、清らかな瑞々しさがあります。 百年近くたっても、色彩は鮮やかに残っているのですね。 蔵の奥から見つかった、これらの絵を5年ほど前、屏風に仕立てたという訳。

この屏風から、うんと昔の女の子の姿が思い浮かんで、小説「青蛙亭滞在記」を書きました。屏風の繊細さと違って、ちょっと変な話ですが(「ノエルの本棚」に収められています)--。

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ノエルの雑記貼 その3

2013-09-23 09:17:56 | ノエル

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ハロー、ノエルです。朝晩、涼しくなったけど、日中はまだ暑いね。 でも、ガーデンには木の葉がはらはら落ちてきたりして、すっかり秋の風情なの。 煉瓦の石畳の上に、黄色い葉が舞い落ちるのを見たら、僕ももの思いにふける気分には・・・ならないか。

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僕のお気に入りの遊びは、小枝を齧ること。まるで、ビーバーか何かみたいでしょ。 ガーデンのどこかに小枝が落ちているのをキャッチしたら、すぐさま拾ってきちゃう。 これで、ずーっと遊べちゃうのだ。

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                     (拡大図) ぶっとい足

そして、この足を見よ! これで、短距離選手のようにピューッと走ることも、思いっきり飛び上がることもできるのだ。 黄金の足といいたいところだけど、家の人に言わせると「太くて、不細工な足」だって。

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秋の朝の庭

2013-09-22 09:12:52 | ガーデニング

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9月の終わりの、ノエルハーブガーデン。 ベンチの回りには、コスモスがふうわりふうわりと、風に揺れている。 薄いピンク、濃い赤紫、白のコスモスが入り混じって、なんともいえない風情。 これが、広い草原で、見渡すかぎり海のように広がるコスモスの中にベンチがぽつんとあり、そこに座っていたら、どんなだろうと思う。

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秋の透明な光に、うつしだされるコスモスは本当に美しい。 見ているだけで、心を落ちつけられる花である。(前のノエルが、コスモス畑に座っているさまは、一幅の絵のようで、「コスモスの精」みたいだったけれど)

豪奢でもなく、これみよがしに咲き誇る権高さもない。 コスモスは、ただひたすらに優しい花である(その割に、貪欲に咲き広がると言われるかもしれないが)。 

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ボーンフォルダー

2013-09-22 08:57:06 | カリグラフィー+写本装飾

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これ、何だかわかる? まるで、石器時代の人間が使っていた磨研土器のようでありましょう? でも、残念ながら、これでナイフの代わりになるわけではないの 

答えは、ボーンフォルダー。牛の骨を使ったもので、色や質感もちょっと象牙っぽいね。 紙の折り目などを綺麗にするために使うもの・・・な~んて、わかったように言ってるけど、私もこのようなものがあるとは、最近まで知らなかったです。 神戸のカリグラファー、Yさんが英国土産に下さったのですが、日本ではなかなか手に入りにくいもの・・・Yさん、本当にありがとう

これで、カリグラフィーのカードなんて作るときも、綺麗に線がつくはず--それにしても、カリグラフィーって、習えば習うほど、奥が深いでごわす

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秋のソナタ

2013-09-21 23:38:42 | 映画のレビュー

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誰しも、心の底に残る映画というものはある。それは記憶のひきだしに、ずっと存在し続け、深いメロディーのように、心のひだを揺らし続ける。

私にとって、そうした映画の一つが、「秋のソナタ」だ。北欧はスウェーデンの巨匠イングマル・ベルイマンが、やはりスウェーデンが生んだ大女優イングリッド・バーグマンと組んだ、傑作。バーグマンというと、どうしても「誰がために、鐘は鳴る」とか「カサブランカ」のような、ハリウッドの大作が思い浮かぶけれど、彼女の本当の代表作、最高の名演は、この「秋のソナタ」をおいてないに違いない。

北欧の澄み切った、けれど陰鬱な日の光・・・それが照らし出す風景も、孤独だ。リブ・ウルマン演じる主人公は、牧師と結婚し、身体障害者の妹を引き取っている。彼女のもとに、突如母がやってくる。バーグマン演じる母親は、著名なピアニストだが、夫と娘たちを捨てて出奔していた。 年老いたとはいえ、美しい母親と、田舎の牧師館の地味な妻である娘--ここには、たとえようもない断絶がある。 音楽という芸術への愛に生き、娘に対して母親らしい心配りなどできなかったピアニストと、孤独に打ちひしがれながら、母親への愛を求めずにはいられなかったヒロイン。 夕食の席にも真っ赤なドレスを着てみせるバーグマンと、故郷の町から一生出ないのではないかと思われる内向的なヒロインを演ずるウルマン・・・この二人の人物像の対峙が、何とも迫力がある。

物語は、ヒロインが自分たちをかまってくれなかった母親に憎しみを吐露することで、クライマックスとなるのだけれど、ここでは感情の暴発とともに、カタルシスもあったのではないか・・・でも、母親とヒロインが再び会うことは二度とないだろう。

 

北欧の荒涼とした風景・・・それは人間存在の孤独をもむきだしにして見せるのかもしれない。裸木に、極北の光が差し込むような、かすかな希望・・・ラストシーンでの、ヒロインの微笑に、そんなことを思ってしまった。そして、この映画のバーグマンは素晴らしく美しい。すでに乳ガンに冒され、老いが顔の皺に刻みこまれていたとしても。  何よりも、人間を感じるのである。 

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ふと、疑問

2013-09-19 08:47:00 | ある日の日記

このブログを始めて、数か月にはなることに気づく。だが、果たして読んでくれている人が、いるのだろうか? この広い日本全体でも・・・。

そして、言いたい放題つづってきたけれど、一人よがりになっていないか、それも心配である。

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伝言板です

2013-09-17 08:33:32 | ある日の日記

  伝言板

 「ノエルの本棚」をリニューアルしました。短編2作「ホームズさん、薔薇はいかが?」と「物語料理クラブ」を追加しています。

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